[『放射線を浴びたX年後』(http://x311.info/part1.html)↑]
東京新聞の【社説 <戦後75年>ビキニ被ばく訴訟から 核とゴジラと漁船員と】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/49285?rct=editorial)。
《六十六年前の核実験を忘れるわけにはいきません。裁判が今もあるのです。先行したのは第五福竜丸「以外」の漁船の元船員や遺族が一六年、高知地裁に国家賠償を求めた訴訟です》。
「五五年…以降、一切の追加調査や補償を放置してきた国の不作為」…『ビキニ事件』は終わっていない。「国はこれまで福竜丸以外の船員の追跡調査をしてこなかった」。
『●映画『放射線を浴びた『X年後』』:
「こんな巨大な事件が、…日本人としての資質が問われる」』
『●米軍の「差別性の極み」:NNNドキュメント’14
『続・放射線を浴びたX年後 日本に降り注いだ雨は今』』
『●東電原発人災の『X年後』: 厚生省「1.68ミリシーベルト」
vs 研究者「1400ミリシーベルト」』
『●『放射能を浴びたX年後』: 「国はこれまで
福竜丸以外の船員の追跡調査をしてこなかった」』
『●「私たちは被ばく船員を見捨ててきたと痛感」…
2011年から「X年後」を怖れる』
「東京新聞のコラム【【私説・論説室から】「放射線を浴びたX年後」】
…《登場人物はみな、静かな語り口だが、私たちは被ばく船員を
見捨ててきたと痛感する。ビキニ事件で政府が積極的に調べたのは、
船体と魚の放射能汚染。船員はおざなり。米国から賠償金二百万ドルを
受け取ると調査もやめた。漁港では風評被害を恐れ、
誰も被ばくは口にできない。そんな時代だ》」
「同じ構図を…3.11東京電力原発人災でもやってしまっているのではないか…、
ということをとても怖れる。過小に見積り、情報が隠され、
「ただちには影響はない」とした「X年後」に、取り返しのつかない何かが
起こってしまいはしないか? …「事故直後の1巡目の検査では「異常なし」
とされた子ども4人が、4月から始まった2巡目の検査で甲状腺がんの疑い
と診断…1986年のチェルノブイリ原発事故では4~5年後に子どもの
甲状腺がんが急増した」。取り返しのつかない「X年後」が経過してしまった
のではないでしょうか」
『●東京電力原発人災から『X年後』……
取り返しのつかないことが現実化してはいまいか?』
『●人類は核と共存できるのか?
『放射線を浴びたX年後』とパグウォッシュ会議』
『●『放射線を浴びた『X年後』』: ビキニの海に居た
元船員「行動しないと永遠に知る機会を失ってしまう」』
『●第五福竜丸元乗組員大石又七さん「ビキニと
福島はつながっている」「被曝者がたどった道を、福島で…」』
『●「太平洋核被災支援センター」事務局長山下正寿さん
「『ビキニ事件』は終わっていないんです」』
『●《基準値超えのマグロ…午後からは検査がなくなり、すべての
マグロが出荷された…。こうして汚染魚は“ゼロ”に》』
『●「五五年…以降、一切の追加調査や補償を放置してきた国の不作為」
…『ビキニ事件』は終わっていない』
「長年こつこつと、この問題に取り組んでこられた
「太平洋核被災支援センター」事務局長山下正寿さん、
「『ビキニ事件』は終わっていないんです」。」
「《子どもたちの間では甲状腺がんが増えているが、県の調査班は放射能の
影響を否定するばかりだ。原発のちりは広い範囲に降った。原因の究明は
進むのか、将来への不安を声にも出せず苦しんでいる子どもは各地にいる》
…慄く。怒りが湧く」
《ビキニ被ばく 国賠提訴 「情報不開示」元船員ら初
2016年5月9日 夕刊
一九五四年の米国による太平洋・ビキニ環礁での水爆実験の際に
周辺海域にいた元漁船員やその遺族ら四十五人が九日午後、被ばくに
関する調査結果を日本政府が長年開示せず、米国への賠償請求の機会を
奪われたなどとして、元船員一人当たり二百万円の慰謝料を
求める国家賠償請求訴訟を高知地裁に起こした。
