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たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

中井久夫著『「つながり」の精神病理』

2013年07月15日 10時17分53秒 | 中井久夫著作『「つながり」の精神病理』他
中井先生の著書は、専門的なことがでてくると私の勉強不足もあり、難しくて簡単には読みこなせないのですが、語り口が優しくて心が救われ、またそういうことだったのか、と気づきへとつながることがたくさんあります。

私自身の記録と合わせて少しずつ書いていきたいと思います。


「2012年4月某日(母とのお別れから2ヶ月後です)

人は色々言ってくれる。
話せばアドバイスをくれる。
けれど、自分の中ではそんなにかんたんじゃないんだということが、昨日の(エンカウンター)グループのあとでわかった。中井先生の『「つながり」の精神病理』を読み始めた。ようやくわかった。ことばでは説明しきれない、何か目には見えない、一つ一つはささいなことでしかないようなことで、病になるし、自殺へとさそわれる。日常の積み重ねってそういうものだ。
自分は当事者でなくても、そこに身内として関わるしかなかった者の、その思いもまたことばでは言い切れない。
人にはなかなか理解されない。
色々なことが絡み合った現実。そんなに簡単ではない。


父・母・妹、それそれに自分の人生にツジツマがあったのだとすれば、そこに好むと好まざるとに関わらず生まれてしまって、関わらなければならなかった私にとって、どんな意味があったのだろう。

受け容れたいと必死になってきた私の人生はこれからどうなっていくのだろう。
結婚も出産も逃してしまった私の人生にとって結局どういうことだったんだろう。
答えのない模索が始まってしまった。」



『「つながり」の精神病理』(ちくま学芸文庫)からの引用

フクちゃんとサザエさん(119-121頁)

 小学四年以降になると子どもには知力や親の経済力等による選別の圧力がいやおうなしにかかってくる。
 やがて、親のほうにも、子の教育費の負担と、老いてくる自らの親の面倒と、自分の職場での責任増大(あるいは家庭経営の複雑さ)がのしかかってくる。

(略)

 親子のきずなが、親子の成長の足を引っ張る形を取るのは、こういう転換期であると私は思う。親子の分離がうまくいくかどうかを決める因子の一つには、こういう時期に、親子が現状にしがみつき、さらにはもっと以前の状態に戻ろうとするかどうかによる。
 親子のきずなが幼年時代にどうであったかということも重要であるが、それは大人になるまでに修正される機会がいくらでもある。
 そういえば、「サザエさん」の家族構成は現実にめったにないような構成であって、あれは、うまく、転換期的な年齢の構成人員がいないようになっている。そのためにか、かなり不自然な家族構成なのだが、読者は、あまり気づかないようだ。その家族構成には不安もそそるものがないからである。(略)世代間境界が不鮮明であるが、ある序列はあって、しかも世代間のギャップが最小になるようになっている。そして、思春期の少年少女がいない。登場人物の年齢を十年上げてみると「サザエさん」の世界は成り立たないのである。
「フクちゃん」になると、おじいさんとフクちゃんの二人である。祖父と孫二人だけの所帯はかなり悲惨なはずだが、漫画は生活的なことが一切出てこないようになっている。祖父と孫という自立が問題でない二人世界での永遠のたわむれがある。」


→まだまだ続きます。
 写真は、春のプリンス・エドワード島の緑と赤土です。
 本文とのつながりはないですが、私自身がほっとするので載せています。