気がついたら昨年の10月からずっとご無沙汰をしていました。もともと「暇で、暇で・・・」とぼやいていたら、友人に「ブログでもかいてみたら」と言われたのをきっかけに書き始めたので、ちょっとしたお仕事をいただいた途端、忙しい気分になり遠ざかってしまいました。それでも3月の初めにシチリアに一週間ほど旅行したのをきっかけに、また旅行ブログでも書こうと張り切っていました。ところがローマに戻ってきた翌日の3月11日、東日本大震災が起こりました。
あの日の朝から2週間は何も手につかなくて、インターネットのNHKニュースから目が離せずにおりました。心が痛むといいますが、信じられないような地震や津波の被害の光景、被災された方々の姿や声は、本当に胸に刺さるようで、心臓のあたりに確かに痛みを感じます。このような形で突然に家族を亡くされた方の苦しみを想像すると涙が出て仕方がありませんでした。
私の家族は東京にいて、幸いにも元気で普通の日常を送ろうとしています。両親はもう十分良い人生を送ってきたから、残りの人生は世間にお返しするのみ、何も恐れるものはないと達観しておりますが、原発の問題が解決せずのまま、二人の小さい娘がいる妹は、普段と変わらぬ日常を続ける中で、風が強い、雨が降るには敏感になり、スーパーでは復興支援の被災地の野菜が並んでいるのに胸を熱くしながらも、食べ物のことは一番気をもむ問題です。「今日は余震が2回で済んでよかったよ」というメールが届きました。東京でそんな毎日だとすれば、被災地の人々は今もどんなに大きな不安の中にいることでしょうか。
今もし日本に住んでいたら、「東北の地震」という感覚になるのかもしれませんが、日本の外から眺めている日本人の方々には、「日本のこと」という感覚かもしれません。そして、外国の人々はもちろん「日本のこと」という感覚で話してきます。外に出れば毎日のように「日本はどうか、家族はどうしてるか」と必ず聞かれます。「うちは東京だから普通に生活している」と話しても、最初のころは「なぜ逃げないのか」と、こんこんと原発の恐ろしさを説明をされたりもしました。心配をしてくださるのは本当に感謝なこと、でも「日本=放射線汚染国」のように言われているようで、3週目には正直苛立ちに変わり始めました。もちろんそんな風に言わせるように導いている外国メディアのせいでもあるんだと思います。
日本人だって原発の恐ろしさを理解している、だからといって仕事も何もかも放って逃げることができるわけもなく、被災地の人々は何もかも失い、そして移動したくてもそれもできずに、原発の近くの避難所で不自由な生活を送っているのに、少しでも運が良かった人々が日常の生活を普段よりも頑張って続けて復興のために尽くそうと思うのが国民として正しいんじゃないの、と答えました。気まずい雰囲気になりました・・・。
それでも、イタリアの人々もたくさん募金をしてくれていたり、「がんばれ、日本!」と書かれたポスターを見かけたりします。チャリティーイベントにも人が集まっています。他の国でもそんな動きが多く見られているようで、それは感動的でとても嬉しいことです。私は今まで他の国で起きている不幸な出来事に無関心だったことを反省させられました。
日本は今桜の美しい季節ですね。縦に長い日本は、桜の時期も場所によりますが、この春小学2年生になった姪から「桜がきれいだよ~」とメールがきました。私たち日本人にとっては共通の春のしるしですね。どうしても桜が見たくなって、日本の桜が見られると聞いていたローマのエウル地区の公園に急いで行ってきました。「日本の散歩道」といった名前の小道が池に沿って作られていて、そこに桜の木が植えられています。残念ながら、ローマはここ一週間ほど半袖の夏日続いていて、懸念通り、桜は終わっておりました。(泣)
桜と言えば入学式。被災地の卒業式や入学式の映像を見ると、どうも目がしらが熱くなります。それでも子供たちの笑顔や歌声は元気を与えてくれますね。これも日本人なら持っている共通の思い出ですね。がんばれ、日本!日本中の人々が皆幸せな気持ちで桜の花を眺められる春が早くきますように。

少しだけ残っていてくれたエウルの桜。(ありがとう!)
災害で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。そして被災された皆さまには謹んでお見舞い申し上げます。痛みの大きさは計りしれませんが、少しづつでも早く和らいでいかれることを願って。