原告側によると、ビキニ実験を巡る国賠訴訟は初めて。被ばくした
第五福竜丸(静岡県焼津市)の元船員らには五五年に米側から見舞金が
支払われており、提訴で国の責任を追及するとともに、救済実現を目指す》
『●【放射線を浴びたX年後】…《半世紀以上前の列強国による…核実験に
関わったイギリス軍の元兵士や遺族…その海で何があったのか》?』
私が許せないのは、未だに、「核兵器なき世界」さへ目指さないアベ様。
『●アベ様「あの、今回もですね…あの、わりと時間をとってお話もさせて
いただきました…日々、西村担当大臣、また官房長官からも…」』
「「核兵器なき世界」さへ目指さないアベ様の言う「核なき世界」が
如何にいい加減かが分かろうというもの…
「憲法上は原子爆弾だって問題ではないですからね、憲法上は。
小型であればですね」というアベ様の思想は何も変わっていない。
敵基地攻撃論の先には、何が待っていることやら」
『●「憲法くん」…《「変なうわさを耳にしました。本当でしょうか。私が
リストラされるかもしれないという話」。…無関心ではいられない》』
『●適菜収さん【それでもバカとは戦え】…《われわれ日本人が目指すべき
なのは「核兵器のない世界」の前に「安倍のいない世界」である》』
この社説の〆、《ゴジラと核兵器−。一四年のハリウッド版「ゴジラ」は…「ビキニ環礁での水爆実験はゴジラを殺すため」との台詞(せりふ)が出てきます。日本の第一作とは前提があべこべ。米国の核実験の正当化にも聞こえます。殺されたのは架空のゴジラではなく、生身の漁船員たちです。闇に葬ってはいけません》。
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/49285?rct=editorial】
社説
<戦後75年>ビキニ被ばく訴訟から 核とゴジラと漁船員と
2020年8月16日 07時17分
「ゴジラ」は一九五四年秋に映画に登場した怪獣です。南太平洋のビキニ環礁で米国の行った水爆実験を機に誕生しました。それさえ知らない人が増えました。「核の申し子」の設定なのです。
水爆は広島型原爆の一千倍もの威力があるといわれました。同年春先にはマグロ漁船・第五福竜丸など多数の漁船が放射性物質の「死の灰」を浴びました。全貌は不明ですが、漁船一千隻、被ばく者一万数千ともいわれます。
「ゴジラ」はむろんこの事件で着想されています。日本国民にとりヒロシマ、ナガサキに続く「第三の被ばく」で、新たな恐怖の象徴でもあったと思います。
でも、二〇一六年公開の「シン・ゴジラ」ではビキニ環礁での核実験には触れられず、ただ「巨大不明生物」の設定です。放射性廃棄物を食べるという点で、核とのつながりはありますが…。
六十六年前の核実験を忘れるわけにはいきません。裁判が今もあるのです。先行したのは第五福竜丸「以外」の漁船の元船員や遺族が一六年、高知地裁に国家賠償を求めた訴訟です。
例えば原告の一人は水爆実験当時十九歳。マグロ漁中に水平線の向こうにピカッと光ったのを見ましたが、稲妻と思い操業を続けました。風雨を浴び、捕ったマグロを刺し身で食べています。
三崎港(神奈川県)に到着後、放射線検査を受けましたが結果は知らされぬまま。マグロは水揚げされず海洋投棄に。三十六歳ごろにC型肝炎、後に肝臓がん、胃がんの診断を受けました。左耳が聞こえなくなり、四十歳ごろからは歯が次々と抜けました。
別の原告は被ばく当時二十一歳。操業中に黒ずんだ降下物が降り注ぎましたが、火山灰だと思っていました。築地港(東京都)に着いた後、白血球の数値が高くなり、大量の鼻血が出たり、突然意識を失ったり…。胃がんや心筋梗塞の手術も受けています。
ある原告が漁船の同僚の消息を調べたら、大腸がんで四十二歳で死亡したり、骨髄炎で五十二歳で死亡したり…。二十六人中四人しか生存していませんでした。
◆許せぬ政府の頬かぶり
原告の住む高知県では漁業が主要産業。風評被害を恐れて被ばくを口にできない状態でした。国の対応も提訴を遅くした原因です。
