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たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

グループワーク資料-人間関係を理解する視点

2025年02月17日 12時00分23秒 | グリーフケア

2004年7月16日(金)グループワーク資料-人間関係を理解する視点

 

TCS笈田育子

 

1.プロセスとコンテンツ

 

私たちは日常生活の中で家族、友達、学校、地域、職場など様々な人間関係をおもっている。その関係はグループとして捉えられる。グループの関係(相互作用)を吟味する視点として以下の二つの側面がある。

 

コンテント・・・グループの中での話題、仕事や作業等のないようてきな側面

 

プロセス・・・グループの中で起こっている、人と人との関係的過程

       メンバー一人一人の気持ちの問題

       グループ内のコミュニケーションのあり方や意思決定の問題

 

2.どのようにプロセスを理解するか?

 

プロセスを理解するための観察可能なデータは、五感を通して得ることができる

              ↓

         より具体的な情報(誰が、どのように)

 

データを収集する3つの視点

①コミュニケーション・・・誰がよく話したか?

  話した回数・時間は?

 誰が誰を支持した? きき合っていたか?

 

②意思決定・・・決めるのに要した時間は? 誰が決めたか? 1,2人の決定、

  多数決、合意など

 

③雰囲気に関するデーター・・・不安、緊張、自由さ、ぎしゅうせい

 

観察者として状況を的確に捉える目を養うことと同時に、積極的にその状況に働きかけていく参加者になることといえる。(関与しながらの観察 サリバン)

 

体験的学習の学習法である。 


来談者中心療法③④-講義メモ(2)

2025年02月11日 14時44分16秒 | グリーフケア

来談者中心療法③④-講義メモ(1)

2004年7月10日(金)来談者中心療法③④-講義メモ(2)

諸富祥彦

ロジャーズのアプローチ

ロジャーズの少年時代-23頁・25頁・26頁・27頁

 ・アメリカで生まれ育った開拓民

 (当時の心理学者はヨーロッパからの移民が多かった。ユダヤ人であるためナチスの迫害を逃れてアメリカへわたる)

 ・6人兄弟の5番目。親からの愛情がうすい。真ん中の兄弟の生きにくさを体験。

 ・秀才だが友達は少なく、ひとりでボーっとしていることが多かった。空想癖。

  ボーっとしている→この資質が大きい。

 ・病弱

 ・女性恐怖症のところが少しある。お母さんがこわかった。

 ・「ぼんやり教授」とあだ名をつけられる。

 ・兄弟からいじめられて内にとじこもる。問題児だった、

 ・お父さんが仕事に連れて歩いた。

  「巧妙で愛に満ちた支配」(28頁)の家庭環境。

  いちばんわかりにくく、反抗しにくい。もっとも苦しい。日本の家庭にもよくある症例。

  ・ロジャーズ家は原理主義的キリスト教家で有名だった。

   ガチガチのキリスト教

 ①選民思想-神に選ばれた者にふさわしい生き方をしなければならない。

  社交禁止。

 ②原罪思想-人間はボロ布のような存在である、という自己否定的な考え

 方。

 すべては労働によっていやされる。

 

 ガを食うのが趣味。徹底的にはまった。

 

 220頁-ロジャーズがセラピィについて述べた言葉

「私は自分がグループのファシリテーターやセラピストとしてベストの状態にある時、そこにこれまで論じてきたのは別の、もう一つの特質があることを発見しました。私が自らのうちなる直観的な自己の最も近くにいる時、私が自らの未知なるものに触れている時、そして私がクライエントとの関係において幾分か変性意識状態にある時、その時私がするどんなことでも癒しに満ちているように思えるのです。その時、ただ私がそこにいることが人を解放し、援助します。この経験を強めるために私ができることは何もありません。けれど私がリラックスして私の超越的な核に近づくことができる時、私は奇妙かつ衝動的な下かで振る舞うことができるのです。合理的に正当化することのできない仕方、私の思索過程とはまったく関係のない仕方で、そしてこの奇妙なふるまいは、後になって正しかったのだとわかります。その時、私の内なる魂が外に届き、他者のうちなる魂に触れたように思えるのです。私たちの関係はそれ自体を超えてより大きなものの一部となります。

深い成長と癒しとエネルギーとがそこにあるのです。

(Rogers、1986年)

 

38頁-学会出席のためアメリカから中国へ旅をする(往復半年間)。

 ・ロジャーズの人生を大きく変える。

 ・いろんな人と出会って「イエスは神にもっとも近い人間」だったことに気づく。

 ・親からの自立を果すことができた。当時はEメールもなかったので親との連絡にも時間がかかったのだよかった。

 ・親から反対されることを全てやった。学生結婚、親の大嫌いな神学校に転校する。

 

児童相談所を開設、この時の経験からアプローチがつくられていく。

いろんなケースと出会えるので勉強になる。①と②の折衷のようなことをやっていた。

 

59頁のエピソード-ポイント

第一ステージ(1940年代)「非指示療法時代」青年期の自立

 カウンセリングが進む方向はクライエントの内側からでてくる。

 プロセスに従うということが大切であることに気づく。

 クライエントの内側の展開のプロセスに寄り添っていくのがカウンセラーの役割→ここを中心におくからクライエント中心療法。

 

 クライエントから軌道修正することがある。

 そこに寄り添っていけるかどうか。

 

 ミネソタ大学の指示的アプローチを行っていた先生の前で自分のアプローチを発表する。ここからロジャーズの人生が始まる。

 

 70頁-問題解決のためではなく個人の成長をうながすのがカウンセリングである。過去よりも現在、今ここで、を強調する。感情を大切にする。

 

 1940年代、自己成長へとカウンセリングの流れは傾いた。

 『カウンセリングとサイコセラピィ』(今年翻訳がでる)

 ・カウンセリングの目的を変えた。

 ・密室のカウンセリングをオープンにした。記録を本にのせた。

 ・「クライエント」ということばをひろめた。自発的という位置付。

 ・カウンセリングを研究の対象とした。

 

243頁-ロジャーズの面接記録

 自分の実感したものをエッセンスとしてクライエントに帰している。

 

心理学と戦争は深い関係がある。復員兵との面接記録。

 

日本ではロジャーズの技法が紹介された。

 ①場面構成-ここはこういう場ですよ、と紹介する。カウンセリングの場とはどういう場か紹介するのは重要なこと。

 ②かんたんな受容-相づち、大げさなぐらいにうなづく、相手より少しゆっくりなぐらいのペースがいい。少し低音。

 ③リフレクションズ(反射伝え返し)-クライエントが心をこめて使った言葉を心をこめて返す。

 

第二ステージ-1950年代『クライエント中心療法時代』

非指示、さらに自分を消し去る態度だけを言う。

(技術は言わなくなった)受容と共感

 

246頁-相手の役に立つために自分の個人的世界を排除する。相手の鏡になる。カウンセラーの人間性を消し去る。

「無人格」インパーソナリティ

一方通行的な関係(相互交流ではない)

 

ロジャーズがカウンセリングの典型的なあり方を示した時代。

「脱人格化」をきわめた。

カウンセラーが自分を深めていく。体験的学習。自分をどれだけ掘り下げていくか。

 

162頁-クライエントが自分の世界に没頭できるような世界をつくりあげていく。自分の心の声がきこえるようになる。

 自分の中にある他者をカウンセラーがあずかってくれることで、自分の心の世界を深めていくことができる。

 カウンセラーとクライエントが共感できることによってクライエントは本当の意味で一人になる。

 話をきいてくれる、わかってくれていると感じることで、さらに深い自分の世界に入っていく。

 

83頁-「中年期の危機」がやってくる。

全盛期の直後、廃業寸前まで追い込まれた。

ロジャーズは自己否定が強かった。自分が嫌いだった。

  ↓

部下のカウンセリングを受けたことでロジャーズはさらに深い自己受容が

できるようになった。

 


来談者中心療法③④-講義メモ(1)

2025年02月08日 00時57分43秒 | グリーフケア

 

来談者中心療法①②-講義メモ

 

2004年7月10日(金)来談者中心療法③④-講義メモ(1)

