月組『BADDY』より_テーマソングhttps://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/f962e547a0acb0d411b124242f784818
月組『カンパニー』『BADDY』東京宝塚劇場千穐楽ライヴビューイング- 思い出し日記(2)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/1581d785fac52608eb389617c2b25157
月組『カンパニー』『BADDY』東京宝塚劇場千穐楽ライヴビューイング- 思い出し日記(1)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/82e84707e4e88c6b87c432002132f4e6
「ダメなもの、人が嫌うものの範囲がどんどん広がり全ての不快を排除しつつある現在。潔癖な無菌室で生きる私たちは心の花粉症にかかったように刺激物に過敏になり・・・」
2018年月組『BADDY』、3月に宝塚を退団した上田久美子先生の初めてのショー作品、結果的にこれが最初で最後ということになりました。宝塚ファンの中でこんなことを考えるのはわたしだけだと思いますが、東京宝塚劇場公演のプログラムに掲載された言葉が、これまたコロナ騒動であぶり出された日本の姿を予感していたようにも思えます。3年前ブログに書いていますが、たまりにたまってきたプログラムを整理するにあたって再掲。日本人の心の花粉症は、三種の神器で無菌状態ですとしないと不安でいられないところまできてしまいました。おそらくもう取り戻すことのできない、あまりにも多くのものを2年半で失ってしまいました。子どもたちのアレルギーが増えているのは、行き過ぎた清潔志向により免疫力が育っていないからだといっていた内科医も医院の入口にアルコール消毒をおいているというトンチキ社会。
「初めて担当させて頂くショー作品も、やっぱり「ようわからん」ショーです。こうすればショーがショーとして成立する、という手法は先達が試行錯誤の中で練り上げてきたものですが、今回のショーはそれを踏襲しているとは言えず、稽古をしながら私も不安がありますし、出演者たちも少々訝しく思っていることでしょう。
(中略)
私はタバコは吸いません。煙も嫌いです。でも、葉巻がなくてもヘミングウェーはあんな作品を書けただろうかとか、紫煙にけぶるカフェでなければサルトルとボーヴォワールの恋は生まれなかったかもと、想像することがあります。
グレーなものが押しやられて狭い範囲の白い領域だけで生きなければならないこの時代。ダメなもの、人が嫌うものの範囲がどんどん広がり全ての不快を排除しつつある現在。潔癖な無菌室で生きる私たちは心の花粉症にかかったように刺激物に過敏になり、小さな衝突も避けるようになった。人生に多少の痛みや毒がつきものだった時代には、世界にははっきり白と黒のコントラストがありグレーな部分も「必要悪」と呼ばれたりして、心にも、愛や憎しみのはっきりしたコントラストがあったような気がします。人々が強く人間らしい心を持っていたそんな時代の文学や舞台は今よりも面白かったかもしれません。
日本の中だけを漂白したって、地球には善と悪が共存し続けます。また善と悪をどうわけるかも曖昧であり、権力や社会の影響を受けて善と思い込んでいるだけかもしれない。多くの歴史上の悲劇は、それが善と潔癖に信じた者によってこそもたらされた。悪を知り、善悪の相対性を考えることのほうが悪を目に触れない場所にしまいこんで無知でいることよりも、平和のために必要なことではないでしょうか。
テレビから喫煙シーンが駆逐されたように、舞台でもタバコを吸えなくなる日がくるでしょう。今のうちに失われゆく悪と自由への挽歌を歌ってみたい。
極悪非道のショー『BADDY』が誕生した所以であります。」
月組『カンパニー』『BADDY』東京宝塚劇場千穐楽ライヴビューイング- 思い出し日記(2)
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月組『カンパニー』『BADDY』東京宝塚劇場千穐楽ライヴビューイング- 思い出し日記(1)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/82e84707e4e88c6b87c432002132f4e6
「ダメなもの、人が嫌うものの範囲がどんどん広がり全ての不快を排除しつつある現在。潔癖な無菌室で生きる私たちは心の花粉症にかかったように刺激物に過敏になり・・・」
2018年月組『BADDY』、3月に宝塚を退団した上田久美子先生の初めてのショー作品、結果的にこれが最初で最後ということになりました。宝塚ファンの中でこんなことを考えるのはわたしだけだと思いますが、東京宝塚劇場公演のプログラムに掲載された言葉が、これまたコロナ騒動であぶり出された日本の姿を予感していたようにも思えます。3年前ブログに書いていますが、たまりにたまってきたプログラムを整理するにあたって再掲。日本人の心の花粉症は、三種の神器で無菌状態ですとしないと不安でいられないところまできてしまいました。おそらくもう取り戻すことのできない、あまりにも多くのものを2年半で失ってしまいました。子どもたちのアレルギーが増えているのは、行き過ぎた清潔志向により免疫力が育っていないからだといっていた内科医も医院の入口にアルコール消毒をおいているというトンチキ社会。
「初めて担当させて頂くショー作品も、やっぱり「ようわからん」ショーです。こうすればショーがショーとして成立する、という手法は先達が試行錯誤の中で練り上げてきたものですが、今回のショーはそれを踏襲しているとは言えず、稽古をしながら私も不安がありますし、出演者たちも少々訝しく思っていることでしょう。
(中略)
私はタバコは吸いません。煙も嫌いです。でも、葉巻がなくてもヘミングウェーはあんな作品を書けただろうかとか、紫煙にけぶるカフェでなければサルトルとボーヴォワールの恋は生まれなかったかもと、想像することがあります。
グレーなものが押しやられて狭い範囲の白い領域だけで生きなければならないこの時代。ダメなもの、人が嫌うものの範囲がどんどん広がり全ての不快を排除しつつある現在。潔癖な無菌室で生きる私たちは心の花粉症にかかったように刺激物に過敏になり、小さな衝突も避けるようになった。人生に多少の痛みや毒がつきものだった時代には、世界にははっきり白と黒のコントラストがありグレーな部分も「必要悪」と呼ばれたりして、心にも、愛や憎しみのはっきりしたコントラストがあったような気がします。人々が強く人間らしい心を持っていたそんな時代の文学や舞台は今よりも面白かったかもしれません。
日本の中だけを漂白したって、地球には善と悪が共存し続けます。また善と悪をどうわけるかも曖昧であり、権力や社会の影響を受けて善と思い込んでいるだけかもしれない。多くの歴史上の悲劇は、それが善と潔癖に信じた者によってこそもたらされた。悪を知り、善悪の相対性を考えることのほうが悪を目に触れない場所にしまいこんで無知でいることよりも、平和のために必要なことではないでしょうか。
テレビから喫煙シーンが駆逐されたように、舞台でもタバコを吸えなくなる日がくるでしょう。今のうちに失われゆく悪と自由への挽歌を歌ってみたい。
極悪非道のショー『BADDY』が誕生した所以であります。」