たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2008年『フェルメール展』より-「ワイングラスを持つ娘」

2021年08月06日 00時30分40秒 | 美術館めぐり



ヨハネス・フェルメール《ワイングラスを持つ娘》
1659-1660年頃 
ブラウンシュヴァイク、アントン・ウルリッヒ美術館、油彩、カンヴァス
77.5 × 66.7㎝

(公式カタログより)

「フェルメールの描いた「陽気な仲間たち」を主題とする作品のなかで最も生き生きとした絵画の一つである。顔に笑みを浮かべ、赤いサテン地のドレスに身を包んだ娘は、ニヤニヤしながら彼女の近くに身をかがめ、あからさまにしつこく交際を迫る男からワインを勧められている。部屋の後方には、ステンドグラスのはまった窓のかたわらに腰をかけ、頭を手にもたせかける別の男がいある。構図も主題も、ベルリン国立美術館にある≪紳士とワインを飲む女≫と類似する。ベルリン作品の方が年代的には多少早いと推測されるが、菱形の格子模様のタイル床といい、開かれたステンドグラスの窓といい、同じ部屋の一隅を描いているようだ。ベルリン作品のカップルは、感情をぐっと秘めている。大きめのケープを身につけ帽子をかぶった男は、ぼんやりと無表情で、並外れて謹厳な様子で女の上に身をかがめる。人目を気にしながらワインを口にする女は、顔全体を覆ってグラスをかざし、もう片方の腕をウエストのあたりに置く。これに比べ本作品に登場する二人のやり取りは、すでにワインの効果が現れているのか、はるかに解き放たれた風で、感情があらわになっている。男があまりに媚びた世話の焼き方をし、娘が無遠慮な笑い方をしているので、彼女は鑑賞者に自らの困惑ぶりを訴え、あたかも鑑賞者の存在に救われてさえいるようだと解釈する者もいる。

 酒をたしなむ男女という主題は、17世紀半ば前後にかけてオランダの風俗画家の間で人気を集めていた。本作品もヘラルト・テル・ボルフ、フランス・ファン・ミーリス、ピーテル・デ・ホーホといった画家たちの作品と比較されることがあるが、おそらくそうした作品の影響を受けてもいよう。(略)

 フェルメールはまた、長きにわたり見過ごされてきたある細部を通じてこの場面に注釈を施している。ベルリンとブラウンシュヴァイクにある飲酒場面を映画板二つに作品にステンドグラスが見えるが、そこに抽出された人物が節制の象徴とされる手綱を手にしていると最初に気づいたのはリューディガー・クレスマンであった。彼は、それをハブリエル・ロレンハーヘンの寓意画像などでお馴染みの、節制の精神を具現化したものだと解釈した。つまり、自制的であれという警告と解されたのだ。これに対しグレゴール・ヴェーバーは、その種の綱は紋章につけられた帯であって、楯を支える伝統的女性像をそうした帯で絵画的に継承したに過ぎないのではないかと指摘した。とはいえ、フェルメールの二作品が節制の遵守と、飲酒の誘惑を表現したものであるという説には同意している。

 部屋の後方で頬杖をつく男は、メランコリアの伝統的な姿勢をとる。17世紀では鬱、内向的気質、芸術的想像力や不幸な恋愛などと関連づけられていたものである。ニューヨークのメトロポリタン美術館が所蔵するフェルメールの初期の大型風俗画、≪眠る女≫という、いささか不適切なタイトルのついた作品にも同じ姿勢の少女が登場するが、ひっくり返ったワイングラスは、彼女の物思いに沈む様が酒によるものとの連想を誘う。こうした観察は今に始まったものではなく、このニューヨーク作品は、おそらく、アムステルダムで1696年に開催された有名なディシウス・コレクション売り立てで「テーブルのところで酒によって眠るお手伝いの女」と紹介された作品と同一だとみなされてきた。本作品の脇役の男の憂うつな雰囲気が同じ理由によるものなのか、それとも前方で繰り広げられる浮ついたやり取りへの彼なりの反応なのか(トレ=ビュルガーは19世紀に本作品を「浮気女」と題した)、さだかではない。


                                         ⇒続く












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