第五福竜丸事件は大ニュースだったので、旧厚生省は乗組員の健康状態の調査などを実施したものの、やがて中止に。一九五五年に米国側が二百万ドルの慰謝料を払う合意が日米間で結ばれたためです。これが「すべての請求に対する完全な解決」だとも…。
実際には第五福竜丸の乗員や漁業者団体だけに慰謝料が支払われ、「それ以外の漁船」にはありません。マグロの廃棄処分への、わずかな補償金が支払われたのみでした。健康被害などへの救済はなかったのです。
被爆者援護法などは広島と長崎の原爆に対する法律で、ビキニ環礁での被ばくには対応していません。政府も「日米合意で解決済み」の立場を繰り返します。
その後、米国の情報公開が進み、日本でも二〇一〇年代に外務省や旧厚生省の資料が開示され、提訴に向かったのです。だから訴訟では「国が記録を隠し続けた」と原告側は主張しました。
でも一八年の地裁判決は原告敗訴。訴えの権利が消滅する二十年という「除斥期間」が壁になりました。高松高裁も昨年暮れに訴えを退けました。ただ「漁船員の救済の必要性を改めて検討すべきだ」と述べて、立法や行政に呼び掛けています。
元船員らは憲法違反や労災申請の不適用取り消しという別の訴訟を始め、先月末に高知地裁で初弁論があったばかりです。ビキニ事件は終わっていないのです。
許せぬのは頬かぶりを続ける政府です。もし被ばくと健康被害の因果関係があれば、補償や生活支援は当然ではないでしょうか。日米の政治決着により米国に賠償を求められなかったのだから…。救済を急ぐべきです。
◆埋もれた歴史を調べよ
そもそも被害の全貌が不明なだけに実態調査も必要です。被災漁船数は公開資料ではのべ約五百六十隻ですが、汚染マグロを海洋廃棄した船はのべ約九百九十隻。数に隔たりがあります。埋もれた歴史を掘り起こさねばなりません。
ゴジラと核兵器−。一四年のハリウッド版「ゴジラ」はサンフランシスコに上陸する話ですが、「ビキニ環礁での水爆実験はゴジラを殺すため」との台詞(せりふ)が出てきます。日本の第一作とは前提があべこべ。米国の核実験の正当化にも聞こえます。
殺されたのは架空のゴジラではなく、生身の漁船員たちです。闇に葬ってはいけません。
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先ごろ亡くなられた肥田舜太郎さんについて、マガジン9の水島さつき氏によるコラム【今週の「マガジン9」2017年3月22日号 vol.592 肥田舜太郎先生の教え】(http://www.magazine9.jp/tips/thisweek/32733/)。
《先生は「過去の悲惨な体験だけでは解決にはならない。現代の核の恐ろしさを伝えないと」とおっしゃり、…。この時、私ははじめて低線量被曝についても知り、原爆と原発は両方とも「核」であり放射線による「ヒバク」は同じ、という今思えば当たり前のことに、気がついた瞬間でもありました》。
東京新聞の記事【核禁止条約交渉が開幕 日本、不参加を表明】(http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2017032801001032.html)によると、《オーストリアなど条約推進国は7月までに条約案の作成を目指す。条約に反対の立場の日本の高見沢将林軍縮大使は演説で「建設的な方法での参加は難しい」と述べ交渉不参加を表明した。米英仏中ロの核保有五大国は参加を見送った。核戦力拡大に意欲を示すトランプ米政権が、オバマ前政権が掲げた「核兵器なき世界」の目標の見直しを示唆するなど逆風が強まる中、禁止条約を核保有国による実質的な核軍縮につなげられるかが焦点だ》…だそうです。
「核兵器なき世界」ですら、デンデン王国「裸の王様」アベ様はヤル気がないということが明白。ましてや、核発電「麻薬」中毒であり、「原発は『プルトニウムをつくる装置』」な訳で、「核なき世界」など全く眼中になし。
『●核の軍事利用と原子力の平和利用』
『●烏賀陽弘道さん
『ヒロシマからフクシマへ原発をめぐる不思議な旅』読了』
