旅日記や観劇日記がなかなか落ち着いて書けずにいます。
水曜日にもう一つエントリーを通過したところに行くのを控えていますが、たぶん行っても仕方ないとわかったので気力が失せています。神経をすり減らすような所にまた行くことなるだけです、たぶん・・・。
本屋さんの平積みに、好きなことしながら年収一千万円っていう女性の成功本?があったのでぺらぺらと拾い読みしました。一週間で実働10時間。たしかにそんな類の本は昨今たびたび見かけます。会社に行く=仕事ではなく、全てではなくなったので、そんな本はよく売れるのでしょか。これからどう生きていけばいいのかわからない私はついつい手に取ってみたくなります。
私のこれからの居場所はどこでしょう。どこを目指すべきなのでしょうか。
いろいろな思いはありながらどこからも必要とされず社会から孤立したまま、思いだけが空回りし続けています。
過重労働が続き神経をすり減らして、いつもイライラしていた自分を思い出すと辛くなります。ほんとによくない所にいたんだなあと思います。つくづくよくなかったですね。そんな日々にあえて立ち返ってみます。みっともない自分をさらけ出すのはお恥ずかしい限りですが、苦しくて苦しくて疲れていてもうごめく想いを書かずにはいられなかった私がいました。お昼休みに、夜に、休日に、メモ帳に書かずにはいられませんでした。
「2012年8月13日(月)
世の中はまったりと夏休みモードだが、休みそこねて気づいたら残業になっていた。
ずっと残業していてお金にはなっているがかなり疲れているので休みたい。健康診断で骨密度が88%とちょっと低かった。食生活がいけないんだろうなあ。カルシウムをとればイライラもなくなりますよ、と言われてしまった。そういうレベルの話ではないのだが。私のイライラにはちゃんと理由があるのだが、こうして普通に生活していくことが私には苦しいのかな。色んなことが深くみえてしまう分、おかしいものはおかしいので怒りがわいてくるし、イライラもする。こんな私はどうかしているのだろうか。
妹の自死と母の病気、普通には背負っていないものを背負っている私には生きづらいのだろうか。残された時間はたぶんあと30年ぐらい。読みたい本がある。観たい映画やミュージカルがある。行きたい所もある。哲学を思う存分勉強したかったんだ。今思っていることを全部やるのは無理だろう。会社にいる場合ではないのに、私は何をやっているんだろう。
『近代の労働観』という、卒論執筆時に見つけて読み切れなかった本をようやく読んだ。今のように、労働=勤勉、というのは近代社会の価値観だったんだ。無為のじかん、自由に思考する時間がほしい。人生なんて、ほんとにあっという間だ。
親がもうこの世にいない。リアルな現実を考えるとぞっとする。受け取めきれていない。いやでも自分の老いだって考える。こんなにトシをとるなんて思わなかった。今年の秋PEIに行き、来年の9月ローラに会いに行くには稼ぐしかないのだが、なんだかきついし報われないね。マジメにやっても仕方ないんだなと思いながら、やるとなるとマジメな私がいる。野菜作りながらもう少し人間らしい時間の流れの中でゆるりと暮らしたいな。こうして仕事があるだけ有難いし、生活のためには働くしかないのだが、こうして気づいたら死期が近いなんてことになったらせつないな。
こんな時がくるなんて、20代の頃は考えたことなかった。時は流れすぎた。
私はこれからどこに向かうべきなのか。
ずっと考え続けているがわからない。
生きている間にみえてくるものなのだろうか。最後の方の少しでもいい。
やり切ったとおもえるものをつかみとりたい。それは私にとって何だろう。
今はわからない。」
写真は今日も秋のプリンスエドワード島から。2号線沿いの車窓からの風景です。
水曜日にもう一つエントリーを通過したところに行くのを控えていますが、たぶん行っても仕方ないとわかったので気力が失せています。神経をすり減らすような所にまた行くことなるだけです、たぶん・・・。
本屋さんの平積みに、好きなことしながら年収一千万円っていう女性の成功本?があったのでぺらぺらと拾い読みしました。一週間で実働10時間。たしかにそんな類の本は昨今たびたび見かけます。会社に行く=仕事ではなく、全てではなくなったので、そんな本はよく売れるのでしょか。これからどう生きていけばいいのかわからない私はついつい手に取ってみたくなります。
私のこれからの居場所はどこでしょう。どこを目指すべきなのでしょうか。
いろいろな思いはありながらどこからも必要とされず社会から孤立したまま、思いだけが空回りし続けています。
過重労働が続き神経をすり減らして、いつもイライラしていた自分を思い出すと辛くなります。ほんとによくない所にいたんだなあと思います。つくづくよくなかったですね。そんな日々にあえて立ち返ってみます。みっともない自分をさらけ出すのはお恥ずかしい限りですが、苦しくて苦しくて疲れていてもうごめく想いを書かずにはいられなかった私がいました。お昼休みに、夜に、休日に、メモ帳に書かずにはいられませんでした。
「2012年8月13日(月)
世の中はまったりと夏休みモードだが、休みそこねて気づいたら残業になっていた。
ずっと残業していてお金にはなっているがかなり疲れているので休みたい。健康診断で骨密度が88%とちょっと低かった。食生活がいけないんだろうなあ。カルシウムをとればイライラもなくなりますよ、と言われてしまった。そういうレベルの話ではないのだが。私のイライラにはちゃんと理由があるのだが、こうして普通に生活していくことが私には苦しいのかな。色んなことが深くみえてしまう分、おかしいものはおかしいので怒りがわいてくるし、イライラもする。こんな私はどうかしているのだろうか。
妹の自死と母の病気、普通には背負っていないものを背負っている私には生きづらいのだろうか。残された時間はたぶんあと30年ぐらい。読みたい本がある。観たい映画やミュージカルがある。行きたい所もある。哲学を思う存分勉強したかったんだ。今思っていることを全部やるのは無理だろう。会社にいる場合ではないのに、私は何をやっているんだろう。
『近代の労働観』という、卒論執筆時に見つけて読み切れなかった本をようやく読んだ。今のように、労働=勤勉、というのは近代社会の価値観だったんだ。無為のじかん、自由に思考する時間がほしい。人生なんて、ほんとにあっという間だ。
親がもうこの世にいない。リアルな現実を考えるとぞっとする。受け取めきれていない。いやでも自分の老いだって考える。こんなにトシをとるなんて思わなかった。今年の秋PEIに行き、来年の9月ローラに会いに行くには稼ぐしかないのだが、なんだかきついし報われないね。マジメにやっても仕方ないんだなと思いながら、やるとなるとマジメな私がいる。野菜作りながらもう少し人間らしい時間の流れの中でゆるりと暮らしたいな。こうして仕事があるだけ有難いし、生活のためには働くしかないのだが、こうして気づいたら死期が近いなんてことになったらせつないな。
こんな時がくるなんて、20代の頃は考えたことなかった。時は流れすぎた。
私はこれからどこに向かうべきなのか。
ずっと考え続けているがわからない。
生きている間にみえてくるものなのだろうか。最後の方の少しでもいい。
やり切ったとおもえるものをつかみとりたい。それは私にとって何だろう。
今はわからない。」
写真は今日も秋のプリンスエドワード島から。2号線沿いの車窓からの風景です。