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●沖縄イジメ…《米軍が現場を占拠し、警察は蚊帳の外…墜落であらわになった不条理さ》の記憶、そして、《軍隊は住民を守らない》という教訓

2024年03月31日 00時00分03秒 | Weblog

[↑ 三上智恵監督「軽んじられている命があるのでは」 【こちら特報部/多少の犠牲は仕方ない…その多少って誰のこと? 映画「戦雲」が問いかける「軽んじられる命」】(東京新聞 2024年03月14日、https://www.tokyo-np.co.jp/article/315046?rct=tokuhou)]


(20240327[])
戦闘機の輸出を可能にし、死の商人国家に成り下がることを閣議決定で進めるキシダメ政権。国会での審議など一切なく。どう見ても憲法違反。違憲に破憲。一体どんな独裁国家なのか?

   『●三上智恵監督『戦雲 (いくさふむ)』…《多少の犠牲は仕方ない…
     その多少って誰のこと?》《「軽んじられている命」があるのでは》

 このしわ寄せが最も顕著なのが沖縄。最早、沖縄差別、沖縄イジメ。《米軍が現場を占拠し、警察は蚊帳の外墜落であらわになった不条理さ》の記憶、そして、《軍隊は人を守らない》《軍隊は住民を守らない》《基地を置くから戦争が起こる》という教訓は一体どこに行ってしまったのか。

   『●横浜米軍機墜落事件: 「米軍が現場を占拠し、
       警察は蚊帳の外。被害者のための救急車は一番最後に…」
    《▼墜落前に脱出し、傷一つない米兵救出のためだけに自衛隊ヘリは出動した。
     米軍が現場を占拠し、警察は蚊帳の外被害者のための救急車は
     一番最後に来たという石川・宮森小沖国大安部墜落であらわに
     なった不条理さと変わらない》。
    「《不条理の連鎖》は、今もなお沖縄では続く。《米軍機は沖国大墜落など
     「なかったこと」のように、今も県民の頭上をかすめ飛んでいる》。
       「在日米軍特権」も、「日米共犯」も、何も変わらない沖縄。
     《沖縄の人たちは逃げられない》《墜落であらわになった不条理さ》…
     今もなお、何も変わらない」

   『●《住民を守ってくれると信じていた日本軍は、住民を壕から追い出し、食
     料を奪い、投降しようとした兵士を背後から射殺し、住民をスパイと…》

 《軍隊は人を守らない大田昌秀さん)》、《軍隊は住民を守らない》《基地を置くから戦争が起こる島袋文子さん)》、《軍隊は同じことをするし、住民も協力するし、軍隊は住民をまた殺すことになる三上智恵さん)》…。《戦争体験の継承はどうして必要》なのか? 大矢英代さんは、《二度と同じ手段で国家に殺されないように、生活を奪われないように、知恵をつけること》。《「負の歴史こそが、本物の、騙されない強い未来を引き寄せてくれる力につながるということを、この人たちが私に信じさせてくれた」と著者三上智恵は書いている》。
 よりによって、宮森小学校米軍ジェット機墜落事故の記憶の残る石川市(現うるま市)で…。《本当に「沖縄のため」なのか》? そんなことがある訳ないでしょ!
 西田直晃木原育子両記者による、東京新聞の記事【こちら特報部/不意打ちの「自衛隊訓練場計画」に地元が怒り 自民県連まで白紙撤回申し入れ それでも政府は「沖縄のため」】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/317541)によると、《沖縄県うるま市のゴルフ場跡地に陸上自衛隊の訓練場を整備する計画が持ち上がり、地元が一致して白紙撤回を求めている近くには米軍機墜落事故の記憶が残る住宅地もある。保革を超えて反対の声が広がり、自民党沖縄県連も、防衛省に土地取得の断念を求める異例の要請を行った。台湾有事への備えとして進む基地強化は本当に沖縄のためなのか本土に住む私たちにも直結する問題だ。(西田直晃木原育子)》


 米潜水艦魚雷攻撃で沈没した学童疎開船対馬丸生存者・平良啓子さん「あの戦争が頭から離れないもう二度とごめんだ」…体験通し戦争否定貫く。《「戦時下になれば安全な場所はないという教訓》。《いったん始まってしまえば非戦闘員であろうが、避難の最中であろうが、惨禍を免れることはできないという「戦争の実相」を伝え》続けなければ。

