秋のプリンス・エドワード島への旅のこともようやく少しずつ書いてみようと思います。
書きたいことがたくさんあってあっちにこっちにと飛んでいるので、訪問してくださっている皆様には読みづらくて申し訳ないです。
メモ帳の記録をそのまま載せます。
島での滞在日記を載せるまでにはまだ少し時間がかかりますが、よろしければお付き合いください。
「2012年10月8日(月)
もう旅は始まっている。昨日空港に送る荷物をパッキングしていてようやく実感が湧いてきた。色々やることはあると気がせくばかりで、少しずつしか進めない。本を詰め込んでもそんなに読めるはずもないのだが、つい欲張ってしまう。結局、今だ旅の英会話はやれず・・・。でも、『赤毛のアン』の原文を読んで、ちょっとは上達したかな。いない間に部屋が燃えてしまったらどうしよう、とか富士山噴火とか原発事故とか不安にとりつかれている。相変わらずだ。荷物減らしを進めてはいるがまだまだあって、部屋の中は相変わらずいっぱいだ。少しずつしかやれない。そろそろ今の職場はおいとまして違うことをやりたいがどこに進めばいいのかわからない。うっかりや物忘れが多くなってきて最近あぶない。トロントの乗り換え大丈夫だろうか。ドキドキ。少しの英語でOKなんだから、がんばれ、わたし。ずっとそのままにしていた2年前の旅の資料をようやく整理する。少しずつだけど、すっきりしてきた。ほんとに必要なモノだけで、好きなモノだけで暮らしていける日を目指してがんばれ。でも、これ以上PCをみていると目がどうにかなりそうだ。
『犠牲』(1999年発行、文春文庫。ノンフィクション作家の柳田邦男さんが1992年自死によって脳死状態となった次男洋二郎さんの臓器提供に至るまでの11日間を綴られた手記です。)を読む。重版を重ねているようだから、広く読まれているのだろう。柳田邦男さんがあとがきで記している敗北感。そのなんともやりきれない、にじみ出るような口惜しさを感じてしまう、痛む思いと共に。本当に残念なことだ。勿体ないことだ。私も弟もその宿命から逃れることはできないのだとあらためてわかった。残念だが、どうしてだかわからないが。
アンとモンゴメリさんと語り合ってこよう。あと3日、仕事を乗り切る。長い道のりだ。」
写真は成田空港です。
エアカナダ,17時20分発002便トロント行きのスタンバイ中。
何度も搭乗しているカエデのマーク。
やっといよいよなんだあと気持ちが昂揚してきます。
旅に出るときはいつも休みを取るための調整をして、荷物の準備もしてと、ここに無事たどり着くまでの道のりが本当に長いです。
「2012年10月12日(金)
赤いトランクの中味をもう一度確認。
チェックしてから、ヤマトで成田に送る。
PCを修理に出す。
できれば銀行に行く。
整骨院へマッサージに行く。」
写真は、モンゴメリさんが『赤毛のアン』を書いた家の跡のお庭です。
美しい黄葉・紅葉・緑・赤土が私を待っていてくれました。
「2012年6月13日(土)
12時にタクシーにきてもらう。
空港についたら、1万円両替。
2年ぶりの旅にドキドキしてきたーッ。
往復は一人だーッ。」
秋の島への旅に出ようと決めたのはその年の1月で、カナディアンネットワークという個人旅行の手配会社に見積もりを依頼して、私だけの旅のプランを立ててもらいました。
(優しい弟が旅行に行きたかったら行けばいい、と前の年に11月に帰省した時に言ってくれました。感謝です。)
欲張ってあっちにもこっちにも行きたいけど無理かな、など迷っているうちに、突然おとずれた母とのお別れ。いったん中断となり、記憶も途切れました。旅の1カ月前の9月に2010年9月にお別れとなった父の一周忌があり、結果的に父・母・妹-3人の納骨をすませて、ようやく気持ちにひと区切りがついた後で、3度目の島への旅となりました。お金はたまりませんが、片道25時間の旅は、本当に行ける時に行っておかないと行けない。大げさな言い方ですが、生きている間しか行けないないんだとの思いが強くなっていました。
写真はキャベンディッシュビーチのサンセットの中からの1枚です。
まだまだあるのですが、整理が追いつかないので少しずつです。
ものすごく風が強くて寒くて、でも刻々と陽が沈んでいく様は本当に夢のように綺麗でした。
本文とは全く別の話ですが、
『レ・ミゼラブル』博多座公演が3日より始まりました。
HPにアップされたカーテンコールの映像を見ると、クオリティの高い熱い舞台だったことがうかがえますが、コゼット役の青山郁代さんが怪我で休演という心配なニュースが・・・。
