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●《現実の戦争を知るベテランジャーナリスト》石川文洋さん…「生まれ故郷の沖縄で多くの人に見てもらえれば、カメラマンとして本望だ」

2023年03月03日 00時00分26秒 | Weblog

[※ 石川文洋さん 【NNN ドキュメント'19/平成ニッポンを歩く 報道カメラマン80歳 日本縦断】(http://www.ntv.co.jp/document/backnumber/user_images/oa_190818.jpg)↑]


(20230218[])
異次元の軍拡、次元の異なる軍事費倍増。平和主義・国民主権・基本的人権を蔑ろにし、違憲に壊憲するヅボヅボ党や公明・お維・コミ。沖縄の声には決して聞く耳を持たず。「現実の戦争を知るベテランジャーナリスト石川文洋さんの言葉に、いまこそ、耳を傾けてほしい。

 沖縄県立博物館・美術館の作家紹介の頁 (https://okimu.jp/art_museum/artists/1513648744/) より。
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作家紹介

石川 文洋
ISHIKAWA Bunyo

1938-
写真

西暦         和暦                          略歴

1938年   昭和13年               那覇市首里鳥堀生まれ
1965年   昭和40年               南ベトナムの首都サイゴン(当時)に移住し、
                                         フリーランスの戦場カメラマンとしてベトナム戦争の
                                         取材開始(~1968年12月)
1970年   昭和45年               写真展「戦争と兵士と民衆」(ニコンサロン/
                                         東京・大阪、リウボウ/那覇市)
1971年   昭和46年               『戦争と民衆』(朝日新聞社)を刊行

1972年   昭和47年               戦時下の北ベトナムを初取材
1973年   昭和48年               写真展「北ベトナム」(ニコンサロン/
                                         東京・大阪)日本写真協会年度賞
1978年   昭和53年               写真展「南イエメン」(キャノンサロン/
                                         東京・名古屋、リウボウ/那覇市)
1979年   昭和54年               カンボジア大虐殺を取材。『大虐殺』(朝日ソノラマ)刊行
1984年   昭和59年               朝日新聞社を退社、フリーランスのカメラマン
                                         としての活動を始める
1990年   平成2年                  日本ジャーナリスト会議(JCJ)特別賞を受賞
1994年   平成6年                  ボスニア・ヘルツェゴビナ(首都サラエボ)、ソマリアを取材
1998年   平成10年               ベトナムのホーチミン市戦争博物館内に
                                         『石川文洋ベトナム報道35年 戦争と平和』
                                         写真常設室が開設され、35年間に撮影した
                                         ベトナムの写真を寄贈
2002年   平成14年               アフガニスタンを取材
2002年   平成14年               写真展「沖縄・復帰30年」(コニカフォト
                                         ギャラリー/東京・札幌、那覇市)
2005年   平成17年               ベトナム政府より文化通信事業功労賞を受賞


作品
作品名                 ベトナムシリーズ 飛び散った体
制作年(完成年)  1967年
作品サイズ           52.7×34.8cm
作品素材・手法     ゼラチン・シルバー・プリント

作品名                 ベトナムシリーズ 村にはまだ子どもたちが
制作年(完成年)  1966年
作品サイズ           34.8×52.7cm
作品素材・手法     ゼラチン・シルバー・プリント

作品名                 ベトナムシリーズ 大人の戦争を見つめる少女の瞳
制作年(完成年)  1966年
作品サイズ           52.7×34.8cm
作品素材・手法     ゼラチン・シルバー・プリント
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 琉球新報の記事【戦争の記録、沖縄に託す 「故郷の人に見てほしい」 石川文洋さん、全ネガ寄贈へ】(2023年2月12日 06:40)(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1661827.html)によると、《那覇市生まれの報道写真家、石川文洋さん(84)=長野県=が、1965年以降の約60年間に撮影した写真のネガフィルム全てを県に寄贈する意向を示している。ベトナム戦争や復帰前後からの沖縄、アフガニスタンなど世界各地で撮影した写真を15項目に分類して県に示し、担当者らと相談を重ねている。石川さんは「生まれ故郷の沖縄で多くの人に見てもらえれば、カメラマンとして本望だ」と話している》。

 沖縄タイムスの記事【銃撃されながらも撮ったベトナム戦争下の民衆 世界的な写真家・石川文洋さん、60年分のネガを沖縄県に寄贈へ】(2023年2月7日 20:52)(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1099745)によると、《那覇市生まれの報道写真家で、ベトナム戦争の取材など世界的にも活躍する石川文洋さん(84)=長野県=が、1965~2022年に自身が撮影した約60年間分の写真ネガを全て、沖縄県に寄贈する意向を示していることが6日までに分かった。石川さんは既に県立博物館・美術館や県公文書館、県の担当者と連絡を取っており、調整を本格化させる予定。(学芸部・勝浦大輔)》、《撮影ネガはデジタル化も視野にしており、石川さんは「沖縄」「琉球舞踊」「ベトナム戦争」「アフガニスタン」など15項目に分類の上、申請書を作成し県に提出している。15項目の写真は後に写真集にする考えだという。石川さんは、寄贈の意向について「ベトナムの写真はベトナムに贈ることも考えたが、沖縄出身のカメラマンが撮影したネガだから…》。

 石川文洋さんの写真に写る戦争の〝風景〟〝景色〟を再現したいのかね、ニッポンで。人の親として、そこまでして子や孫を人殺しに行かせたいものかね。自公お維議員やその家族は決して戦場に行くことはありませんよ。


   『●加害者性と被害者性…「私たち一人一人が被害者となり、
              加害者となり得る戦争。戦争はどこかで今も…」
    「【記憶の澱/NNNドキュメント’17】…。
     《先の大戦の記憶を、今だからこそ「語り、残したい」という人々がいます。
     …心の奥底にまるで「」のようにこびりついた記憶には「被害」と「加害」、
     その両方が存在しました》」

   『●〝腰ぬけ〟で結構、害悪老人よりは!!
    「「戦争の体験があるぼくたちはこのままじゃ死ねない」というのは、
     戦争をしないと気が済まないのでしょうね。いや、
     腰ぬけ小皇帝ですから、自らあるいは身内が行くのではなく、
     若者を戦争に行かせないと気が済まないということでしょう。
     あるいは、ベトナム戦争の際に石川文洋さんに咎められなかったら
     大砲の引き金を引いていたように、安全地帯に居て、罪なき民衆を
     殺すためのミサイルのスイッチを押すような卑怯者でしょう。
     哀しい精神構造です。城山三郎さん・佐橋滋さん・中山素平さん・
     石田禮助さんらの反戦派の気骨ある〝老人〟たちに学ぶ能力の無い、
     哀しい老害人です。エイジズムに加担する気はありません。
     でも、この都知事は「ババア」発言に見られるようなエイジズムの権化
     ですし、差別主義者ミーイズムの塊ですからね」

   『●沖縄と報道カメラマン・石川文洋さん
   『●辺野古破壊や高江『標的の村』などなど……
      「本土の人間が「沖縄だからいいや」と差別している」
   『●「在日沖縄人」石川文洋さんの写真集
       『基地で平和はつくれない――石川文洋の見た辺野古』
   『●「現実の戦争を知る
      ベテランジャーナリスト」石川文洋さんの言葉に耳を
   『●「在日沖縄人」石川文洋さん… 《宗谷岬を出発し…
       沖縄まで約3500キロを約11カ月間かけて完歩》
   『●「現実の戦争を知るベテランジャーナリスト」石川文洋さんの言葉に耳を
    《沖縄で写真展を開いた時のことだ。沖縄戦を体験したお年寄りが、
     異国の戦場の様子にじっと見入っていた。平和教育が盛んな土地柄。
     保育士に連れられ、保育園児も足を運んでくれた。「戦争の記憶
     日常の中にあり、子どもたちに引き継がれている。常に戦争を
     意識せざるを得なかった歴史の裏返しです」
      兵士や兵器を積んだ米軍機が今も戦地に向けて飛び立つ
     ベトナム戦争当時と変わらぬ沖縄の風景だ。差別的な基地負担を
     強いられ、常に事件や事故と隣り合わせの被害者であると同時に、
     「後方支援基地として、命を奪う加害者側でもある。そんな罪悪感にも
     似た感情を持つ人は少なくない」。被害者の痛みが理解できる。
     それもまた、沖縄が歩んできた歴史ゆえだ》

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●《「真実を後世に伝えることが生き残った自分の義務」と心の傷を押して語り部を続け大きな足跡を残した》安里要江さんがお亡くなりに…