   『●対馬丸事件…《戦争でどれだけ多くの命が海に消えたか。辺野古…大浦湾
        …多くの戦没者が眠る海を破壊して、新たな軍事基地》を建設中
    《他の平和ミュージアムにはない対馬丸記念館の特徴は、
     子どもたちの中に平和の文化を根付かせる取り組みを重視している
     点だ。2012年に「つしま丸児童合唱団」を結成。20年には
     幼い子どもたちが犠牲になった宮森小学校米軍ジェット機墜落事故
     写真展を対馬丸記念館で開いた。》

   『●琉球新報社説《対馬丸撃沈と宮森小墜落事故は、戦争中の子どもの犠牲
     と、戦後の米軍統治下の子どもの犠牲を象徴する最も痛ましい事例である》
   『●「対馬丸」生存者…「あの戦争が頭から離れない。
      もう二度とごめんだ」…「九条の碑」早期建立を呼び掛け
   『●トランプ氏により《安倍政権が「戦争のできる国」への大転換を行い》、
      バイデン氏により《岸田政権は「軍事国家」へ大転換》(琉球新報)
   『●米潜水艦魚雷攻撃で沈没した学童疎開船対馬丸生存者・平良啓子さん「あの
      戦争が頭から離れない。もう二度とごめんだ」…体験通し戦争否定貫く
   『●軍事費倍増、軍事国家化して《標的の島》々へ…「対馬丸」生存者・
      平良啓子さん「あの戦争が頭から離れない。もう二度とごめんだ」
   『●《対馬丸撃沈79年》《いったん始まってしまえば非戦闘員であろうが、
     避難の最中であろうが、惨禍を免れることはできない…「戦争の実相」》

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/317541

こちら特報部
不意打ちの「自衛隊訓練場計画」に地元が怒り 自民県連まで白紙撤回申し入れ それでも政府は「沖縄のため」
2024年3月27日 12時00分

 沖縄県うるま市のゴルフ場跡地に陸上自衛隊の訓練場を整備する計画が持ち上がり、地元が一致して白紙撤回を求めている近くには米軍機墜落事故の記憶が残る住宅地もある。保革を超えて反対の声が広がり、自民党沖縄県連も、防衛省に土地取得の断念を求める異例の要請を行った。台湾有事への備えとして進む基地強化は本当に沖縄のためなのか本土に住む私たちにも直結する問題だ。(西田直晃木原育子


◆保革を超えて『負けてーならん』

     (陸上自衛隊(資料写真))

 今月20日、うるま市内で開かれた訓練場新設に反対する集会。計画地の周辺自治会や地方議員でつくる「自衛隊訓練場設置計画の断念を求める会」が主催、約1200人が詰めかけた。登壇者は政治的立場を超え、計画への怒りを訴えた

 元自民党県議の伊波常洋共同代表は「(普天間飛行場の)辺野古の移設では、故翁長雄志元知事が保革を超えて戦った。私たちも、保革を超えて負けてーならん』ということ」と気勢を上げ、「いきなり新聞報道で計画が分かった地元にひと言もない」と国への不信感を吐露した。中村正人市長も「国の動向を注視し、訓練場をつくらせないという強い反対の意志を伝えていく」と語った。

 今回の計画が表面化したのは、新年度予算案に防衛省がゴルフ場跡地の取得費を計上すると報じた、昨年12月の地元紙のスクープ記事だった。閣議決定はそのわずか2日後。年が明けると、地元の旭区自治会が反対決議を採択し、抗議の輪は周辺自治会や議会関係者へと広がっていった。

 県議会とうるま市議会は、計画の白紙撤回を求める意見書を全会一致で可決。自民県連は今月18日、「土地取得の断念を含めた白紙撤回」を木原稔防衛相に申し入れた。中村市長や玉城デニー知事も土地取得自体の断念を求める。

 「島ぐるみ」とみえる強固な反発のうねり。その背景には訓練場計画地の立地がある。年間4万人の子どもたちが訪れる県立石川青少年の家が隣接し、周辺は幼稚園児の散歩コースとしてなじみの場所。住宅街も間近に広がっている。

 「訓練場が完成すれば、日常生活が根底から脅かされてしまう。まさに『寝耳に水』だ」と憤るのは、求める会事務局長の伊波洋正さん(71)。「自然とふれ合う教育施設や民家があるのに、住民の意向を事前にくみ取る様子もなかった。場所が確保できるという一方的な理由だけで、決定事項を押し付けるやり方には我慢できない」


◆事故の記憶があるのにまた危険と隣り合わせ?