諸富祥彦

第3ステージ『パーソンセンタード時代』(自己実現論)

「中年期の危機」を克服して、身体レベルで感じていることと頭の中の概念が一致する(自覚する、自分の中にあるリアルなものを認める)。カウンセラーは心を無にしながら、身体レベルで今ここで感じていることを伝えていく。(91頁)

 

人間性回復運動;human potential movement

 

エンカウンターグループに没頭していく-109頁。

ファシリテーターが対等なメンバーになれるのがいいグループ。

メンバー同士が語り合うことによって人間力がきたえられる。

人と関わる基礎能力を養っていく。

 

ロジャーズ自身がはじめて自分を好きになれたことで、人間として自分の気持ちを表現するスタイルに変化していった。一回自分の世界を消し去り、伝えるべきことは伝える。自己開示。

249頁-私はあなたに関心があること、あなたのことを気にかけていること、あなたの世界を少しでも理解できたらと願っている。私がここにいるということを一生懸命クライエントに伝えようとする。セラピストが「ただ十分にそこにいることが相手を癒していく」ことに気づく。同情と共感は違う。

 

アメリカ、モントレー湖の近く(サンフランシスコ)

E Salen Institate(ワークショップのメッカ)

 

 

第4ステージ『スペシャリティの時代』

身内との関係が70代になって悪化。

70代になってはじめて恋をした。

 ↓

人間を超えた霊的な世界を希求し始める-128頁。

 

220頁-ロジャーズが最後にたどり着いた境地。心には二つの次元がある。心理学的な次元と霊的な次元、霊的な次元は変性意識状態、夢うつつの状態。

 

ユーマワーク:昏睡状態の人と対話を行う。

 

最後に国際平和運動に取り組む。

ロジャーズの人生そのものが自己実現のプロセス。

自らの危機をのりこえることでカウンセリングも変わっていく。その人がより自分らしくなっていくのをサポートするのがカウンセリング。

 

トーマス・ムーア

 スピリチュアル:上にのぼっていくようなキラキラと美しい感じ。

 魂:下に深くもぐっていく感じ。

 

ベーシックエンカウンターグループの目的

  • 他者理解
  • 自分の気持ちを語る
  • フィードバック

 

他者とふれ合うことで自己理解が深まる。

 

165頁-ロジャーズの人間観ー人間ジャガイモ論「実現傾向」-<いのち>への信頼

この世におけるすべての<いのち>あるものは、本来、自らに与えられた<いのちの働き>を発揮して、よりよく強く生きるように定められている。例えば、小さな窓しかない2メートルもの地下室の貯蔵庫に入れられたジャガイモは、それでも窓からもれる薄日に届こうと60cmも90cmも延びていく。

人間もジャガイモも条件さえ整えば自らの<いのち>をよりよく生きる方向へ向かうよう6つの条件(どの療法にも必要なこと)。

(1)「受容」もしくは「無条件の肯定的配属」

 どの部分も否定しない、選択しない

 どの部分にも積極的に「あるね」と存在を認めていく。

 丸をつけるわけではない。

 どの気持ちも等しく認めていく。

  ↓

 クライエントの中に自分の中のいろんな部分を認める心が育まれていく。

 「内なるセラピスト」

 

(2)共感的理解

225頁-こちらの理解をたしかめていく。

一般に「感情の反射」と呼ばれている技法の内実は、クライエントの体験世界の「鎖」になることであり、相手の内的世界についての自分の理解や受取りを確かめていくことである。

 

(3)自己一致

相手の話をききながらカウンセラーの中に出てくるものを全部認める。あるものをあると認める。これをクライエントにも自分自身にも行う。

クライエント中心療法の中心エッセンス、自己受容、全てを認める。

上記の3つの条件は出発点であり、ゴールである。カウンセラーが道徳的になって自分を追い込むとそれはクライエントに伝わる。

『インターティブフォーカシング』

自分を無にして先ず相手を理解する


来談者中心療法①②-講義メモ

2025年01月29日 11時35分44秒 | グリーフケア

2004年7月3日(金)来談者中心療法①②-講義メモ

諸富祥彦

 

自分が今何を感じているかを知ることが

カウンセラートレーニングの中で一番大事なことである。

 

精神科-統合失調症

神経科-ノイローゼ・うつ病

心療内科-身体症状が出ている場合

  薬を出せる

臨床心理士

カウンセラー

産業カウンセラー-企業につとめている人のカウンセラー

健康心理士-行動療法系、呼吸法、リラクゼーション

学校心理士-LD(発達障害)の専門知識をもつ

  薬を出せない

 

精神科と臨床心理士との境界はあいまい

病院に臨床心理士がいるところがGood、連携がきちんとできている。

 

症候群-全て身体に現れた症状で説明している。

心身症-身体とも心ともつかない病、

ノイローゼ=神経症=外からみればまともだが自分ではくよくよ悩んでいる。気になりすぎて生活できなくなる。(気になる程度のもんだい)

統合失調症-本人はまともだと思っているが、まわりからみればおかしい。幻覚、幻聴。

 ノイローゼと統合失調症のちがいを先ず知る。

うつ病-内性的、まじめは人はなりやすい

・うつうつとする。

・夜眠れない、睡眠障害を伴う。

・慢性的に胃薬を飲んでいる。

  生活に支障が出る場合は医者を紹介する。

カウンセラーになった時、どんな病気が見きわめることが必要になってくる。

医者の耳情報は大切。地域のネットワークが重要。この医者は薬を出すとか出さないとか、医者の特徴と傾向を知っておくことが大切。

子育ての経験がないからといって子供の気持ちがわからないということではない。

同じ経験をもっているとカウンセラーが自分の経験をダブらせすぎてしまう場合もある。

「負け犬」など女性のシングルは話題になるからいい。男性のシングルはもっと深刻。

アタマで考えてしまう、というのも身体の感じのひとつ。自分の中から何がでてきても認めるのがフォーカシング。カウンセリングの重要なプロセスのひとつ。

 

境界性-まわりの人をすごく振り回す(対人関係のもんだい)。人間関係がとれない。0か100か。

かい離-とりつかれたような状態、霊的。

 

不登校の子供がいる

・子供に直接面会する-カウンセリング

・学校の先生を通して子供に働きかける-コンサルテーション

 

カウンセリング

 自分で答えをみつける。

 自分で自分を見つめる方法をアドバイスする。

 自分の声をきいていく。(自分との対話を進めていく)これを助ける。

 内性カウンセリング(ロジャーズ、ユング、フォーカシング)

 

 自分との距離が近すぎる場合は自分を忘れた方がいい。

 作業に取り組む(森田療法)。

 

 自己決定のプロセスにはカウンセラーの責任がある。

 

中心になる3つの方法

①過去から解放するアプローチ、精神分析-自分の悩みから理論をつくった。幼少期の家族関係に切り込んだ。

②練習するアプローチ、行動療法、認知行動療法、論理療法

③気づきと学びのアプローチ、人間制/トランスパーソナル心理学、来談者中心療法

 

これらの間に交流分析、ユング、ブリーフィングセラピー(短期療法)がある。

①過去から解放するアプローチ-心的外傷(トラウマ)故に子供は悩み続ける。

・アダルトチルドレン-子供の頃の心の傷をひきずっている人。

 「母から愛されなかった」という悩みを抱える人は多い。

・対象関係論(日本で今人気)

  幼少期の母子関係に焦点をあてる。

・産道体験(オットーランク)

  その後の人生を左右する。つらい体験

・フロイト

  精神力動論・深層心理学

 

②練習するアプローチ-行動療法-現在の行動に注目する

 オペラント心理学

課題をつくって練習させていく。

  ↓

練習の結果をきく。

  ↓

難しい課題にしていく。

 

認知行動療法-思考のパターンを変えていくアプローチ。

 

③気づきと学びのアプローチ-もんだいや悩みに対するかまえが①②と大きく異なる。

自己成長アプローチ

もんだいを人生の大切な一部と考える。

その人が成長するうえで必要なもの。

解決すべきものとは考えない。

気づくべきことに気づかせてくれるもの。

悩みを通して成長していくのを助けるアプローチ。

全ての出来事には意味がある。

問題を通して自分に気づいていく。

自分が成長していく。

実存論・現象学・人間学的アプローチともいう。

どれかひとつ自分がのめり込む方法をひとつ見つけること。

補助的に他のものを学ぶ。

クライエントがセラピストをえらぶ時代。

 