2020年12月16日 00時00分57秒 | Weblog


沖縄タイムスの【社説[安里要江さん死去]「語り部」の使命貫いた】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/664242)。

 《沖縄戦の語り部として約40年にわたり戦争の悲惨さを訴えてきた安里要江さんが亡くなった。99歳。昨年5月に活動に終止符を打つまで自身の過酷な体験と平和の尊さを語り続けてきた》。

   『●対馬丸事件の教訓…《この悲劇は、いったん戦争に
     巻き込まれればいかなる対象も、攻撃される対象となる危険性》
   『●「在日沖縄人」石川文洋さん… 《宗谷岬を出発し…沖縄まで
               約3500キロを約11カ月間かけて完歩》
   『●「原子力災害伝承館」《批判…口封じ》…《安倍政権では「被災地
     切り捨て」政策がつづけられてきたが、それを菅政権も「継承」》

 平和な社会への《語り部》の皆さんの重要な貢献。特に、《沖縄戦の語り部》の皆さんは高齢化している。そんな中、戦争の記憶をどのように継承していくのか。
 《「真実を後世に伝えることが生き残った自分の義務」と心の傷を押して語り部を続け大きな足跡を残した》安里要江さんがお亡くなりになったそうです。ご冥福をお祈ります。

   『●《戦争が廊下の奥に立つてゐた》…
     《そんな時代にしてはならない》はずが、癒党お維や与党議員ときたら
    《県内最高齢の沖縄戦の語り部で、映画「GAMA 月桃の花」のモデルにも
     なった安里要江(としえ)さん(98)…「命ある限り語るのが私の使命だった。
     二度と悲惨な戦争が起きないよう、みなさんも後世に伝えていってほしい
     と話し、若い世代にバトンを託した》
    「《これまで約40年間にわたって戦争の悲惨さを訴えてきた》方にあまりに
     失礼な話が続いている。修学旅行で訪れた大阪府の中学生には伝わっても、
     いい大人が戦争ごっことはね。こんな国会議員がいるとはねぇ、
     呆れかえります。まぁ。(アノお維から除名された、議員辞職勧告された元)
     お維議員ですものね。ましてや、行政府の長や副総理・財務相、
     最低の官房長官らがアンナ人達ばかりですものね」

   『●《玉城知事が対話を求めた直後にこれを拒否…》アベ様には
       《(他者の痛みに寄り添う)沖縄のチムグクル》は届かず
    「琉球新報のコラム【<金口木舌>月桃の花咲く頃に】…によると、
     《海勢頭豊さんが作詞作曲し、映画「GAMA 月桃の花」の
     主題歌にもなった曲の一節だ。慰霊の月になると、自然と口ずさむ 
     ▼映画のモデルになった県内最高齢の沖縄戦の語り部、
     安里要江(としえ)さん(98)が先月、体調不良を理由に活動を終えた。
     「命ある限り語るのが私の使命だった」と約40年、沖縄戦で夫と
     2人の子どもら親族11人を失った体験を県内外で語り、
     戦争の悲惨さを訴えた…▼戦争体験者の生の声を聞ける時間は
     限られている。一言一言を胸に刻み、次代につなぐことが大切だ
     22日の真壁区の慰霊祭では、優しい「月桃の花」が戦没者のみ霊を
     慰めた。今日は「慰霊の日」。深い祈りの中で、
     改めて平和な世を誓いたい》」

 どう戦争の記憶を残し、戦争を回避するのか。戦争の記憶の継承、《語り継ぐ》。でも、今のような自公政権やお維が幅を利かす世の中では…。まず、そこから変えていかないと。

   『●加害者性と被害者性…「私たち一人一人が被害者となり、
              加害者となり得る戦争。戦争はどこかで今も…」
    「【記憶の澱/NNNドキュメント’17】…。
     《先の大戦の記憶を、今だからこそ「語り、残したい」という人々がいます。
     …心の奥底にまるで「」のようにこびりついた記憶には「被害」と「加害」、
     その両方が存在しました》」

   『●「現実の戦争を知るベテランジャーナリスト」石川文洋さんの言葉に耳を
    《沖縄で写真展を開いた時のことだ。沖縄戦を体験したお年寄りが、
     異国の戦場の様子にじっと見入っていた。平和教育が盛んな土地柄。
     保育士に連れられ、保育園児も足を運んでくれた。「戦争の記憶
     日常の中にあり、子どもたちに引き継がれている。常に戦争を
     意識せざるを得なかった歴史の裏返しです」
      兵士や兵器を積んだ米軍機が今も戦地に向けて飛び立つ
     ベトナム戦争当時と変わらぬ沖縄の風景だ。差別的な基地負担を
     強いられ、常に事件や事故と隣り合わせの被害者であると同時に、
     「後方支援基地として、命を奪う加害者側でもある。そんな罪悪感にも
     似た感情を持つ人は少なくない」。被害者の痛みが理解できる。
     それもまた、沖縄が歩んできた歴史ゆえだ》

   『●「絶望は愚か者の結論」を心に、壊憲を続けるアベ様に根気強く対抗を
   『●現在進行形の「身代わり」: 「反省と不戦の誓いを…
             沖縄を二度と、身代わりにしてはならない」
   『●アベ様に犯罪をもみ消してもらえる「報道」者、
     かたや、「卑劣な報復=身辺調査」を噂される新聞記者…
   『●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません
            …私たちが何を学ぶのかが今、問われている」①
   『●『憲法くん』の誇りとは? 《私は六六年間、戦争という名前で
             他国の人々を殺したことがない。それが誇り》
    《演じるのは、ベテラン女優の渡辺美佐子(86)。この短編を挟んで、
     初恋の人を疎開先の広島の原爆で亡くした渡辺が続けている慰霊の
     旅と原爆朗読劇のドキュメントが描かれる。朗読劇は渡辺が中心と
     なって同世代の女優たちと33年間続けてきたもので、今年が最終公演。
     未来に託す戦争の記憶と女優たちの平和への思いが語られる》

   『●水木しげるさんの言葉を…《戦争に向かうハードルが低く…
       戦争の怖さが(若者の)耳に届きづらい》恐ろしい世に
    《沖縄タイムスの【社説[慰霊の日に]知ることから始めよう】…
     《こういう時期だからこそ、沖縄戦の実相をより深く学び、
     戦争の記憶を引き継ぐ意味を心に刻みたい。きょう沖縄は
     「慰霊の日」を迎える。県民の4人に1人が犠牲になった
     沖縄戦から75年の節目となるが、今年の「6・23」は新型コロナ
     ウイルスの影響で慰霊祭の中止や規模縮小を余儀なくされている》》

   『●『沖縄スパイ戦史』と《記憶の澱》…
     「護郷隊…中高生の年頃の少年たち…スパイと疑われた仲間の処刑…」

   『●《8月ジャーナリズム》と《沖縄にとって戦争は遠い昔話ではない。
     沖縄は、今も一年中、戦争の延長線上を生きている》(大矢英代さん)
   『●戦争の記憶の継承…《大谷昭宏さんから伺った話。「戦争の記憶が
     風化する中、語り継ぐ一つの手段が見えるのでは」と水を向けられ…》
   『●《米軍の爆撃から逃れ川を渡る親子2組を捉えたピュリツァー賞作品の
     「安全への逃避」など、沢田は戦争に翻弄される民衆の姿を多く撮影》

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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/664242

社説[安里要江さん死去]「語り部」の使命貫いた
2020年11月16日 07:04

 沖縄戦の語り部として約40年にわたり戦争の悲惨さを訴えてきた安里要江さんが亡くなった。99歳。昨年5月に活動に終止符を打つまで自身の過酷な体験と平和の尊さを語り続けてきた。

 安里さんは中城村(現・北中城村)喜舎場出身。沖縄戦当時24歳で、10・10空襲の直前に生まれた乳飲み子の娘と、幼い息子を抱える2児の母だった。

 戦況が悪化する中、子どもたちと病身の夫、高齢の親族らと共に戦場をさまよった。米軍の激しい艦砲射撃や機銃掃射などから逃げる中で母や義父母を相次いで亡くした。

 たどり着いた糸満市のガマで生後9カ月の娘を失った。栄養不足で頼みの母乳は出ず、冷たくなっていくわが子の体をさするしかなかったという

 戦争を生き延びた夫や4歳の息子も、栄養失調や戦時中のけががもとで間もなく亡くなった。親族11人が沖縄戦の犠牲になった

 安里さんが、依頼を受けて自身の体験を語れるようになったのは三十三回忌を終えた後だった。

 「たくさんの肉親親族を失いながら自分だけ生き延びてきたという、後ろめたさと無念さと自嘲の入り交じった複雑な気分」があったといい「精神的な後遺症は戦後も長く影を落として」いた。1995年に共著で出版された「沖縄戦 ある母の記録」(高文研)で振り返っている。

