たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

冬の朝の雨はきびしい

2019年12月02日 19時18分24秒 | 日記
 真夏よりもさらにきびしい季節がやってきました。台所と洗面所とお風呂場の寒さがしみることしみること、夜中にからだが冷えて冷えて仕方ないです。眠剤をのまないと不安で眠れなくなっているので素直に毎晩一錠ずつのんでいるこの頃。口の中が気持ち悪いのでほんとはのみたくないですがのまないと不安でいられなくなってしまいました。そうするとものすごく喉がかわきます。なのでお手洗いで目がさめたときタンブラーにお湯を補充するために台所へ。そしてたっぷりお湯をのむと冷えでまたお手洗いで目がさめてしまうの繰り返し。なんとか5時間半ぐらいは眠れたと思いますがきびしい一週間の始まり。

 昨日の予報どおり雨の朝でした。電車に間に合うかな、緊張しました。寒いので山歩き用のパンツをはいて足元が濡れないように山歩き用のレッグウォーマーを装着、その上に雨合羽。着脱に時間がかかるし、車ビュンビュンの脇を走るので危ないし気をつけないとすごい水はねが飛んでくるし、疲れました。遠いです、あらためて遠いなと思いました。電車にのった時はぐったり。冬は始まったばかり、予報をみると明後日の朝も雨。ずっとこういう生活をしてきているならどうっていることないのかもしれませんが、30年間離れていた末のこんな生活はこたえます。今朝はなんとか無事にクリアできましたが、いつまでどこまでやれるのか全くわかりません。新幹線代とチケット代のクレジットカードの請求がくるので今離脱することはできませんが、ほんとに自信がない。自分の努力ではどうしようもないこと。面接のとき、駅から遠いことを話したとき、駅へいくために家族の協力は得られるかときかれて弟しかいないので得られないとこたえました。なかに入ってみると課長さんだったことがわかりました。承知を採用したんだからわかってますよね。かつては父親という送迎ドライバーがいたからなんとかなっていました。父親に代わる送迎ドライバーを見つけることなどわたしの性分には合わないのでそういう道は選びませんでした。家から、病気になった母から逃げて都会に出ました。家から逃げるためのわたしの人生、いや、生きていてよかった、幸せだと感じることができるひとときに出会うための人生。今さら自分の出自をうらんでも仕方ない。残りの人生の時間をどう生きるか、自分のための人生をこれからどう生きていくかに思いを馳せていきませう。

 それにしても就労場所は午後になってやたらと空調が暑くなりました。自分で決められない、わからない。だからセーター着ることはできない。ブラウスの上に何枚も重ねていくしかないです。だって外は寒いから、自転車はすごく寒いから。夏寒かったところが冬はがんがん暑い。とほほ。

 久しぶりの五日間フル勤務。祝日がなくなってしまいましたが年末の休みがあると思えば耐えられるのでしょうか。お昼の電話当番、あまりかかってこなくて幸いでした。心の中でひたすらカウントダウンしていました。こういう時の一分、一秒はすごく長いです。案の定、あと1分のところでかかってきてしまいました。自分電話かけるの大嫌いですが、どうしてもかけなけれならないときは時刻をよくみてから電話するようにしようと思いました。

 少しでも荷物を減らしながらの毎日。でもあんまり早く帰るといくつかの意味で具合が悪いので寄り道小道、今ブログを書いているタブレット端末で朝はダウンロードした音楽を聞いていますが、就労場所の最寄り駅でお手洗いに入った時コートのポケットからすべりおちて激打。激しくヒビがはいってしまいましたが購入時保険に入りませんでした。こんなに活躍の場面があると購入した時は思っていなかったタブレット端末。大切な相棒なので気をつけなければ・・・。
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