その人のアプローチはその人の人生がたどりついたもの。


フォーカシング

2025年01月27日 12時59分39秒 | グリーフケア

まっすぐに伸びる木

『カール・ロジャーズ入門-自分が”自分”になるということ』より-「フォーカシング」

 

2004年6月25日(金)フォーカシング

  1. はじめに

 私たちは日頃、困ったことや気になること(人)があったとき、そこからなんとか抜け出そうとしていろいろなことをします。どうしてこうなっているのか(原因)、どうしたらいいのか(方法)を自分なりに一生懸命考えます。答えを見つけだそうとして何冊も本を読んで調べたり(知識)、ほかの人に相談してアドバイスをもらったりします。

 しかし、”こうだから悪いんだ!”、”こうすべきだんだ”と頭ではわかっても、どうも、どうにもすっきりしない、解決しない、実際は何も変わらないという経験をたくさんしてきているのではないでしょうか。つまり頭ではわかっても、腑に落ちていないのです。

 では、腑に落ちるとはどういうことでしょうか?

 

  1. フォーカシングとは?

 私たちはからだの内面の感じに注意を向けてみることによって、普段見過ごされてしまいそうな、かすかで漠然としているけれども、確かに感じられている”ある感じ”[いのちの働き]に出会うことができます。

 この”意味ある豊かな感じ”<フェルトセンス>に触れつづけていくことで、感じにぴったりしたイメージなり、言葉が浮かび「ああっ、そうか」という気づきが起こり、からだが解放されます<フェルトシフト>。このような体験のプロセスが<フォーカシング>なのです。まさに、腑に落ちるのです。その鍵は、自分自身の内なるフェルトセンスにあるのです。

 フォーカシングの創始者であるジェンドリンは(心理療法家であり哲学者でもあります)、科学的リサーチによって、「心理療法で成功したクライエントは、ひとつの変化過程の源泉が、問題に対する”からだの感じ”のなかにあることを自分自身で見つけている」ということを明らかにしました。彼は、「人は、過去の出来事によって現在を決定されて生きているのではない」という実存主義に立って臨床研究を続けてきました。

 人のからだは常に、過去のすべての体験を含みつつ、未来に対しては、よりその人らしい生の方向性を含みながら、今を生きているのです。

 フォーカシングは、ゆっくり、静かに自分自身のフェルトセンスに耳を傾けていくことからはじまります。

 

  1. フォーカシングを行う際の留意点

 フォーカシングは、知的な操作ではなく、からだに注意を向けて『からだに聴く』プロセスです。そのために、日常の心のありようとは違った注意が必要です。

  • リラックスして、ゆったり安心できる場で行う。
  • 自分のからだに対して、やさしく親しみをもって問いかける。
  • からだに感じられたこと、からだから浮んでくるイメージやことばを、そのまま大切にじっくりと味わう。
  • どんなものが出てきても、知識や考えでそれを評価したり、判断したりせずに、素直に受けとる。
  • 嫌な、とか、恐いイメージが出てきたとしても、深い呼吸をして、からだをゆるめ、その漢字やイメージに安心な距離をおいて、それに触れ続けてみる。
  • 無理せず、自分のペースで行う(リスナーに遠慮しない)。

 

 フォーカシングで出てきたイメージや言葉は、日頃、頭で考えていることと、かけ離れていたり、意味がよくわからなかったりすることがあり、そのまま素直に受け取りにくいことがあります。

 しかし、からだは多くのことを知っています。出てきたものは豊かで意味深く、大切なものが含まれているのです。やさしく、素直に受け取っていきましょう。

 フォーカシングのプロセスは、限りなく生まれ、つながっていく大小の鎖の輪に喩えられるように、ひとつのステップは次のステップのはじまりです。ひとつのシフト(からだの感じが変わること、からだで納得できる体験、からだのひらけ)が起きたあと、また新たなフェルトセンスを感じるものです。これは次のプロセスがすでに始まっていることなので、安心してその感じに触れていきましょう。

 リスナーになる場合は、フォーカサーのプロセスを大事にしながら、自分自身のフェルトセンスに触れ続けます。リラックスして、ゆったりと傍にいること、そしてフォーカサーが感じていることを、自分も感じてみようとしながら、フォーカサーが言葉にした『感じ』を、返していくことで、フォーカサーがその感じをもっとしっかり感じられるように、援助します。フォーカシングは、一人でもできますが、リスナーがいてくれることで、より安心し、集中してからだの感じに触れ続けることができる場合が多いのです。

 

 

2004年6月25日(金)フォーカシング資料-リスナーの言葉かけ

 

リスナーは自分も、からだで言葉を味わいながら、声をかけましょう。

  • フォーカシングするテーマを選んでもらう言葉かけ

 次の3つの中から、今、一番入りやすいものを選んでください。

  1. 今のからだの感じは、どんな感じかな?
  2. このごろの私は、どんな感じで生きているのかな?
  3. 気にかかっている人、気にかかっている事について、からだはどんな感じかな?

 選んだら、知らせてください。

 

  • からだをリラックスさせて、からだの声を聴いていく言葉かけ

 軽く目を閉じて、ゆったりと座ってください。深くゆっくり呼吸をしながら、吐く息といっしょにからだの力を抜いていきましょう。

 頭、目、頬、首の力を抜いて、肩から腕の力も抜いていきましょう。上半身から力を抜いて、腰は楽にして、足の力も抜きましょう。

 今の感じを味わいながら、しばらくその感じに浸ってみましょう。

 

  • 選んだテーマについて、からだの声を聴いてもらう言葉かけ

 <フォーカサーが選んだテーマをゆっくり声に出す>自分のからだに静かに問いかけてみて、感じてみましょう。

 かすかな、ぼんやりした感じが感じられてきたら、ゆっくり味わって、その中からイメージや言葉が浮かんでくるのを待ってみましょう。

 それから、言葉に出してみましょう。

 今、からだはどんな感じですか?

リスナーは、フォーカサーの感じを共に味わい、しっかり実感しながら、フォーカサーの歩みを大事にして、ついていきましょう。

 

*************

フォーカシングのインストラクション

(体験過程に直接触れていこうとするインストラクション)

①間をつくる

 ・からだをほどく。

 ・上半身から力を抜き、ゆったりとして、おなかのあたりは、どっしりとした状態になる。

 ・静かにゆったりと楽にしてください。

 ・軽く目を閉じて、ゆっくり深い呼吸をしましょう。

 ・頭から力を抜いて、静かにゆっくりと、ぼんやりした感じで、暫くそのま まに、いてみましょう。

 

②内面に向かう

・注意を自分の内面に向け、深いところで自分がどんな感じでいるか、ゆとりをもって感じようとする。

・注意を自分の中に向けてみてください。

 例1.「この頃どんな感じで生きているのかなぁ」と問いかけて、浮かんでくるままに、いてみましょう。

 例2.「今、どんな感じを、自分の中に感じているのかな」と問いかけて、その感じのままに、いてみましょう。

 例3.「何か気にかかっていることがあるかなぁ」とやさしく問いかけて、浮かんでくるままに、いてみましょう。

 

③フェルトセンス

・何かはっきりしないが、確かに感じているその感じに注意を向け続ける。

・その全体の感じをからだで感じようとする。

・いろいろな感じや、イメージが出てきても、出てくるままに、まかせていましょう。

・漠然とした感じが、自分にひとつにまとまってくるまで、暫くそこに、いてみましょう。

・出てきたある感じを、感じ続けてみましょう。

・その全体の感じは、どんな感じかなー。

・その感じを、暫く味わっていてみましょう。

 

④その全体の感じにピッタリしたことばが出てくるのを待つ

・そのフェルトセンスから、その感じにピッタリしたことばとかイメージが出てくるのを、全身で感じを味わいながら待つ。

・確信に触れ、その質を捉えようとする。

・「その感じはどんな感じかな」と、じっくり味わいながら、ピッタリしたことばとか、イメージが、からだの中から浮んでくるのを待ってみましょう。

 

