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たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

イギリスへの旅の思い出-ロンドン2日目

2020年08月03日 09時59分31秒 | イギリスへの旅



「1992年5月13日(水) 晴れ

 ヒースロー空港からUnder ground(地下鉄)でVictoria stationへ行くつもりが、乗り換え駅のGreen parkで降りてしまったからさあ大変。重い荷物を抱えたまま宮殿あたりをうろつき、どうやらピカデリーサーカスあたりを迷っていたようなのだが、今St.James Parkにいる。時差ボケはあまりない。
飛行機の中でちょくちょく眠っていたので、ロンドンの時刻で11時ぐらいまで起きていて、今朝は6時ぐらいには目ざめてしまった。2度ほどトイレに立ったが熟睡できたので、まあまあ疲れがとれたと思う。

つたない英語で今のところなんとかなっている。
地下鉄の中で、道で、Cafeで、紳士だなと思う。
宮殿で衛兵の行進と交代なのかなあ、よくわかんないけれど儀式をみて伝統を感じて、今はぼうっとしている。

昼下がりの公園、風は心なしか涼しい。チェアにねそべってのんびりしている人々が多い。
ゆとりを感じる。
日光浴や読書を楽しんでいるこの人々はどんな職業なのかなあ。
不思議だ、遠い異国に来ているのに、今のところあまり違和感がなくてぼんやりしている。

さていちばんの問題は今夜泊まるところである。そろそろさがさなくちゃと思いながら、もうしばらくぼんやりしていたい。

************

ロンドンに着いて2日目。
そうそう要領よくいくはずがないよね。
バッキンガム宮殿の前を通り過ぎてやっとVictoria stationへ行く。インフォメーションでホテルを紹介してもらったのだが、ウロウロ迷っているわたしにとっとと行きなさいという感じで実際最寄り駅に行ってみるのだがどうも気に入らない。どういっていいのかもわからず、ずいぶんと迷った。TELの使い方もわからない。どうしよう、時刻はどんどんおそくなっていく。
『地球の歩き方』を信じて、South Kensingtonに来てみる。いきなり行ってみようとするが当然のことながら道がわからない。きけそうな人もいない。どうしよう、TELもやっぱりかけられない。今にも泣き出しそうな顔をしていると、小柄な東洋人らしきおじさまが助けてくれた。ホテルにTELを入れ、場所まで連れて行ってくれた。
そう今このノートを開いているところだ。15ポンド、最低に近い部屋だけど安心していられそうなのがいい。一応清潔だし、もう一泊しようかなー。

重い荷物を抱え、英語はカタコト、道がわからない。疲れた一日だった。ホテルをさがすことすら大変だ。でもこうして無事にいる。
食事もままならず、おなかがすいて下手にお金を使ったりするだけだったけれど、迷うこともまた楽しだ。日本でだと当然のようにできているということが精一杯のことになる。
旅をしているのだ、異国の地に。
ひとりぼっちでUKの空気の中にいるのだ。」






イギリスへの旅の思い出-成田空港⇒ソウル⇒ロンドン

2020年08月01日 17時00分02秒 | イギリスへの旅
2014年4月9日:旅の思い出 _ 小説「嵐が丘」の舞台
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/a4c1cfa8af1cedb3865f60d04588685a


 28年前のイギリスへの一人旅のことも、ようやく少しずつ書いていってみようと思います。歳月が流れて自分、少しは成長できたのか、まだきびしい人生になるとは知らなかったころ・・・。

 ユースホステルを使って国内の一人旅をよくしていたわたしは、東京都のユースホステル協会で往復の航空券と到着日のヒースローホテルだけを予約して旅にでました。







「1992年5月12日(火)

 ソウルを経由してロンドンまで17時間ほど、さすがに長い、こたえる、力が抜けてしまいそうだ。ヒースロー空港につけばほんとにひとりでなんとかしなければならないのだから、きっとファイトがわいてくることだろう。緊張しても疲れるばかりなのでぽわあんとなんとく日本を旅立った。
時計は日本時間の8時15分。
外は明るい、ヨーロッパは昼下がりだ。
結局両親には知らせなまま来てしまった。もう葉書がついているだろう。電話をとおしても伝わってくる実家の雰囲気は殺伐としているようだ。
胸が痛む。両親に対してなにもしてあげられないわたし、自分のことしか考えられな状況から抜け出せない。
ひとりで暮らしているのだからもちろん現実的なことがいっぱいまとわりついているのだが、いつも現実とはひとつ次元がちがう、夢と交錯した世界にいるような気がする。

