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愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

核兵器使用は国際法に違反している!戦争犯罪を繰り返さないためには加害の事実と向き合う道徳論を!

2013-04-26 | 核兵器廃絶

つづきです。以下お読みください。コメントは最後にあります。

 

核兵器の使用も威嚇も国際法違反 国際司法裁判所での広島市長の陳述

 1995年11月7日 広島市長 平岡敬

…(略)…

1.原爆の瞬間的な無差別殺りく(略)

2.原爆がもたらした人間的悲惨(略)

3.被爆者も訴え(略)

4.核兵器の非人道性

 これまでのべてきたように、核兵器が恐ろしいのは、その強大な破壊力はもちろんですが、後代にまで影響をおよぼす放射線を発するからです。

 戦争が終わり、平和を回復して五十年たった今、なおも多くの人が放射線後障害で苦しんでいることほど、残酷なことはありません。

 つまり、核兵器による被害は、これまで国際法で使用を禁じているどの兵器よりも残酷で、非人道的なものです。

 国際法にいう一般市民にたいする攻撃の禁止と、人間に不必要な苦しみをもたらす大量破壊兵器の使用が過去において、国際宣言や拘束力ある協定によって禁止されたことの根底には、人道的な思想が流れています。これこそが近代ヨーロッパから発した国際法の精神であります。

 一八六八年の「セント・ペテルスブルグ宣言」、一八九九年の「特殊弾丸の使用禁止の宣言」(ダムダム弾の禁止に関するハーグ宣言」)、一九〇七年の「ハーグ陸戦条規」ニ陸戦ノ法規慣例二関スル条約付属書陸戦ノ法規慣例二関スル規則」)の第二三条、一九二五年の「毒ガス等の禁止に関する議定書」、一九七二年の「生物・毒素兵器禁止条約」などが生まれた底流には、人間の非理性的行為を防止しようとする人道主義が存在しています。

 さらに、一九六一年の国連総会では、「核兵器・熱核兵器の使用は、戦争の範囲を超え、人類と文明に対し、無差別の苦しみと破壊を引き起こし、国際法規と人道の法に違反するものである」を内容とする「核兵器と熱核兵器の使用を禁止する宣言」が決議(国連総会決議一六五三()されております。

 市民を大量無差別に殺傷し、しかも、今日に至るまで放射線障害による苦痛を人間にあたえつづける核兵器の使用が国際法に違反することは明らかであります。また、核兵器の開発、保有、実験も非核保有国にとっては、強烈な威嚇であり、国際法に反するものです。

 現在地球上には、人類を何回も殺りくできる大量の核兵器が存在しています。核兵器は使用を前提として保持されていますが、核兵器の存在が平和の維持に役立つという納得できる根拠はありません。核兵器によって、自国の安全をまもることはできず、いまや国家の安全保障は、地球規模で考えなければならない時代が到来しています。

 核兵器が存在するかぎり、人類が自滅するかもしれないということは、けっして想像上の空論ではありません。核戦争はコントロールできるとする戦略、核戦争に勝つという核抑止論にもとづく発想は、核戦争がもたらす人間的悲惨さや地球環境破壊などを想像できない人間の知性の退廃をしめしています。

 それゆえ、私たちは、広島・長崎の体験にもとづいて核兵器の問題を考えるとき、さらに核保有国の核実験場周辺の被曝住民の苦しみを知るとき、核兵器廃絶を明確にする条約を結ぶことによって、世界は希望の未来へと足を踏み入れることができるのです。

 私は、核兵器の問題を現在の国際政治の力関係のなかで考えるのではなく核兵器は人類の未来にとってどのような意味をもつのかという視点から考察すべきであると思っております。

 一九八一年二月、広島を訪問されたローマ教皇ヨハネ・パウロニ世は、「過去を振り返ることは、将来に対する責任を担うことです。広島を考えることは、核戦争を否定することです」とのべられました。

 人類の運命は、今あなた方の手の中にあります。

 どうか、神のごとき叡知と明察と人間への愛をもって、この核兵器の問題にたいして、正しい判断を下していただくようお願いして、陳述を終わります。(引用ここまで

「赤旗 評論特集版 №983」(1995年11月27日)より

 

 「核抑止力論」は恐怖の均衡を保つこと 国際司法裁判所における陳述

1995年11月7日 長崎市長 伊藤一長

…(略)

写真を示して被爆の悲惨さを訴える

…(略)

 恐るべき放射線は、その後次第に人びとの身体をむしばみ、死者は波紋のごとく爆心地を中心とする同心円上にふえつづけていった。被爆から四ヵ月後、死者約七万四千人、負傷者は約七万万五千人にいたった。市民の三分の二にも及ぼうとする人びとが犠牲となったこの惨状は、まさにこの世の終わりを思わせるものであった。