⑤共鳴させる

・出てきたことばとイメージがフェルトセンスにピッタリ合っているか全身で確かめる。

・そのことばとか、イメージが、その感じにピッタリするまで、じっくり味わってみましょう。

 

⑥フェルトシフト(からだと心が開かれる)

・シフトが起こって、からだと心が開かれる。

・その感じに十分ひたって味わう。

・そのまま、その感じにひたっていましょう。

・それで十分だなぁと思われたら、ゆっくり目をあけましょう。

 

⑦受け取る

・解放感を伴って出てきたものは、どんなものでも、そのまま素直に受け取る。

・フォーカシングの後、体験を話すことで、更にはっきり受け取ることができる。

・出てきたものは、そのまま「そうだ」と素直に受け取りましょう。

 


教育とカウンセリング③-ゲシュタルト心理学

2025年01月21日 20時47分39秒 | グリーフケア

教育とカウンセリング①②-補足

2004年6月19日(土)教育とカウンセリング③ゲシュタルト心理学-講義メモ

清水幹夫

ゲシュタルト心理学

 物事を全体的にとらえる。

 研究者がみんなユダヤ人なのでアメリカに移住し、アメリカで発達。

 ブントの実験心理学を批判するところから出版した。

 ウエルト・ハイマー-心の働きを研究する。

 私たちの心は状況によってある特定の受けとめ方をする傾向がある。

 「地と図」同じものが回りの配置によってちがってみえる。視覚の研究。

ケーラー-洞察の研究

 場の状況に応じて新しいものを瞬間的にみいだしていく。

K・レヴィン

 教育の現場で研究を行った:学校心理学。

 集団心理学・社会心理学。

 ゲシュタルトの考え方をカウンセリングに応用し、ゲシュタルト的カウンセリングへと発展させたのは、F・バールズ(精神科の医師)

 ゴールドシュタインの研究所(大脳の治療を行う、ドイツ)に助手として入 る。ゲシュタルトの考え方を知る。

 有機体理論-私たち人間も有機体。たとえば腕が一本なくなっても残りの部分で問題に適応していく。

 カール・ロジャーズに影響を与える。

 

ゲシュタルト心理学の特徴

・地を図にしていく。ひとつのことにこだわりをもつと人は成長していかない。その人のあらゆる部分をみていく。

・ロールプレイ

・「今ここで」を大切にする。過去は関係ない。特に身体の変化に関心を向ける。

・ホメオスティシス(生物的な維持機能)が心にもある。ホメオスティシスがくずれると不安や恐怖が生まれる→その人の統合を目指す、人格のまとまり

 

ゲシュタルト(認知):モノのとらえ方、ゲシュタルトの中の認知の考え方がアメリカで行動主義とほぼ一致していく。認知も行動のひとつ。

    ↓

認知行動療法:認知が変わると行動も変わる。

 

行動主義心理学(アメリカで発展、J・ワトソンが中心)

 ・唾液条件反射実験

 ・試行錯誤実験-試行錯誤実験-条件づけで人間をとらえていこうとする。

    ↓

  ここに欲求・関心等を加えていって研究したのが新行動主義。

 

 

 

2004年6月19日(土)教育とカウンセリング③ゲシュタルト心理学-補足

 

ゲシュタルト心理学

 特殊な還元状況下で行う内観分析を至上の方法として心的要素を求める構成心理学と連合主義に反対し、実験現象学的方法や条件発生的方法(現象間の単なる記述をこえて現象の背後にある力学過程を解明し、これにもとづいて個々の現象を理論的に説明する行き方)によって、ゲシュタルトの諸法則を発見した。それまでの分析加算的な考え方にかわる力動的な場理論を心理学の分野で確立した。その研究管理は、知覚、記憶、思考から情意行動にまで及ぶ包括的な体系であり、その後の心理学の発展に大きな影響を与えた。

 

ゲシュタルト療法

 ゲシュタルト心理学の理論にもとづき、全心身的洞察・知覚・平衡の回復をめざす心理療法。F・パールズによって創始され、一定の方法・手続が研究されてきたが、現在では夢分析・芸術療法・身体運動療法などを含め、概念、イメージ、感覚運動領域のあらゆる方法を柔軟に総合的に用いることが多い。

 

認知

 人間(あるいは広く動物)が対象や世界について知るようになること、あるいはその過程。知覚だけではなく、再認・同定・判断・推理・創造・問題解決なども含めた広い過程をさしている。

古くは知(cognition)、情(affection)、意(conation)と人間の心の過程は3分して考えられていたが、その中の一つに当る。認知の意味は主観的色彩をもち行動主義心理学では用いられていなかったが、現在は情報処理過程として見られることが多い。

  (有斐閣『心理学小辞典』)

 


カウンセリング概論②資料-児童処遇とカウンセリング

2025年01月19日 17時34分55秒 | グリーフケア

カウンセリング総論-2004年セスクカウンセリング総論②

 

2004年5月21日(金)上嶋洋一-カウンセリング概論②資料-児童処遇とカウンセリング-杉本一義『新編養護原理』93~103頁

 

 カウンセリングを学びに来ておられる若いおかあさんがおられた。児童相談所の仕事を手伝っておられるという、そのお母さんがこんなことを言われた。「私、自閉傾向のあるお子さんの所へ通っているんですけれど、ただ黙ってそばにいるだけでお金もらって、泥棒みたいな気がしてくるんです」と。

 広い意味での人間援助の実践にかかわりをもつ人に共通するのは、相手の人の幸せに、ほんの少しでもいいから自分が役立てば、という素朴な願いであろう。「泥棒みたいな気がしてくる」という言葉を通して私が感じるのも、そのお母さんの中にあるそうした願いである。何ひとつ役に立っていないのにお金だけもらっている。いわば泥棒みたいな自分-そんな自分を感じているこのお母さんの気持ちの底に、「その子どもさんのために何か役に立ちたいんだ」という素朴な願いを私は感じるのである。この願いがこのお母さんをカウンセリングに結びつけているともいえよう。養護実践とカウンセリングの結びつきも同様のものとはいえないであろうか。つまり養護実践においても、クライエント(相手の人)の役に立つ-そのための一つのアプローチとして、カウンセリングを今一度自分なりに検討してみることは有意味なことといえよう。

 

1カウンセリングの基礎

 今日では数多くのカウンセリング理論が存在し、その一つ一つが日々地道な実践を積み重ねてきている。たとえばハーバー R.A.Haeperなどは現存するカウンセリング理論として36の立場を取り出し解説しているほどである。実際にはそれをはるかに上まわる理論的立場が存在するとみてよかろう。

 しかしここで重要なのは、数多くのカウンセリングの立場に触れることもさることながら、それらに共通する因子あるいは条件を明らかにしておくことである。つまり学派を超えて存在する最重要ポイントをきっちり押さえておくということである。この共通因子を明らかにする試みとしてよく引用されるのが、フィードラーF.E.Fielderの研究である。

 彼はその研究において、精神分析、アドラー療法および非指示的方法を客観的に比較しようとした。そしてその結論として彼は次のようにいう、「関係は治療であり、治療の良さは治療関係の良さの結果である・・・」と。つまり、治療にとって重要なのは、カウンセラーがカウンセリング場面の中でどんな技法を用いるかということではない。フィードラーによれば、それはさまざまな技法を超えて共通するカウンセラーの態度であり、その態度が創り出すカウンセリング関係の良さなのであった

 この治療にとってきわめて重要な、共通因子としてのカウンセラーの態度およびカウンセリング関係の良さといったものの中味をより明確に記述しようとしたのが、アメリカのカウンセリング心理学者、カール・ロジャーズ C.R.Rogersである。

 ロジャーズのカウンセリング理論は、最初「非指示的カウンセリング」と呼ばれ、やがて「来談者中心療法」、そして最近(1974年以降)では、「クライエント(来談者)」や「セラピィ(治療)」といった言葉をも取ってしまって、「人間中心のアプローチ」という名で呼ばれたりしている。