一昨日だったか突然〇〇ちゃんからTELがあった。高校(女子高)の同窓パーティーの話だっがもちろんいけやしない。たちまち現実だった。☆☆さんも含め、明らかに彼女たちとはすっかり世界を違うことを痛感。いやもともと違ってはいたのだろうが、彼女らは結婚して子どもを生み、わたしは上京してひとり暮らし、女性にとっては境目であった年齢で、くっきりと道が分かれしまった。それでわたしがキャリアを積んでいれば様になるのだが、いっこうに中途半端な状態から抜け出せないのだから、格好悪い話だ。
でもひとりもいいもんだなと思うこともこの頃ある。目にはみえないがプラスになったと思われることはたくさんある。彼女らにとっては当たり前だった話がわたしには当たり前でなかった。つまり結婚云々なのだが、結婚云々を話さなくても人と話ができるのが嬉しくて、わたしには自然なことだ。
2〇歳と2カ月、いけないのかもしれない、このままでは-。
自問自答の日々は続く。
いや、人それぞれの生き方がある。
今いちばん気持ちが向いている方向に歩いていけばいいじゃないか。
書きたいことをいつ書けるのかわからない。本を読むだけでもずいぶんと時間がかかりそうだ。さほどのものが書けるとも思えないし、だいいちあの部屋でモノが書けるのだろうか、うーん、もうちょっと進めてみよう。ほんとうに現実になることなどあり得ないことばかりを思ってしまい、あまりにもバカバカしくて我ながらあきれ、とても人になどいえやしない。
もしこの旅を無事に終えることができたら大きな自信につながるだろう。しばしせまい世界を忘れて楽しもう、楽しもう。

  日本時間、8時45分

ほんとうにひとり来てしまったロンドン。ウォー!! まわりは英語だらけ。
ここにたどり着くまでウロウロしたけど今のところなんとかなっている。
なんとなくかんたんな英語ならわかる。少しばかり嬉しい気持ち。
ここのホテルは場違いだったかな。
明日はホテル探しからだ。
起きてから考えることにしよう。
もういい加減に眠い。
なんと長い一日だったことか。
なにからなにまでわからないことだらけでやっぱり疲れているようだ。
おやすみなさい」

 ヒースロー空港に到着したあと、どうやってホテルまでたどり着いたんでしょうね、もはや記憶がよみがえってきません。自覚なかったですが、30年あまり前の自分、郷里エリアになじめないものをものすごく感じていたということでした。

 ロンドン市内、美術館の入場は無料でした。トラファルガー広場を歩いていてぶらりと入ったのはロンドン・ナショナルギャラリーでした。この頃の自分に絵の深さはわからなかったし、ほとんどなにも知りませんでした。宗教画をたくさんみた記憶がおぼろげにあります。28年の歳月を経て、先日日本で再会し、ようやく深さを感じたのでした。











ロンドンからの便り

2018年03月03日 20時08分09秒 | イギリスへの旅
 疲れが出ている土曜日、今一つ眠れないまま目がさめてしまいました。なんとか7時間近く眠れましたがもう少したっぷりゆっくり眠りたかったです。昨夜はスパで2時間近く汗と共に一週間のよどんだものを洗い流し、眠かったですがすっきり気分で、帰りたいけど帰りたくないちっそくしそうな部屋に帰ってきたらドアに管理組合の張り紙。わたしが先日上の人らしき住人に夜中間違えてドアをあけられそうになったので、部屋間違えないでください、って張り紙をしているのにたいして、「届けて以外は張り紙禁止」とデカく書かれた張り紙。ポストに入れるとかしないで見世物かさらしものみたいにドアに張るなんて相変わらずのやり方。すぐに剥がしました。管理組合の張り紙を、です。水漏れが起こっていることを知りながら金取って貸された部屋、クソ大家に家賃を払い続けるの悔しいし、ひきこもりのオッサンがすぐ近くにいるような環境、よくない、よくない。一日も早く出たい一心ですが、お金も労力も必要なこと、もう実家に戻るか、もうひとがんばりとまた引っ越すか決断できず、仕事がとにかくつらいので身動きできないまま、悶々と日々は過ぎて行きます。