 これが、わずか一発の爆弾の結果であります。第二次世界大戦後期の一九四五年二月、ドイツのドレスデンにおいて無差別爆撃がおこなわれました。イギリスの爆撃機のべ七百七十三機が大型爆弾を投下し、アメリカ空軍の四百五十機が六十五万発の焼夷弾を落としたといわれています。ある文献は、死者は十三万五千人を数えたと記録しています。

 わが国において、通常爆弾によって最も大きな被害をうけた一九四五年三月の東京大空襲では、三百二十五機の爆撃機が一蒔間半にわたって約千六百六十五㌧もの焼夷弾を投下し、およそ十万人が亡くなったといわれています。

 しかし、広島と長崎では、わずか一機の爆撃鉄が、一発の原子爆弾によって、それぞれ十四万と七万四千もの人びとを死にいたらしめたのです。それだけではありません。かろうじて、死を免れた人びとも、今なお、原爆特有の後障害に悩まされつづけています。

 このように核兵器は、無差別に大量の一般市民をも殺傷するものであります。

 一九四五年八月九日。この日、爆撃機は第一目標となっていた小倉(現在の北九州市)への投下を視界不良のためあきらめ、第二目標の長崎上空にさしかかりましたが、ここも小倉と同じく雲に覆われていました。すでに爆撃機の燃料は欠乏しつつあり、爆撃手はあせりのなか、雲の切れ間からわずかに見えた浦上の地の上空で原爆を投下したのです。

 浦上は、かつて、わが国の過酷なキリシタン弾圧の歴史のなかで、迫害に耐えながら秘かに信仰を守りつづけてきたキリシタンのまちでした。一万二千人の信者のうち八千五百人が瞬時にして命を奪われ、まちは廃墟と化しました。…(略)

核保有国は被爆の実相を直視すべき(略)

恐るべき放射線の影響

 ご承知のとおり、原子爆弾が通常の火薬爆弾と根本的に異なる点は、爆発のさい、放射線を放出する点にあります。

 一九四五年八月九日の長崎では、爆発後一分以内に放出される初期放射線を多量にあびた者は二週間以内に全員が死亡。中性子によって地上の物質が放射性をあひる誘導放射能と爆発時に空中に飛散した核分裂生成物や未分裂プルトニウム等の放射性降下物は、風とともに移動拡散するため広範囲に、しかも長期にわたって放射線を放出しました。直接被爆した人だけでなく、後日、爆心地付近にはいった人や、風によってはこぼれた放射性降下物をあびた人びとにも重大な影響をあたえました。

 これら高い放射線量をうけた人びとは、疾病の発生率が高く、なかでも注目されなければならない点は、白血病や悪性腫瘍などが長い潜伏期間の後に発生する率が高いことであります。

 これまで、白血病は被爆後二年から三年目にあらわれはじめ、六年から七年目をピークに次第に発生率が減少し、がんについては被爆後十年以上の長い潜伏期間をへてあらわれ、時の経過とともに増加していくと推測されてきました。その推測を裏付けるように、本年十月に聞かれた日本癌学会において、広島・長崎の被爆者の追跡調査の結果、放射線をあびたことにより白血病やがんでの過剰な死亡例が認められたとの報告がなされております。

 しかし、遺伝的要因については未知の部分が多く、今後、数世代にわたって観察する必要があるといわれており、被爆者の子孫は、これから何代にもわたって、不安をかかえながら生きていかねばならないのであります。

 以上のことから、核兵器は、その強大な威力により戦闘員と非戦闘員、また軍用物と民用物とにかかわらず無差別に殺傷または破壊する兵器であり、また、核兵器特有の放射線は、特定の軍事目標のみを対象とすることができず、直接戦争に関係ない人びとをも殺傷する非人道的な大量殺戮兵器であるといわざるをえません。

 核兵器の犠牲者は、広島、長崎だけではありません。核兵器開発の歴史のなかで、核実験による放射線で多くの人が犠牲になっているといわれています。

 今年五月、私は、ビキニ市の市長に会いました。ビキニ島は、二十回以上の大気圏内核実験の結果、島は放射性物質で汚染されました。住むことが不可能になった住民が、移住を余儀なくされました。半世紀をへて、いまなお故郷に帰社ない人びとが、核実験によって破壊された自然をとりもどし、安全な生活ができるよう必死になっており、来年こそは生まれ故郷に帰りたいと熱望していることをビキニ市長からお聞きし、その心情に、私は胸を締めつけられる思いでした。

