たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

懐かしい恩師のことばにふれる(2)

2019年11月10日 19時23分44秒 | 祈り
 家に残したままだった古い年賀状を整理していて再会した小学校一年生の時の担任の先生からの手紙。内弁慶で人見知りが激しくて外に出るとなにも話せない子どもでした。クラスの中でもほとんど意思表示らしきことをできなかった記憶があります。クラスで記念写真を撮る時ぎゅうぎゅうで隣に並んだ子との間に腕をいれる隙間がなくなってしまいましたがそれを言葉にすることができず、左腕だったかな、はみだしたまま写真におさまりました。その写真、家の床の間に収納されているアルバムにまだあるはずです。そろそろお別れしていきたいと思っています。

 
「年がじょうをいただいてありがとう、二年生はがんばりましたね。
 あと三カ月をすぎると三年生ですね、うんとがんばってくださいね。
 かわいいたんぽぽさんのかおをみることが先生はだいすきです。」

 昭和45年1月6日消印の年賀状でした。わたし、毎年年賀状を送ったほか、お手紙も出していたようです。先生にすればしんどいことだったと思いますが、必ず返信をくださっていたようです。


「たんぽぽさん、お手紙をありがとうございました。
 六月になりましたね、あついあつい夏もすぐくることでしょう。
 プールにはいれるのもきっともうじきでしょうね。
 たんぽぽさんが自転車にのれるようになるのも、もうじきでしょうね。
 そうそう、たんじょうび会でたのしかったね、私のたんじょう日はまだまだです。
 10月12日がたんじょう日です。
 夏になったら一どすずしい○○のこうえんへつれていってあげましょうね。
 山のうらに「ごごくじんじゃ」というところがあります。
 大木でかこまれた、とてもすずしいところです。たのしみにしてね」

 昭和47年6月2日消印のはがき。この公園行きは実現しなかったと思います。こんなわたしに優しかった先生、会いたいなあと時折思い出します。わたしがあの世に旅立った時お会いできますね、きっと。それはもう少し先のはずですが・・・。

 
 田舎だということもありますが、はじめて一人で電車に乗ったのが高校生になってからだったでしょうか、それもたったの5分なのにドキドキしました。あれほど外にでると一人ではなにもできなかったわたしが30年間自力で家賃を払い続けて暮らしたり、プリンス・エドワード島まで片道24時間の一人旅を実現させたりしたのですから歳月はすごいと思います。これから先再びその力を取り戻せるのか。もう若さはない。年金と個人年金基金で家賃を払っても暮らせるのか、時代はかわり保証会社の保証で部屋を借りることもできることは知っていますが具体的にそれはどういうことなのか、腰を落ち着けて働ける場所に出会うことができるのか。

 今がつらすぎて今は今のことで脳みそ満タンでこれから先のことはまだ具体的に考えられずの日々。このまま無事に過ぎていけばの話ですが年末年始の休みが長いことに先ほど気づきました。少しゆっくり脳みそ整理できるといいなと思います。
 


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