 「真実を後世に伝えることが生き残った自分の義務」と心の傷を押して語り部を続け大きな足跡を残した。

■    ■

 沖縄戦の記憶を継承する上で、戦争を直接体験した語り部たちが果たしてきた役割は大きい

 多感な学生時代に戦場に駆り出された元学徒隊員らは、隊の活動の経過と共に学友を失った苦しみを伝え、戦争の悲惨さを訴えた。

 安里さんも、子どもからお年寄りまでの住民が巻き込まれた地上戦で何が起きたのか、自身の体験を修学旅行生や地元の子どもらに語ってきた。県内最高齢の語り部となった後も「もっと多くの人に戦争の恐ろしさを伝えたい」と意欲的だった。

 戦後75年。沖縄戦を体験した語り部の多くが故人となり、または高齢のため活動の一線を退いた。沖縄戦の継承は大きな転換期を迎えている

 安里さんから受け取ったバトンを今後、次の世代へどうつないでいくか。私たちは重要な役割を担うことを自覚しなければならない。

■    ■

 戦後50年の節目に製作された映画「GAMA 月桃の花」は、安里さんが主人公のモデルとなった。作品は今も県外の高校などで上映され、平和学習の教材としても役立てられている。

 沖縄歴史教育研究会と県高教組が県内の高校生を対象に実施したアンケートで、沖縄戦を学ぶことについてとても大切」「大切とした生徒は計95・5%に上った

 若い世代の関心に応えられるよう、沖縄戦について考えるきっかけをつくるのは大人の役割だ。
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●《米軍の爆撃から逃れ川を渡る親子2組を捉えたピュリツァー賞作品の「安全への逃避」など、沢田は戦争に翻弄される民衆の姿を多く撮影》

2020年12月15日 00時00分21秒 | Weblog

[※ 『NNNドキュメント’17記憶の澱』(2017年12月3日(日))↑]



琉球新報のコラム【<金口木舌>報道カメラマン沢田教一没50年】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1223836.html)。

 《ベトナム戦争など戦争の最前線で撮り続けた報道カメラマン 沢田教一が亡くなってから50年が過ぎた。1970年10月28日、紛争地のカンボジアで何者かに銃撃され34歳の生涯を閉じた…▼沖縄も出撃拠点となったベトナム戦争は、自由に取材できた最初で最後の戦争といわれている。多くの従軍カメラマンが同行し、生々しい戦争の写真や映像が全世界に配信された。反戦運動が高まり、73年、ニクソン大統領は米軍撤退を余儀なくされた》。

 どう戦争の記憶を残し、戦争を回避するのか。戦争の記憶の継承、《語り継ぐ》。でも、今のような自公政権やお維が幅を利かす世の中では…。

   『●加害者性と被害者性…「私たち一人一人が被害者となり、
              加害者となり得る戦争。戦争はどこかで今も…」
    「【記憶の澱/NNNドキュメント’17】…。
     《先の大戦の記憶を、今だからこそ「語り、残したい」
     という人々がいます。
     …心の奥底にまるで「」のようにこびりついた記憶には
     「被害」と「加害」、
     その両方が存在しました》」

   『●「現実の戦争を知るベテランジャーナリスト」石川文洋さんの言葉に耳を
    《沖縄で写真展を開いた時のことだ。沖縄戦を体験したお年寄りが、
     異国の戦場の様子にじっと見入っていた。平和教育が盛んな土地柄。
     保育士に連れられ、保育園児も足を運んでくれた。「戦争の記憶
     日常の中にあり、子どもたちに引き継がれている。常に戦争を
     意識せざるを得なかった歴史の裏返しです」
      兵士や兵器を積んだ米軍機が今も戦地に向けて飛び立つ
     ベトナム戦争当時と変わらぬ沖縄の風景だ。差別的な基地負担を
     強いられ、常に事件や事故と隣り合わせの被害者であると同時に、
     「後方支援基地として、命を奪う加害者側でもある。そんな罪悪感にも
     似た感情を持つ人は少なくない」。被害者の痛みが理解できる。
     それもまた、沖縄が歩んできた歴史ゆえだ》

   『●「絶望は愚か者の結論」を心に、壊憲を続けるアベ様に根気強く対抗を
   『●現在進行形の「身代わり」: 「反省と不戦の誓いを…
             沖縄を二度と、身代わりにしてはならない」
   『●アベ様に犯罪をもみ消してもらえる「報道」者、
     かたや、「卑劣な報復=身辺調査」を噂される新聞記者…
   『●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません
            …私たちが何を学ぶのかが今、問われている」①
   『●『憲法くん』の誇りとは? 《私は六六年間、戦争という名前で
             他国の人々を殺したことがない。それが誇り》
    《演じるのは、ベテラン女優の渡辺美佐子(86)。この短編を挟んで、
     初恋の人を疎開先の広島の原爆で亡くした渡辺が続けている慰霊の
     旅と原爆朗読劇のドキュメントが描かれる。朗読劇は渡辺が中心と
     なって同世代の女優たちと33年間続けてきたもので、今年が最終公演。
     未来に託す戦争の記憶と女優たちの平和への思いが語られる》

   『●水木しげるさんの言葉を…《戦争に向かうハードルが低く…
       戦争の怖さが(若者の)耳に届きづらい》恐ろしい世に
    《沖縄タイムスの【社説[慰霊の日に]知ることから始めよう】…
     《こういう時期だからこそ、沖縄戦の実相をより深く学び、
     戦争の記憶を引き継ぐ意味を心に刻みたい。きょう沖縄は
     「慰霊の日」を迎える。県民の4人に1人が犠牲になった
     沖縄戦から75年の節目となるが、今年の「6・23」は新型コロナ
     ウイルスの影響で慰霊祭の中止や規模縮小を余儀なくされている》》

   『●『沖縄スパイ戦史』と《記憶の澱》…
     「護郷隊…中高生の年頃の少年たち…スパイと疑われた仲間の処刑…」

   『●戦争の記憶の継承…《大谷昭宏さんから伺った話。「戦争の記憶が
     風化する中、語り継ぐ一つの手段が見えるのでは」と水を向けられ…》

 コラムの「沖縄も出撃拠点」に〝共感〟し、また、コラムから石川文洋さんを思い浮かべた。

   『●「政府は沖縄を分断し、苦渋の判断をさせ続けている」: 
               「住民分断」「沖縄差別」を恥じぬアベ様ら
    《六十年前の本土復帰運動で歌われた「沖縄を返せ」という歌は、
     辺野古で座り込む市民らに受け継がれている。変わったのは、
     訴える相手に米国だけでなく、日本政府も加わったことだ。
      「軍隊がいる所が最も危険というのが、沖縄戦の教訓
     辺野古に基地ができれば、沖縄は出撃拠点として固定化してしまう
     だから歌は、沖縄を、沖縄に返せと言っているんです」》

   『●「だが我が国は成熟国家になってから粉飾を始めた
       相当情けない国家」(阿部岳さん)だなんて、哀し過ぎる
    《▼2014年、たまたま訪れた沖縄が米軍のイラクへの出撃拠点だった
     ことを知る。「日本も沖縄も加害者だった」。ちょうど辺野古新基地の
     建設が始まり、「また同じことが起きる」と、反対運動に加わった。
     そのさなかに罪に問われ、一審有罪判決を受け控訴している。
     身をもって戦争を体験した稲葉さんの総括は続く ▼一方、
     開戦を全面支持し、後に自衛隊を派遣した日本政府。イラクに
     大量破壊兵器なかった米英の指導者が誤りを認めた後も
     押し黙ったまま


   『●「沖縄から核兵器を撤去させ、ベトナム戦争の出撃拠点と
           しないようアメリカと激しい外交交渉を重ねた」人
    《基地は復帰まで、共産圏をにらむ最前線として最大約千三百発もの
     核が配備され、ベトナム戦争の出撃拠点となった。冷戦終結後も
     湾岸戦争、イラク戦争などに空軍や海兵隊を送り出してきた
    《千葉一夫は、沖縄返還で外交交渉の最前線にいた、実在の人物。
     …本土から切り離され、アメリカの統治下にあった沖縄は、
     米軍がベトナム戦争へ出撃する拠点となり、
     核兵器まで配備されていた沖縄から、核兵器を撤去させ、
     ベトナム戦争の出撃拠点としないよう、アメリカと激しい
     外交交渉を重ねた千葉。》

   『●《この期に及んで、まだ傍観者》? 《憲法を維持するための
           「不断の努力」を怠った…加害者側に立つ人間》
    《もちろん、辺野古にこだわる理由はそれだけではない。
     日本政府としては何が何でも沖縄に一大出撃拠点を造っておきたい
     という将来の軍事利用が根底にある…》

   『●《中国の海洋進出への対抗策というが、
     住民の安心をないがしろにして、地域の平和を守るといえるの》か?