核兵器は明らかに国際法違反

 私は、戦闘にかんする国際法では、兵器の選択について無制限な自由は認められておらず、その禁止を明文化されていない兵器であっても、①文民を攻撃すること、②不必要な苦痛をあたえること、③環境を破壊すること、は禁止されていると聞いております。核兵器の使用は、まさしくこれらの禁止事項に該当するものであり、国際法に違反していることはあきらかであります。

 長崎では、毎年八月九日の「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」において、核兵器廃絶と世界平和への願いをこめた「長崎平和宣言」をおこなっております。

 私は、今年の平和宣言において、被爆地長崎の立場として、わが国は、核兵器使用が国際法違反であることを明確に主張するとともに、国是としている「核兵器をつくらず、持たず、持ち込ませず」の非核三原則を法制化し、同時にアジア水平洋地域の非核地帯創設につとめるよう、わが国政府にたいし提唱しました。

 核兵器を保有することによって、敵対する相手の核兵器使用を抑制しようとする、いわゆる「核抑止論」は、恐怖の均衡をたもつことにほかなりません。

 このたび、ノーベル平和賞を受賞される、パグウォッシュ会議の会長、ジョセフ・ロートブラット博士は、本年八月、長崎で聞かれたシンポジウムにおいてつぎのようにのべております。

 「広島、長崎の原爆のもつ意味について、あらためて皆さまに想いおこしてほしいのです。核兵器は、人類の存続すらも危険におとしいれました。この危険は常に存在し、ダモクレスの剣のように我々の頭上にぶらさがっています。この危険は、すべての人びとに、科学者に、市民にも常に注意深くあらねばならないと教えています。我々は戦争をなくさなければならない。なぜなら、いかなる戦争も、核の惨事にエスカレートするかもしれないからです」

 私たちは、東西冷戦体制の終結をむかえたいまこそ、核兵器のない世界の恒久平和を達成するまたとない機会だと考えています。しかし、狭疑心や威嚇の心理に裏打ちされた核の抑止にとよっていては、多国間の相互信頼にもとづく真の平和をきずくことは到底不可能だと考えます。

 私は当裁刊所が、このたびの審理にさいし核兵器のもつ非人道性と国際法上の違法性についての公正な判断をしめされ、核兵器廃絶を悲願とする広島・長崎の市民はもとより世界の同じ思いの人びとにこのうえない力と勇気をおあたえくださいますようねがってやみません。そして、このことこそ、去る五十年まえ、長崎、広島のあの原子原で悶え死んだ、老若男女二十一万四千人の犠牲者にたいする最大の鎮魂となるであろうと信じます。

 長崎では、被曝から五十年をへた今日もなお、被爆者のうち毎年およそ千三百人が亡くなり、六万二千人が原爆後障害の恐怖におびえる口々をおくっております。

 裁判官の皆さま、最後にあえて再び申し上げます。長崎市民の半世紀にもおよぶ核兵器廃絶への悲痛な訴えと世界平和への願いをご理解ください。長崎市民の悲惨きわまりない体験と筆舌につくしがたい苦しみは、けっしてくり返されてはなりません。今後、ひとたび核兵器が使用されることがあれば、地球環境の破壊はもとより、人類生存の道が危ぶまれることをここに確信をもって申し上げます。

 数万年にわたり営々として築かれ、発展をとげてきた人類の文化と歴史に、けっして終止符がうたれることのないよう、人類愛の見地に立ったご判断をくがされることを心から願い、私の陳述を終わらせていただきます。(引用ここまで

「赤旗 評論特集版 №984」(1995年12月4日)より

 

アジアでは、原爆投下によって戦争が終結し、日本軍から解放されたとの考え方があります。同時に、日本においても、加害責任との関係から、原爆投下は仕方がないとの声もあります。そのような発言をして辞職に追い込まれた大臣もいました。ま、これは核の傘論がホンネではないかと思いますが・・・。

 このヒロシマ・ナガサキの惨状は、トルーマン大統領の声明によって、正当化され続けてきましたし、現在も「核抑止力」論として、現在進行形でもあります。しかし、この二人の意見陳述によって、その誤りが証明されているのではないでしょうか?

トルーマン米大統領声明 - ヒロシマ新聞

http://www.hiroshima-shinbun.com/abroad/abr1945080602.html

トルーマンと原爆投下

http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/WA15.HTM

 もう一つあります。安部首相の「東京裁判は勝者によって裁かれた」論です。

確かに、そういう面があることは事実でしょう。

 それでは、敗者である日本国が裁判によって裁くことができたというのでしょうか?東久邇宮内閣の「一億総懺悔」論に象徴されるように責任棚上げと責任を東條に押し付けていった支配層内部の一部グループの天皇免責論、証拠資料の焼却などを、安倍首相は、どのように説明するのでしょうか?