 過去の苦い記憶もある。計画地の1.5キロほど南西にある宮森小学校を襲った悲劇だ。1959年6月、米軍のジェット戦闘機墜落事故に巻き込まれた。近くに落ちたジェット機は家屋をなぎ倒しながら、児童が過ごすコンクリート校舎に激突した周辺は大規模火災に襲われ、児童と住民の計18人が死亡、200人以上が重軽傷を負った

 事故の体験者でもある伊波事務局長は「午前中の休み時間、とてつもない破壊音がした。私の教室は無事だったが、衝突現場の方角から聞こえた児童の悲鳴を今も忘れられない」と声を絞り出す。

 担任教師に帰宅を指示された下校中、やけどで肌が変色し、荷車に乗せられた全裸の男児を目撃した。「荷車を押していた女性は真っ青な顔。男の子は目をつぶり、身動き一つしなかった。後遺症が残った人も多かった」。65年前に事故に遭った住民が今も暮らす中、今回の計画で多くの人が当時の過酷な状況を思い出しているという。伊波事務局長は語気を強める。「この場所に訓練場をつくる動き自体が、体験者の尊厳を踏みにじる行為だ」


◆「つくられてしまえば何をされるか分からない」

 うるま市で保革を超えて反対が広がった理由は、他にもあるという。

     (ミサイル部隊が配備された
      陸上自衛隊宮古島駐屯地(資料写真))

 今月、同じ市内にある陸自勝連分屯地に、陸地から艦艇を攻撃する地対艦ミサイル部隊が新編された。防衛省によると、名称は「第7地対艦ミサイル連隊」。連隊の本部と指揮下の中隊など計約200人規模となる。県内の宮古島駐屯地宮古島市)や石垣駐屯地石垣市)のほか、鹿児島県・奄美大島の地対艦部隊の指揮を担う。

 地対艦部隊の発足は沖縄本島では初で、配備された21日も分屯地の前で多くの人が抗議の声を上げた。

 さらに同時期に、米空軍輸送機V22オスプレイ墜落事故と、強行な飛行再開も重なった。昨年11月に鹿児島県・屋久島沖で起きた8人死亡の事故の後、米軍は、全世界でオスプレイの飛行を停止。その後、「特定の部品の不具合」が事故原因としながら、詳細を明かさないまま今月8日、停止措置を一方的に解除防衛省も追随する形で飛行を再開した

 「基地を巡るさまざまな出来事が起きる中で、訓練場の計画も地元の頭越しに決められ、『つくられてしまえば何をされるか分からない』と市民に強い憤りと危機感が広がった」と地元議員の1人は振り返る。

     (米軍のMV22オスプレイ(資料写真))

 6月16日投開票の沖縄県議選や来春のうるま市長選といった今後の政治日程も影響したという。「市民からの強い突き上げがあって、最初は静観していた議員らも訓練場計画の白紙撤回を求めざるを得ない状況に追い込まれた」と話す。


◆木原稔防衛相「白紙にする考えはない」

 2022年に閣議決定された安保3文書には、那覇市内にある陸自第15旅団の師団への格上げが盛り込まれている。自衛隊の人員増への対応として、沖縄に訓練場を増やすのは政府の命題でもある。

 今月22日の参院外交防衛委員会で、会派「沖縄の風」の伊波洋一議員(無所属)は「訓練場が足りなくなるから購入するのか」と迫った。木原防衛相はそれをあっさり認め、取得後の土地利用のあり方は「検討する」と譲歩の姿勢を見せた。

 ただ、ゴルフ場跡地への整備が見送られたとしても、県内の他の土地に訓練場がつくられるという可能性もある。伊波議員は「地元住民には『オスプレイは来ません、ミサイルは配備しません、弾薬は持ち込みません、米軍は来ませんって口約束をし、全て後でひっくり返してきた。土地の取得自体を断念してください」と促したが、木原氏は「白紙にする考えはない」と一蹴。「これは沖縄のためでもある。沖縄での訓練を増やさせていただきたい」と理解を求めた。


◆「県民、国民の合意を得て進めているとは、到底思えない」

     (沖縄県庁(資料写真))

 防衛問題に詳しいジャーナリストの布施祐仁氏は、「本当に沖縄のためかと疑問を呈する。新年度予算の防衛費は7兆円を超え過去最大を更新。「日本政府が想定しているのは台湾有事。具体的には中国の侵攻から台湾を防衛するために米国と一体で参戦していく準備だ。台湾防衛のために日本の国土を戦場にするのか県民、国民の合意を得て進めているとは、到底思えない」と首をかしげる。

