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たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

第四章OLという存在-⑥一般職は多数派ノンエリート

2024年01月28日 20時25分06秒 | 卒業論文

 職場のジェンダーシステムは、それにふさわしくジェンダー化された働き方の慣行に女性を誘うが、その慣行への順応と反応の形は、階層によってかなり異なると考えられる。第一章の女性労働者の分布で熊沢誠の記述に沿って概観したように、「恵まれていない」程度を基準に女性労働者を階層化すると、「恵まれている」順に①年齢を通じてわりあい等質な専門・技術職②20代事務職③40代と50代の事務職⑤40代と50代のブルーカラーとなる。この中でも、「OL」というと一般的にイメージする②の20代事務職を軸に、OLのジェンダーシステムへの適応の形を考えていきたい。


 86年に施行された均等法は、性そのものによるキャリアの分断は違法であるとしたので、日本的経営の労務管理は、それまでは総じて男性社員にだけ適用されていた能力主義的な個人処遇を女性にも広げる方向に向かう。すなわち均等法時代への日本的経営の対応は、基本的には、能力主義管理に女性を包括することであった。流通・サービス業の分野を中心に一部の分野では、さらなる女性労働力の活用に踏み切った。この新しい環境の下では、女性でも「男性なみに」能力と意欲を発揮すれば、キャリアを展開して単純労働から上へ脱出できる、その道は拓かれた。コース別雇用管理制度の導入により、総合職を選べば女性も「男性なみに」管理職を目指すことが制度的にはできるようになったのである。しかし、第三章にも記したように、男性の長時間労働という日本的経営の根本的問題の改善なしにコース別雇用管理制度は導入されたので、家庭責任を負う女性たちは、家庭と仕事との両立が困難となり退職者が続出した。新卒で就職して3年以内に退職した四年制大卒女性は28.8%に達している。1) 日本的経営が求めた「男性なみ」とは、「生活態度としての能力」を発揮することだったのである。経営者はこう宣言するーわれわれは女性の能力の開発を期待してその活用をめざす。けれども女性諸君も、総合職のコースを選ぶなら、甘えをすてて、これまで男性が担ってきた「機能的フレキシビリティ」やハードワークを辞さぬ心構えをもち、たとえば重いノルマや残業や転勤に耐える「生活態度としての能力」を培う覚悟をしてもらいたい、と。熊沢は、この呼びかけの裏には、多くの女性はやはり従来の「女の仕事・女の役割」を選び、単純労働・雇用調整弁としての労働力・家事、育児、老親介護、地域活動など「広義の家事」を専ら担うという三つの難問を引き受けてくれるだろう、というしたたかな読みがひそんでいたとしている。2)
 
 さらに、熊沢の記述に沿って女性労働者の二極化という点を概観したい。均等法以降、女性を単純労働、短年勤続、低賃金に留め置く古い伝統的な差別と現代的な新しい差別とがもたらされた。前者は、職場における女性の補助的な役割についての固定観念、それに女性の意欲はこれまでさほどではなかったという「経験知」に立って効率的にことをすませようとする便宜的な人事慣行が、古い差別をなお今日なものとして健在なのである。一方、後者の新しい差別の形は、男女に等しく機会が与えられているにもかかわらず、女性がその機会に挑戦しない、あるいはなんらかの事情でそれに挑戦できないため、結果として生まれている性差別である。この「結果の差別」はもともと既存の体制のコンセンサスでは、不当は差別ではなく、均等法からみても違法ではない。それは女性たちの意欲のレベルに見合う主体的な選択と、査定された能力の格差にもとづく、あえていうならば正当な格差とみなされもする。このスタンスでは、例えば、女性も総合職を選びうる制度がある限りは、女性が圧倒的比率を持って一般職を選ぶ傾向自体は問題視するにあたらないことになるだろう。この現代的な性差別の中に、日本的経営の要請に対する女性たちの適応の形を探ることができると考えられる。3) 女性たちの適応の形として、小笠原祐子は、差別的とされる雇用慣行が女性にもたらす奇妙な自由度に注目した。労働市場において、恩恵から除外されてしまっているがために、「労働者貴族」(“worker aristocrats”,Cole 1979)である男性社員に対して取りうる手段が女性社員にあるのではないかと考えたのである。制限された選択肢の中から、OLが少しでも有利な選択をしようとする結果もたらされる現実までをも見極めなければ、性に差別的であるとされる雇用慣行が性秩序にもたらす真の意味合いを把握できないのである。4)