 さらに言えば、日本の重慶爆撃などを含めて、勝者であるアメリカの無差別爆撃の戦争犯罪について、又関東軍も関与したシベリア抑留についても、安倍首相は、どのように正していくつもりでしょうか?

 こうしたことを抜きに、東京裁判の弱点の一部を強調することで、大東亜戦争を正当化しようとあいているのです。この不道徳ぶりを暴いていかなければなりません。このことは、安倍首相自身が、繰り返し主張している戦争の評価の問題に対する「後世の史家が判断する」論です。

 アメリカの指導が入った「成果」でしょうか?!今日の国会でも弁解していました。これほど潔さの欠落している人間の不道徳ぶりを告発していかなければなりません。

首相「政治問題化望まず」 歴史認識めぐり 2013年4月26日 11時44分

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013042601001588.html

 だからと言って、日本国の戦争犯罪とその責任、加害責任が曖昧にされることは、あってはならないことです。同時に、その際の犯罪と責任の具体的解明は必要不可欠なような気がします。それは安倍首相たち大東亜戦争肯定・正当化論にみられる「素朴な感情論」にどのように対していくかという意味からです。

例えば、

1.第一次世界大戦後の「戦争の違法化」とABCD包囲網という「脅威」論の関係と責任転嫁の不道徳ぶり。

2.欧米諸国の植民地と日本の植民地は違う、アジアの解放に貢献したという身勝手な思想の不道徳ぶり。

3.三光作戦や731部隊などの犯罪を防げなかった装置として、兵士に国際法を教育していなかったことの責任と不道徳ぶり。

4.多くの兵士を餓死させたこと、国際法に則って捕虜になることを遺棄させた不道徳ぶり。

5.軍人勅諭で上官の命令は天皇の命令と教育しておきながら、強姦や略奪を命令で防止できなかった、しなかった上官の不道徳ぶり。それらの上官の教育の在り方の問題と、大元帥・現人神としての天皇の命令によって国家が運営されていたにもかかわらず天皇の責任の回避と免罪の不道徳ぶり。

6.とりわけ、天皇の開戦決定は曖昧に、「終戦決定」は「聖断」として、スリカエル不道徳ぶり。

 第 4条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ

第 6条 天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス

第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス

第13条 天皇ハ戦イヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス

 7.従軍看護婦と従軍慰安婦の違いを意図的に避け、皇軍の不道徳ぶりを曖昧にする。

8.特攻隊創設と強制の責任を曖昧にする不道徳ぶり。

9.戦争協力者・推進者を公職追放したにもかかわらず、その責任を曖昧にして解除し、要職に復帰させた不道徳ぶり。

 10.「教育勅語の「徳目」や「靖国」「遊就館」「明治・大正・昭和・平成」など、その根源には「中国思想」が色濃くあるが、その中国を蔑視し、侵略し、それを進出とゴマカス不道徳ぶり。

 などなど、解明していかなければならないことは、たくさんあります。このことは、現在中国製品が日本国内に溢れているにもかかわらず、何となく「中国危険」感に陥っている日本国を思うと、いっそう解明しなければと思います。

今後勉強して、記事にしていきたいと思います。


沖縄・広島・長崎・福島の屈辱、大東亜戦争正当化論を押し付ける安倍不道徳自公政権は退場すべし!

2013-04-26 | 日記

昨日も驚くべきニュースが飛び込んできました。日本政府が、非人道兵器である核兵器の不使用を拒否したからです。これほどの不道徳があるでしょうか?

 このことを日本のマスコミはどのように意味づけ報道しているか。そこに注目してみました。

 以下、そのポイントについて、述べてみます。

 1.問題は、署名を拒否した以下の発言です。

「核兵器が使用された場合の影響が非人道的なものだという点では賛同している」「いかなる状況でも使用しないとしている点が、日本の安全保障政策と相いれない」(天野万利大使)

「わが国を取り巻く安全保障環境は厳しいので、『いかなる状況でも』という文言を削除してほしいと働きかけをした」「日本の置かれている安全保障の状況を考えたときに、ふさわしい表現かどうかを慎重に検討した結果、賛同することを見送った」(菅義偉官房長官)

 2.このポイントは、「日本の置かれている安全保障の状況を考えたときに、ふさわしい表現かどうかを慎重に検討した」とありますが、どのように「慎重に検討した」か、判りません。その「慎重に検討の結果」として、言えることは、

