(今日の写真は焼け止まり小屋を200mほど登って来た低木ブナの疎林地帯から対岸尾根を撮ったものだ。写し撮られた場所は「後長根沢」の源頭部である。
先ず、第一の崖があって、そこを「おおまぶ」と呼んでいる。その一部が黒々とした岩肌をさらしている。雪が少ない所為である。
この下部にはさらに急峻な「垂直」に近い岩崖が続いている。冬場は雪崩の巣となる。そして、春先には崖の下部に大量の「雪崩」堆積物(デブリ)を残しているのだ。そこの雪質は硬く、まるで「氷河」のような感じすら与えてくれるのである。
だが、18日の朝にはそのような荒々しさを微塵も感じさせないで、穏やかに陽光の中に佇んでいた。岩木山だけが快晴の中に「いた」のである。
強風、吹雪、視界ゼロのホワイトアウトなど、むしろ、これらが冬山登山の常識であるが…を何回も経験している者にとっては、この「異常」といえる「山の晴れと凪」は不気味なものだった。しかし、心のどこかには「わくわくする」躍動感も潜んでいたのである。)
※ 十数年ぶりの雪洞一泊、そして山頂アタック(5)※
私たちは「雪洞」の前を「デポ」地点にした。計画では「焼け止り小屋」に、必要でないものを「デポ」していくことになっていたが、天気は晴れ、降雪もなく「外」に出して置いても、「雪に埋もれて紛失」ということはあり得ないので、そのようにしたのである。他に、もう1つ、理由があった。それは「出発時間」が遅れているということであった。
8時出発なのだが、すでに8時30分を過ぎていた。「小屋」まで移動して、階上の入り口から中に運び入れるにはまたまた時間がかかる。そんなことをしていたら9時になってしまう。それは許されない。
そういう訳で「雪洞の前」がデポ地点になったのである。
「デポ」していくものの内訳は「シェラフ、マット、火器、食器類」などの他に「スキーとストック」である。
「あれ、どうしてスキーを使わないのだろう」と思う人もいるだろうから、そのことについて書こう。
昨日の登りで疲れ、その疲れは回復していない。その「身体事情」を考えると、「負荷」の少ない「スキー登高」をすべきである。しかも、「つぼ足」での「埋まり方」は50cm以上もある。「ワカン」でも、多いところは30cmはあるだろう。登りに従い、標高が上がると雪は氷化して硬くなり、埋まり方も浅くなるが、これは相当のアルバイトを強いられることになるのである。それを承知していて、どうして「ワカン」を使うのだろう。
私たちがこれから登ろうとしている「大沢右岸尾根」は「雪崩」の頻発地帯である。昨日までの3日間、岩木山では降雪が続いていた。これは昨日の登りで実体験済みであった。「大沢右岸尾根」では雪崩は起こりうる。
「ワカン」使用は、何よりも「雪崩」を発生させない、「雪崩」に巻き込まれないためである。このことに関しては、スキーの持つ「デメリット」は「ワカン」のそれを遙かにしのぐ。スキーは「ワカン」に比べると「速い、軽い、楽だ」というメリットを持っている。だが、「雪崩」に関してはそれが逆に「デメリット」になる。
スキーを避けた理由はそこの先ずあった。もう1つ、それは私の「脚力の衰え」に因る。最近、大腿筋が衰えている。スキーで下山滑降する時にもっとも使う筋肉がこれだ。これが萎え衰えていると「制動」が効かない。どうなるか。転倒は目に見えている。変な形での転倒は骨折や捻挫につながる。打ち所が悪ければ「地獄の釜」に真っ逆さまだ。
私が「骨折」したら、相棒は「相棒」であることを嘆くであろう。そんな思いをかけてはいけない。「シェラフ」に詰め込んでスキー橇で下山などを相棒にさせてはいけないという思いがあった。それが「スキー」を断念させたのである。
恐らく、「相棒」はスキー登高をしたかったに違いないのだ。(明日に続く。)
※今日から写真展「私の岩木山」が始まる※
昨日の「写真展」設営には、これまで以上の参加者、お手伝い人が集まった。まさに、「始まる前から盛況」の観であった。