 「日本政府は、沖縄に基地を集中させることで『基地問題』を沖縄に封じ込めようとしてきた。だが、いざ戦争になった時、沖縄だけが攻撃されるのか。被害は日本全体に及ぶと考えるのが自然だ」とし、沖縄の軍備拡張も「日本の安全保障の問題だ」ととらえる。

 「沖縄の過重な基地負担を解消するためにも、日本の国土を再び戦場にしないためにも、日本全体で考えていかなければならない問題だ」と訴えた。


◆デスクメモ

 「うちなーんちゅ、うしぇーてー、ないびらんどー」。2015年、辺野古新基地反対の県民集会。翁長雄志氏の叫びに歓声が広がった。集会後、沖縄の人をないがしろにしないで、という意味と知る。戦争を経てなお過重な基地を抱える痛みと平和への願い。心に焼きついている。(恭)


【関連記事】「国策なら」基地でも処分場でも自由に造れる?…沖縄県敗訴の辺野古判決にちりばめられた「矛盾」
【関連記事】敵基地攻撃能力に沖縄・石垣市議会が「容認できない」意見書可決 台湾に近い有事の際の最前線で何が起きたのか…
【関連記事】次期戦闘機「輸出解禁」を政府が決定 「平和国家」を変質させる重大な政策変更を、岸田政権はまた国会抜きで
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●《対馬丸撃沈79年》《いったん始まってしまえば非戦闘員であろうが、避難の最中であろうが、惨禍を免れることはできない…「戦争の実相」》

2023年10月01日 00時00分29秒 | Weblog

//// (2023年08月27日[日])
あまりにもアホすぎるド「アホウ節」な、台湾での《「戦う覚悟」発言》。

   『●「戦う覚悟」…何度目かの《あまりにもアホすぎる》ド「アホウ節」――
     戦争法や軍事費倍増、軍事国家化の前に「戦争絶滅受合法案」の制定を
   『●台湾での《「戦う覚悟」発言》…《あまりにもアホすぎる》ド「アホウ
     節」はキシダメ首相と《打ち合わせた“政府の代弁”》だったとは…
   『●《「戦争絶滅受合法案」…権力を持つ者から犠牲になるなら、自らは
     安全地帯にいてナショナリズムをあおる政治家は姿を消すだろう》

 それは、キシダメ首相と打ち合わせた“政府の代弁”》だったとは…呆れてしまう。アホウ氏もキシダメ氏も《法衣の下に鎧を隠しているような男》(=アベ様)。

   『●「平和と憲法を守る決意をもった著名人」菅原文太さん:
             「政治の役割は・・・絶対に戦争をしないこと」
    「日刊スポーツの記事『大橋巨泉、愛川さん訃報「日本にとって大マイナス」』
     (http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1463027.html)によると、
     「菅原文太さんに続いて、平和と憲法を守る決意をもった著名人が
     他界した事は、日本にとって大マイナスである。ボクも簡単には
     死ねないなと考えている」。
      「絶対に戦争をしないこと!」、この一点を死守したい。「アベ様のNHK」を
     はじめとしたマスコミの堕落、そして、「”テレ朝は今日、死んだに等しい
     と思います”」状態。何度も引用するが、俳優や芸人の矜持の無さ。

   『●争点は「壊憲」: 大橋巨泉さん「最後の遺言」
       …日本を『戦争ができる国』に変えてはいけない
    「僕は、ポピュリズムの権化のような安倍首相をまったく信用しない。
     (略)本当にやりたいのは憲法改正であり、日本を
     『戦争ができる国』に変えることでしょう。実際、ニコニコして、
     口当たりの良いフレーズを並べておきながら、国民の過半数が
     反対した特定秘密保護法を強引に通してしまった。
     法衣の下に鎧を隠しているような男の言動にだまされてはいけません」
     (「日刊ゲンダイ」/2014年5月12日)

   『●《自民党は殺傷能力のある武器の輸出解禁を目指しています》…アノ
     戦争法の強行採決以降暴走を加速、敵基地攻撃能力の保有や軍事費倍増
   『●森村誠一氏「秘密保護法…作成、強行成立の過程が杜撰…こういう法律が
     できたことを国民が忘れず、廃止に向け声を上げ続けることが大切だ」
   『●アベ様が《集団的自衛権の行使容認を閣議決定…このタイミングで自衛官
     募集のダイレクトメールが届けられた…「赤紙が来た」「召集令状だ」》
   『●ダースレイダーさん《愛国心から「日本の国土である尖閣諸島や竹島は大事」
      と言う人は多い。ならば、どうして辺野古は大事じゃないんだろう》?