「核兵器は非人道的兵器である」が、「いかなる状況でも使用しない」ということは、「日本を取り巻く安全保障政策」が「厳しい」場合は、核兵器を使用する可能性があることを認めたこと、「安全保障」論を使えば、「核兵器は使用できる」ということです。

 3.このことは、アメリカがヒロシマ・ナガサキに投下した残虐な兵器を「安全保障」論から認めたことを意味しています。まさに「敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル」とした「大東亜戦争終戦の詔書」の否定とも言えます。

 4.また三度核兵器の被害を受けたビキニなどで使用したアメリカの核兵器使用とイギリス・フランスなどの核実験、その他の核保有国を、その「安全保障」論を理由に認めたことです。このことは、ヒバクシャや日本国民のみならず、他民族の被害をも、日本の「安全保障」を理由に貶め、冒涜した暴挙でです。

 5.この暴挙は、北朝鮮の核兵器保有と朝鮮半島の非核化に対する大義名分を「安全保障」論を理由に放棄したことです。これでは、アメリカの核兵器による「脅し」(核兵器抑止力)に対抗して、北朝鮮が核兵器の保有を認めさせようとしていること、そのために「挑発的言動」を繰り返している北朝鮮の「脅し」(「核抑止力」論)ことを認めることになります。

 6.同時に、非暴力・非軍事・非核の「抑止力」論としての日本の「安全保障」論の根拠である憲法第9条と非核三原則を「国是」としている日本国の立場を放棄したことを、国際社会に、とりわけ北朝鮮に宣言したことを意味しています。北朝鮮にしてみれば、日本の言うことは「綺麗ごと」「絵空事」になります。そのことを安倍政権が宣言したのです。

 7.日米軍事同盟にもとづく核密約によるアメリカの核の傘の下における日本外交の欺瞞と矛盾、すなわち対米従属性=自主独立外交・思考の放棄による問題点。矛盾が、一気に浮き彫りになったことを意味しています。

 このことは、安倍自公政権のすすめる政策にも象徴的に表れています。これらの政策の推進を「安全保障」論で糊塗したのです。以下まとめてみました。

 (1)本土から沖縄に米軍基地を集中させたサンフランシスコ条約・日米安保条約発効の4.28を「主権回復の日」とゴマカス。しかも沖縄をアメリカの生け贄に差し出した裕仁天皇の息子で「国政に関する権能を有しない」明仁天皇を「お祝いの日」に「内閣の助言と承認」によって参列させるものの、お言葉を賜ることをしないことで、その政治利用ぶりと、「不忠」ぶりがいっそう浮き彫りになった。

 (2)4.28以前の占領下においてアメリカから「押し付けられた憲法」は、主権回復後には、「国民による自主憲法の制定を」とゴマカス。しかも国民というハードルを低くして。

 (3)アメリカの傘の下のおける「安全保障」論に依存しながら、アメリカが主導した東京裁判を「勝者の裁判」と否定することで、アメリカとの矛盾が浮きぼりになった。

 (4)東京裁判で「確定」した天皇とアジアへの免責・東條英機に責任を集中させ戦争犯罪など、問題点はたくさんあるものの、それでもサンフランシスコ条約で承認された戦争犯罪人に対して、一宗教法人である靖国神社は、大東亜戦争正当化論の立場から、国と謀議して、「昭和殉難者」として、こっそり合祀。この「ご英霊」に「尊崇の念」を込めて「慰霊」「感謝」として参拝したことでアジア諸国の被害国とその国民との矛盾が浮き彫りになった。

 (5)アメリカの傘の下における「安全保障」論に基づく従属性と日本の自主性のなさが明確になったにもかかわらず、「国益を実現する本当の勝負はこれから」「一日も早く交渉に参加し、交渉を主導していきたい」などと、日米軍事同盟の「経済協力」条項の具体化として亡国TPP参加のゴマカシが浮き彫りになった。

 (6)「原発安全神話」によって引き起こされた福島の原発事故が汚染水の垂れ流しなど、収束していないにもかかわらず、アメリカの核の傘の下における「安全保障」論と「日米経済協力」条項による再稼動や原発の輸出の画策が浮き彫りになった。

 8.北朝鮮の「挑発的言動」の非難と金正恩氏と北朝鮮軍の映像を繰り返し流し、ミサイル発射時期を引き延ばしながら、それらの動向を貶める日本語で表現し、さらに尖閣への中国の干渉による「危機」を演出しながら、敵基地攻撃論など、憲法改悪の地ならしを推進するマスコミ報道が、ミサイル未発射によって破綻した。