出展者の中には、5名の一般の方がいた。この方々の出展総数は20点である。私の見る限りでは、いずれも「すばらしい」作品である。一般の方での初出展者は3名である。
会員でも初めての出展者もいた。これも嬉しいことである。この写真展「私の岩木山」を開催してからすでに16回目。出展者も入れ替わっているが、特に、ここ数年「毎回出展する」人が固定化してきている。「固定化」することは、これはこれで「必要」なことである。ただ、出展する側に「マンネリ化」しない心意気と工夫が求められるだろう。
一般参加のKさんはここ数年、毎回出展しているが、彼の作品には「こだわり」と「心意気」、それに工夫の跡が滲んでいる。つまり、「私の岩木山」を愛して、「私に岩木山」に拘っているのだ。そこには、「マンネリ化」は微塵もない。
これは、会員の出展者も見習うべきだろう。私を含めて、会員出展者の作品には「マンネリ化」傾向があることは否めない事実である。
会員には会報で、数ヶ月も前から「開催」日時を知らせてある。「私の岩木山」に出会い、「私の岩木山」を発見して撮影したら、直ぐに「写真」にしてしまうことを希望したい。その中から主題を決めて「選択」しておく。そのようにしていたら「マンネリ化」からの脱却も図れるだろう。
出展総数は70である。例年どおりの「数」になった。これで会場は作品で埋まる。この数を知って会員のKTさんは「自分のものは出展しなくても大丈夫」といって持ち帰ったようだ。私は別な作業をしていて、それを引き留める機会がなかった。残念なことである。
もう1つ、残念なことがあった。「私の岩木山」というテーマとまったく関連性のない作品が1枚持ち込まれたことだ。受付の段階で「テーマ」との関連性を話し、正式には断るべきだったのだが、会場に「搬入」されてしまっていた。
これでは、不本意だが、「展示」する以外ないのである。こちらの「手落ち」であるからだ。だが、この方は会員なので会報等で「テーマ」は十分把握していたであろうにと考えると、こちら側の手落ちとだけにすることは憚れることでもある。
今日から25日まで、NHK弘前放送局ギャラリーで開催している。
先ず、第一の崖があって、そこを「おおまぶ」と呼んでいる。その一部が黒々とした岩肌をさらしている。雪が少ない所為である。
この下部にはさらに急峻な「垂直」に近い岩崖が続いている。冬場は雪崩の巣となる。そして、春先には崖の下部に大量の「雪崩」堆積物(デブリ)を残しているのだ。そこの雪質は硬く、まるで「氷河」のような感じすら与えてくれるのである。
だが、18日の朝にはそのような荒々しさを微塵も感じさせないで、穏やかに陽光の中に佇んでいた。岩木山だけが快晴の中に「いた」のである。
強風、吹雪、視界ゼロのホワイトアウトなど、むしろ、これらが冬山登山の常識であるが…を何回も経験している者にとっては、この「異常」といえる「山の晴れと凪」は不気味なものだった。しかし、心のどこかには「わくわくする」躍動感も潜んでいたのである。)
※ 十数年ぶりの雪洞一泊、そして山頂アタック(5)※
私たちは「雪洞」の前を「デポ」地点にした。計画では「焼け止り小屋」に、必要でないものを「デポ」していくことになっていたが、天気は晴れ、降雪もなく「外」に出して置いても、「雪に埋もれて紛失」ということはあり得ないので、そのようにしたのである。他に、もう1つ、理由があった。それは「出発時間」が遅れているということであった。
8時出発なのだが、すでに8時30分を過ぎていた。「小屋」まで移動して、階上の入り口から中に運び入れるにはまたまた時間がかかる。そんなことをしていたら9時になってしまう。それは許されない。
そういう訳で「雪洞の前」がデポ地点になったのである。
「デポ」していくものの内訳は「シェラフ、マット、火器、食器類」などの他に「スキーとストック」である。
「あれ、どうしてスキーを使わないのだろう」と思う人もいるだろうから、そのことについて書こう。