 米潜水艦魚雷攻撃で沈没した学童疎開船対馬丸生存者・平良啓子さん「あの戦争が頭から離れないもう二度とごめんだ」…体験通し戦争否定貫く。《「戦時下になれば安全な場所はないという教訓》。《いったん始まってしまえば非戦闘員であろうが、避難の最中であろうが、惨禍を免れることはできないという「戦争の実相」を伝え》続けなければ。
 沖縄タイムスの【[社説]対馬丸撃沈から79年 重なる住民保護の教訓】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1208479)。《今年は対馬丸の「語り部」として多くの場に立ってきた平良啓子さんも急逝した。「戦争だけは絶対に許さない」と繰り返してきた平良さん。強い言葉には、いったん始まってしまえば非戦闘員であろうが、避難の最中であろうが、惨禍を免れることはできないという「戦争の実相」を伝えたい思いが込められていた。後世に生きる私たちは直視せねばならない》。
 琉球新報の【<社説>対馬丸撃沈79年 学童の犠牲繰り返さない】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1770302.html)。《平良さんは1984年の著書「海鳴りのレクイエム」の中で「海よ、沈黙するな。せめて、私の海よ語れ。海底に眠る幼き魂のさけびを。平和のことばを!」と記した。私たちは犠牲者の声なき声に耳をすまし、平和の言葉で戦争につながる動きに抵抗しなければならない。これを対馬丸撃沈79年の誓いとしたい》。

   『●対馬丸事件…《戦争でどれだけ多くの命が海に消えたか。辺野古…大浦湾
        …多くの戦没者が眠る海を破壊して、新たな軍事基地》を建設中
    《他の平和ミュージアムにはない対馬丸記念館の特徴は、
     子どもたちの中に平和の文化を根付かせる取り組みを重視している
     点だ。2012年に「つしま丸児童合唱団」を結成。20年には
     幼い子どもたちが犠牲になった宮森小学校米軍ジェット機墜落事故
     写真展を対馬丸記念館で開いた。》

   『●琉球新報社説《対馬丸撃沈と宮森小墜落事故は、戦争中の子どもの犠牲
     と、戦後の米軍統治下の子どもの犠牲を象徴する最も痛ましい事例である》
   『●「対馬丸」生存者…「あの戦争が頭から離れない。
      もう二度とごめんだ」…「九条の碑」早期建立を呼び掛け
   『●トランプ氏により《安倍政権が「戦争のできる国」への大転換を行い》、
      バイデン氏により《岸田政権は「軍事国家」へ大転換》(琉球新報)
   『●米潜水艦魚雷攻撃で沈没した学童疎開船対馬丸生存者・平良啓子さん「あの
      戦争が頭から離れない。もう二度とごめんだ」…体験通し戦争否定貫く
   『●軍事費倍増、軍事国家化して《標的の島》々へ…「対馬丸」生存者・
      平良啓子さん「あの戦争が頭から離れない。もう二度とごめんだ」

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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1208479

[社説]対馬丸撃沈から79年 重なる住民保護の教訓
2023年8月22日 5:01

 学童や一般人ら1788人を乗せた疎開船「対馬丸」が、米潜水艦に撃沈されてからきょうで79年になる。

 犠牲者は名前が判明しただけで学童784人を含む1484人に上る。しかし、日本軍は撃沈事件を軍事機密としてかん口令を敷き、いまだに被害の全容は明らかになっていない

 対馬丸による疎開が決まったのは、サイパン島が米軍の手に落ち沖縄への米軍進攻が現実味を帯びたころだった。

 学童らが乗船する約1カ月前。沖縄の近海はすでに、日本軍の補給路を断とうとする米軍の潜水艦で戦場となっていた。

 不穏な情勢を察知したり、島を離れることに不安を持ち、疎開命令にもかかわらず乗船しなかった住民もいる。そうした中の学童疎開で、安全性を考え軍艦での移送を要望する学校長もいた。

