たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

第五章岐路に立たされる女性-⑦「とらばーゆ」の登場と人材派遣会社の台頭

2024年07月24日 14時57分50秒 | 卒業論文

   1980年代を境に女性の生き方は大きく変化した。お洒落なシングル・ウーマンをターゲットにした生活情報誌の創刊ラッシュに続いて、本格的な女の時代の幕開けを象徴するかのように1980年2月「とらばーゆ」は創刊された。80年代以前には女の仕事情報誌は1冊もなかった。「25」でファッションセンスを磨き「MORE」、「クロワッサン」、「コスモポリタン」を読んで女性の自立について考え、そして、一人で生きていくことを決意した女性は、「とらばーゆ」を読んで仕事を探そう。80年の女性誌創刊ラッシュは、まさにそう語っているようだった。[1] 1980年代、「とらばーゆ」の出現により、女性にとって転職は容易になった。仮に一流企業に就職できなくても、仕事を探すことはそう難しいことではなくなった。「とらばーゆ」が女性の強い味方となった。「今の会社が嫌になったらとらばーゆで次の就職先を探せばいいわ」こんな時代はそれまでなかった。女性は「とらばーゆ」の出現により、転職を知り、仕事はいつもあるものという安心感をおぼえた。「とらばーゆ」は女性たちの心の支えとなったのだ。「いい仕事、条件の良い仕事は一瞬を争う」1980年代、「とらばーゆ」の発売日の朝、都会の中には、まだ薄暗い静かな駅の売店をめがけて走る30代前後の女性たちがたくさんいたのだ。[2]

 篠塚英子は、「とらばーゆ」の1980年7号から25号までの計  19冊を用いて、この就職情報誌にあらわれた求人側の求人情報がどのようなものであったかを分析している。その結果から、次のような事実が明らかになった。まず、ターゲットを都市の未婚の若い女性に絞っていたこと、正社員8割の募集の中で、職種分類では事務職49.5%、営業・販売・サービス等29.0%、残りの21.5%が技術・専門職であった。さらに興味深いのは、求人の職種名である。それは、コンピュータ関係、事務職、販売、専門職、営業の5つに限って取り出した職種名の9割以上が、和製英語というべき「カタカナ文字」の職種で占められていた。このようなカタカナ職種の氾濫について篠塚は次のようにまとめている。このような仕事の内容の個別化と、職種のカタカナ化は、そうすることによって女性休職者に心地よく響くという求人側の配慮が働いていることは確かである。ということは求職側の行動もできるだけ<かっこ良い>仕事、そしてどうせ同じ働くのなら、せめて仕事の名前だけでも夢のあるもの、固定観念のできていないものを期待しているということでもあろう。また、求人条件には年齢が大きな鍵になっているという事実も見逃せない。企業の資格条件のうち、最も多いのが年齢で、35歳までの条件は全体の85%になる。「とらばーゆ」は一見、女性たちの救世主のようだが、年齢制限がやはりあるのである。[3] カタカナ職種の氾濫は、若い一般事務職OLをクリエイティブな仕事へといざなう。それは、ともすれば雑誌がキャリア・ウーマンの標準像として描くような働く女性の姿を追い求めて、聞こえの良い専門職風の仕事を求めることにもなりかねない。それらが達成できないとなれば、あっさり辞めてしまったりもするのだ。

 さらに、人材派遣会社の進出が、女性の「とりあえず」の会社勤めの連続、とらばーゆ人生を可能にした。30歳過ぎの女性も苦労せずに仕事を得ることができるようになったのである。アルバイトなどという聞こえの悪いものではなく、派遣社員として一流企業で働くことができる。日給月給だが社会保険もつく。アルバイトよりはましだ。人材派遣業は、均等法施行と同年の86年、労働者派遣法施行により誕生した。それまでは、水面下のビジネスとして人材派遣とは名乗らずに、業務委託や事務処理サービスと名乗っていたが、社会環境の変化により、法律で認められるようになったのである。当時20代後半から30代初めの年齢の女性たちは、追い風の中嫌なら辞めて転職するのは普通だった。99年の「労働者派遣法改正」で派遣先業種が原則自由化されると、派遣社員数は100万人を突破した。[4] 派遣が認められない職種を除き、どんな職種でも派遣で働けるようになったのである。

 しかし、第一章で記したように人材派遣会社は、ユーザーたる派遣先よりであり、問題も多い。同じ会社で働いていても、社員と派遣社員の間には渡れない川が流れている。会社と派遣スタッフとの間には何の雇用関係もないのだ。「女性と仕事の未来館」には、「派遣はもうこりごり」、辞めて正社員になりたいという相談も絶えない。ほとんどの理由は安定性がないこと、将来への不安である。万一、派遣会社へ転職する時は、派遣で働くことの意味や将来の姿、保険や年金の重要性などを考え、確認しておくことが重要である。会社の決めたレールに乗っかってキャリアを積むのが正社員なら、自分でルートを決めて派遣会社を利用するのが派遣社員だ。自分の能力や適性を正しく表現していく力を身につけることが必要になってくる。そうしたポジティブな姿勢がなければ、派遣も逃げ道のひとつになってしまう。ただ自分をごまかしているに過ぎなくなってしまうのである。『日経ウーマン』2002年8月号によれば、最近では、フリーランスを目指す派遣社員も目立ってきているという。派遣と正社員を行き来しながら確実にステップアップしている人もいる。条件も大事だが、「やりたいこと、大事にしたいライフスタイル」を基準に選べば、どんな選択が自分にとってハッピーかは自ずと見えてくる。大切なのは、自分がどう生きていきたいかということではないだろうか。次に、若年層が自分の生き方を模索する状況を、事例を紹介しながら具体的に見ていきたいと思う。

 

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引用文献

[1] 松原惇子『クロワッサン症候群』36頁、文春文庫、1991年(原著は1988年刊)。

[2] 松原惇子『クロワッサン症候群 その後』90-91頁、文芸春秋、1998年。

[3] 篠塚英子『女性が働く社会』181-184頁、勁草書房、1995年。

[4] 『日経ウーマン 2003年6月号』40頁、日経ホーム出版社。