昨日の登りで疲れ、その疲れは回復していない。その「身体事情」を考えると、「負荷」の少ない「スキー登高」をすべきである。しかも、「つぼ足」での「埋まり方」は50cm以上もある。「ワカン」でも、多いところは30cmはあるだろう。登りに従い、標高が上がると雪は氷化して硬くなり、埋まり方も浅くなるが、これは相当のアルバイトを強いられることになるのである。それを承知していて、どうして「ワカン」を使うのだろう。
私たちがこれから登ろうとしている「大沢右岸尾根」は「雪崩」の頻発地帯である。昨日までの3日間、岩木山では降雪が続いていた。これは昨日の登りで実体験済みであった。「大沢右岸尾根」では雪崩は起こりうる。
「ワカン」使用は、何よりも「雪崩」を発生させない、「雪崩」に巻き込まれないためである。このことに関しては、スキーの持つ「デメリット」は「ワカン」のそれを遙かにしのぐ。スキーは「ワカン」に比べると「速い、軽い、楽だ」というメリットを持っている。だが、「雪崩」に関してはそれが逆に「デメリット」になる。
スキーを避けた理由はそこの先ずあった。もう1つ、それは私の「脚力の衰え」に因る。最近、大腿筋が衰えている。スキーで下山滑降する時にもっとも使う筋肉がこれだ。これが萎え衰えていると「制動」が効かない。どうなるか。転倒は目に見えている。変な形での転倒は骨折や捻挫につながる。打ち所が悪ければ「地獄の釜」に真っ逆さまだ。
私が「骨折」したら、相棒は「相棒」であることを嘆くであろう。そんな思いをかけてはいけない。「シェラフ」に詰め込んでスキー橇で下山などを相棒にさせてはいけないという思いがあった。それが「スキー」を断念させたのである。
恐らく、「相棒」はスキー登高をしたかったに違いないのだ。(明日に続く。)
※今日から写真展「私の岩木山」が始まる※
昨日の「写真展」設営には、これまで以上の参加者、お手伝い人が集まった。まさに、「始まる前から盛況」の観であった。
出展者の中には、5名の一般の方がいた。この方々の出展総数は20点である。私の見る限りでは、いずれも「すばらしい」作品である。一般の方での初出展者は3名である。
会員でも初めての出展者もいた。これも嬉しいことである。この写真展「私の岩木山」を開催してからすでに16回目。出展者も入れ替わっているが、特に、ここ数年「毎回出展する」人が固定化してきている。「固定化」することは、これはこれで「必要」なことである。ただ、出展する側に「マンネリ化」しない心意気と工夫が求められるだろう。
一般参加のKさんはここ数年、毎回出展しているが、彼の作品には「こだわり」と「心意気」、それに工夫の跡が滲んでいる。つまり、「私の岩木山」を愛して、「私に岩木山」に拘っているのだ。そこには、「マンネリ化」は微塵もない。
これは、会員の出展者も見習うべきだろう。私を含めて、会員出展者の作品には「マンネリ化」傾向があることは否めない事実である。
会員には会報で、数ヶ月も前から「開催」日時を知らせてある。「私の岩木山」に出会い、「私の岩木山」を発見して撮影したら、直ぐに「写真」にしてしまうことを希望したい。その中から主題を決めて「選択」しておく。そのようにしていたら「マンネリ化」からの脱却も図れるだろう。
出展総数は70である。例年どおりの「数」になった。これで会場は作品で埋まる。この数を知って会員のKTさんは「自分のものは出展しなくても大丈夫」といって持ち帰ったようだ。私は別な作業をしていて、それを引き留める機会がなかった。残念なことである。
もう1つ、残念なことがあった。「私の岩木山」というテーマとまったく関連性のない作品が1枚持ち込まれたことだ。受付の段階で「テーマ」との関連性を話し、正式には断るべきだったのだが、会場に「搬入」されてしまっていた。
これでは、不本意だが、「展示」する以外ないのである。こちらの「手落ち」であるからだ。だが、この方は会員なので会報等で「テーマ」は十分把握していたであろうにと考えると、こちら側の手落ちとだけにすることは憚れることでもある。
今日から25日まで、NHK弘前放送局ギャラリーで開催している。