 昼間はちっそくしそうになりながら断捨離、母が残した荷物の中にあった、わたしが書いた手紙や葉書と再会中。読み返してはお別れしています。家を出て2‐3年ぐらいは、精神医学の知識なんて全くなかったから当然といえば当然ですが、まだわたし母の病気がそれほどのものだとはわかっておらず、まめに手紙と葉書を書いていました。すっかり忘れていました。宛名を父と母の連名にしていた時もあれば、母だけにしていた時もあって、あれほど複雑な思いを抱いていた母に、一度遊びに来てほしいと書いている自分がいたことに驚くばかり。家を出たの平成元年。旅先から絵葉書を送っていたのは、まだまだ一人暮らしがさみしくって新しい自分に出会うこともできず、家を恋しい気持ちがわたしの中にあったからなのかな。嵐が丘の舞台を訪ねたイギリスへの旅で、ロンドンから父と母に送った葉書。1992年のことでした。

「前略
 
 Londonに来て2日目の夜です。
 今日はバッキンガム宮殿ではなかったけれど、衛兵の行進している様子をみました。
 午後は公園でのんびりとしていました。
 元気でやっています。

 1992年5月13日 London Hotel SAINT SIMEONにて たんぽぽ」

 妹とのお別れの二年前、まだ若くて愚かだったわたし、あまり思い出したくない過去の自分との出会い。愚か過ぎました。いかになんにもわかったおらず愚かだったのか、妹とのお別れによって思い知らされるまでわかっていませんでした。ほんと若かったよ。時は流れました。父も母も旅立ちました。その頃の体力とぴちぴちの肌はもうありませんが戻りたいとは思いません。

 イギリスへの旅日記、嵐が丘のことは書きました。デジタルで残しているので、いつかこの世にいる間に他の旅程もブログに書ければと思います。今は日々追われて時間がありません。

 東京スカイツリーで宝塚のイベントが始まりました。すごく行きたいですが、遠いし一人で高い所にいくのはこわいし、仕事で頭が疲れているせいかどこにいくのにチケット代が必要なのか概要が理解できないし、混むだろうから体力いるよなあ、足腰痛くなるようなあと迷い中、明後日からはまた厳しい一週間。仲間は今日出勤しているはず、『ジキルとハイド』の予約日勘違いにもう少し早く気づいていたら自分も出勤させてほしいと申し出ていたと思います。そうしないと終わりません。お金はこれ以上出ないので代休取得かな。もう一日分ぐらいは残業しているかな、完全なる善意。

 夕方からカフェで少し読めていなかったものが読めたし、帰りたいけど帰りたくない部屋に帰らなければならない土曜日の夜、残念ですが体が痛くって、部屋で休まないと足の疲れがとれません。気持ちは休まりませんが仕方ないですね。あとでなかなか整理しきれていない、宝塚大劇場に遠征したときの写真をアップできるといいなあ。部屋にいるとちっそくしそうになるから無理かな・・・。




ロンドン『オペラ座の怪人』

2014年07月15日 16時21分16秒 | イギリスへの旅
1992年5月のイギリスへの旅日記を振り返ってみると、5月14日にロンドンの劇場で『オペラ座の怪人』を観ています。朝一番で当日券を購入し、日中はピカデリーサーカスをウロウロしたあと、公園でぼんやりとした時間を過ごし、夜観劇したと記録しています。15.5£でした。舞台に一番近い席に正装した紳士・淑女の姿をみかけて、さすがロンドンだと思った記憶があります。私の席は一番安いところで、目の前に大きな柱がありました。シャンデリアが降りてくる場面は迫力があったと思います。


イギリスへ行く前に予習として劇団四季の『オペラ座の怪人』を観劇しましたが、正直あまり覚えていないので、どんな話だったのか、原作と舞台化についてインターネットで調べてみました。