《核兵器をタブーの領域に押し込めた。双子の兄弟の一人を
「いないこと」にしてしまった。原発と核兵器の「血のつながり」を
論ずることはタブーになった》
『●「核兵器廃絶」に対するニッポンの歯切れの悪さ…
原発は『プルトニウムをつくる装置』、双子の兄弟の一人』
『●「核兵器のない世界」か?、「核廃絶」「核なき世界」か?』
『●室井佑月さん「金をバラまくだけの日本…
米国の手下ですよ、という世界中へのアピール」…恥ずかしい』
『●オバマ氏の広島訪問さえも単なる選挙対策…
自民党は「口だけ」、選挙で同じ過ちを繰り返してはいけない』
《日本政府、つまり安倍首相の考えは、“核の保有や核兵器の使用は
認められるべき”なのだ。…安倍首相は官房副長官時代の2002年に、
早稲田大学で開かれた田原総一朗氏との対話のなかで
「憲法上は原子爆弾だって問題ではないですからね、憲法上は。
小型であればですね」と語っている》
『●オバマ大統領の米国、「核なき世界」にはほど遠く、
「核兵器のない世界」を唱えつつその現実は?』
『●《…death fell from the sky…》
…「落ちたのではない。米国が、落としたんだ」』
『●「核なき世界」無き国…「日本や韓国など
米国の「核の傘」の下にある国々は「勧告に同意しなかった」」』
『●日印原発輸出・輸入の狂気: 「安倍政権は
インドが核実験した場合は協定を破棄する」という「空手形」』
『●「ヒロシマはどこにあるのか、ヒロシマはニホンにあるのか」?
そして、ナガサキは? フクシマは?』
『●東電核発電人災から6年が経過し、全て廃炉へ…
な訳がない:高速炉「アベシンゾウ」がゴジラに変身する日』
要は、アベ様らは「核」を御所望な訳です…世界に向けての恥さらし。
肥田舜太郎さんは《「過去の悲惨な体験だけでは解決にはならない。現代の核の恐ろしさを伝えないと」とおっしゃ》ったそうです。また、《せめて未来の子どもたちのために、放射能の心配のない日本を残していけるよう、みんなで努力しましょうよ》とも。東電核発電人災を引き起こしたニッポンが、核発電再稼働・輸出を進める狂気。かつで、アベ様は…《官房副長官時代の2002年に…「憲法上は原子爆弾だって問題ではないですからね、憲法上は。小型であればですね」と語っている》…そういう思想の持ち主です。
『●「津田敏秀教授が「甲状腺がん多発は
原発被曝と関係ない」派に反論」…ヒトデナシな核発電「麻薬」中毒者』
アベ様らにとって、《内部被爆》《内部被ばく》なんて、どうでも良いこと。2011年の『X年後』に何の慄きも感じていません。
『●内部被爆: 何の対応も取らなくて本当に大丈夫なのか?』
《マル激トーク・オン・ディマンド 第556回(2011年12月10日)
内部被曝を避けるために今こそ広島・長崎の教訓を活かそう
ゲスト:肥田舜太郎氏(医師、全日本民医連顧問)…
…自身も広島で被爆した経験を持つ医師の肥田舜太郎氏は、
原爆投下直後から広島の被爆者の治療・救援にあたった経験から、
福島原発事故でわれわれは内部被曝にもっとも気を付けなければ
ならないと警鐘を鳴らす。
肥田氏は、広島に原爆が投下された直後こそ、原爆の熱と放射線の
直射によって火傷や急性放射線障害を受けた患者の治療に
追われたがその後しばらくして、原爆投下後に救援や親類の
捜索のために広島や長崎に入ったいわゆる入市者たちの間で、
鼻血、下痢、内臓系慢性疾患などの症状を訴える人が続出している
ことに気がついた。…
しかし、肥田氏はどんなに微量であっても放射性物質は病気を
誘発する可能性がゼロではない以上、食品の規制値にこれ以下なら安全
という数値は存在しないことを常に念頭に置かなければならない
としたうえで、今の政府の基準や検査体制では内部被曝から子供を
守れないと主張する》
『●内部被ばくについての鎌仲ひとみ監督新作』
《ドキュメンタリー映画「内部被ばくを生き抜く」は、東京電力
福島第一原発事故による放射能汚染に、どう対処すべきかを説く。
劣化ウラン弾の影響で白血病やがんになったイラクの子どもたちら、