 こうした名称の変遷にもかかわらず彼の基本的仮説として保持され続けているのに、「個人には本来自己実現への力が内在しており、その個人がある促進的な心理的風土にさらされる時には建設的な人格変容が起こってくる」という命題である。

 われわれが相手の人格変容を目的として働きかけようとする時、ともすると訓戒的・説論的態度をとりがちである。時には強迫的・威嚇的態度で接することすらある。ロジャーズの考え方からするならば、こうした態度で接することは建設的な人格変容を可能にする促進的・心理的風土を創り出さない、という。すなわち、個人に脅威を感じさせる心理的風土は、当人が自由に自分の中の肯定的・否定的経験すべてにわたって探索していくうえで、マイナスの効果しかないのである。このマイナス(つまり自由な自己探索の制限)ゆえに、人は現実の自分の中の、ある特定の経験には目を閉じたまま外界に対処していくことになる。しかしこれではその人の現実にうまく適応した対処の仕方は生まれてこない。自己理論の用語でいえば、「現実の自己(real self)」(あるいは経験(experience)」)と「観念化された自己(idealized self)」(あるいは「自己概念(self concept)」)とのズレが大きくなればなるほど、その人の行動は現実にそぐわない不適応行動になってしまうのである。

 

2カウンセラーの3つの態度条件

 ロジャーズは、自由で脅威のない安全な心理的風土こそ建設的人格変容にとって不可欠の条件であるとして重視した。そして、この条件を満たすための方法として、当初「非指示的」という方法を彼は提唱したのである。この主張は従来の指示的心理療法や教育にとって非常にラジカルな提言であったといえよう。なぜなら、彼の提言を極端にいえば、「教えるから変わるものではない、教えようとしないから変わるのだ」と主張するものだからである。

 しかし、ただ単に「教えようとしなければ変わる」というものではない。彼は自由で脅威のない心理的風土を創りあげるカウンセラーの態度として、次の3つの条件を提示した。

  • 無条件の積極的関心
  • 自己一致あるいは純粋さ
  • 共感的理解

以上がそれである。

 

(1)「無条件の積極的関心」

 第一の条件、すなわち「無条件の積極的関心」についてロジャーズは次のようにいう。「(この)条件は、私がその人を受容し、好きになれば好きになるほど、彼が役だてることのできる関係を生みだすことができるということである。受容とは、無条件に、価値ある人間-すなわち彼の条件、行動、感情がどのようなものであれ、ひとりの価値ある人間-として、その人に暖かい配慮をもつということである」と。つまり、一人の人間として好まれ、重じられているということが、援助的関係の重要な要素なのである。

 ここで注意しておくべき点は、この積極的な関心の無条件性である。カウンセラーの積極的関心という態度から無条件性が抜け落ちてしまう時、その態度は容易にカウンセラーの選択的・評価的態度に墜してしまう。つまりカウンセラーが「善い」と判断するものにだけ、積極的関心を向けるということになる。あるいは、「こういう点は長い。しかし、こういう点は悪い」というように、クライエントの「悪い」側面、ネガティヴな側面を受容できないカウンセラーになってしまうのである。

 カウンセラーが選択的・評価的にクライエントと接する時、クライエントの真の変容は生じない。なぜなら、「こんなことを言ったら、カウンセラーに受容してもらえない」と言う」脅威が、クライエントの内面の奥深いところに覆い隠されているものの、自由な探求と経験を阻むからである。さらにまた、この選択的・評価的態度は、カウンセラーにとって都合のよい人間にクライエントをしたてあげる強引な「操作」につながりかねない。しかし、カウンセラーが目的とするのは、そうしたクライエントの「操作」ではない。それは、善悪を超えてクライエントが「自分自身の感情をもち、自分自身の体験をもつように許すこと」なのである。カウンセラーによる「無条件の積極的関心」はそうした自由な文脈を提供するものといえよう。

 

(2)「自己一致」

 第二の条件は、カウンセラーの「自己一致」といわれている。これは、カウンセラーの表出したことと、その時のカウンセラー自身の感じていることや忌っていることとの間にズレがないということである。

 「一致」していない例をあげるとわかりやすいかもしれない。たとえば、夜、友だちが下宿にやってきたとしよう。心の中では「明日のレポートもあるし、忙しいのに・・・」と思いながら、実際には「よく来たなあ」と言ってしまうような場合などがこれにあたるといえよう。

 カウンセラーが、その時の自分の心の中で起こっている感情とは裏腹に、先の例のような応答を繰り返し続けるとするならば、カウンセラーとクライエントの関係はうわべだけのやりとりを終らざるをえない。うわべだけのやりとりとは、形式的・機械的やりとりに他ならない。われわれが自らの日常経験を振り返ってみる時、そうした形式的・機械的やりとりしかしない人を前にして、われわれはあまり深く自分自身を表そうとはしていないのに気づく。同様にカウンセラーが、「専門家らしさという仮面(プロフェッショナリズム)」の影に隠れ、技法の単なる形式的・機械的適用に終始するならば、おそらくカウンセラーとクライエントの深い心の交流は生まれないのである。つまり、カウンセラーの「自己一致」という条件は、カウンセラーがクライエントに対し、技法を形成的・機械的に適用するのを回避させ、一人の人間としてクライエントにかかわる事を要請するものなのである。

「自己一致」にはもう一つの意味がある。この「自己一致」をジェラードS.Jourardの用語でいいかえるならば、「透明なる自己(Transparent Self)」である。つまり外部から人の心の中まで見通せるということである。噓がない、といってもよい。カウンセラーがそうした「透明なる自己」となることによって、クライエントはカウンセラーの腹を探る必要がなくなる。その時クライエントはカウンセラーの言葉を、カウンセラー自身の率直な表明としてそのまま受け取れる安心感を獲得するのである。

 

(3)「共感的理解」

 第三の条件としての「共感的理解」をロジャーズは次のように規定する。すなわち、「共感的理解」とは「クライエントの私的な世界を、あたかも自分自身のものであるかのように感じとり、しかもこの“あたかも・・・のように”(asif)という性格を失わない“」ような理解であると。

 ここでロジャーズがなぜ”あたかも・・・のように”という限定を「共感的理解」に付け加えているのか、という疑問がわく。”あたかも・・・のように”ではなく、まさに人の痛みをわが身の痛みとして感じるウことこそ「共感的理解」なのではないかと。

 この点について次のようなことが考えられよう。”あたかも・・・のように”ということが、なぜ必要か、それは、第一に、いかに共感といえども完全に相手そのものになりきる、あるいはなりかわることはできないという事実を明確にしておくためである。相手との完全な一体化は、あくまで幻想ないし錯覚にすぎない、幻想はどこまでいっても満たされず、またその幻想の破綻はより深い心の傷をつくりだすだけなのである。第二として次のようにもいえる。すなわち、相手との完全な一体化は(仮にそれが可能だとして)、カウンセラー自身をきわめて深刻な心理的に不安定な状態におくことになる。それゆえカウンセラー自身の心理的安定を確保するための行為が、相手の訴えに真剣に耳を傾けるという行為に取って替わってしまうのである。また、一方でクライエントはカウンセラーの不安を見て、ますまず自らの不安を大きくしてしまうのである。

 

3共感的理解の4つのポイント

 以下、ロジャーズを手がかりにしながら、「共感的」にかかわるとはどういうことであるのかについて、もう少し詳しく検討してみたい。およそポイントは4つである。

 その1、「共感的理解」は診断や評価、批判、審判を目的として行われる理解ではないということである。われわれはとかくさまざまな目的や、「教育的」」ないし、「そう治療的」意図をもって理解しようとしがちである。そのこと自体を悪意をもって非難することはできないかもしれない。しかし実際には、カウンセラーがそうした意図をもってしまうとうまくいかないということが多いのである。つまり「共感的理解」においては、”なおそうとするな、わかろうとせよ”ということが重要な態度となってくる。”わかろうとせよ”といっても、それは相手の人が「表現しよう、伝えよう」と努力しているものを理解することであって、閉ざされた相手の人の心を無理やりこじあけるようにして理解することではない。「伝えたくない、触れられたくない」という相手の人の気持ちに「共感」しているとはいえないからである。