 女性はキャリア組かノンキャリア組かに振り分けられる。20代の女性をターゲットにしたファッション雑誌に、「オフィスでモテモテな2代OLスタイル-カッコいい系「涼子OL」VSかわいい系「矢田ちゃんOL」どっちが好き?どっちで行く?」という特集を見つけた。 カッコいい系「涼子OL」とは、女優の米倉涼子をイメージした仕事をバリバリこなす総合職の女性。会社ではパンツスーツをカッコよく着こなし、会議に打ち合わせにと駆け回るキャリア組の女性である。対極のかわいい系「矢田ちゃんOL」とは、女優の矢田亜希子をイメージした制服を着た一般職の女性。お茶を出したり、電話をとったりしている。ピンク色のワンピースが似合う女の子らしいかわいい女性で、オフィスで愛される存在である。このような雑誌の特集からも読み取れるように、キャリア・ウーマンからイメージする女性像は、高学歴・高収入・総合職・自分の能力を生かしてクリエイティブな仕事をしている人、カッコいい特定の階層の女性を指すことばであった。平凡な「OL」は、その対極にあるイメージ。大手を中心に相次いで導入されたコース別雇用管理制度は、女性労働者の量的拡大、つまり「労働の女性化」は、一部に管理職や高度な専門職への進出を伴いつつも、大勢としては女性労働者の二極分解をもたらしたのである。正規従業員として働き続けキャリア展開を目指すか、生活の基盤は夫に依存する結婚・出産・育児に伴う中断再就職コースかである。一般企業に勤務して仕事をする女性はどちらかを選ばなければならない。

そして継続者の1%前後が均等法以後、男性並み労働を前提に総合職に登用されるものの、およそ80%が後者のコースを辿る。男性が学歴に係わらず男性であるというだけで、一応幹部候補生として迎えられるのに対し、女性の場合、中核労働者として期待されるのは、ごく一部の高学歴の女性や専門資格を有するものだけである。女性の多くは、配置や仕事の内容についてそれまでとは変わらない使い方が続いている。「お茶くみや掃除は女性の仕事」「トイレ、事務所の掃除は女子だけの割当」「朝は30分早く女子だけが出勤して、掃除とお茶くみをする」「電話をとるのは女の仕事」など、本務以外の職場の家事とも言うべき雑用が女性というだけで押し付けられる。反面、業務には欠かせない「名刺、交際費などは女性に使わせない」「出張、会議に女性は出られない」「打ち合わせ会議に女性は参加できない」など、仕事上の情報をキャッチしたり、企業外での人脈をつくるなど、企業活動には欠かせない行為は女性というだけでストップさせられている。そのうえ、企業内での昇進、昇格も「女性は管理職になれない」、「長年会社に勤めていても、また重要な仕事をしていても、女性はそれだけの肩書きを与えられない」となると、職務給が拡大されているなかで、当然男女の賃金格差が開いてくる。賃金格差の背景には、住宅手当や家族手当など、多くの企業が世帯単位を前提としていることがある。世帯賃金は多くの企業で男性にのみ該当することになっている。こうしたことから、フルタイマーの約80%が結婚・出産を機に退職していくのも無理ないことに思えてくるのである。6) 

いったん職業を中断した女性の就労形態は派遣・パート・アルバイトなど一様ではなく、第一章で見たように賃金はいずれも正規従業員に比べて低く、女性が職業人として自立できるには困難である。このコースは、世帯賃金を保障された主婦であることが前提となる。後者のこうした自立には遠いコースを辿る80%がOL層である。熊沢誠は、大まかな職業分類に見合うキャリア展開志向の程度という観点からあえて女性労働者を二分している。グループAは、勤続が能力を高めるタイプの専門職、または事務職や販売職を経て管理職に就き「がんばる」比較的少数の女性たちであり、グループBは、事務、販売、技能工・生産工程の地味な労役を、中断はあるにせよ続けていく多数派ノンエリートの女性たちである。グループAの活躍する舞台は、公共部門、食品、アパレル、流通、保険など従来から女性労働が大きな役割を果たしてきた諸産業と、拡大を続けるサービス業や情報産業など女性の感性と魅力がなにほどかの役割を果たす新しい業種である。 

