たんぽぽの心の旅のアルバム

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第五章岐路に立たされる女性-⑧20代が追う夢「自己実現」

2024年08月14日 19時45分19秒 | 卒業論文

 「メグミちゃんね。イギリスに留学するそうよ」今年はじめのこと。勤めを終えて帰宅したヨーコさん(27)は、母親の言葉に階段へ伸ばしかけた足を止めた。メグミとは、東京都内の市立大学院に通う2つ年下のいとこ。家が近く、共に一人っ子だったこともあって、小さいときから妹のように接してきた。そのメグミがイギリスの大学に留学するのだという。それまで、おじやおばから「ヨーコを目標に頑張ってきたんだよ」と聞かされ、悪い気はしていなかった。「それが一転、追い抜かされちゃったと思った」のである。ヨーコさんはそれ以来、自分のキャリアに対し、これまでにない違和感を覚え始めた。女子大を卒業して入社したのは、都内の百貨店。ファッションに興味があったし、やりがいのありそうな部署に女性を登用するのが一番早かった百貨店業界だったこともあり、活躍できそうな気がして選んだ。入社後は、紳士服や婦人服など、3年余り店頭で販売員として実務をつんだ後、希望通り商品企画の部署に配属された。午前9時出社、午後9時退社。日々の雑用も、女性が尊重される職場で次につながると思うと苦にならなかった。ところが、留学の一件を聞いた時から次々に疑問が沸き起こってきた。本当に今の仕事が楽しいのか。ここにいて、どんな将来が開けるのだろうか。会社についてもそうだ。「女性の感性が必要だから」と女性を持ち上げながら、経営の中枢にはほとんど女性はいない。「あそこの百貨店の女性店長は飾りだよね」なんて話す上司たちの言葉に神経が逆撫でられた。「自分がだめになりそう」。ヨーコさんは、辞表を書いた。ただし、自分が何をしたいのか、はっきりと分からない。「メグミちゃんのように自己実現しなきゃ」と気持ちばかりが焦った。「漫然と年齢を重ね、そろそろ結婚という“逃げ”の生き方は、絶対に嫌だと思う」。

 以上は、『AREA2001年12月17日号』から紹介した事例である。この女性のように、社会の中で行き詰まり、自己実現を図ろうとしてまた行き詰まる。そんな若者が増えている、と記事は伝えている。第四章で記したように、20代後半の女性の失業率は高い。さらに、「女性の方が自己実現という袋小路にはまり込む傾向が強い」と札幌国際大学の加藤敏明は言う。「女性に夢を持たせない男中心の社会だからこそ、女性の方が自己実現にこだわる。社会に出れば、学生の多くが目を覚ますものだが、女性の場合、就職もままならず目を覚ます機会さえ与えてもらえないのが現実なの」だ。ヨーコさんは、退職から半年経っても適性さえ見極められない自分に苛立った。[1] 気軽に転職を希望する女性が増えたことと、この女性のように働くときに「自己実現」を求める近年の20代の動向とは無関係ではない。現在の仕事には、生きがいが感じられない、自分の能力が発揮できない。何かしたい。20代のうちになんとかしなければ、と焦ったり迷ったりするのだ。30歳という大台を前にもう一度自分を見つめなおしたいと考える。

 『社会学小辞典』によれば、自己実現とは、「自己の能力や可能性を十分に生かし現実化していくこと」である。[2] 自己実現は、日常生活の中で、人々の中にあってこそ、また他者たちとの対応を通じてこそ可能になる、と山岸健は述べている。[3]しかし、自分が本当にやりたいこと、自分の能力や可能性を十分に生かせることは、そうたやすく見つけることはできない。

