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たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

シルクロードへの旅-故宮博物館⇒ウルムチ

2022年07月29日 00時56分13秒 | シルクロードへの旅
「1991年4月28日(日)

午前中、故宮博物館(紫禁城)を見学。
北京市内で昼食後、飛行機でウルムチへ。

 13時55分 北京発 XO9102便

 17時45分 ウルムチ着

バスにてホテルへ。新疆友誼賓館

一応北京時間ではあるが、二時間ほど時差がある。10時近くまで明るかった。
思ったよりもかなり開けた地方都市。北京よりもずっと明るく、かっ達なイメージ。
人口140万人。13の少数民族が暮らしている。
漢民族以外はイスラム教、豚肉は×
空気がかなりかわいている。

天山山脈の雪解け水、昔はウルムチ川だった用水路、
地下水を汲み上げる-で水をまかなう。
砂漠の中に、これほど開けた都市があるとは信じがたい。

北京からの飛行機は高度1万メートル、
天山山脈を見下ろした。
着陸時はかなり急降下できつかったけれど、乗っている間は面白かった。
機内食は出るし、三度の食事はついているし、太ってしまいそうだ。
はじめての飛行機、はじめての海外、
疲れてるけど・・・
今、ユーラシア大陸の真ん中、
広いなあ、大きいなあ・・・。」

故宮博物館(紫禁城)で絵葉書を購入しました。
広大な敷地内の全てが皇帝のためのものという説明でした。



地図



「故宮は明、清両朝の宮廷で、別称紫禁城と呼ぶ。明の永楽四年(1406年)に建造が始められ、永楽18年(1420年)に落成した。敷地面積は72万平方メートル、建坪15万平方メートル、部屋数は9000間余りある。周囲は高さ10メートルの城壁で囲まれ、その外壁には幅52メートルのお堀があり、五百年の歴史をとどめる厳正な配置と中国古代をしのばせる独特な風格をもつ建造物である。

 故宮は前後、二つの部分からなっている。前半は太和殿、中和殿を中心とし、前朝と呼ばれ、その内一番雄大な太和殿は明、清二王朝の皇帝の即位の式典や元旦の式典、及び重要な儀式を行なう場所であった。後半分は内廷と呼ばれ、乾清宮、交泰殿、坤寧宮を中心として、東西両宮六宮が配置されており、皇帝が日常政務をつかさどる場所であり、皇妃たちの住まいでもあった。

 故宮にはおびただしい歴史文物や貴重な芸術品が収集されており、その豊富な芸術文化の宝物や雄大かつ芸術性に富む古代建築物がしばし国内、国外より訪れた大勢の観光客に感銘を与えずにはおかない。」



太和殿石階 Taihe Hall Steps



太和殿内景 Interior of Taihe Palce



乾清宮 Qianing Palace



儲秀宮一角 A Corner of Chuxiu Palace



藻井 Caisson Ceiling



銅獅 Bronze Lion



Golden Buddhist Tower with Inlaid Diamonds


シルクロードへの旅-成田⇒北京

2022年07月28日 00時10分11秒 | シルクロードへの旅
「1991年4月27日(土)

成田空港 14時55分発 CA926

北京空港 19時15分着

バスでホテルへ向かう。途中四海飯店で食事。

国際飯店泊。

一時間の時差があるが、サマータイムのため時差なし。
日本時間と同じ。
中国全土が北京時間を軸にしている。」


写真は翌日訪れた故宮博物館(紫禁城)。
映画『ラスト・エンペラー』(1987年)で、清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀が即位し、一市民となってから晩年訪れた太和殿(TailePalace)。壮大なロケーションが行われました。
ジョン・ローン演じる溥儀が、幼い日玉座の隅に隠したコオロギの壺をみつけるシーンが象徴的でした。かつて玉座に坐った自分だけが知っている秘密。


1991年4月27日-5月8日、天山南路をバスで走り抜けたシルクロードへの旅、妹とのお別れの三年前、すごく愚かだった自分を思い出したくなくて写真をほとんど捨ててしまいました。旅日記も捨ててしまいましたがデジタルでは保存しています。人生の終わりがみえてきたので、ようやくここに書いていこうと思います。書いたらまだ捨てきれていない絵葉書と写真もお別れしていきます。





シルクロード_カシュガルの子どもたち

2015年12月27日 23時15分18秒 | シルクロードへの旅
「カシュガルは民族のるつぼ さまざまな民族の子どもたちが一緒に遊ぶ」

(司馬遼太郎・NHK取材班『シルクロード第6巻『民族の十字路イリ・カシュガル』より)

 『シルクロード』の放映から30年の歳月が流れ、世界はますます混沌としてきています。この写真の子どもたちはどんな大人になり、今どんな暮らしを営んでいるのでしょうか。本当に世界はますます難しくなってきています。


「世界中の子どもたちが平和でありますように」とちひろさんは願い続けました。大人たちの勝手な都合で子どもたちの命が脅かされることのない世界が訪れることを祈りたいと思います。

 

旅へのあこがれ_シルクロード

2015年12月18日 20時21分37秒 | シルクロードへの旅
 1991年に訪れたシルクロードへの旅で出会った子どもたちのことを2013年11月3日に書きました。

http://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/c/57f5bbd569486138b2b7a672cea33e3b


「パミールのかなた、はるか西へと壮大なシルクロードは続く」

(司馬良太郎・NHK取材班『シルクロード第六巻民族の十字路イリ・カシュガル』昭和56年発行、NHK出版より転用しています。)

