岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

越年草(二年草)と休眠打破

2007-02-26 20:21:37 | Weblog
 今日はNHK文化センターの講座「山野・路傍の花々(花名の由来からわかること)」で越年草のタネツケバナ(種漬・種浸花)を扱った。タネツケバナは花を咲かせ、実をつけ終えると根生葉は枯れて、来年の花芽は春まで休眠してしまう。しかし、根生葉以外の葉はみずみずしい緑のままで冬を越す。ここに「越年草」と称される由来がある。
 お天気がよかったので講座を終え、昼食をとってから郊外のたんぼ道を歩いた。昨年11月下旬に確認していた場所のタネツケバナは相変わらず新鮮なみずみずしさだった。近くにはオオイヌノフグリがコバルトブルーの花を昨年の11月下旬なみに咲かせている。今日は2月26日である。タネツケバナはまだ休眠(見た目には花芽はまだないようだが)しているようだ。

 講座の最中に話題が「休眠」から桜の話しに飛んだ。桜、ここではソメイヨシノを対象にする。
ソメイヨシノは花を咲かせるが実をつけない。だから、花が終わると来年の花芽はすぐに「休眠」に入る。花は咲くが「果実」をつけないとは「なんと不埒でふとどきな樹木」であろう。ところがこの不埒千万、不届きものを日本人は、その散り方の恬淡(てんたん)さゆえに好むのだそうだ。
 生命体にとって命がけである「子孫残し」を割愛して、そのエネルギーをすべて「咲いて散る」ことに傾注する。これがソメイヨシノである。戦前の軍国思想はこの花のイメージを国民に押しつけたのである。国のために「散るべし」と。散り終えた後はのんきに長い長い「休眠」状態を過ごすのである。その当時の為政者は散った後「長い長い休眠状態を過ごす」ということまでには考えが及ばなかったようだし、国民の大半もそうだった。
 桜、ソメイヨシノを咲かせるには、この「休眠状態」から目覚めさせてやらなければいけない。だが、ただ「起きろ」と言っても無駄だ。専門的には「休眠打破」と言うらしい。それは気温である。一日の平均気温が5℃から9℃、これが桜の目を醒まさせる気温らしい。そこで、受講生の話題は「今年弘前公園の桜の開花はいかに?」となった。大概は暖冬だから開花は早くなると考えているようだ。
 今朝の外気温は氷点下5℃だった。日中どのくらいまで上がったかは分からないが5℃以上だろうが10℃を越えてはいないはずだ。夕方は2℃だった。となると今日の平均気温は「一日の平均気温が5℃から9℃」におさまるだろうか。おさまらないのである。今日は暖かい方であるが、まだ「休眠打破」は無理なのだ。暖冬と言われるが気温が「一日の平均気温が5℃から9℃」(これはかなり暖かいことである。)にならない限り、桜の花芽は目を醒まさない。目を醒まさなければ「咲きよう」がない。私は開花時期を「若干早まるか、あるいは平年並み」と予想している。

 自分たちが極端な「温暖化の原因」を作り出していながら、「温暖化だ、暖冬だ」と騒ぎ立てている人間は、自己の矛盾に気もつかず単純で、一面的だが、植物は長い長い自分たちの歴史の中で、複雑に対応出来る術を、進化の中で培い育んできたのである。恐ろしいかな、「進化を放棄し、文明に依拠するだけの生物」が人間である。人間をやめて「人」になりたいものだ。