 もうひとつ事例を紹介しよう。ヨーコさんは両親と同居だが、この女性も自宅通いである。28歳、独身。「恋人はいません。年を取るごとに哀愁を感じてしまいます。この先、どうしたらいいのだろう、何の保障もないし、体を壊して倒れたらどうしたらいいのだろうと、日々不安との戦いです。最近では体力も落ちてきて、何年、今の仕事を続けられるか分かりません。一応専門職なので肩たたきというものはありませんが、ハードワークのため、今まで何人もの人が辞めていきました。給料も男の人並みにもらっていますが、その大半はブランド物に消えていってしまい、貯金はあまりありません。月に二度くらいは友人たちと結構豪華な食事を食べに行きます。時には1-2万円くらいとんで行ってしまいます。両親もついこの間までは、うるさく“結婚、結婚”といい一時はノイローゼ気味になってしましましたが、今ではあきらめモードに入っています。友人も半分くらいは結婚してしまい、休日もずっと家に居る状態が続いています。ちっとも、自立していないし、ちっとも個を確立していません。」[4] 思えば20代はストレスに満ちていた。仕事もよくわからなければ、恋愛も先がよめない。結婚を意識しながら恋をするのは実に疲れるものだ。かといって、純粋に恋に生きる勇気などとても持てない。当然、仕事にだけ生きる勇気なんて、もっと持てない。この先どうなるかわからない宙ぶらりんの状態で、仕事の責任だけは重くなる。ああ、いやだ。毎日、同じ電車に乗って会社に行き、同じ顔を突き合わせながら仕事をするのが突然ばからしくなる。このままでは何の発展性もないじゃないか。[1] 松永真理は20代をこう回想している。この仕事なら長くやれるという確信もなく、この人となら一生やっていけるという男性も見当たらず、どうしていいのかわからない。職場にも家庭にも、どっちにも自分の居場所が見つからない不安と迷いと焦りが渦巻くのだ。そして、何々をすべき、何々はしていけない、といった考え方にがんじがらめになってしまいがちである。

 最初に選んだ仕事、つまり20代のキャリアがその人に合わなくなることは珍しいことではない。それは本人が成長して、仕事を超えてしまったか、欲求、価値観、人生における優先順位が変わってしまったことを意味する。社会的地位やお金にも興味がなくなって、他のものに興味が移ることもある。[5] そうした場合、選択肢は転職ばかりではない。留学・大学進学、また就職しないで大学院へ進学するなど、様々である。いずれにせよ、自分らしく生きて自己実現することを目指しているのだ。こうした20代の状況を先の『AREA』は、満ち足りた世の中で育ち、生活の糧のために働くという意識は希薄。自分の夢や欲求という自己実現を最優先させるという点で、これまでになかった考え方の持ち主が20代の若者なのだ、と分析している。そもそも、働く時に「自己実現」を求めるなんてかつてはなかった現象だ。バブル以後の特徴といえるだろう。働く会社を選ぶ動機も、30年前とは様変わりしている(図5-2)。

こうした20代のモラトリアム(猶予期間にある人間)を可能にしているのは、親の経済力である。第四章で、OLの「被差別者の自由」の享受を可能にしているもうひとつの理由として、親と同居の未婚女性、山田昌弘がパラサイト・シングルと名づけた生活の心配のない女性たちの存在に触れたが、ここでも生活の心配がない場合と生計費を稼がなければならない場合の選択の違いに注目しないわけにはいかない。

 20代でやっておくべきことはなんでしょう?と尋ねられた。考えた。「大人になっておく」これ以外に答えは見つからなかった。他に必ずやらなければならないことなどはないように思える。やりたいことが見つかったら、失敗を恐れずにとことん励み、より多くの人と出会い、自分の肉体などは放っておいて、自分の力以上に無茶をする。それができる世代である。仕事も遊びも死ぬ気でやる。つまり、果てしない自分探しの旅に出かけるのが日本の20代と言っていいだろう。日本の、というのは、国によって20代でなすべきことが違ってくるからである。世界の多くの20代は、すでに大人になっており、国のため、家族のため必死に働かなくてはならない年頃だからである。多くの20代が自分の子供たちや親のために朝から夜まで働いている。自分のしたいことを、好きなことをやっている20代など皆無に等しいはずである。ところが日本では、自分のことだけを思い、自分のために働くことのできる唯一の年代だというのが不思議なことである。あきらかに子供ではないが、大人とも言い切れない奇妙な年代が日本の20代であるように見える。[6] 以上は、女優渡辺えりこが『日経ウーマン』に寄稿したエッセイである。このような、大人とも子供とも言い切れない奇妙な20代を過ごすことができるのは、多くの場合、経済的余裕があるからだと考えられる。先のヨ-コさんも28歳の女性も親と同居であることを筆者はあえて記した。自己実現にこだわって仕事を辞めることができるのは、親のすねを齧ることができるからだ。若者がこのような状況にあるのは、渡辺えりこが述べているように先進国の中では日本だけである。親にとっては「子供」、社会にでれば「大人」として振舞ってよいという落差を最大限に利用しているのが、パラサイト・シングルである。子供であれば、生活費を負担しないし、家事に責任を持たない。人間関係上のトラブルから守られる、好きな道を模索できる。それが許されるのは、大人への成長までの期間、社会から付与された特権であり、それは、親が責任を持って保護することが必要とされる。子供は社会で一人前とはみなされない。反対に、大人になれば、生活のコストを負担し、新たに生じる人間関係状のトラブルは自分の責任で処理しなければならない。その代わり、仕事をして稼いだお金を自分の好きなように使うことができる。社会で一人前とみなされる。この二つの立場の「いいとこ取り」をしている、子供としての保護を引き受ける権利を保ちながら、大人の自由を享受しているパラサイト・シングル[7]に、生活の糧のために働くという意識は希薄であろう。