 その2、「共感的理解」は相手の人の内部的準拠枠を知覚し、その枠から相手の人の世界をながめ、体験することである。

 私と相手の人は別の人であるゆえに、完全な一体化は不可能である。しかし、近似的に近づいていくことは可能であろう。そもそも相互理解を求めてのコミュニケーションとは、異質な2人が近似的に近づいていくことは可能であろう。そもそも相互理解を求めてのコミュニケーションとは、異質な2人が近似的に近づき、近似的に体験を共有していくプロセスだったはずである。

 体験を共有していくためには、まず一旦自分の準拠枠を取り払って、相手の人の準拠枠から世界を見る努力が必要になる。「変なことばかり言うやつだ」と思ったら(つまり自分の準拠枠からの知覚)、「どういうふうに考えればその人のように世界が見えてくるのか」を考え(つまり自己の準拠枠を一旦はずし、相手の人の内部的準拠枠を知ろうと努める)、そしてその時の相手の人の気持ちを第三者に通訳できるくらいわかろうと努力することが必要なのである。さらに体験を共有するためには、相手の人の準拠枠を知るという知的認識だけでなく、そこでの相手の人の気持ちを感ずるという情緒的側面も含まれていなければならない。

 相手の人の気持ちを感ずるという場合、自分の中に相手の体験に近いものがあるほど、それは容易なものとなろう。その意味でカウンセラー自身が豊かな感情生活を送り、体験の幅を広げておくことが望まれる。つまり、自ら喜びを知らぬ者が他者の喜びを知ろうはずもなく、自ら悲しみを知らぬ者が他者の悲しみの何たるかを知るべくもないからである。

 その3、「共感的理解」は相手の人との交流の中で、カウンセラーの側の「理解」および「理解しようとする態度」が相手の人に伝達されなければならない。つまり、カウンセラーの側にいくら有益な理解が生じたとしても、当の本人にそれが伝達されなければわかってくれた!」という確信をもてないからである。「共感的理解」が建設的人格変容に寄与する心理的風土を創るかどうかは、ひとえに伝達のいかんによっているといえよう。

 正確な「共感的理解」の伝達は、相手の人に自分が孤独でないことを確信させる。そして共感的に「理解しようとする意図・態度」の伝達は、その人の気持ちや話、ひいてはその人の存在そのものを「価値あるものだと考えていますよ」と伝達していることになろう。

 一般に「共感的理解」というと、その正確さの面にばかり注意が向きがちである。しかし、そうした正確な「共感的理解」への努力もさることながら、「理解しようとする態度」を伝達することの重要性を今一度確認しておくべきである。つまり、両者の体験の間には隔たりがあるのだけれど、その隔たりゆえに、その違う体験を感じ合おうとするカウンセラーの姿勢の伝達が、「共感的理解」を援助的にするかどうかの鍵を握っているのである。

 最後に、「共感的理解」はカウンセラーの主張、考えを相手に納得させるための懐柔策ではない、ということを付け加えておこう。

「おまえの言うのもよくわかる、しかしなあ・・・」-これは多くの大人たちのよくやく「共感的理解(?)」といえるかもしれない。大人は変わらず、子どもだけ変えようというわけであろうか。たしかに大人は子どもに比べて経験も豊富であろうし、そこから導き出された英知も比べものにならないほど深いかもしれない。しかし、それゆえに大人の経験や英知に基づいて子どもを評価し、その評価を子どもに押しつけてしまいがちなのである。

 ロジャーズはより良き人間関係を創造していくうえで、その主要な障害について次のようにいう。それは「他人や他のグループの述べることを判定したり、評価したり、是認したり、不賛成であったりするような、われわれにとってごくあたり前な傾向である」と。

 われわれはともすると評価せずにはおれない。評価せずに、相手のいうことに真剣に耳を傾け、相手の人のやり方で人生を見直すことは、ひょっとして自分の方が変わるのではないかという不安を呼び起こすからである。しかし、こちらは永久に変わらず、相手の人だけを変えようとすることから「出会い」というものは生まれない。

「出会い」は本来、冒険を含んでいる。そして「共感的理解」がかうの条件として含まれる時、そこにはかう側の変化というカウンセラーにとっての冒険も含まれていなければならないのである。

 

4人間理解の難しさ

 以上、ロジャーズの考え方を手がかりにしながら、カウンセラーの基本的態度について解説してきた。しかし、この解説を通して私が伝えようとしたものは、「このようにすれば相手の人をより良く理解できますよ」という方法論ではなく、むしろそれは人間を理解するということの難しさであり、安易にわかったつもりになってしまうことへの自戒であったといえるかもしれない。

 人間援助の実践にとって人間の理解は不可欠である。しかしそこでの人間関係とは、生きた人間存在をわずかな言葉に要約・還元し、「わかったつもり」になることではない。堀智晴は次のようにいう。「周りの世界へ好奇心の触手をのばして息づいている存在を目のあたりにみれば、容易にわずかのことばでもってその子どもを語ることはできるはずがない」と。

 今日ではより妥当な人間の理解を求めてさまざまなテストや科学的手法が開発されてきている。しかし、そうした科学的手法もわれわれがそれを絶対視する時、きわめて非科学的なドグマに変質してしまう。一般意味論の学者として著名なハヤカワ S.I.Hayakawaは、「科学的」考え方の中心にあるものとして3つの特質を挙げ、その3番目として次のようにいう。それは「どの物にも未だ未知のところが常に残っているという認識を内に持っていること、その結果いつでも他人の話に耳を傾けることができること」であると。そしてこのことはカウンセリングにおいても同様である。つまり、目の前にいるこの人について知らないところ、わからないところがいっぱいあると思うからこそ、その人に触れ、その人の話に真剣に耳を傾けようとするのである。逆に「この人の訴えは結局・・・にすぎない」とか「この人は・・・なのだ」という”きめつけ”をする時、それ以上のことは理解しようもなく、またその言葉にこめられた深い意味や気持ちを感ずることもできなくなってしまうのである。


教育とカウンセリング①②-補足

2025年01月14日 19時41分26秒 | グリーフケア

教育とカウンセリング①②講義メモ

2004年6月12日(土)教育とカウンセリング①②-補足

 

ユングは、フロイトから決別して独自の理論と治療法を発展させていったが、その人格理論の体系には、ペルソナ、自我、個人的無意識、集合無意識(普遍的無意識)が含まれる。

とくに無意識な意を個人的・集合的な二層に分けてとらえたことは、大きな特徴である。

個人的無意識は、かなりフロイトに近いとらえ方がなされているが、心的内容の複合体(コンプレックス)が重視されている。一方、集合無意識は、祖先から受け継がれてきた潜在的記憶を内容とする。それは個人的なものではなく、民族、人類、さらには動物にさえ普遍的なものであり、いわゆる原始類型としてあらわれる。

 自我は意識の中心に位置し、一個の人格としての安定性と統合性を保つ働きをしているが、これに対して集合無意識までも含めた全体療育の中心をなすものが自己である。自我は影やアニマ(男性がもつ女性像)、アニムス(女性のもつ男性像)等の原始類型までも含めた自己の統合を志向するものであり、ユングはこのような自己の統合を獲得していく過程を己性化、あるいは自己実現と呼び、人生の目標と見なしている。

(放送大学教材『心理学入門』)

 

自己(self)

 自我が人間の行動や意識の主体としてあるのに比して、客体としての自我を自己と呼ぶのが一般的である。「認知された自己」「経験された自己」というように、自己概念と呼び、治療における重要な概念としているものも含む。いずれにしても、学説によって概念規定が異なるが、発達的には自分を人的・物的環境から区別するようになるにつれて、自己という概念が形成され、意識されるようになる。

   (有斐閣『心理学小辞典』

 

コンプレックス(complex)

 ユングの造語。感情複合体とも訳す。

 無意識にはある一定の情動を伴う心的要素のまとまりが存在し、それが意識とは分離した形でそれなりに自律的に機能している。そして、それがときおり意識に突出して人間にさまざまの影響を及ぼす。

   (有斐閣『心理学小辞典』

 

ペルソナ(persona)

 ユングの用語。人と関わる部分の原型→シャドー

 意識の核ともいえる自我が対社会的関係のうちに発展させるものをペルソナと呼び、これが内面的な「こころの像」であるアニマ(アニムス)と相補的な関係をもうと考えた。

 (有斐閣『心理学小辞典』


教育とカウンセリング①②講義メモ

2025年01月12日 12時54分20秒 | グリーフケア

パーソナリティの発達と病理①②③メモ(2)

2004年6月12日(土)教育とカウンセリング①②

清水幹夫

1)教育とは何か?