アンドリュー・ロイド=ウェバー氏による舞台化
 原作者はフランスの推理小説家・ガストン・ルルー(1868~1927)。『オペラ座の怪人』は1910年に「怪奇ロマン」として刊行されました。1925年にロン・チャニーが主演した「無声映画」以来半世紀に渡り、ファントムの「醜さ」や「怪奇ぶり」が印象的な映画化とテレビ放映が続きます。1943年に公開され、第16回アカデミー賞を2部門受賞した映画『オペラの怪人』は、ファントムをクリスティーヌの「実の父親」と設定するなど、原作とはかなりかけ離れた内容になっています。
 
 そんなこれまでの作風とは一線を画し、『オペラ座の怪人』を「究極のラブストーリー」として世界的に大ヒットさせたのが、「現代のモーツアルト」とも称される作曲家、アンドリュー・ロイド=ウェバー氏です。「ブックフェアで50セントだった」と後に話されている「原作本」との出会い。その後2年をかけて自ら手がけた美しい曲は全て、当時の奥様であり、有能な歌手でもあったサラ・ブライトマンさんの為に書き上げられたとも言われています。若手からベテランまで、多彩なスタッフの起用によって誕生したミュージカル『オペラ座の怪人』は、1986年10月にロンドンで開幕しました。「クリスティーヌ」にはサラ・ブライトマンさん、「怪人」には当時喜劇俳優として人気のあったマイケル・クロフォードさんがオリジナルキャストとして抜擢。今でも伝説となっている魅力的なキャストに加え、観客が一瞬も目を離すことが出来ない「ドラマティックな展開」と「大掛かりな舞台芸術」は高く評価され、名曲の数々もまた世界的な大ヒットとなりました。

宝塚歌劇団で上演された『ファントム』のプログラムからも引用してみます。

「宝塚歌劇団が『ファントム』を上演するときいて、アンドリュー・ロイド=ウエーバー版『オペラ座の怪人』を頭に思い浮かべるのは、おそらく筆者だけではないだろう。原作は、両作品ともフランスの小説家ガストン・ルルーの「オペラ座の怪人」である。1911年に出版されたこの怪奇小説は、1925年にロン・チャニー主演の映画化によって世界的な名声を博した。その後も、映画、テレビ、ミュージカルと数多くの作品がつくられている。」

 
アナウンサーのひとりごと 藤川奈々さんのブログから転用させていただきます。


【オペラ座の怪人あらすじ】

19世紀末のパリ、オペラ座の若手女優クリスティーヌは、自分の楽屋の裏から聞こえる『天使の声』の指導で歌唱力を付け頭角を現すが、オペラ座には謎の怪人が住み着いていた。


クリスティーヌの恋人ラウル子爵は天使の声の主に嫉妬し謎を解こうとするが、その主こそ『怪人』であり、オペラ座の地下に広がる広大な水路の空間に住み着いた男エリックであった。


エリックは生来の醜悪な人相に壊死した皮膚を持つ、見るもおぞましい異形の男であったが、クリスティーヌに恋をしていた。


エリックは遂にクリスティーヌをさらってオペラ座の地下深く消え、残されたラウルは警察とクリスティーヌを追ってオペラ座の地下へ潜入しエリックを捕らえる・・・



1992年日生劇場の劇団四季のキャストをインターネットで調べてみました。

1992年1月17日~4月13日:日生劇場   

ファントム   山口祐一郎・沢木順・芥川英司・青山明
クリスティーヌ 鈴木京子・花岡久子・中澤孝子
ラウル     佐野正幸・石丸幹二・岡幸次郎
カルロッタ   金井小夜子・斉藤和代・横山幸江
メグ・ジリー  青山弥生・秋本みな子
マダム・ジリー 西島美子・柴垣裕子・横山幸江
ピアンジ    蔵田雅之・石井健


山口祐一郎さん、石丸幹二さんを観たのかもしれませんが、その頃は舞台を観る目も全くもっておらず、
残念なことに何も覚えていません。

2014年3月ー4月に日生劇場で上演された『ラブ・ネバー・ダイ』は、『オペラ座の怪人』から十年後という設定でした。


ロンドン『オペラ座の怪人』のプログラムの表紙です。



キャスト一覧表




ファントム役の俳優さん




クリスティーヌ役の女優さん




ラウル役の俳優さん




アンドリュー・ロイド=ウエーバーさん