三好春樹『関係障害論』より‐”関係”は感覚と身体を変える
「なぜ「社会」や「環境」ではなくて”関係”なのか
そういう問題意識で始まった講座ですが、私は関係という言い方をしてきました。これまでも、たとえば「環境」とか、あるいは「社会」とかいう言い方で、同じような言い方がされてきたと思います。
社会とか環境が老人をダメにしてきた、という言い方がされてきたと思いますが、私はあえて、環境とか社会とかという表現はしないで、関係による障害という言い方をしています。
それはどうしてかといいますと、環境が悪いからとか、社会が悪いからという言い方は、どこか自分の責任を放り投げている感じがします。とくに、社会が悪いという言い方にはそれを強く感じます。社会が変わらない限り老人は元気にならないなんて言い方は、どこか自分の課題としてではなく、人のせいにしているような気がします。
ところが、老人にとっては、介護者である私たち、とくに夜寝ていて、ナースコールを鳴らしてやって来たその人が、実は社会の代表なのです。私たちは、老人の前に、社会そのものとして現れているし、私たち自身が最も大きな影響力を持った環境そのものなのです。
私たちがそのときにどういう表情をするか、どういうコトバかけをするのかということが、老人にとっては、環境のほとんどすべてであり、社会のほとんどすべてであるというふうなところへ、私たちは立たされていると思います。
だからナースコールを鳴らされて、いくら疲れていても、老人の前に立つときはニコッとしてみせるというのは、そういうことです。私はそのとき、社会の代表なんです。私がそのときに嫌な顔をしていたら、この人は自分は社会から無視されている、嫌われていると思うから、私たちはニコッとするわけです。これが、現場の倫理観だと私たちは思っているわけです。関係という言い方をしたときは、自分がその中に入っている。環境や社会の大きな一員であり、実はいちばん大きな力を老人に対して与えている。権力にも成り得るし、あるいはお年寄りを生き生きさせることもできる力を自分たちは持っているのだという、責任と自覚みたいなものを込めたコトバとして「関係障害」という言い方をしています。
ですから、社会を変えていくとか、環境を変えていくという一般的な言い方ではなくて、まず、私たち自身の見方や関わり方を変えていくということから、関係障害の治療の方法というのを考えていきたいと思います。関係の出発点は、まず私たち自身からということです。」
(三好春樹『関係障害論』1997年4月7日初版第1刷発行、2001年5月1日初版第6刷発行、㈱雲母書房、54-57頁より)