 9.北朝鮮の側にも大きな問題があることは明らかです。北朝鮮が国際社会で承認されるためには、北朝鮮自身が関係している諸国との友好の事実を公開すること、国連決議の履行を誠実に果たした上で、アメリカの核抑止力を国連の部隊で批判し、緊張緩和と朝鮮戦争終結の平和協定を調印することです。国民向けの強がり的・威圧的言葉によるメッセージではなく、紳士的な言葉を使うことで、国際社会の「批判」「非難」の口実を除去していくことです。そのためにも、六カ国協議の再開、日朝平壌宣言の具体化に向けて誠実に行動することです。

 10.経済が疲弊している北朝鮮がアメリカ陣営に対する「抑止力」として軍事的脅威を煽りつつも対話を求める変化を読み取ることができない「アメリカ脳」=アメリカの核の下における「安全保障」論の呪縛から抜けられないマスコミは、その報道姿勢を変えず、対話による和解と交流、連帯への道を模索しない思考停止と矛盾が浮き彫りになった。

 11.危機を煽れば、煽るほど、人とカネなど、経済・文化交流などが減速していることが明らかになってきているにもかかわらず、国際紛争を「脅し」の掛け合いと軍事的手段で解決する思考回路でしか垂れ流さないことが浮き彫りになった。「脅し」や武力紛争より、和解と平和による経済、文化交流でこそ、儲かる、生活改善が図れることが、浮き彫りになった。

 12.以上の諸要因から、安倍自公政権を認めることはできないと思います。安倍自公政権にレッドカードを突き付ける時ではないでしょうか?憲法の平和主義に基づく政権づくり、非核・非軍事・非暴力・アジアに軸足をもった政権づくりとマスコミを何としての誕生させなければなりません。

 それでは、現時点における主な報道を一覧しておきます。

 日本 NPTの核不使用声明に署名せず   4月25日 6時56分http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130425/k10014172481000.html

スイスのジュネーブで開かれているNPT=核拡散防止条約の会議で、核兵器は非人道的なものだとして、いかなる状況でも使用すべきではないなどとする共同声明が提出…唯一の被爆国の日本はこの声明に署名せず、NGOなどから批判の声が上がりました。声明では「核兵器の使用によって、直接に人が死ぬだけでなく、社会や経済の発展は停止し、環境は破壊され、将来の世代は健康や食糧や水を失うことになる」と…核兵器の非人道性を強調し…「いかなる状況でも核兵器を二度と使わないことこそが人類生存の利益につながる」として、核兵器の不使用を訴えています。共同声明には74か国が名前を連ねましたが、唯一の被爆国である日本は署名しませんでした。天野万利大使は、…「核兵器が使用された場合の影響が非人道的なものだという点では賛同している」「いかなる状況でも使用しないとしている点が、日本の安全保障政策と相いれない」と述べました。日本がアメリカのいわゆる「核の傘」で守られていることを、署名をしない理由の1つにしたものですが、会議に参加しているNGOなどからは批判の声が上がり、ジュネーブの軍縮会議日本政府代表部の建物の前で、およそ50人が抗議活動を行いました。

 「核の傘」で守られている署名見送り   4月25日 13時55

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130425/k10014181551000.html

菅官房長官は、…「わが国を取り巻く安全保障環境は厳しいので、『いかなる状況でも』という文言を削除してほしいと働きかけをした」「日本の置かれている安全保障の状況を考えたときに、ふさわしい表現かどうかを慎重に検討した結果、賛同することを見送った」と述べ、日本がアメリカのいわゆる「核の傘」で守られていることなどから、共同声明への署名を見送ったことを明らかにしました。一方で、…「わが国は唯一の被爆国なので、核兵器使用の影響についてはどの国よりも実態を知っている。二度と核兵器が使用されないことが人類の生存にとって利益であるという方向に全世界が進んでいく努力をするのは当然のことだ。今後もこうしたテーマの共同声明に参加できる可能性を真剣に探っていきたい」と述べました。

 官房長官、NPT声明賛同見送り「日本の安保環境踏まえ判断」 2013/4/25 11:59 http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS25014_V20C13A4EB1000/

 菅義偉官房長官は25日午前の記者会見で、核拡散防止条約(NPT)再検討会議の準備委員会がまとめた共同声明に日本が賛同を見送ったことについて「日本が現在置かれている安全保障環境を考えたとき、参加するのがいいか判断した」と説明した。

 「核兵器の非人道性」訴え=NPT準備委で演説-広島、長崎市長 (2013/04/24-19:13)