   『●沖縄と報道カメラマン・石川文洋さん
   『●辺野古破壊や高江『標的の村』などなど……
      「本土の人間が「沖縄だからいいや」と差別している」
   『●「在日沖縄人」石川文洋さんの写真集
       『基地で平和はつくれない――石川文洋の見た辺野古』
   『●「現実の戦争を知る
      ベテランジャーナリスト」石川文洋さんの言葉に耳を
   『●「在日沖縄人」石川文洋さん… 《宗谷岬を出発し…
       沖縄まで約3500キロを約11カ月間かけて完歩》

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https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1223836.html

<金口木舌>報道カメラマン沢田教一没50年
2020年11月12日 06:00
金口木舌 沢田教一 ベトナム戦争

 ベトナム戦争など戦争の最前線で撮り続けた報道カメラマン 沢田教一が亡くなってから50年が過ぎた。1970年10月28日、紛争地のカンボジアで何者かに銃撃され34歳の生涯を閉じた

▼没後50年の節目に都内で開かれた、沢田の生きざまを振り返り、戦争報道を考えるシンポジウムとドキュメンタリー映画「SAWADA」(五十嵐匠監督、97年公開)の上映会に足を運んだ

沖縄も出撃拠点となったベトナム戦争は、自由に取材できた最初で最後の戦争といわれている。多くの従軍カメラマンが同行し、生々しい戦争の写真や映像が全世界に配信された。反戦運動が高まり、73年、ニクソン大統領は米軍撤退を余儀なくされた

▼米軍の爆撃から逃れ川を渡る親子2組を捉えたピュリツァー賞作品の「安全への逃避」など、沢田は戦争に翻弄(ほんろう)される民衆の姿を多く撮影してきた。加えて苦悩する米兵の姿も捉えた。戦争とは一体、何か。沢田は写真を通して伝えたかったのだろう

▼映画では「安全への逃避」で被写体となった2家族のその後も描かれていた。沢田が家族を訪れて交流していたことが明かされている

▼沢田は生前、戦争が終わったら、ベトナムの日常風景を撮りたいと言っていたという。戦争の傷痕を深く残しつつ、著しい経済発展を続けるベトナムの今を、沢田はどう切り撮るのだろうかと、ふと思った。
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●「在日沖縄人」石川文洋さん… 《宗谷岬を出発し…沖縄まで約3500キロを約11カ月間かけて完歩》

2019年08月28日 00時00分34秒 | Weblog

[※ 石川文洋さん 【NNN ドキュメント'19/平成ニッポンを歩く 報道カメラマン80歳 日本縦断】(http://www.ntv.co.jp/document/backnumber/user_images/oa_190818.jpg)↑]



報道カメラマン石川文洋さんについての、NTVのドキュメントの前編【NNN ドキュメント'19/シリーズ平成 平成ニッポンを歩く 報道カメラマン80歳 日本縦断】(http://www.ntv.co.jp/document/backnumber/archive/80.html)と、
後編【NNN ドキュメント'19/平成ニッポンを歩く 報道カメラマン80歳 日本縦断(西日本編)】(http://www.ntv.co.jp/document/backnumber/archive/post-147.html)。
沖縄タイムスの記事【「古里に戻り安心」 写真家・石川文洋さん 日本縦断の旅で沖縄到着  基地問題撮影しゴールへ】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/423128)。
内間健記者による、沖縄タイムスのコラム【[大弦小弦]県出身の報道写真家・石川文洋さんが、日本列島を徒歩で縦断する旅で沖縄入り…】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/424531)。
琉球新報の記事【3500キロ歩いて日本列島縦断を達成! 写真家の石川文洋さん「人生最良の日」震災被災地訪問し辺野古、高江へも】(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-933262.html)。

 《ベトナム戦争ベなど歴史的瞬間を取材してきた現役報道カメラマン石川文洋さん。80歳になった2018年7月、新たな旅に出た。日本最北端、北海道宗谷岬を出発、太平洋側を通り、沖縄那覇市まで徒歩で撮影しながら徒歩で縦断する》。
 《日本列島を徒歩で縦断する旅を続けている沖縄県出身の報道写真家、石川文洋さん(81)が22日、鹿児島県からフェリーで沖縄の本部港に到着した。名護市辺野古東村高江など基地問題の現場を経由しながら本島を縦断し、6月8日に那覇市のゴールを目指す》。
 《すでに約3300キロを踏破し、新基地建設工事が進む辺野古を改めて訪れ、「沖縄は国がつくり出した災害に苦しんでいる」と語った》。
 《日本列島を歩いて縦断する旅に挑戦してきた報道写真家の石川文洋さん(81)が8日、最終目的地の那覇市に到着した。2018年7月9日に北海道の宗谷岬を出発し、本州、四国、九州を経て沖縄まで約3500キロを約11カ月間かけて完歩した。石川さんは「歩き続けて良かった。私の人生の最良の日というぐらい幸せだ。古里でゴールを迎えることができてうれしい」と語った》。

 琉球新報のコラム【<金口木舌>文洋さんの旅に学ぶ】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-934713.html)によると、《▼県出身の報道写真家、石川文洋さんが日本列島3500キロ縦断の旅を終えた。原発事故の被害に苦しむ福島、新基地建設が進む沖縄と東京の遠い距離を身をもって実感したに違いない ▼「平和の礎」を訪れ「なぜ、このような状況になったのか。政治ですよね、軍隊ですよね」と語った。写真家はベトナム戦争で庶民の苦しみを直視したように、沖縄戦の苦しみを間近に見つめる ▼「沖縄は良い所だ。半面、大きな基地を抱えている。その中で沖縄の人たちは一生懸命に平和へ向かって生きている」。那覇市のゴールでこう語った石川さんは日本を縦断し、庶民の喜びや嘆きに触れ、カメラで記録した。東京の為政者たちとの距離も。その旅に学ぶことは多い》。


 80歳の現役報道カメラマン「在日沖縄人石川文洋さん、お疲れ様でした! 《宗谷岬を出発し、本州、四国、九州を経て沖縄まで約3500キロを約11カ月間かけて完歩》。6月に、無事にゴール、本当に素晴らしい! 尊敬するフォトジャーナリスト、「現実の戦争を知るベテランジャーナリスト」。

   『●沖縄と報道カメラマン・石川文洋さん
   『●辺野古破壊や高江『標的の村』などなど……
      「本土の人間が「沖縄だからいいや」と差別している」
   『●「在日沖縄人」石川文洋さんの写真集
       『基地で平和はつくれない――石川文洋の見た辺野古』
   『●「現実の戦争を知る
      ベテランジャーナリスト」石川文洋さんの言葉に耳を

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http://www.ntv.co.jp/document/backnumber/archive/80.html

NNN ドキュメント'19
2019年1月13日(日) 24:55
シリーズ平成
平成ニッポンを歩く
報道カメラマン80歳 日本縦断

ベトナム戦争など歴史的瞬間を取材してきた現役報道カメラマン石川文洋さん。80歳になった2018年7月、新たな旅に出た。日本最北端、北海道宗谷岬を出発、太平洋側を通り、沖縄那覇市まで徒歩で撮影しながら徒歩で縦断する。老練カメラマンの眼に、平成最後の1年をきった日本はどう映るか。石川さんの写真とエッセイを織り交ぜながら2回の放送に分けて、旅の全容を伝える。今回は北海道から福島までの東日本編。

ナレーター/小山茉美・松本光生  制作/日本テレビ  放送枠/30分

再放送
1月20日(日)11:00~ BS日テレ
1月20日(日)5:00~/24:00~ CS「日テレNEWS24」
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http://www.ntv.co.jp/document/backnumber/archive/post-147.html

NNN ドキュメント'19
2019年8月18日(日) 24:55
平成ニッポンを歩く
報道カメラマン80歳 日本縦断(西日本編)

