【水曜討論】:首相官邸の意思決定のあり方は
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【水曜討論】:首相官邸の意思決定のあり方は
岸田文雄首相の就任から3カ月半が過ぎ、新型コロナウイルスの変異株「オミクロン株」への対応や経済対策など重要な判断が迫られる場面が続く。意思決定の過程では、強権的な姿勢が目立った安倍晋三、菅義偉両政権との違いも指摘されている。その核となる首相官邸は、「官邸主導」「内閣主導」の名の下に歴代政権でも機能強化が図られてきた。岸田政権における官邸はどのように意思決定し、過去の政権とどう違うのか。また、意思決定のあるべき姿は何か。2人の識者に話を聞いた。

■主導にはビジョン重要 慶応大教授・松井孝治さん
私が官房副長官を務めた鳩山由紀夫政権での意思決定は、内閣主導あるいは官邸主導を目指しました。それまで長年続いていた「官僚内閣制」は官僚が与党、他の省庁、業界団体の調整をして全部お膳立てするものでした。しかし、本来は国民から選挙で選ばれた首相が約20人の閣僚を任命し、その閣僚がそれぞれの官僚組織を上手に使って政治をする―というのが日本の民主主義のあるべき姿です。
その一つとして、施政方針や所信表明といった首相の国会演説の作り方を変えました。首相演説は内閣の基本方針を示すもので、官僚に全て任せるべきではありません。それまでは各省の主張を寄せ集めて順列組み合わせにしていましたが、後輩の内閣副参事官の協力を得て私が素案を書き、首相に報告した上で各省と相談する手法にしました。
しかし、民主党政権は米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設問題で迷走しました。事務次官会議を廃止し、政策立案過程で官僚の意見を十分に聞き入れず、基地問題では外務省、防衛省と完全に遊離しました。各省庁を動かすことができず、官邸や各大臣が問題を抱え込んだのです。
第2次安倍晋三政権はわれわれの失敗を含め、過去の教訓を踏まえ組織を編成したと思います。国家安全保障会議(NSC)と事務局である国家安全保障局を設置したことは、私たちが追求した内閣主導の一つの完成形です。首相を含めた官邸が外交安全保障の意思決定を主導しています。安倍氏は第1次政権から苦楽を共にした官僚を官邸に入れました。10人程度ですが、首相の人物や思想を熟知した人が支えました。「官邸官僚」と言うと批判もありますが、私はその仕事ぶりを評価します。
安倍政権でもう一つの注目点は、首相秘書官を出さない官庁の内閣参事官を各省とのリエゾン(連絡員)として上手に活用したことです。官邸と霞が関の意思疎通が円滑に進みました。
菅義偉政権はこの仕組みを十分活用しませんでした。本質的に機能の異なる官房長官秘書官をそのまま首相秘書官に引き上げて、結局、菅氏自身が全て意思決定していました。各省からみると、菅氏に説明して何か物事を動かすというよりは、菅氏が何を考えているのかを探る形となりました。
岸田文雄政権は首相秘書官に腕利きの役人をそろえて重厚な布陣とし、各省の参事官を数日交代で秘書官室に入れるなど、「装置」としての官邸官僚の仕組みができています。滑り出しは順調に見えます。しかし、新型コロナウイルスの濃厚接触者の受験生の扱いやオミクロン株の水際対策を巡っては、各省が「官邸に報告した」と言い、官邸は「聞いていない」と齟齬(そご)があります。批判が出れば朝令暮改をするのは、安倍、菅政権ではあまりありませんでした。
問題は首相自身の信条が見えないことです。「新しい資本主義」を打ち出しましたが、理念も抽象的で、具体的なメニューは既存施策ばかりで、何をどう是正したいのか分かりません。夏の参院選までは本気を出さない印象です。官邸官僚を上手に使いこなすには首相が具体的なビジョンを示し、リーダーシップを発揮することが必要です。(東京報道 竹中達哉)
■国民との対話尽くして 政策研究大学院大教授・飯尾潤さん
「官邸主導」と評された安倍晋三政権と菅義偉政権で目立ったのが、首相に近いメンバーだけで物事を決め、それを押し通すという手法でした。人事権を握る官邸が強い権力を振るうことで、官僚は萎縮して「忖度(そんたく)」に走り、政策のゆがみをもたらしました。
典型的なのが、政府が2020年に新型コロナウイルス対策として配布した布製の「アベノマスク」です。官邸によって打ち出された政策が「首相の意向」として進められ、霞が関は異を唱えられませんでした。森友・加計学園問題や桜を見る会を巡る疑惑も「強すぎる官邸」の弊害と言えます。
政治主導が悪いのではありません。官邸の機能強化は、1990年代の政治・行政改革の延長線上にあります。官僚が主導する政治は、省庁の縦割りによって意思決定の中枢が空洞化し、バブル経済の崩壊といった内外情勢の激変に対応できず、機能不全を起こしていました。縦割りを排した政策を進めるため、内閣府の設置を含む省庁再編や公務員改革が進みました。
菅政権が取り組んだ新型コロナワクチン接種の加速化や、脱炭素社会の実現に向けた目標設定は、菅首相のリーダーシップがあったからこそ、官僚などの抵抗を乗り越えられました。
問題は権限の使い方です。安倍、菅政権での「官邸1強」とも言われた強い官邸主導は、国政全般の課題から外交まで、なんでも官邸で抱え込んでしまい、本来なら各省庁のレベルで決められることも、できなくなってしまいました。
細かい政策立案は官僚に任せ、首相はここぞという大きな問題で意思決定すればいい。政治家がすべきなのは、民意の集約や、国民への説明、説得です。政治主導で本来必要なそうした姿勢が、安倍、菅政権には足りませんでした。特に菅首相は決断は得意でも、説明はあまり上手ではありませんでした。
「聞く力」をアピールする岸田文雄首相に代わり、強権的な政治手法は今のところうかがえません。岸田首相は自民党の関与や議論を重視する「政高党高」を掲げ、省庁などからのボトムアップ型の意思決定を意識するなど、「変えよう」と試行錯誤しているようですが、物事の決め方がどう変わるかはまだ見えません。与党の力も使い、国民と対話しながら、政策をつくり上げる仕組みが必要です。
岸田政権の新型コロナへの対応はどうでしょうか。経済対策の18歳以下への10万円給付では、自治体の意向に沿う形で全額現金での給付を認める方針に転換しました。新変異株「オミクロン株」の水際対策として国土交通省が航空会社に出した国際線の予約停止要請や、感染対策で濃厚接触者の受験を認めないとした文部科学省の通知については、いずれも撤回しました。間違いを認めて柔軟に対応する点は評価できます。ただ、問題の所在を明らかにして決定する姿勢がなければ、場当たり的になります。
岸田政権は批判を恐れ、決めたことだけ説明しているように見えます。批判が出ないようにするのではなく、批判の声に向き合って政権としての考え方をしっかり示す、国民との対話の機会にするべきです。(東京報道 玉邑哲也)
元稿:北海道新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【水曜討論】 2022年01月26日 09:32:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。