たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

カウンセリングスクールのレポートより

2018年05月13日 17時46分56秒 | 祈り
 どんより曇り空から雨になった日曜日、お昼に安いお弁当を食べながら部屋で断捨離をがんばりましたがちっそくしそうになってきたのに耐えられずにまた逃げ出してきました。斜め向かいの引きこもりのオッサンはいるよ、いる、ずっといるの。電子レンジを使う音が丸聞こえなの、このマンションほんとに限界。

 断捨離で出会う過去の自分。使い捨てにされた大会社でハケンなのに二人分働きながら大学の通信教育を卒業し、そのあと夜間のカウンセリングスクールの予科過程に一年間通いました。土日には高い受講料を払って研修プログラムや事例検討会にも参加していました。予科を修了し国家試験の勉強をして合格したあとも細々と勉強を続けていました。振り返ればありえなような無理を自分にさせ続けてしまいました。その頃の無理が今になって体にきています。無理をしてはいけませんがその頃のわたしは今よりも若かったし、母が精神疾患となったことを受け入れられずに苦しみ続けていました。母の病気のことを知りたい、理解したいという想いで必死でした。資料がたんまりとあるのをようやく断捨離。自分でも忘れていましたが研修プログラムを受講するとレポートを提出していました。そのレポートを読み返すとその頃の自分がいやでもうかびあがってきます。そんな中から、「カウンセリングに必要な精神医学‐神経症・人格障害を中心に‐」という研修プログラムのレポートを振り返ります。このブログに書くことで自分の中に昇華し、忘れていきたいと思います。平日に普通の感覚では理解できない人たちに振り回され続けて吐きそうになっている今はもう休日にまで人格障害とかおなかいっぱい、まっぴらごめんです。ボーダーラインでどこからどこまでが生まれ持ったものでどこらへんからが生活歴による病気なのかわからなかったりするとほんとに悩ましくって吐きそうなのでまっぴらごめん。この頃はほんとに必死でした。母がいなくなってから5年、そんな日々がわたしの中で遠ざかりつつあります。

「2007年3月4日

私の母は、17年ほど前に統合失調症を発病した。
(これは、仮想ではなく、現実の出来事である)

自分ができること
・年老いた両親と暮らしている弟に感謝しつつ、両親と弟が事故などにあうことなく、元気に暮らし続けることを祈りつつ、私自身が一生懸命いきること。
・日々の暮らしを守りながら、自分の足でしっかり立って、歩き続けていくこと。

自分ができないこと
・母と一緒に暮らして、母の話を聴くこと。身の回りの面倒をみること、一緒に病院に行くこと、薬を飲んでいるか確認すること。
・実家に帰省すること。PSWの勉強を通して、主に実習での葛藤のプロセスを通して、ようやく母の病名を知り、病気であることを受け入れられたように思う。病識を得たことで少し楽になれた気はするが、実家に帰ることはできない。帰られなければならない、という意識があるから、帰れないことに罪悪感がある。


自分がすること
・楽しいことをいっぱい見つけて、母のこと、亡くなった妹のことを忘れる時間も持つこと、また、その方法を見つけること。
・専門学校の通信教育を修了して、PSWの受験資格を得た。国家試験の合否はともかく、地域の中で当事者や家族会に顔を出したり、ボランティアをしたりして、赤の他人と関わっていく足場を少しずつ広げていくこと。自分の体験や思いを語れる場を見つけていくこと。葛藤し続け、ゆらゆらと揺れながら、そんな自分を受けとめていくこと。
・物事には、常に両面があるという柔軟な見方を身につけていくこと。肯定も否定もしない。あるがままを受けとめていくこと。
・頑張っている自分をいっぱいほめて、やさしくしてあげること。
・休むことに罪悪感をもたないこと。自分の体の声をしっかりと聴くこと。
・かかりつけの内科医から「抑うつ神経症」の診断名をもらっている。神経症は自分で自分の問題を抱えることができる人であることを知った。自分の”できないこと”ではなく、できること探しをやっていくこと。

自分がしないこと
・身内であるが故に、血がつながっているが故に、線引きすること、自分を守るために実家を出たことにずっと心のどこかで罪悪感があった。母のことは母の問題で私が引き受けようとする必要はない。
引き受けることはできない。母は母の世界の中で生き続けており、私との関わりを望んでいるかどうかはわからない。PSWの勉強をしながら、自分の身内に還元できていないという罪悪感は今も心の片すみにあり続けるが、母を自分が引き受けなければならない、と一人相撲をとることはもうしない。

 母親というあまりにも近い存在が精神病であることはあまりにも生々しく、遺伝への畏れもあって長い間受け入れることができなかった。精神障害者の地域生活支援センターでの実習を通して、自分自身と向き合うことで、ようやく、母を、そしてなによりも自分自身を受け入れることができた。母を否定することを通して、私は自分自身を否定し続けてきたことに気づいた。今ようやく新たなスタートラインに立つことができている。私を取り巻く環境は変わらないが、気づいたら、私の中で少し変化が起きているのかもしれない。

レポートの体裁としては整っていませんが、自分を振り返る一助としてみました。よろしくお願い致します。                           たんぽぽ」

 
 講師からのコメントは「よい気づきがありましたね」でした。母が統合失調症だったことも妹が自死していることも就労の際にあえて言う必要がないけれど言えないのも苦しいなとふっと思うことがあります。会社で働きながらなんでってきかれたときがいちばんね、苦しいかな。統合失調症がどういう病気か知りたかったって言ったりしています。実際仕事として関わってみるときつくって、関わりながら事務作業しなければならないのきつくって、今週半ばは訪問予定していますが急に暑くなるみたいだし、こんな頭くらくらでどこまでもつんだろうかっていう毎日。一日、一日。もういいかな。
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