ベトナム戦争など数々の戦場を取材してきた現役の報道カメラマン石川文洋(80)は2018年7月9日、北海道宗谷岬を出発し徒歩で日本縦断の旅に出た。11月末には旅の中間地点、東京日本橋に到着した。今回の第2弾は日本橋からゴールの沖縄那覇市に向かう様子を伝える。念願の東海道を歩き、時代は平成から令和へ。九州を経て6月、ついに生まれ故郷の沖縄に到着。石川文洋は何を感じどんな写真を撮りながら旅を続けたか-

ナレーター/小山茉美  朗読/松本光生  制作/日本テレビ  放送枠/30分

再放送
8月25日(日)11:00~ BS日テレ
8月25日(日)5:00~/24:00~ CS「日テレNEWS24」
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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/423128

「古里に戻り安心」 写真家・石川文洋さん 日本縦断の旅で沖縄到着  基地問題撮影しゴールへ
2019年5月23日 06:39

 日本列島を徒歩で縦断する旅を続けている沖縄県出身の報道写真家、石川文洋さん(81)が22日、鹿児島県からフェリーで沖縄の本部港に到着した。名護市辺野古東村高江など基地問題の現場を経由しながら本島を縦断し、6月8日に那覇市のゴールを目指す。この日もさっそく本部町塩川まで2・5キロを歩いた石川さんは「沖縄の現状を本土に伝えたい」と意欲を示した。

     (日本列島縦断の旅を続け沖縄本島に到着した石川文洋さん
      =22日、本部港)
     (「基地のない沖縄を」Tシャツを示しながら沖縄路の意気込みを
      話す石川文洋さん=22日、本部港)

 2018年7月に北海道の宗谷岬から始まった旅で、これまで約3300キロを踏破してきた。北海道の自然や東日本大震災の爪痕、広島の原爆の語り部、神奈川県や山口県米軍基地を前にカメラを構えた。撮影枚数は1日100枚以上。「気持ちが動いた時にシャッターを切る。歩いているからこそだ」とほほ笑む。

 本部港では友人ら10人の出迎えを受け、顔をほころばせた。「遠くからでも伊江島タッチューが目立っていた。古里に帰ってきたという安心感があり、胸が熱くなった」と話した。

 沖縄路は「基地のない沖縄を」とプリントされたTシャツを着て臨む。残り約170キロ。「生きているうちに平和な沖縄を見たいという気持ちを支えに歩きたい」と表情を引き締めた。
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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/424531

[大弦小弦]県出身の報道写真家・石川文洋さんが、日本列島を徒歩で縦断する旅で沖縄入り…
2019年5月26日 09:00

 県出身の報道写真家・石川文洋さん(81)が、日本列島を徒歩で縦断する旅で沖縄入りした。すでに約3300キロを踏破し、新基地建設工事が進む辺野古を改めて訪れ、「沖縄は国がつくり出した災害に苦しんでいる」と語った

▼昨年7月に北海道の宗谷岬から那覇市を目指しスタート。歩きつつ1日100枚以上撮影する。13年前に心筋梗塞を発症し、障害者手帳を持つ身

▼以前、日本海側で縦断したことがあるが、今回80歳の節目に太平洋側のコースで2度目の挑戦に踏み切った。古里の沖縄や東日本大震災の被災地再訪も目的。「基地のない沖縄を」と記したシャツでアピールし歩いてきた

▼本紙文化面の石川さんの連載では随時、その旅路を紹介。東北では被災者の声に耳を傾け、特に子どもの被害には胸を痛めた。若き日に従軍取材したベトナム戦争の体験を重ね、悲劇を伝える重要性もつづった

▼そして県民の民意が顧みられることなく進む新基地建設の現場。病を乗り越え、長距離を一歩ずつ踏みしめてきた石川さんが身をもって示したのはあきらめないではないか

▼県内では約2週間歩く。米軍普天間飛行場や米軍牧港住宅地区跡地から発展を遂げた那覇市の新都心などを文字通り足で確認して回るという。徒歩の旅は6月8日に那覇市のパレットくもじ前でゴールする。(内間健)
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https://ryukyushimpo.jp/news/entry-933262.html

3500キロ歩いて日本列島縦断を達成! 写真家の石川文洋さん「人生最良の日」震災被災地訪問し辺野古、高江へも
2019年6月9日 06:30
列島縦断 報道写真家 歩いて縦断 日本一周 平和 震災

     (日本列島を歩いて縦断、温かい拍手に迎えられ笑顔で
      ゴールする石川文洋さん =8日午後1時57分、
      那覇市のパレットくもじ前広場(ジャン松元撮影))

 日本列島を歩いて縦断する旅に挑戦してきた報道写真家の石川文洋さん(81)が8日、最終目的地の那覇市に到着した。2018年7月9日に北海道の宗谷岬を出発し、本州、四国、九州を経て沖縄まで約3500キロを約11カ月間かけて完歩した。石川さんは「歩き続けて良かった。私の人生の最良の日というぐらい幸せだ。古里でゴールを迎えることができてうれしい」と語った。

 ゴール地点の那覇市のパレットくもじ前には妻の桂子さん(55)や県内外の友人、知人らが集まり横断幕を掲げ、拍手で出迎えた。花束を受け取った石川さんは真っ黒に日焼けした顔をほころばせ、喜んだ。

 65歳の時、日本海側を通るコースで約3300キロを列島縦断した。今回は太平洋側を通り東日本大震災や福島県の原発事故、阪神淡路大震災、熊本地震の被災地などを訪問した。5月22日に沖縄入りし、新基地建設が続く名護市辺野古、北部訓練場がある東村高江などに加え、平和の礎がある糸満市摩文仁も訪れた。

 石川さんは故郷でゴールし「イジュの花が咲き、三線、泡盛があり、沖縄はとても良い所だ。その半面、大きな基地を抱えている。その中で沖縄の人たちは一生懸命に平和へ向かって生きている」などと語った。

 2006年に心筋梗塞になり、心臓の血管を広げるステント(網状の筒)を入れた。今回はその体で約10キロのリュックやカメラを担ぎ、連日10時間前後歩いた。

 夕方から那覇市の八汐荘で報告会を兼ねた「日本列島縦断の成功を祝う会」が開かれ、友人や支援者らと喜びを分かち合った。
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●2016年7月参院選、「あとの祭」…「本土」マスコミは「沖縄・地域住民弾圧隊」「照明弾誤射」を報じず

2016年07月20日 00時00分55秒 | Weblog


LITERA 本と雑誌の知を再発見』(http://lite-ra.com/)の水井多賀子氏による記事【参院選敗北で安倍政権の沖縄いじめが激化、米空軍機が沖縄市上空で照明弾発射の暴挙! しかし本土マスコミは一切報道せず】(http://lite-ra.com/2016/07/post-2425.html

   『●子供にもSLAPPする国: 三上智恵監督
     ・映画『標的の村 ~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』

   『●2016年7月参院選、「あとの祭」の要因の大きな一つは片棒担ぎのマスコミにあり
   『●究極の差別…「県民の安全を守るために
     派遣されたはずの職員が基地建設に抗議する住民を鎮圧」!

 《政府は500人規模の機動隊を投入することを決定…まったく、ここまで露骨に牙をむくことができるものかと驚く…》。

 アベ様は夏休み満喫中だそうですが、《沖縄・地域住民弾圧隊》が沖縄へ…やることなすこと無茶苦茶です。2016年7月参院選直後から、沖縄で何が行われているのか、「本土」ではほとんど報じられていません。「安倍晋三さん。日本本土にお住まいのみなさん…「第二の加害者」は、あなたたちです。」は続き、マスコミが報じもしないため、「第二の加害者」は気づきもしません。「沖縄差別」「住民分断」「捨て石」に苦しむ沖縄の皆さんの「怒り」を全く共有できていません。「本土」の報道機関は、今や、アベ様に楯突けない状況でしょうか? 「本土」の報道機関に皆さんは、沖縄に建つ「戦没 新聞人の碑」に顔向けできないのではないですか? 