キャストの皆さんが千秋楽を無事に迎えられることを祈りたいと思います。
書きたいことがたくさんあってあっちにこっちにと飛んでいるので、訪問してくださっている皆様には読みづらくて申し訳ないです。
メモ帳の記録をそのまま載せます。
島での滞在日記を載せるまでにはまだ少し時間がかかりますが、よろしければお付き合いください。
「2012年10月8日(月)
もう旅は始まっている。昨日空港に送る荷物をパッキングしていてようやく実感が湧いてきた。色々やることはあると気がせくばかりで、少しずつしか進めない。本を詰め込んでもそんなに読めるはずもないのだが、つい欲張ってしまう。結局、今だ旅の英会話はやれず・・・。でも、『赤毛のアン』の原文を読んで、ちょっとは上達したかな。いない間に部屋が燃えてしまったらどうしよう、とか富士山噴火とか原発事故とか不安にとりつかれている。相変わらずだ。荷物減らしを進めてはいるがまだまだあって、部屋の中は相変わらずいっぱいだ。少しずつしかやれない。そろそろ今の職場はおいとまして違うことをやりたいがどこに進めばいいのかわからない。うっかりや物忘れが多くなってきて最近あぶない。トロントの乗り換え大丈夫だろうか。ドキドキ。少しの英語でOKなんだから、がんばれ、わたし。ずっとそのままにしていた2年前の旅の資料をようやく整理する。少しずつだけど、すっきりしてきた。ほんとに必要なモノだけで、好きなモノだけで暮らしていける日を目指してがんばれ。でも、これ以上PCをみていると目がどうにかなりそうだ。
『犠牲』(1999年発行、文春文庫。ノンフィクション作家の柳田邦男さんが1992年自死によって脳死状態となった次男洋二郎さんの臓器提供に至るまでの11日間を綴られた手記です。)を読む。重版を重ねているようだから、広く読まれているのだろう。柳田邦男さんがあとがきで記している敗北感。そのなんともやりきれない、にじみ出るような口惜しさを感じてしまう、痛む思いと共に。本当に残念なことだ。勿体ないことだ。私も弟もその宿命から逃れることはできないのだとあらためてわかった。残念だが、どうしてだかわからないが。
アンとモンゴメリさんと語り合ってこよう。あと3日、仕事を乗り切る。長い道のりだ。」
写真は成田空港です。
エアカナダ,17時20分発002便トロント行きのスタンバイ中。
何度も搭乗しているカエデのマーク。
やっといよいよなんだあと気持ちが昂揚してきます。
旅に出るときはいつも休みを取るための調整をして、荷物の準備もしてと、ここに無事たどり着くまでの道のりが本当に長いです。
「2012年10月12日(金)
赤いトランクの中味をもう一度確認。
チェックしてから、ヤマトで成田に送る。
PCを修理に出す。
できれば銀行に行く。
整骨院へマッサージに行く。」
写真は、モンゴメリさんが『赤毛のアン』を書いた家の跡のお庭です。
美しい黄葉・紅葉・緑・赤土が私を待っていてくれました。
「2012年6月13日(土)
12時にタクシーにきてもらう。
空港についたら、1万円両替。
2年ぶりの旅にドキドキしてきたーッ。
往復は一人だーッ。」
秋の島への旅に出ようと決めたのはその年の1月で、カナディアンネットワークという個人旅行の手配会社に見積もりを依頼して、私だけの旅のプランを立ててもらいました。
(優しい弟が旅行に行きたかったら行けばいい、と前の年に11月に帰省した時に言ってくれました。感謝です。)
欲張ってあっちにもこっちにも行きたいけど無理かな、など迷っているうちに、突然おとずれた母とのお別れ。いったん中断となり、記憶も途切れました。旅の1カ月前の9月に2010年9月にお別れとなった父の一周忌があり、結果的に父・母・妹-3人の納骨をすませて、ようやく気持ちにひと区切りがついた後で、3度目の島への旅となりました。お金はたまりませんが、片道25時間の旅は、本当に行ける時に行っておかないと行けない。大げさな言い方ですが、生きている間しか行けないないんだとの思いが強くなっていました。
写真はキャベンディッシュビーチのサンセットの中からの1枚です。
まだまだあるのですが、整理が追いつかないので少しずつです。
ものすごく風が強くて寒くて、でも刻々と陽が沈んでいく様は本当に夢のように綺麗でした。
本文とは全く別の話ですが、
『レ・ミゼラブル』博多座公演が3日より始まりました。
HPにアップされたカーテンコールの映像を見ると、クオリティの高い熱い舞台だったことがうかがえますが、コゼット役の青山郁代さんが怪我で休演という心配なニュースが・・・。
キャストの皆さんが千秋楽を無事に迎えられることを祈りたいと思います。