 教育⇒私たちはいろんな意味で使っている。

 Ex.あの人は高い教育を受けている、という場合は教育制度をいう。

 

 教育を人間形成という働き、と捉える。

 

2)なぜ私たちには教育が必要か?

 教育が必要なようにできている。大脳にその秘密がある。

 哺乳類の脳は、大脳にすっぽりとおおわれている。

 「新しい皮質」とも呼ばれる「大脳皮質」は知性の働き。

 「古い皮質」は下等動物ほど多くもつ。遺伝子の中に組み込まれている。本能的な働きをつかさどる。例えば動物は生まれながらに歩くことができるなど、もって生まれてくる機能。

 人間の大脳は「古い皮質」は少しで「新しい皮質」を多くもつ。「新しい皮質」は刺激を与えないと発達しない。大脳皮質をはたらかせて学習していくのである。人間は生まれてから環境の中でいろいろな行動を身につけていく。

私たちは死ぬまで大脳皮質を働かせながら環境の変化に応じて生き方を獲得していくのである。

 

(補足)

大脳皮質(cerebral Cortex)

大脳半球の表面を覆っている灰白質の薄い層で、系統発生的に新しい新皮質、古い原皮質、もっとも古い古皮質が区別される。これらは細胞構築学的にも機能的にも異なっており、6層構造をなす新皮質を等皮質、それ以外を不等皮質と呼ぶこともある。高等動物では大脳半球表面のほとんどを新皮質が占めており、その機能から感覚野、運動野、連合野などがある。

 

『人間はどこまで動物か』(岩波新書)アドルフ・ポルトマン

 

人間は生まれてから一年の間にものすごいいきおいで大脳が発達している。人間は一年早く生まれてくるのでお母さんのおなかにいる時と同じスピードで発達する。

大脳の細胞は140億(大人も子供も)。再生はできない。大脳は他の細胞とつながりをもって発達していく。インターネットのネットワークのようにこわれても他とのつながりで回復していく。

幼い子供の脳には言語の文法を受け入れる基本機能がある。(モジュール)

人間は、大脳にいろんなスィッチを入れていく必要がある。

生まれてから5-6か月まではいろんな反射機能をもらっている(生きるために)

    ↓

   中脳

    ↓

   間脳

    ↓

   10月頃から「新しい皮質」が環境に適応していくように働き始める。

   母親を認識して、人見知りが始まる。

   母親と母親でない人をわけている。

   歩きはじめる-誰かが手伝ってあげなければ歩けない。

   人と人との関わりの中で人間らしい生き方を身につけていく。

   ここがしっかりしないと大脳皮質は発達しない。

  自閉症:人間関係がうまくとれない。

  ①おとなしい

  ②凶暴な動物的な行動をとる。

 初期の人間的な関わりの中で「新しい皮質」をはたらかせて人間になって     いく。乳幼児の人間的な関わりがうすいとカウンセリングは難しい。

 

3)教育の本質

 ①教育の価値観

「伝える」ということが、子供が人間らしくなっていく上で大切。

 ⇒文化・価値・知識等を伝える、教える

  日本の学校教育では、「伝える」ことが中心。

  教育の中に伝える・教えるというイメージがくみこまれている。

  「教育」という言葉は、中国から伝えられた。

  『孟子三楽』(紀元前):教育という文字の意を調べてみるといい。

  先生の言うことをそのまま受けつぐのが教育だと私たちは思っている。

  

  問題の原因

   ①大学の教員養成課程では、いかに知識を伝達するかが重視されてい る。なにをどのようにおしえるか、というトレーニングを行う。

   ②教員採用制度-試験をパスしないといけない。

   ③初任者研修

 

 ②教育の開発観

  その子供がもっている能力を見きわめてのばしていく。

  個を大事にする。

  大正時代に入ってきた考え方。新教育-ベスタロッチ・ルソー等

    さわやなぎまさたろう(成城小学校)

    おばらくによし(多摩川小学校をつくった)

  日本ではあまり大事にされていないのが現状。

  ①も②も大人が子供にしてあげる、という図式。

   ↓ 社会の多様性により(変化が激しい社会)さらに別の考え方がでてきた。

 

 ③教育の自己教育観

 自分で自分の必要なところを伸ばしていく。自分で自分を変えていく能力-この能力を赤ちゃんの時から身につける。

 1960年代に登場してきた考え方

 1957年;ソビエトが人口衛星を打ちあげた-スプートニックショック

  ↓

 アメリカはあわてて教育から見直しはじめた

 日本も追随して教育改革を行う

 系統だてて教えようとする。

 1970年代:ゆとりの教育

 1990年~:「総合の時間」の登場

 しかし、なかなか「たくましく生きる力」は育たない。

   ↓

 問題点:文部省は教えられると思っているが実は教えられるものではない。

 今の子供たちは親や先生がすぐ答えをおしえてしまう。困った経験をすることが少ないので、「たくましく生きる力」が育っていない。→カウンセリングが必要。

自分の力で自分が抱えている問題を解決していく力を身につける作業を手伝う。子供が答えをみつけるまでつきあう。

 

なぜ今自己教育観が必要か?

 変化が激しい社会なので状況に応じて自分を変えていく必要がある。自分をつくりなおし続ける。

 自分で考えて自分で乗り越えていくという資質を養う。

  ↓

 カウンセリングが必要になってくる。

 私というものに関心が向けられている。

 

心理学でも自己への関心が高まっている

 対面で子供を育てる(人間とチンパンジー)

  ↓

 お母さんとの信頼関係を築くように私たちはなっている。乳幼児期の人間関係はとても大切。

 

カウンセリングもひとつではない。意識に働きかけていく場合もあれば、無意識・行動にはたらきかけていく場合もある。

どういうカウンセリングが教育と結びつきやすいか?

 

清水先生の自己生成論

私というひとつのまとまり=自己

1)私らしくしていることは、その人の枠組み、外枠をとらえる時のチェックポイントになる。

2)スクリーニング機能-私というスクリーンを通して現実の世界を受けとめ固有の世界をつくっている、内なる現実。

3)受けとめた世界で私たちは行動している、その行動には意味がある。

4)行動している時、有機体が反応している、NOというふうに体が反応する時、問題が起こる。

5)有機体がNOといい始めたら、私たちは自分の枠組みを変えようとする力が働く。

その人の問題はそのひとの宝物

 

自己生成指向カウンセリングのポイント

(カール・ロジャースの影響を離れた先生の自己教育観)

その人が無理なく今体験していることにちかづいていく。

内なる現実。その人がいま直面している問題を乗り越えていく方法をその人自身が見出すことが自己生成につながる。このプロセスを支えていくのがカウンセリング。

まず心理学の全体像をつかむ。

私たちが心理学と呼んでいるものは現代心理学。

 

ブントの「実験心理学」が出発点

ギリシャ時代、人間に関しての記述が始まった。

科学的にものをとらえようとした。思弁心理学。

この頃の哲学をもとに心理学が始まった。

  ↓

以後、哲学の分野で心理学がとりあげられていく。

哲学的心理学。

  ↓

15-6世紀 経験主義

  ↓

17世紀おわり、自然科学の領域が発達してくると心の問題も自然科学のひとつとして発展させていこうとした。実験が行われるようになった。

 

ブントの心理学を批判しながら、新しい心理学が生まれてきている。

 

まず、フロイトが批判の矢を向けた。

精神分析学-フロイトは臨床心理学の原点

 ラッシセル・ベーカー『フロイト』講談社新書、宮城音弥訳

 