 対馬丸は、他の疎開船2隻と、護衛艦2隻の計4隻とともに那覇港を出て長崎へ向かった。

 米潜水艦の魚雷に撃沈されたのは出港の翌日のことだ。他の4隻は無事で、対馬丸だけが攻撃の的となった理由は今も判明していない

 はっきりしているのは「戦時下になれば安全な場所はないという教訓だ。

 戦時国際法非戦闘員への攻撃を禁じている民間人が乗った船舶への攻撃は、国際法違反のはずだった

 それでも去る大戦では、航行中に戦没した住民が後を絶たなかったのである。

■    ■

 戦時中、米軍に攻撃されて沈没した沖縄関係の船舶は他にもある。

 1942年から45年にかけて26隻が犠牲になった。沈没地点は南西諸島周辺だけでなく、旧南洋群島など幅広い海域に及び、死者数は少なくとも4579人(うち県出身者3427人)に上る。

 米軍が慶良間諸島に上陸したのは45年3月。しかしその数年前から、海上は戦場となっていた。

 あれから80年近くたった。

 県は今年3月、他国からの武力攻撃を想定した住民避難の図上訓練を初めて実施した。訓練には先島の市町村担当者のほか、国の省庁関係者や自衛隊など約100人が参加した。

 武力攻撃が起きる直前に離島住民の避難を想定した住民保護の訓練という。

 だが、直前の避難で間に合うのか。避難先での生活の見通しは立つのか。そもそも現代の武器を前に避難で命を守ることはできるのか

 過去の疎開経験と比較した時いくつもの疑念が浮かぶ。

■    ■

 戦争体験者の老いは急速に進んでいる。

 今年は対馬丸の「語り部」として多くの場に立ってきた平良啓子さんも急逝した。

 「戦争だけは絶対に許さない」と繰り返してきた平良さん。強い言葉には、いったん始まってしまえば非戦闘員であろうが、避難の最中であろうが、惨禍を免れることはできないという「戦争の実相」を伝えたい思いが込められていた。

 後世に生きる私たちは直視せねばならない。
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https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1770302.html

<社説>対馬丸撃沈79年 学童の犠牲繰り返さない
2023年8月22日 05:00

 疎開学童らを乗せて那覇から九州に向かっていた対馬丸が米潜水艦の魚雷攻撃で沈められて79年を迎えた。

 乗船していた学童の9割以上が命を奪われた。戦争遂行を最優先する軍の論理が強いた犠牲である。この悲劇を繰り返してはならない。

 「絶対国防圏」の一角にあったサイパン島の日本軍が壊滅した1944年7月7日、政府は南西諸島の女性やお年寄り、子どもたち約10万人を九州や台湾へ疎開させる決定をした。軍の足手まといとなる県民を戦場から立ち退かせ、食料を確保することが疎開の目的だった

 学童疎開も同様であった。44年7月19日に県が国民学校長らに発した「学童集団疎開準備ニ関スル件」は、学童疎開を「国土防衛態勢確立」の一翼を担うものと位置付けた上で、「県内食糧事情ノ調節」を図ると記し、食料確保の意図を示していた。

 将来の戦力温存という狙いもあったとされる。44年7月18日の臨時校長会で県内政部長は「(国民学校)初等科3年以上の男子は将来の大事な人的資源である。集団的に安全なる地に先生が連れて疎開させる」と発言した。兵舎となる教室を接収するため学童疎開を急いだともされる。

 学童疎開は軍や政府の意向に沿ったものだった。しかも沖縄近海の制海権は失われていた。軍の論理が優先され、疎開児童を乗せた対馬丸は危険な海域を航行しなければならなかった撃沈の事実はかん口令によって伏せられた

 疎開学童の犠牲と向き合い、国の責任を問い続けていたのが、対馬丸体験の語り部で、7月29日に88歳で他界した平良啓子さんであった。平良さんは生前、「皇民化教育で洗脳され、国のために死んでいった。疎開も子どものためと言いながら、本当は口減らしだった」と学童疎開を推し進めた国の責任を厳しく指摘してきた。

 撃沈後、6日間の漂流の末、奇跡的に生還した平良さんは19歳で小学校臨時教員になった時から自身の体験を子どもたちに伝えてきた国の犠牲となった子どもたちを悼み銃を持ってはいけない戦争に加担してはいけないという決意からだった。

 近年、「台湾有事」が喧伝(けんでん)され、沖縄の島々で軍備増強が急速に進んだ。戦争準備のような空気の中で県民の命は顧みられているだろうか。軍の論理がよみがえり、横行するような事態を繰り返してはならない。そのためにも対馬丸の悲劇を語り継がなければならない

 平良さんは1984年の著書「海鳴りのレクイエム」の中で「海よ、沈黙するな。せめて、私の海よ語れ。海底に眠る幼き魂のさけびを。平和のことばを!」と記した。

 私たちは犠牲者の声なき声に耳をすまし、平和の言葉で戦争につながる動きに抵抗しなければならない。これを対馬丸撃沈79年の誓いとしたい。
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●軍事費倍増、軍事国家化して《標的の島》々へ…「対馬丸」生存者・平良啓子さん「あの戦争が頭から離れない。もう二度とごめんだ」