   『●沖縄と報道カメラマン・石川文洋さん
   『●「百田氏や自民党議員からの圧力はすべてのメディアの 
           言論の自由に対する挑戦・・・危機感を共有して」!
   『●沖縄差別は続く: 黙殺により、「『日本を取り戻す』の中に
                 沖縄は入っていない」ことをアベ様が表明
   『●沖縄差別:目取真俊さん「多くの日本人が
     その嘘っぱちを信じている、というよりも、信じたいんでしょう」
   『●一体何をどれ程「思いやらされている」?…
      「われわれはカネを出さない。どうぞ米軍は撤退してください」
   『●翁長雄志知事、再度の決意表明: 
     「安倍晋三首相は「急がば回れだ」と言うが…政府の選択は誤りだった」
   『●「どうぞ米軍は撤退してください」:散々「思いやら」されて、
                   そしてまたしても「肝苦(ちむぐり)さ」…
   『●「落とした魂(マブイ)」を探しに、なんて悲し過ぎる
         …「選択肢は一つしかない。沖縄から去ることだ」
   『●「…は沖縄県民の耳には「期待するな」
      「何も改善しない」と冷たく翻訳」…中央政府の体をなしていない
   『●「日本政府による命の二重基準」にウンザリ: 
      「日米両政府の空虚な言葉」は不要、基地撤去が抜本対策
   『●「沖縄には明らかにおかしな新聞がある。
     本当に潰れた方がいい」…自民党には「ロクなヤツがいない」
   『●沖縄市民の民意: 民意を何度明確にすれば、 
       アベ様や最低の官房長官らは理解しようとするのか?
   『●「捨て石」: 「安倍晋三さん。日本本土にお住まいのみなさん
                   …「第二の加害者」は、あなたたちです。」
    《安倍晋三さん。日本本土にお住まいのみなさん。今回の事件の
     「第二の加害者は、あなたたちです。しっかり、沖縄に向き合って
     いただけませんか。いつまで私たち沖縄県民は、ばかにされるのでしょうか
     パトカーを増やして護身術を学べば、私たちの命は安全になるのか。
     ばかにしないでください》。
     (東京新聞【沖縄県民大会 玉城愛さんスピーチ全文 本土も「第二の加害者」
      (http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201606/CK2016062102000122.html)より、
        ⇒ コチラ

   『●映画『標的の村』監督・三上智恵さん、
     「わずか9時間の歓喜 ~高江工事再開・民意圧殺の朝~」
   『●「在日沖縄人」石川文洋さんの写真集
       『基地で平和はつくれない――石川文洋の見た辺野古』

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http://lite-ra.com/2016/07/post-2425.html

参院選敗北で安倍政権の沖縄いじめが激化、米空軍機が沖縄市上空で照明弾発射の暴挙 しかし本土マスコミは一切報道せず
水井多賀子
 沖縄 自民党 2016.07.18

     (上・自由民主党ホームページより/下・島尻安伊子オフィシャルサイトより

 先日の参院選において大きなトピックとなったのは、沖縄と福島で現職大臣が落選したことだろう。とくに島尻安伊子氏は、この参院選を見越して安倍首相が県選出で沖縄担当相に抜擢。しかし蓋を開けてみれば、辺野古基地移設反対を打ち出した伊波洋一氏に10万票も差をつけられて“惨敗”したのだ。

 2014年の沖縄県知事選につづいて、沖縄県民が再びはっきりと民意を国に叩きつけたわけだが、対して安倍首相は島尻氏を民間人として大臣を続投させる方針を固めた。沖縄は島尻氏に「NO」を突きつけたのに、である。

 だが、安倍政権は、沖縄に選挙結果の意趣返しをするかのように、さらにとんでもない行動に出ている

 なんと参院選の投開票の翌日11日から、沖縄県東村高江の米軍北部訓練場でヘリパッド(ヘリコプター着陸帯)建設工事のための機材搬入を開始、反対住民を強制的に排除しはじめたのだ。

 しかも、住民の数がたったの約160人という小さな集落に対し、政府は500人規模の機動隊を投入することを決定。きょうから順次配備していく予定だという。政府は昨年11月にも辺野古新基地建設の抗議運動が行われているキャンプ・シュワブのゲート前に100人規模の機動隊を投入したが、今回はその5この安倍政権の行動はあきらかに、選挙で再び示された沖縄の意志に対して脅しをかけるやり方だ

 まったく、ここまで露骨に牙をむくことができるものかと驚くが、『標的の村』『戦場ぬ止み』といったドキュメンタリー作品で沖縄の現実を伝えつづけているジャーナリストで映画監督の三上智恵氏は、今回の参院選から一夜明けてのヘリパッド建設工事強行について、「わずか9時間の歓喜」と表現している。

   〈国は用意周到に、参院選あけの11日早朝に向けて
    高江の工事再開の準備を進めていたのだ〉

   〈本当に現行計画通りにヘリパッドができてしまったら、
    「負担増」どころではない。高江は人が住める村ではなくなってしまう
    あなたの家から400メートルの地点に、突然オスプレイ用の
    ヘリパッドを造りますと言われたらどうするか、想像してみて欲しい
    (マガジン9三上智恵の沖縄撮影日記〈辺野古・高江〉」第55回/外部リンク

 『標的の村』に詳しいが、この高江では、ヘリパッド建設工事に反対するため座り込み抗議を行った住民たちを防衛省沖縄防衛局が「通行妨害」で訴えるというスラップ訴訟も起こっている。しかも、その訴えられた住民のなかには、7歳の女の子も含まれていた信じがたい暴挙である。

 何度も繰り返される沖縄への暴力──。しかし、沖縄では最近もうひとつ、見過ごせない事件が起こっている。それは今月13日、米空軍嘉手納基地に所属するF15戦闘機が、沖縄市上空で熱源体の照明弾「フレア」を3発、発射していたのだ。

 幸いなことに被害は報告されていないようだが、これをたんなる「誤射」と片づけるわけにはいかない。こうした頻発するミスこそが、重大事故を引き起こす可能性を証明しているからだ。2004年には沖縄国際大学米軍ヘリが墜落するという大事故が起き、日米地位協定の壁に阻まれていまだ事故原因の全容解明さえなされていないが、沖縄ではつねに、このような理不尽な事故への不安と隣り合わせのなかでの生活を余儀なくされているのである。

 しかも、である。このフレア発射問題を報じたのは地元紙だけで、読売、朝日、毎日、産経の4大紙は扱っていない。沖縄が抱える現実は国全体の問題なのに、メディアがこうした姿勢でいるために、いつまでたっても基地問題は他人事になってしまうのだ。

 米軍属による残忍な殺人事件や米兵の飲酒運転事故などが立て続けに起こったが、基地がある街の苦悩や不条理をわたしたちはもっと知らなくてはいけない頭上を戦闘機や危険なオスプレイが飛び交い、サッカー場をはじめとする基地跡地からは高濃度のダイオキシンが検出されるなど土壌汚染が広がっている。その米軍が放置した環境汚染の調査のためにかかった約9億8000万円は日本が税金で賄っているのである。その一方で防衛省は、米軍基地などの騒音対策であるエアコン補助費を、県内の幼稚園や小中学校など計108施設で廃止する方針だ。

 だが、そうした現実をもっとも無視しているのは安倍首相だ。沖縄の怒りによって誕生した翁長雄志知事の面会要請を再三拒否し、翁長知事の辺野古埋め立て承認取り消し処分に対して代執行訴訟まで起こした。裁判所の和解勧告によって協議のための作業部会が14日も開かれたが、ここでも話し合いや説明を求める沖縄側に対して国は“工事再開”の一点張りで、政府側は沖縄県への新たな訴訟提起さえ匂わせている。安倍首相は5月25日の日米首脳会談後に開かれた記者会見で「沖縄のみなさんの気持ちに真に寄り添う」などと言ったが、一体、どこに寄り添う気持ちがあるというのだろうか

 何度も言うが、沖縄は14年の知事選、今年6月の県議選、そして今回の参院選と、再三にわたって民意を示している。しかし、民主的なかたちで沖縄が声をあげているのに、見せしめのようにヘリパッド建設工事を強行しようと大量の機動隊を送り込み、県民に寄り添うどころか足蹴にしているのである。到底、民主主義国家のやり方ではない異常さだ。

 最後に、前述した三上氏の言葉を、もう一度引用したい。

   〈今回の選挙で沖縄を圧迫する自民党政権を圧勝させた人たちは、
    これから高江で起きることについて目をそらしてはならない。
    自分の一票が支える権力がどこかで暴走していないか監視する
    義務があるはずだ〉

水井多賀子
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●究極の差別…「県民の安全を守るために派遣されたはずの職員が基地建設に抗議する住民を鎮圧」!