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_date2&k=2013042400908

 【ジュネーブ時事】広島市の松井一実市長と長崎市の田上富久市長は24日、ジュネーブの国連欧州本部で開かれている核拡散防止条約(NPT)再検討会議第2回準備委員会で演説した。両市長は各国に「核兵器の非人道性」に焦点を当て、廃絶に取り組むよう訴えた。 松井市長は、広島と長崎の被爆体験に目を向けるよう求め、「核兵器は非人道兵器の極みであり絶対悪であることは明らか」と断じた。その上で、現在の安全保障の枠組みに根差した「国家間の相互不信」の壁を乗り越えるべきだと語った。 田上市長は「核抑止力に基づく安全保障を追求した結果、テロ組織や政情不安国による核保有の危険性を高めた」と指摘。北朝鮮の核開発をめぐり緊張が高まる北東アジアでの非核兵器地帯創設が必要だと語った。

 「核の非人道性」声明に賛同せず=日本、安保政策と一致しない(2013/04/25-01:07)

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_date1&k=2013042500019

 【ジュネーブ時事】日本政府は24日、スイスなど70カ国以上が支持した核兵器の非人道性を指摘した共同声明に賛同しないと表明した。「いかなる状況下でも核兵器が二度と使われないことは人類生存の利益」との表現が、日本の安保政策と現時点では一致しないと判断した。
 共同声明はスイスや南アフリカが主導。ジュネーブの国連欧州本部で開かれている核拡散防止条約(NPT)再検討会議第2準備委員会で提出された。
 声明は「核兵器の人道的影響は根本的かつ世界的な懸念として認識が高まっており、核廃絶と核不拡散を実現する上で中心となるべきだ」と明記。「核兵器が二度と使われないことを保証する唯一の手段は核兵器の全廃だ」とした。
 スイスは日本にも賛同を求め、両国は協議を重ねてきた。だが日本は米国による「核の傘」が事実上、北朝鮮などによる攻撃の抑止力となっている。このため、「いかなる状況下でも核兵器が二度と使われない」との表現について、「現実に核兵器が存在する中で(実態と)相いれない」(天野万利軍縮大使)として、賛同を見送った。 

 被爆者ら日本代表部へデモ行進 共同声明の不賛同に抗議 2013/04/25 08:42 【共同通信】

http://www.47news.jp/CN/201304/CN2013042501000791.html

 NPT準備委、核不使用をと声明 日本、加わらず 2013/04/24 23:51 【共同通信】

http://www.47news.jp/CN/201304/CN2013042401002284.html

 「核の不使用」共同声明、日本署名せず NPT準備委  2013年4月25日21時17分

http://www.asahi.com/international/update/0425/SEB201304250002.html

共同声明に賛同しなかった日本政府への抗議に訪れたデモの参加者たち。警察官に行く手を遮られた=24日、スイス・ジュネーブの軍縮会議日本政府代表部前

共同声明に賛同しなかった日本政府への抗議に訪れたデモの参加者たち=24日、スイス・ジュネーブの軍縮会議日本政府代表部前

 【ジュネーブ=斎藤靖史】2015年の核不拡散条約(NPT)再検討会議に向け、スイス・ジュネーブで開かれている第2回準備委員会で、核兵器の非人道性を訴えて24日に発表された共同声明に、日本政府は署名しなかった。米国の「核の傘」に頼る安全保障政策と整合性がとれない、と判断した。 共同声明は、核が使われると人道上、破滅的な結果を招くとして、「二度と使われないことを保証する唯一の手段は完全な(核)廃絶だ」とする内容。南アフリカスイスなど75カ国が賛同した。 昨年5月の第1回準備委では、スイスなど16カ国が同様の共同声明を発表したが、日本は「事前の打診がなかった」として参加しなかった。また、昨年10月の国連総会第一委員会でも34カ国が同様の共同声明を発表したが、日本は「核兵器非合法化」を求める内容が米国の核抑止力に依存する政策と合わないとして、賛同しなかった。

 

朝日は、昨日の夕刊1面・14面で、今日は2面で「核の傘 矛盾またも」「核使用声明 日本署名見送り」「対朝鮮 立場難しく『いかなる状況でも』文言削れず」「広島・長崎失望と批判 『非人道性、訴える機会放棄』」

 防衛大綱、敵基地攻撃能力を提起 自民素案 2013年4月25日 18時07分

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013042501001547.html

 自民党は25日までに、政府が年内に策定する長期的な防衛力整備の指針「防衛計画の大綱」に向けた提言の素案をまとめた。北朝鮮による核・ミサイルの脅威などを念頭に、敵基地攻撃能力の保有を提起。テロなど多様な事態に対処する大綱の基本方針「動的防衛力」については、自衛隊の機動力強化を重視した新たな概念を検討する。 党安全保障調査会と国防部会の合同会議が大型連休明けから議論に入り、5月末をめどに提言を取りまとめる。防衛省の「防衛力の在り方検討委員会」が6月中に策定する新防衛大綱の中間取りまとめに反映させる考え。夏の参院選の党公約にも盛り込む方針だ。(共同)