2023年08月26日 00時00分18秒 | Weblog

(2023年8月7日[月])
キシダメ政権による軍事費倍増軍事国家化し《標的の島》々…「対馬丸事件」生存者・平良啓子さん「あの戦争が頭から離れないもう二度とごめんだ」。そして、<金口木舌>《「戦争を止めることが生き残された者の使命だ」とはっきり語っていた姿を思い出す。反戦・平和への信念を生涯貫き通した平良啓子さん。(沖縄タイムス社説)《戦後、啓子さんを突き動かしたのは、仲の良かったいとこを亡くしたことや、同じ年頃の子どもたち784人が、一瞬にして未来を奪われてしまったことへの、深い罪責の念だった》、《体験通し戦争否定貫く》。

   『●「対馬丸」生存者…「あの戦争が頭から離れない。
      もう二度とごめんだ」…「九条の碑」早期建立を呼び掛け
   『●トランプ氏により《安倍政権が「戦争のできる国」への大転換を行い》、
      バイデン氏により《岸田政権は「軍事国家」へ大転換》(琉球新報)
   『●米潜水艦魚雷攻撃で沈没した学童疎開船対馬丸生存者・平良啓子さん「あの
      戦争が頭から離れない。もう二度とごめんだ」…体験通し戦争否定貫く

 記憶の継承を。どう戦争の記憶を残し、戦争を回避するのか。戦争の記憶の継承、《語り継ぐ》。歴史の記憶の継承語り継ぐこと。記憶の澱をかき乱し、呼び覚ます。
 琉球新報のコラム【<金口木舌>反戦平和を貫いた平良啓子さん】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1757795.html)によると、《▼那覇市の小桜の塔での慰霊祭で「戦争を止めることが生き残された者の使命だ」とはっきり語っていた姿を思い出す。反戦・平和への信念を生涯貫き通した ▼12日には「沖縄戦の記憶継承プロジェクト~戦争をしない/させないために」で娘の次子さんと親子で講話をする予定だった。訃報が残念でたまらない。平良さんの思いは次世代に受け継がれる。今は勇気と情熱の生きざまをまぶたに焼き付けたい》。

   『●対馬丸事件…《戦争でどれだけ多くの命が海に消えたか。辺野古…大浦湾
        …多くの戦没者が眠る海を破壊して、新たな軍事基地》を建設中
    《他の平和ミュージアムにはない対馬丸記念館の特徴は、
     子どもたちの中に平和の文化を根付かせる取り組みを重視している
     点だ。2012年に「つしま丸児童合唱団」を結成。20年には
     幼い子どもたちが犠牲になった宮森小学校米軍ジェット機墜落事故
     写真展を対馬丸記念館で開いた。》

   『●琉球新報社説《対馬丸撃沈と宮森小墜落事故は、戦争中の子どもの犠牲
     と、戦後の米軍統治下の子どもの犠牲を象徴する最も痛ましい事例である》

 アノ戦争法を早く廃止にしないと…「安倍政権は(日本を)再び戦争可能な国家にしようとしているが、絶対にいけない」。
 同紙のもう一つのコラム【<金口木舌>戦争へ怒り著書に込め】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1758518.html)/《作者の森村誠一さんが7月24日死去した… ▼戦争への怒りはノンフィクション「悪魔の飽食」にも込められた。日本軍の731部隊(関東軍防疫給水部)が中国でひそかに行っていた人体実験を白日の下にさらした ▼2004年に県内であった「悪魔の飽食」コンサートの際には、米軍基地が集中する沖縄を語った。村のおきてに従わない者と絶交する「村八分」に例え「“国八分”の状態が今も続いている」と断じた。作品を通じて戦争の醜さを追及し、人間性を問い続けた姿勢を忘れまい》。

   『●《自民党は殺傷能力のある武器の輸出解禁を目指しています》…アノ
     戦争法の強行採決以降暴走を加速、敵基地攻撃能力の保有や軍事費倍増
   『●森村誠一氏「秘密保護法…作成、強行成立の過程が杜撰…こういう法律が
     できたことを国民が忘れず、廃止に向け声を上げ続けることが大切だ」

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https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1757795.html