2016年07月19日 00時00分44秒 | Weblog


琉球新報の社説【<社説>防犯要員を警備に 県民の安全より弾圧優先か】(http://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-318099.html)。

 《防衛省は米軍属女性暴行殺人事件を機に、沖縄に派遣した防犯パトロールの職員を基地建設の抗議行動の警備要員に充てる計画を進めている》。

 《県民の安全を守るために派遣されたはずの職員が基地建設に抗議する住民を鎮圧する任務を担う》…究極の差別。やることなすこと無茶苦茶、バカにするにもほどがある。「沖縄差別」「住民分断」「捨て石」に苦しむ沖縄の皆さんの「怒り」を足蹴にする蛮行。「安倍晋三さん。日本本土にお住まいのみなさん…「第二の加害者」は、あなたたちです。」 …でも、2016年7月参院選では、アベ様やニッポン本土の皆さんにはその自覚は無かったようですし、その結果がこのあり様。あまりに酷すぎる。
 辺野古破壊の際の「海猿」こと「海のイヌ」も酷かったが、《防衛省は米軍属女性暴行殺人事件を機に、沖縄に派遣した防犯パトロールの職員》《沖縄・地域安全パトロール隊》も、心痛まないのだろうか、沖縄市民を虐めて? 社説の云う通り《沖縄・地域住民弾圧》なんて、恥ずかしくないのだろうか?

   『●映画『標的の村』監督・三上智恵さん、
      「わずか9時間の歓喜 ~高江工事再開・民意圧殺の朝~」

   『●沖縄と報道カメラマン・石川文洋さん
   『●「百田氏や自民党議員からの圧力はすべてのメディアの 
           言論の自由に対する挑戦・・・危機感を共有して」!
   『●沖縄差別は続く: 黙殺により、「『日本を取り戻す』の中に
                 沖縄は入っていない」ことをアベ様が表明
   『●沖縄差別:目取真俊さん「多くの日本人が
     その嘘っぱちを信じている、というよりも、信じたいんでしょう」
   『●一体何をどれ程「思いやらされている」?…
      「われわれはカネを出さない。どうぞ米軍は撤退してください」
   『●翁長雄志知事、再度の決意表明: 
     「安倍晋三首相は「急がば回れだ」と言うが…政府の選択は誤りだった」
   『●「どうぞ米軍は撤退してください」:散々「思いやら」されて、
                   そしてまたしても「肝苦(ちむぐり)さ」…
   『●「落とした魂(マブイ)」を探しに、なんて悲し過ぎる
         …「選択肢は一つしかない。沖縄から去ることだ」
   『●「…は沖縄県民の耳には「期待するな」
      「何も改善しない」と冷たく翻訳」…中央政府の体をなしていない
   『●「日本政府による命の二重基準」にウンザリ: 
      「日米両政府の空虚な言葉」は不要、基地撤去が抜本対策
   『●「沖縄には明らかにおかしな新聞がある。
     本当に潰れた方がいい」…自民党には「ロクなヤツがいない」
   『●沖縄市民の民意: 民意を何度明確にすれば、 
       アベ様や最低の官房長官らは理解しようとするのか?
   『●「捨て石」: 「安倍晋三さん。日本本土にお住まいのみなさん
                   …「第二の加害者」は、あなたたちです。」
    《安倍晋三さん。日本本土にお住まいのみなさん。今回の事件の
     「第二の加害者は、あなたたちです。しっかり、沖縄に向き合って
     いただけませんか。いつまで私たち沖縄県民は、ばかにされるのでしょうか
     パトカーを増やして護身術を学べば、私たちの命は安全になるのか。
     ばかにしないでください》。
     (東京新聞【沖縄県民大会 玉城愛さんスピーチ全文 本土も「第二の加害者」
      (http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201606/CK2016062102000122.html)より、
        ⇒ コチラ

   『●映画『標的の村』監督・三上智恵さん、
     「わずか9時間の歓喜 ~高江工事再開・民意圧殺の朝~」
   『●「在日沖縄人」石川文洋さんの写真集
       『基地で平和はつくれない――石川文洋の見た辺野古』

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http://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-318099.html

<社説>防犯要員を警備に 県民の安全より弾圧優先か
2016年7月17日 06:02

 防衛省は米軍属女性暴行殺人事件を機に、沖縄に派遣した防犯パトロールの職員を基地建設の抗議行動の警備要員に充てる計画を進めている。派遣先は米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設の現場と米軍北部訓練場の一部返還に伴うヘリパッド建設現場だ。県民の安全を守るために派遣されたはずの職員が基地建設に抗議する住民を鎮圧する任務を担う。これを茶番と言わずして何と言おう。

 派遣職員は防衛省の本省から約10人、全国7地方防衛局から約50人の計約60人だ。米軍属の事件を受けて政府が再発防止策で創設した沖縄・地域安全パトロール隊として夜間巡回に従事するのが本来の目的だった。

 ところが、防衛省が6月23日付で地方防衛局に職員派遣を依頼した文書によると、派遣任務は「沖縄における防犯パトロール及び妨害活動への対応(警備関係)」となっている。公にされることもなく、任務に妨害活動への対応を潜り込ませていたのだ。

 男性職員を1~2週間交代で随時派遣し、期間は7月中旬から12月末となっている。派遣の開始時期が辺野古の陸上工事再開とヘリパッド建設着工時期と重なる。「ただし、現地の状況に応じ期間を延長」との記述もある。「現地の状況」とは抗議行動や県民の反発の度合いを指すのだろう

 防犯パトロールというより抗議行動封じ込めの警備が主眼であるとしか思えない。これでは「沖縄・地域住民弾圧隊」ではないか。県民を愚弄(ぐろう)するにもほどがある

 パトロール隊が巡回を開始した6月15日の出発式で島尻安伊子沖縄担当相は県民の安全、安心のため精いっぱい頑張ってほしいと隊員を激励した。それからわずか8日後に防衛省は任務に「警備」を加えて職員派遣を各防衛局に求めている。最初から県民の安全、安心のためではなく政府が基地建設強行を安全、安心に進めるための派遣だったのだろう。

 被害女性の父親が事件追悼の県民大会参加者に謝意を伝える文書にこう記した。

   「娘は7月18日に21歳になりますが、
    娘の笑顔を見ることは二度と出来なくなりました」

 告別式に参列した中谷元・防衛相に説明してほしい。基地あるが故に起きた女性の犠牲を繰り返さないための巡回と、基地建設強行の警備を任務にすることの意味を。
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●「在日沖縄人」石川文洋さんの写真集『基地で平和はつくれない――石川文洋の見た辺野古』

2016年07月18日 00時00分30秒 | Weblog


asahi.comの三浦亘記者による記事【長野)「沖縄の怒り知って」 石川さん新著で訴え】(http://www.asahi.com/articles/ASJ6Y3VSQJ6YUOOB001.html)。

 《石川文洋さん…写真集「基地で平和はつくれない――石川文洋の見た辺野古」(新日本出版刊)を出版》。

 尊敬する「伝説の報道カメラマン」石川文洋さん。《在日沖縄人》として、辺野古破壊についての写真集を出版されたそうです。「沖縄差別」「住民分断」「捨て石」に苦しむ沖縄の皆さんの「怒り」を知る上で重要でしょう。「安倍晋三さん。日本本土にお住まいのみなさん…「第二の加害者」は、あなたたちです。」 …でも、2016年7月参院選では、アベ様やニッポン本土の皆さんにはその自覚は無かったようです。

   『●沖縄と報道カメラマン・石川文洋さん
     「沖縄出身の「伝説の」報道カメラマン・石川文洋さんについての、
      魚住昭さんによる記事。衆院選でもほとんど話題にならず、
      争点にならない沖縄。米国侵略によるベトナム戦争取材で著名な
      石川さん、今も続く米軍基地問題、どう感じておられるのだろう? 
      いまに始まったことではないが、米兵の犯罪やオスプレイヘリパッド問題…」

   『●映画『標的の村』監督・三上智恵さん、
      「わずか9時間の歓喜 ~高江工事再開・民意圧殺の朝~」

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http://www.asahi.com/articles/ASJ6Y3VSQJ6YUOOB001.html

長野)沖縄の怒り知って」 石川さん新著で訴え
三浦亘 2016年7月7日03時00分

     (出版した写真集を手にする石川文洋さん=諏訪市上諏訪)

 沖縄県出身で、自らを「在日沖縄人」と称する報道写真家、石川文洋さん(78)=諏訪市上諏訪=が、沖縄の米軍普天間飛行場の辺野古移転に反対する運動を克明に追った写真集「基地で平和はつくれない――石川文洋の見た辺野古」(新日本出版刊)を出版した。石川さんは「沖縄人がなぜ、新基地建設に反対しているのか、本土の人に、分かってほしい」と訴えている。