カウンセリングは自分を生かして人と関わる(清水先生)常に自分を見つめ直していく。

子供の頃が下地になる。人とコミュニケーションがとれないとカウンセリングはできない。

 

フロイトはユダヤ人、ウィーンで育つ(ドイツ語圏)

ヒステリーの研究から出発

五体満足なのに病的症状を訴える。

  ↓

催眠療法に関心をもつ

  ↓

私たち人間には自分の気付いていない世界がある。

無意識の世界に追いやる=抑圧

  ↓

催眠療法には無理があることに気づく。

自由連想法の発見-無意識の世界を自覚してもらう、わたしたちに普遍的にある。

根底には性欲がある。

リビドー、すなわち広義の性欲が心のエネルギー源とみなした。

 

夢-無意識の入口、“夢の解釈”が精神分析学の出発点となる。

自我が強い-無意識の世界の欲求を現実にあわせて調整する力が強い。

 

新精神分析学派

 フロイトの精神分析を批判

 環境要因を大切にする

ユングの分析心理学

 (スイス、白人)

 生い立ちから理解する

 宗教派の家庭に育った

 4歳の時、母親が分裂病になる

 父親は牧師だが、外面はよくても家では不安定

 愛情を受けられない、満たされない思いを読書で満たした、読書力があった

 勉強ができすぎた為周りから孤立、孤独

 ビジョン(空想)をよくみる、空想家、全知全能の神があらわれる

 精神科の医者になる

 ブロイラー(当時の有名な精神科医)の指導を受けながら、分裂病の患者と関 わる

言語連想の研究を行った

分裂病の患者は自分と同じビジョンをもつことに気づく、

ビジョンはどんな内容でもその人にとって重要な意味をもつ、成長に関わりがある、自分がビジョンによって孤独をのりこえた、フロイトの『夢の解釈』を読む

 

1907年、フロイトに初めて会う、ビンスワンガーと一緒に行く

1915年までフロイトとの交流は続く、

フロイトに破門され各地を旅行した時、人類共通の無意識があることに気づく

→遺伝子に組み込まれた集合的無意識 

 

『元型と象徴』(1919年)分析心理学の原点、ペルソナ・アニマ・アニムスセルフ

 

精神分析学との違い

 自分の中にある元型を表に出すのが治療。

 象徴化される、このプロセスが治療。

 遊戯療法-日本では児童に面に活用される。

 箱庭療法(河合隼雄)、コラージュ(杉浦)

 終わったあとでお話をする、解釈はしない、分析もしない。

 コミュニケーションを大切にする。


パーソナリティの発達と病理①②③メモ(2)

2025年01月06日 00時47分08秒 | グリーフケア

パーソナリティの発達と病理①②③メモ(1)

 

2004年5月29日・6月5日(金)パーソナリティの発達と病理①②③メモ(2)

笠井仁(筑波大学心理学系) 

 

(補足)用語解説

防衛(defense)

 個体の安全性と恒常性を危険におとしいれようとするあらゆる変化を減少・消滅させることを究極目的とする心的操作のこと。

とくに不安は、自我の体制を崩壊させる危険をはらむゆえに、防衛は不安に対する自衛の手段である。

この操作は少なくとも部分的に無意識に行われ、防衛機制と呼ばれる。

昇華、同一化、投射、とり入れ、置きかえ(転移)、退行、折衝など、この機制は様々であるが、抑圧がその根本である。

 

昇華(Sublimation)

 ある目標が社会的な承認を得にくく、また自我によって拒否される欲求(たとえばあらゆる性的欲求、攻撃的欲求など)が容認可能な行動に変容して欲求を満足させること。

 

同一化(identification)

 同一視ともいう。個人が自己にとって重要な他人の外観・特性などを手本とし、それにしたがって、部分的・全体的に自己を変えようとする心理的過程を指す。広義には、模倣、感情移入、共感、精神的幹線、投射などを意味している。

同一化はまた防衛機制の具体的な操作として考えられる。

自我が不安によっておびやかされるとき、その不安をよびおこす源泉である他者との感情的結合によってその解消をはかる。

 

抑圧(repression)

 個人がその本能的欲求(性や攻撃など)に結びついた思考、イメージ、記憶などを無意識の中に押しもどすとか、無意識の中に留めようとする精神作用をいう。本能的欲求の充足は、それ自体としては快感をもたらすものではあるが、その充足や満足は、それと対立する他の欲求に対して不快を誘発し、そのために本来の欲求満足が個人に重大な不安をよびおこすことになる。これは無意識界をつくり出す動きである。

 

フロイト

 一次過程-手を加えていないそのままの思考、心の動きがない、防衛力がない、からそういうことはないだろう。

      ↓

 二次過程-防衛機制がはたらく。

 

防衛機制の基礎

 抑圧という防衛機制の背景には、「かわす」ということがある。決して悪いことではない。

 

資料NO.3

遺伝と現場:パーソナリティは遺伝するか

・家系研究が行われていた。が家系だけでは説明できない。むしろ環境。

遺伝がないわけではないが環境が大きい。

 

双生児研究

 一卵性双生児-遺伝情報が同じ:必ず性別が同じ

 二卵性双生児-遺伝情報が違う(染色体が違う):性別が異なることもある

 

結果-

一卵性の方が数値が高い。(一致する度合いが高い)

さらにいっしょに育てられた方が数値が高い。特に一卵性の場合、一緒にすごしていると数値が高い。同じ遺伝情報をもっているから。一緒にすごしていることも大きな要因。さらに一致しない例もいっぱいある。

  ↓

遺伝の影響は無視できないが、いろんな環境要因がパーソナリティを形成している。出会う出来事もさまざま。あきらかに遺伝の影響はあるが、それよりも環境の影響がもっと大きい。遺伝の影響=ある特徴が遺伝するということは必ずそうなるという運命的なことは意味しない。回りの要因で精神病の要因となるストレスを回避できる。環境も含めて人間の行動につながっている。

知能・精神病も似たような傾向を示す。

 

ネズミを使った行動研究(筑波大で行われている)(ネズミは世代交代が早い)

 情動性は遺伝によってはっきり規定されていることが示されている。

 人間でいえば緊張しやすさなど、気質的な側面。

   ↓

 この上に人間は環境がある。

 

何がいいパーソナリティとされるかは、時代の影響を受ける。

明るく元気がいいと今はされているが、明るいばかりがいいとはかぎらない。

カウンセリングは明るい人をつくるためにやっているわけではない。

場に応じてメリハリをつけてふるまう。

調節できることが健康。

 

父親不在という問題

 子供が最初にふれるのは母親でるという事実。

 家の中で物理的、心理的に不在になっているかどうかでちがいがでてくる。

 物理的にはいなくても心理的にはいるということもある。

 父親なしに子育てはありえない。

 

ソーシャルサポート:支えは大切

虐待の場合など、ズレ具合を病気とみなすかは本人と回りが困っているか

どうかが判断基準のひとつ。

 

資料NO.6

病理をどうみるか、なにをもって病気とするかは相対的

3つの視点、名前をつけるとその病気がつくられるという面がある。

ズレている人をみるときの一つの視点としてとらえる。

①同一性統合性:自分というまとまり。

②防衛操作:自分の思いをどうコントロールできるか。

③現実吟味:現実をそのとおりにとらえることができるかどうか。

 

資料NO.7

パーソナリティの病理

人格障害というと何か仰々しいが、何がいいとされるかはその社会によって

変わる。相対的。

精神病とはちがう。ものの感じ方、とらえ方にズレがある。

ちょっとズレている人に出会った時、その人を捉える視点のひとつ。

 

行為障害(18歳未満)-反社会性人格障害

警察では非行少年を指す。

精神医学の分類の中で名前をつけようとしたら

こうなった。精神病ではない。

その行為を精神の問題とみなすかどうかという問題。

 

あるパーソナリティだから病気になるということではない。

関係のあることが、原因と結果を意味しない。

いろんなことが関わってくる。

ある事柄はいろんなことがつながって起こる。

わりきれないことが多い。

あいまいなことをあいまいなままにしておくことも大切である。

いろんな状況を扱いながら問題解決の手助けをするのが

カウンセリング。

 

河合隼雄『無意識の構造』(中公新書)