 高校生だった私は毎回心躍らせながら『シルクロード』のシリーズを観ていました。世界は広いのだということを教えてくれました。ロマンをかきたてられました。
(こういう、チームワークがなければ成立しないような良質な番組もうつくられないですよね。カメラマンも”派遣”の時代になりました。厚労省で記者会見やったとき記者さんと一緒に来たカメラマンは、「俺たちも派遣なんだけど」とつぶやいていたそうです)。

 天山南路のバスの旅の終着点カシュガルに着くと、はるか山の向こうはパキスタンだとガイドさんがおしえてくれました。大陸を、世界の広さを体中で感じた旅でした。あちこち、世界中を旅してみたいと思いました。それから20年余り。世界中というわけにはいきませんが、なんどか北米とヨーロッパに旅をしました。世界情勢はすっかり変わり、旅にでるのもおっかない感じになりました。いつかまたこの世を旅している間に、世界に羽ばたいていける日がくることを今は夢見るばかりです。

 シルクロードへの旅、妹とのお別れの三年前でした。すごく愚かだった自分を思い出したくなくて写真をほとんど捨ててしまいました。旅日記も捨ててしまいましたがデジタルでは保存しているので、いつかブログに書こうと思います。書きたいことが次々とあって時間が足りない感じの毎日です。今日は息抜きにこんなことをふっと書きたくなりました。読んでくださった方、ありがとうございます。

シルクロード_カシュガルからの葉書

2015年07月11日 22時36分31秒 | シルクロードへの旅
古い手紙などを整理していたらシルクロード旅行中に自分あてに書いた絵葉書が出てきました。
こんな砂漠のような所のポストからちゃんと届くのかなと思いながら投函しましたが、
ちゃんと届きました。
自分が帰国してから届いたと思います。
その三年後に妹との突然のお別れが訪れるなど思いもよらない、1991年バブルがはじける直前のことでした。


「5月4日カシュガルに到着。
 天山南路を1,500Km
 ウルムチよりバスで走り抜けてきた。
 ここは、東洋と西洋の間。
 イスラム教徒の街。
 バザールでちひろの絵本が売られている。

 5月5日 たんぽぽ」

いわさきちひろさんの絵が表紙になった『窓ぎわのトットちゃん』のウイグル語版がバザールで売られていました。
以前シルクロードの子供たちというタイトルで記事を書いて以来、久しぶりにシルクロードの
旅のことを思い出しました。
24年が過ぎ、カシュガルの街はいまどんな風景なんでしょうね。


世界も日本も私自身の時間も流れて、大きく変わってきた。
過去とお別れして人生やり直しの時。
自分を責めるでなし。不器用ながらも、私はもう十分すぎるぐらいにがんばって生きている。
たぶんがんばりすぎてきたぐらい。
過ぎた時間を悔んでばかりいてもどうにもならない。
これ以上自分を責めたらきっと妹も泣いてしまう。
これからは本当に自分のために生きる時。
私は大丈夫なのだろうか。

急に暑くなって疲れが出てきている感。
ガチャメと近くが見えづらくなってきているのとで、コンタクトレンズを合わせるのが
さらにむずかしくなって頭くらくら。どうしよう。手元に合わせると少し遠くがもう見えないので、どうしても見ようとしてしまって疲れる。かといって手元が見づらくては困るし。
私だけではなくみんな通っていく道。これからさらにきびしいものになっていくんだそうな。
どうしよう。
前職の長時間労働に日々は、コンタクトでもさんざん苦労した。
苦しかった。

過去の私とお別れしながら、少しずつでも前に進んでいきたい日々。
でも断捨離はまだまだ終わらない。
心身のエネルギーが十分に回復していくにはまだ時間が必要だと感じる日々。
がんばりすぎちゃった。
気がついたら世の中はもうすぐ夏休みだと言っている。
私カヤの外の人。



旅の思い出写真_シルクロードの子供たち

2013年11月03日 12時58分03秒 | シルクロードへの旅
中国の天山南路を五日間ほどかけてバスで旅するツアーに参加したことがあります。
北京からウルムチまで飛行機で飛んで、ウルムチからカシュガルまでのバスの旅。
NHKのシルクロード特集と、『マルコ・ポーロの冒険』というアニメが放映されていたのを熱心にみていたので憧れでした。

湾岸戦争の頃、日本はバブルがはじける少し前で、私は母から逃げるように実家を出て一人暮らしを始め、お気楽な感じて派遣社員として働いていました。
妹とのお別れとなる前で、まだ若くて人の気持ちなど全くわかろうとしていなかった愚かな私がいます。
その頃の自分を忘れたくて、旅日記も写真もデジタル化した後ほとんど捨ててしまいましたが、子供たちの写真は捨てきれない。そんな数枚をアップしたいと思います。

新疆ウイグル自治区-北京時間が使われていましたが実際には4-5時間の時差があるので、観光に出かけるのが夕方からだったり、とても変な感じでした。

独立紛争が起こっているので、今私が訪れた場所はどうなっているのでしょうね。
子供たちは無事大人になっているでしょうか。
どんな大人になっているでしょうか。
ニュースを聞くたびに思い出して気になります。

上の写真とこちらはカシュガルだったと思います。




こちらは途中のオアシス
詳しいことは旅日記をたどればわかりますが今は書きません。




この写真の子供たち(兄弟)の素朴なあったかい感じを今も思い出します。






ズボンの後ろに穴があいていました。理由はわかりますよね。





ボールペンをプレゼントしたらとても喜んでくれたのはこの写真の子供たちだったでしょうか。