 ベトナム戦争の最前線を取材し、その後、朝日新聞カメラマンとして北ベトナムやカンボジアを取材した石川さん。今も現役のフリーカメラマンとして、海外の紛争地で取材する一方、「戦争を防ぐためには、戦争の実態を知らせることが大切」と、各地でスライドを映しながら反戦平和のための講演活動を続けてきた。

 写真集は、のどかな砂浜が基地建設予定地のフェンスで分断された1枚で始まり、米海兵隊の水陸両用装甲車の訓練風景などを交えながら、米軍基地前での座り込みや海上をカヌーで抗議する人々など、反基地運動の様々な場面が続く。

 沖縄取材のきっかけは、……。
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●辺野古破壊や高江『標的の村』などなど・・・・・・「本土の人間が「沖縄だからいいや」と差別している」

2015年05月20日 00時00分27秒 | Weblog


nikkan-gendaiの書評【週末オススメ本ミシュラン 本土の人間が「沖縄だからいいや」と差別している】(http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/159645)。

 「「フォトストーリー 沖縄の70年」石川文洋著/岩波新書・・・・・・いままで読んだ沖縄の本のなかで、この本は、私の心に一番響いた。理由は3つある」。
 尊敬するフォトジャーナリスト、「現実の戦争を知るベテランジャーナリスト」である石川文洋さんの言葉に耳を傾けてほしい。

   『●〝腰ぬけ〟で結構、害悪老人よりは!!
   『●「日本を売る秘密交渉 TPP」
       『週刊金曜日』(10月18日、964号)についてのつぶやき

     「■⑪『週刊金曜日』(2013年10月18日、964号) / 石川文洋
       (http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/6825289b60b19442e4ab8d25aab34a58
       さん【オスプレイ強行配備から一年 米軍機が飛ばない沖縄の日へ】、
       「米軍機のない光景」「軍隊は住民を守らない」「若い世代への期待」」

   『●「袴田事件の次は狭山事件だ」 『週刊金曜日』(2014年5月23日、992号)
     「■⑤『週刊金曜日』(2014年5月23日、992号) /
       石川文洋さん【ベトナム50年を旅する】、「戦争はその
      〝いい人〟たちが、人を殺すし、拷問もする・・・
       それが戦争です。・・・私の仕事は、今、
       そこで起きてる事実を記録し、伝えること」。
       石川さんとベトナムと沖縄と
       (http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/6825289b60b19442e4ab8d25aab34a58)」

   『●「歴史修正主義 日本の政治家に蔓延する病」
        『週刊金曜日』(2014年10月31日、1014号)・・
     「■⑭『週刊金曜日』(2014年10月31日、1014号) / 
       武田砂鉄氏【新作ドキュメンタリーが公開された
       綿井健陽監督インタビュー イラク戦争が突き付ける
       日本の立ち位置】、「新作『イラク チグリスに浮かぶ平和
       ・・僕自身、石川文洋さんや沢田教一さん等の写真で
       さまざまな戦争を記憶してきた」」

   『●沖縄と報道カメラマン・石川文洋さん
   『●「現実の戦争を知るベテランジャーナリスト」
            石川文洋さんの言葉に耳を

     「「どんな大義を振りかざそうとも、戦争は殺し合いに他ならない
      戦場では、殺すか殺されるか。だからこそ、そんな状況を
      つくってはいけない」・・・・・・では、どうすれば戦争を
      防ぐことができるか。「戦争の実態を知り、悲劇を想像する力を
      持つこと」と説く」」。

   『●宮崎駿さん「沖縄の非武装地域化こそ、
          東アジアの平和のために必要です」

 選者・森永卓郎氏の書評のタイトルは、本質をついている。これまで番犬様やその飼い主・米国、そしてアベ様らの沖縄に対する「差別性の極み」。

   『●沖縄の「屈辱の日」を祝う神経
   『●映画『放射線を浴びた『X年後』』: 
      「こんな巨大な事件が、・・・日本人としての資質が問われる」
   『●米軍の「差別性の極み」:NNNドキュメント’14
        『続・放射線を浴びたX年後 日本に降り注いだ雨は今』

   『●「辺野古の海を守ろう」:
       アベ様の「政権が抱える差別性の極み」に屈せずに

   『●辺野古「この風景は戦争」:
       誇り高き「海猿」の実像は番犬様の飼い主「アベ様のイヌ」

   『●菅義偉官房長官曰く「この問題は過去のものだ。争点にはならない」
                      ・・・・・・なんという言い草!!

   『●辺野古破壊者は沖縄で4度目の完敗だというのに、
                         「ロコツな“沖縄イジメ”」

   『●「法令に基づいて粛々と対応する」「法治国家」ニッポンならば
                         辺野古破壊を直ぐに停止すべき

   『●「主権在アベ様」=「地域住民ごときが文句を言うのは
                 許されないというのが安倍政権の立場」


 先日、再放送で改めて見たドキュメンタリー。【FNS九州8局共同制作 ドキュメント九州/フテンマ・リアル】(http://www.tnc.co.jp/program/detail/MTg3MjQwMTA./20150517):

   「10年前の8月14日、宜野湾市にある大学の構内に
    米軍ヘリが墜落・炎上するという事故が起きた。宜野湾市は
    普天間基地の街であり、「フテンマ」と呼ばれる街である。
     10年前に起きた「沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事故」は
    当時の大学生・フテンマの人、多くの人の記憶に強く残っている。
    あれから10年、人々は何を思っているのだろうか。
     フテンマに生まれ育ち、今年20代ながら宜野湾市議選挙に
    挑戦する者、フテンマの高校を卒業し米軍基地の中で働く若者、
    先祖が基地の中に集落を構え生活をし、現在は父親が
    軍用地主である若者、そのほかフテンマの人々にカメラを向け、
    あの衝撃的な事故から10年経った「フテンマ」を浮き彫りにする。
    (初回放送日 2014年10月26日)」

 「米軍ヘリ墜落ストロンチウム消失事件」、これもある意味で沖縄県民に対する差別の表れだ。

   『●消された放射能汚染:
       米軍ヘリ墜落ストロンチウム消失事件』 


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http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/159645

週末オススメ本ミシュラン
本土の人間が「沖縄だからいいや」と差別している
2015年5月10日

フォトストーリー 沖縄の70年石川文洋著/岩波新書 1020円+税

 いままで読んだ沖縄の本のなかで、この本は、私の心に一番響いた。理由は3つある。

 1つは、著者自身が「在日沖縄人」と呼ぶ沖縄生まれ本土育ちであることだ。私も30年以上、毎年沖縄に通い詰め、「心は島んちゅ」なので、内外双方の視点を持つ著者の主張は、腑に落ちる。

 2つ目は、著者がフォトジャーナリストとしてベトナム戦争の取材をした経験から沖縄を見ていることだ。太平洋戦争で国内唯一の地上戦が行われた沖縄では、多くの一般市民が戦闘に巻き込まれた。その市民の姿は、ベトナム戦争に巻き込まれたベトナム市民と重なる。しかも、沖縄はそのベトナムへと爆撃機を送り出す前線となっていた。

 3つ目は、著者が撮影した写真がふんだんに盛り込まれていることだ。写真のインパクトというのは、ときに文章を圧倒する力を持っている。

 本書を通じて強く感じるのは、沖縄がこの70年間、日本からずっと差別され続けてきているという事実だ。

 終戦の決断が少し早ければ、沖縄が地上戦に巻き込まれることはなかった。住民に自決を勧めなければ、親が自分の子供に手をかけるようなことは、頻発しなかった

 本土が占領から解放された後も、沖縄は四半世紀以上占領下に置かれた。そして、本土復帰以降も、多くの米軍基地が残され、駐留米軍基地の4分の3が沖縄に集中している。さらに、沖縄の基地の返還ペースは、本土の基地の返還よりずっと遅い。そのなかで、爆撃機の墜落事故や米兵による少女暴行事件が起きている。そうした歴史の上で、辺野古の新基地建設だ。

 本書が語るこうした沖縄の70年をみていると、本土の人たちが、「沖縄だからいいや」という差別を続けてきたとしか思えなくなる。

 もともと沖縄は琉球王国という独立国だった。戦うことを好まない琉球は、あっけなく薩摩の支配下に落ちた。沖縄の苦難は、そこからずっと続いているのかもしれない。だから、日本が本当に沖縄の人たちの心に寄り添おうと思えば、沖縄を戦いとは無縁の島にする。つまり、基地のない平和な島に戻すべきなのではないだろうか。著者もそのことを強く望んでいる。

★★★(選者・森永卓郎
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