 今日では、貧困な家庭という背景、低い学歴、短い勤続などの諸要素で女性労働者が特徴づけられる程度はかなり低下しており、そのことが定型的または補助的な労働に対する女性の忍耐力をそれなりに弱めている。それゆえ、こうした仕事の専担者のなかには、ある意味ではジェンダー基準がいくらか相対化されて、定年退職後に再雇用された高齢者、短時間のパートタイマー、学生アルバイト、学校卒業後に定職の見つからないフリーターたち、いずれにせよ就業が極めて経過的な非正社員が増えている。女性正社員の中では、仕事の中味を重視する度合いが以前より高くなっていて、そのことが彼女ら、とくに若い女性の転職率を高めているのである。[8]

 20代のうちに「これが、今の私」と言える確かなものを見つめていこうとすること、試行錯誤を繰り返すことは大切なことである。何をしたいのだろう、何ができるのだろう、何が好きなのだろう、何が欲しいのだろう、何がハッピーなのだろう、とりとめのない自分への問いかけをこの時期にきちんとやっておかなければならない。なぜなら、結婚・出産・子育てに入ってしまうと、こんな面倒な自分との葛藤は棚上げにしてしまうからである。母性への賞賛から起こる拍手の音で自分の中から発する声が次第に聞こえなくなってしまうからである。人生80年の現在は、子育て後に45年という年月が待っている。その時になってポッカリとあいてしまう心の穴を自分で埋めるために、20代のうちに自分との葛藤を通過しておく。そうすれば、誰かの妻、誰かの母という性役割を担っても、年齢を重ねるごとに自分の中に蓄積されていくものを実感できるようになる、と松永真理は述べている。[9] こうした自分との葛藤の時期に、生活がかかっている場合とかかっていない場合とでは、労働観が大きく異なってくると考えられる。経済的に行き詰まってどうしても働かなければならない状況に追い込まれた時、「自己実現」することと、生活のためにしなければならないこととのバランスをどうとるかということは、大きな課題である。次に、パラサイト・シングルと単身女性の場合の、働くことの重さの違いに触れてみたいと思う。

 

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引用文献

[1] 大失業時代ゆえの「本当の自分さがし」20代が追う夢「自己実現」『AREA 2001年12月17日号』9頁、朝日新聞社。

[2] 濱嶋朗・竹内郁郎・石川晃弘編『社会学小辞典[新版]』有斐閣、1997年。

[3] 山岸健『日常生活の社会学』12-12頁、NHKブックス、1978年。

[4] 松原惇子『クロワッサン症候群 その後』239-242頁、文芸春秋、1998年。

[5] キャロル・カンチャー著、内藤龍訳『転職力-キャリア・クエストで成功をつかもう』24頁、光文社、2001年。

[6] 渡辺えりこ『日経ウーマン2003年6月号』12頁、日経ホーム出版社、2003年。

[7] 山田昌弘『パラサイト・シングルの時代』52-53頁、ちくま新書、1999年。

[8] 熊沢誠『女性労働と企業社会』137頁、岩波新書、2000年。

[9] 松永真理『なぜ仕事するの?』41-42頁、角川文庫、2001年(原著は1994年刊)。

 

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