内部被ばくがもたらす深刻な被害を取材してきた鎌仲ひとみ監督の
最新作。…「広島、長崎の被爆者と違うことが起きるとは考えられない。
放射線が漏れ、人体に影響が出るのは早くて半年かかる」。被爆者を
長年治療してきた肥田舜太郎医師は作品冒頭で、こう語る》。
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【http://www.magazine9.jp/tips/thisweek/32733/】
2017年3月22日
今週の「マガジン9」
vol.592
肥田舜太郎先生の教え
肥田先生の訃報に際し、今、様々なことが思い出されています。私が被爆医師・肥田舜太郎さんのお話を初めて聞いたのは、2006年に行われた伊藤塾の講演会でのことです。広島・長崎での被爆者の方々が被爆者援護法に基づく原爆症認定を求めた集団訴訟で、大阪地裁も広島地裁も、原告全員を原爆症と認め、国が認定を却下したのは違法だとする画期的判決が出されました。いわゆる入市被爆者の原爆症認定を認めた初の判決です。その弁護団の証言者のお一人として、お話をされたのが肥田先生だったのです。
原爆投下のその時も、広島で軍医をされていた肥田先生は、虹色に輝くきのこ雲の下で繰り広げられる地獄図を、本当にその場で見た人にしか語れない描写で語ってくれたのでした。漫画「はだしのゲン」のシーンがそのまま目の前に浮かぶような様に、とにかく圧倒されました。
私は「ヒロシマ」でのお話をさらにお聞きしたいと、先生のご自宅まで伺いインタビューをしました。しかし先生は「過去の悲惨な体験だけでは解決にはならない。現代の核の恐ろしさを伝えないと」とおっしゃり、ご自分の体験だけでなく、様々な文献やデータを示しながら教えていただきました。この時、私ははじめて低線量被曝についても知り、原爆と原発は両方とも「核」であり放射線による「ヒバク」は同じ、という今思えば当たり前のことに、気がついた瞬間でもありました。
そして3・11がおこりました。私はまっさきに、肥田先生はこの状況をどう考えてらっしゃるのだろうか、内部被爆が逃れるためにはどうしたらいいか教えてもらいたい、そんな気持ちで私は先生がお話をされるという場所を探し行きました。会場は先生の一言一言を聞き逃すまいとする人たちで満員でした。若いお母さんから「子どもがいます、これからどこに逃げたらいいんですか?」その問いかけに先生は「もう全員内部被曝をしているんです。覚悟をしなさい。落ち着いて、その上で何をするべきかを考えましょう」と強い口調でおっしゃったことをはっきりと覚えています。
2012年に再び肥田先生にインタビューさせていただきました。
「世界中探しても、あなたの細胞はあなただけしか持っていないもの。大事なかけがえのない命なのだから、他人任せにはしない。一番大事なことは、自分自身の価値に目覚めること。強い意志を持って乗り越えなさい。そして、せめて未来の子どもたちのために、放射能の心配のない日本を残していけるよう、みんなで努力しましょうよ」。先生はやさしい笑顔で最後におっしゃいました。
肥田先生、ありがとうございました。生きている限り、先生の教えを守ります。
(水島さつき)
*
肥田先生は、医師として被爆者を診察しずっと寄り添ってきただけでなく、核廃絶のために、また広島の語り部として国内外においてずっと活動をしてきた方です。著書やドキュメンタリー映画も残されていますし、youtube上でも講演会の模様など見ることができます。マガジン9にも語ってくださったインタビューも是非、お読みください。
●肥田舜太郎さん「マガ9インタビュー」
→「ヒロシマ・ナガサキ」だけでは核抑止論を乗り越えられない
(2006年8月30日)
→「今も世界中で、生み出される“ヒバクシャ”たち」(2006年9月)
→「内部被曝を乗りこえて生きるために」(2012年4月)
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