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たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『私自身のための優しい回想』より-「愛読書」

2022年06月04日 18時34分53秒 | 本あれこれ


「ジッドの『地上の糧』は、あきらかに私のために書かれた、ほとんど私自身によって書かれたとさえ思われた、あれら「聖なる書物」の最初のものだった。私が深部においてそうであったもの、私がそう成りたかったもの、つまり私がそう成る可能性のあったもの、を私に指し示した最初の書物だった。ジッドは現在ではもう人が進んで自分の師と認めたがらない作家、代父であるから、『地上の糧』を最初の枕頭の書として挙げるのはちょっと滑稽に見えるかもしれない。にもかかわらず私はこの書物の最初の数ページ、ナタナエルに宛てられた最初のいくつかの命令をどのようなアカシアの匂いの中で発見したかをじつに正確に憶えている。私たちは当時ドーフィネ地方に来ていた。その夏はたいへん雨が多く、私はひどく退屈していた。それは田舎家の水のしたたる窓ガラスの背後の子供だけが経験するような抒情的な退屈の一つだった。そうしたどしゃぶりがつづいたあとで、初めてのお天気の日に私は腕に本をかかえてあのアカシアの並ぶ道へと出かけたのだった。当時、この田舎の土地には巨大なポプラの樹が一本あった(この土地にはそれ以後もむろん何度も行ったし、むろんポプラの樹は切られて分譲地に変わっていたし、私はむろんのこと胸が傷んだ。すべてわれわれの時代の法則通りに…)。それはともかく、このポプラの樹陰の下だったのだ、私がジッドのおかげで、人生がその充溢さとそのもろもろの極限とをもって私に差し出されているのを発見したのは-もっともこのことは私が自分自身で、しかも生まれた時から見ぬくべきことだったのだがー。この発見は私を夢中にした。私の頭上はるか高くに、何千というポプラの密生した小さな明るい緑色の葉がふるえていた。そしてその一つ一つが私には来るべき無数の幸福、いまや文学の恩寵によってはっきりと約束された幸福の具体的な形であるように思われた。そして樹の頂上に達して快楽の最後のはげしい数刻(とき)を摘みとる前に、私は私の人生の時間表にしたがって、その何百万という木の葉のすべてを一つずつむしり取ってゆくのだ、と。私は人が老いるものだとは、まして成熟するものだとは想像もしなかったので、私の頭上に集まっているのはすべて子供らしい、ロマネスクな楽しみであった。すばらしい馬であり、顔であり、自動車、栄光、書物、人々の讃嘆する視線、海、船、接吻、夜の飛行機、その他、13歳の少女の粗野であると同時に感傷的な想像力が一時(いちどき)に寄せ集めることのできるすべてのものだった。先年、私は偶然ジッドを読み返す機会があって、その時ふたたびアカシアの花の匂いを感じ、あのポプラの樹が目に浮びはしたが、私はただ、大した関心もなしに、ともかくもよく書けているな、と思っただけだった。一目惚れといえども、やはり間違うことはあるらしい。」

(フランソワーズ・サガン、朝吹三吉訳『私自身のための優しい回想』新潮社、178-179頁より)
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