 米政権、安倍首相発言に懸念 中韓にらみ自制促す 2013年4月26日 08時57分

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013042601001387.html

 【ワシントン共同】歴史認識をめぐる安倍晋三首相の発言や閣僚の靖国神社参拝に対し、オバマ米政権が東アジア情勢の不安定化を招きかねないとして、日本政府へ外交ルートで非公式に懸念を伝えていたことが分かった。日米外交筋が25日、明らかにした。

 国務省のベントレル報道部長は「公式な抗議」はしていないとした上で「中国や韓国のように他国も懸念を表明している。各国間の強く建設的な関係が地域の平和と安定をもたらすことを、われわれは今後も訴えていく」と述べ、安倍政権に中韓を刺激しないよう自制を促した。(引用ここまで

 

 

社説は、以下の中国高知・読売の三つです。要約しておきます。日米軍事同盟深化派の読売と被爆地広島の中国、太平洋で被爆したマグロ漁船の高知の主張を比べてみれば、どちらが現実的か、明瞭ではないでしょうか?

 中国新聞 核不使用に賛同せず 「被爆国」名乗る資格ない '13/4/26

http://www.chugoku-np.co.jp/Syasetu/Sh201304260069.html

確かに中国の海軍増強や北朝鮮の核開発などによって東アジアの情勢は緊迫し、日本の安全保障環境が揺らいでいるタイミングではある。 とはいえ視点を変えれば、米国のあまりに強大な核戦力が中国や北朝鮮を軍拡へと突き動かしてきたのは紛れもない事実である。そして「核の傘」は、これらを抑止できていない。 いま安倍政権がなすべきは、周辺国と「脅し、脅され」の関係を築くことではなかろう。緊張を解きほぐすには、原点に立ち戻って考えるしかあるまい。…「核の傘」に頼らず、東アジアの平和をどう構築するか。真の非核外交への転換と模索を始める機会を安倍政権は自ら遠ざけるばかり。本当にこれが被爆国なのか。もはや政府には、そう名乗ってもらいたくはない。

 高知新聞 【核不使用声明】被爆国がなぜ賛同できぬ 2013年04月26日08時03分

http://www.kochinews.co.jp/?&nwSrl=301732&nwIW=1&nwVt=knd

米国が提供する「核の傘」への影響や、核使用をちらつかせる北朝鮮への抑止力低下を懸念したためとされる。だが、同じく米国の核抑止力に依存する北大西洋条約機構(NATO)加盟国は名を連ねている。唯一の被爆国の姿勢が問われる事態だ。…裏返せば、日本は場合によっては核使用を認めるということだ。しかし、そんなことがあっていいのだろうか。…現実に核兵器が存在する限り核抑止力は必要というのも、日本政府の基本的な立場だ。だが、現実論にとどまっているだけではいつまでたっても「核なき世界」は訪れない。核不使用声明にあるように、核兵器が再び使われないことを保証する唯一の手段は核廃絶である。究極の目標に少しでも近づくためのリーダーシップを、日本はもっと発揮すべきだ。

非核化拒む「北」 警戒も制裁も緩めてはならぬ (4月26日付・読売社説http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20130425-OYT1T01561.htm

「核保有国」の既成事実化を図ろうとする北朝鮮の姿勢が、ますます鮮明になってきた。国際社会は、警戒も制裁も緩めるべきではない。…4月末には米韓合同軍事演習が終わる。北朝鮮が先週、米国の対話の呼びかけに反応し、対話再開へ条件を提示したのは、対米交渉へ動く布石とも受け取れる。北朝鮮の国防委員会の声明は、対話再開には、安保理の制裁決議の撤回や、米韓合同軍事演習の恒久中止、戦略爆撃機など「核戦争手段」の撤収が必要だとした。制裁撤回要求は虫がよすぎる。決して容認できないのは、「核保有国」としてなら対話に臨むという北朝鮮の姿勢である。 日本や米国、韓国などが「対話再開はあくまでも非核化に向けたもの」として、北朝鮮がつけた条件を一蹴したのは当然である。北朝鮮の核武装は、日本の安全への重大な脅威だ。日本の安全保障を強化するため、外交にも全力を挙げなければならない。

 別項で、核兵器が国際法に違反していることを根拠付けた広島・長崎市長の歴史的陳述を掲載します。