
たまたまツィッターに流れてきましたが、原作を無視したキャラクターデザイン。アンは真っ赤な赤毛でブライト・リバー駅から馬車でグリーン・ゲイブルズへ向かう時マシューに、赤毛はピンクの服を着られない、と言っています。孤児院からきたアンは実に粗末な服を着ていたのです。ダイアナはカラスのような真っ黒な黒髪、赤毛のアンに強いコンプレックスを抱いていたアンはダイアナの黒髪に強く憧れたのです。映画『赤毛のアン』でもダイアナは豊かな黒髪。ギルバートはアンの赤毛をからかって石板で叩かれたのだから同じ髪色はあり得ません。モンゴメリさんの原作を読んだらこんな『赤毛のアン』にはなりません。いまどきのキラキラなキャラクターの造詣は子どもたちをなにかおかしな方向へと誘導しようとしているように思えてしまいます。かつてのカルピス名作劇場のアニメ『赤毛のアン』、第一話がYouTubeで無料配信されているのでみましたが、実際にプリンス・エドワード島を訪れてつくられたというだけあって風景描写が島の景色そのままに美しく、わたしが子どもだった頃の日本はこんなにも素晴らしいアニメ作品をつくる力があったのだと心がふるえました。時代に媚びた新しいアンなど今の子どもたちに害悪でしかありません。松本侑子さんがわたしに校閲させてくださいと声をあげていらっしゃるの無理ありません。かつての『赤毛のアン』を今の子どもたちにみせてあげてください。
アンはキラキラなキャラクターではありませんね。大人の愛情に飢えてグリーン・ゲイブルズにやってきたアンは、おそらくお母さんの顔を知らず、再婚したお父さんと離れて育てられたモンゴメリさんの反映でマシューはお父さんの投影。高齢になって牧師さんと結婚したモンゴメリさんは晩年旦那さんの統合失調症に苦しみオーバードーズによる自殺で人生を終えました。2作目以降のアンシリーズは必ずしもモンゴメリさん自身が望んで書いたものではなくあとから隙間を埋めるように書かれましたが、『赤毛のアン』は心から楽しんで書いたのだろうと思います。原作を読むとわたしのような英語がわからない者でも感じとることができます。原作に繰り返しでてくる「想像の余地」、ガラスの戸棚に映る自分に話しかけて想像の翼を大きく羽ばたかせることで生き延びたアンは幼い日のモンゴメリさん。少女時代のモンゴメリさんの写真は実に淋しい瞳をしています。進学するアンの姿には、お金がなくなって途中で学情を諦めざるを得なかったモンゴメリさんの夢が託されています。そこは大切につくってほしいものです。
教育テレビで心は女性を自認する男性が踊るおかしなLGBTダンスを放送したり、昨夜は日本に不法滞在しているクルド人は可哀想な人たち特集をしていたそうですがNHKおかしくなりすぎています。噓だらけ。いつごろからこんなことになっているのでしょうか。自分の親もそうでしたがNHKの言うことは全部正しいと信じている高齢者の方々はまだNHKの放送していることを全部鵜呑みにしているのだとしたら日本にとってものすごく危険なことです。NHKの解説委員だった池上彰さん、テレビを信じている人たちを見事に騙し続けてきています。コロナ騒動をとおして自分も騙されてきたことを知りました。