一般職OLは、グループBの多数派ノンエリートに属する。新しい時代の能力の開発と発揮の呼びかけに比較的少数の「がんばる」女性たちが「前向き」であるとすれば、多数派ノンエリートの女性は総じて仕事に「後向き」である。7) 第一章の係長が多い女性管理職の項で、1995(平成7)年の調査で、「昇進したくない」女性35.4%の「昇進したくない」理由のなかで、「責任が重くなる」が44.9%を占めることを記した。他に「現在の職階に満足している」33.2%、「残業が多くなる」17.3%、「家庭との両立が困難」25.1%があった。これらは、多数派ノンエリート女性の意識を鮮やかに反映していると言えるだろう。

 日本型企業社会では、女性が会社で働ける時間の限界が指摘され、その量的限界が女性が責任の重い職務につけない理由とされる場合が極めて多い。妻のいる男性の長時間労働を前提として「能力」がはかられるので、その水準が女性には高くなってしまう。「生活態度としての能力」が低いから女性は昇進できないということになるのだ。女性自身もこうした献身の要求にそれなりに適応して、一般職OLは、あれほどの残業や転勤やノルマがあるのなら「総合職なんてお断り」と考えたりするのである。日本的経営システムが総合職は「生活態度として能力」が要求する故に、女性の多くは一般職に誘導される。好んで脇役の道を選ぶのだ。男性ほど責任をもたなくてもよい、そこそこ華やぎのある気楽な道を女性は選ぶ。熊沢が引用して述べているところによれば、総合職の新ランクを設けたオリックスの藤木総務部長は、「総合職の仕事の厳しさが女性の間に浸透したのか志望する女子は3%しかいない。大学卒も含めた女性全体で75%は一般職を希望する」と言う。(『日経産業新聞』1997年1月20日)。男性が「男の仕事」に、女性が「男の仕事」に応募してこないことは、性別職務分離の労働者による内面化の証明に他ならない。OLが一般職にうずくまるのは、技能や知識の点で総合職の仕事はできないからというよりはむしろ、総合職の男性のように時間とエネルギーのほぼ全てを会社の仕事に注げないと思うからである。8) 「生活態度としての能力」の要請に答えることができるのは、職場外の生活を全て女性に転嫁した男性たちである。女性たちは違う。女性たちは、家庭にも地域にも街にも、場所と役割と生きがいを見出すことができる。だから会社丸抱えの「会社人間」の働き方をしない限り高く評価されないのなら「昇進なんてお断り、育児やボランティア活動、旅行や余暇のゆとりをもちたい」と考えるのである。煩わしい配転や生活の場を変える転勤、技術革新に備える勉強、しばしば仕事からの余裕を奪う結果になる「改善活動」、それからアフターファイブのスケジュールを危うくするような残業などに、時間とエネルギーをさくことはいやなのだ。「会社人間」を傍らで見て、会社のために人生の貴重な時間を使うのは空しいと考える。「この人たちは自分の時間はトイレと車の中だけなのよ」。筆者が高校卒業と同時に勤務した地方銀行で女性の先輩が言った言葉である。この人たちとは、会社人間たる男性行員を指す。トイレと車の中という空間は、人ひとり分のパーソナル・スペースである。それ以外は会社丸抱えの生活ということである。筆者自身、こんな働き方はしたくないと強く思った。一般職を選択することは、日本的経営システムの要請に女性自身が適応した結果なのである。

 



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引用文献


1)藤井治枝『日本型企業社会と女性労働』221-222頁、ミネルヴァ書房、1995年。日本経済新聞」1991年11月30日付。

2)熊沢誠『企業社会と女性労働』日本労働社会学界年報第6号、8-12頁、1995年。

3)熊沢、前掲書、12-13頁。

4)小笠原祐子『OLたちのレジスタンス』8頁、中公新書、1998年。

5)添付資料、『CANCAN2002年7月号』小学館。

6)藤井、前掲書、218、223-224頁、ミネルヴァ書房、1995年。

7)熊沢、前掲書、14-15頁。

8)熊沢、前掲書、137-138頁。

 

 

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