<金口木舌>反戦平和を貫いた平良啓子さん
2023年8月2日 05:00
金口木舌 反戦 平和 沖縄戦の記憶継承プロジェクト

 2017年8月、奄美大島の宇検村を訪れた。対馬丸乗船者の遺体が流れ着いた地である。この地で村人に助けられ、手厚い看護で回復した女の子がいた


平良啓子さん。平和教育の先駆者となり体験を子どもたちに語ってきた。命を助けてくれた村民への感謝と鎮魂を胸に宇検村に通い続けた。7月29日、88歳で亡くなった

▼村に慰霊碑が建立されたのが17年。救助にあたった大島安徳さんは戦後交流を続けた平良さんの影響もあり、多くの遺体が傷つき流れ着いた凄惨(せいさん)な光景を語り伝えてきた。平良さんは碑の建立に安堵(あんど)し、喜んでいた

▼那覇市の小桜の塔での慰霊祭で「戦争を止めることが生き残された者の使命だ」とはっきり語っていた姿を思い出す。反戦・平和への信念を生涯貫き通した

▼12日には「沖縄戦の記憶継承プロジェクト~戦争をしない/させないために」で娘の次子さんと親子で講話をする予定だった。訃報が残念でたまらない。平良さんの思いは次世代に受け継がれる。今は勇気と情熱の生きざまをまぶたに焼き付けたい
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https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1758518.html

<金口木舌>戦争へ怒り著書に込め
2023年8月3日 05:00
金口木舌 森村誠一 悪魔の飽食 国八分

 小説「人間の証明」は、ある殺人事件に秘められた母と子の数奇な運命を描いた。戦争の暗い影に翻弄(ほんろう)され続ける人々の姿が胸に迫ってくる


▼1976年に発表され、翌年に映画化もされた。十代の少年には理解が及ばない物語だったが、さまざまな思いを抱かせる小説だと今にして思う。作者の森村誠一さんが7月24日死去した

▼郷里の埼玉県熊谷市が45年8月14日に空襲に遭った。翌日、近くの川で近所の知り合いが息絶え、折り重なっている無残な姿を目の当たりにした。これが創作の原点となった

▼戦争への怒りはノンフィクション「悪魔の飽食」にも込められた。日本軍の731部隊(関東軍防疫給水部)が中国でひそかに行っていた人体実験を白日の下にさらした

▼2004年に県内であった「悪魔の飽食」コンサートの際には、米軍基地が集中する沖縄を語った。村のおきてに従わない者と絶交する「村八分」に例え「“国八分”の状態が今も続いている」と断じた。作品を通じて戦争の醜さを追及し、人間性を問い続けた姿勢を忘れまい。
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●米潜水艦魚雷攻撃で沈没した学童疎開船対馬丸生存者・平良啓子さん「あの戦争が頭から離れない。もう二度とごめんだ」…体験通し戦争否定貫く

2023年08月19日 00時00分06秒 | Weblog

(2023年07月31日[月])
平良啓子さん「あの戦争が頭から離れないもう二度とごめんだ」。(沖縄タイムス社説)《戦後、啓子さんを突き動かしたのは、仲の良かったいとこを亡くしたことや、同じ年頃の子どもたち784人が、一瞬にして未来を奪われてしまったことへの、深い罪責の念だった》、《体験通し戦争否定貫く》。
 対馬丸事件の教訓…《この悲劇は、いったん戦争に巻き込まれればいかなる対象も、攻撃される対象となる危険性》。それをどう継承するか。なぜ継承するのか。《戦争の記憶を継承…なぜ継承するのか…過ちを繰り返さないために過去の過ちから学ぶ》。(沖縄タイムス社説)《啓子さんは対馬丸記念館で、命の対話私が、対馬丸を語り継ぐ意味」と題した…催しに参加した。対話の相手役は、娘の平良次子さん…。親から子へ体験者から非体験者へその積み重ねを通して非体験者は戦争のリアリティーを体験者から学び取る》。

   『●「対馬丸」生存者…「あの戦争が頭から離れない。
       もう二度とごめんだ」…「九条の碑」早期建立を呼び掛け

 沖縄タイムスのコラム【[大弦小弦]平良啓子さんの強さ】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1196048)によると、《強くてかっこいい人。故平良啓子さんにはそんなイメージがある。だから、海沿いでお会いしたある時、ふと漏らした「海はあんまり見たくない」という細い声が、耳に残っている ▼79年前、疎開のために乗った対馬丸が米軍に沈められた。仲良しのいとこ、時子さんら親族3人を亡くした。海で一緒に樽(たる)につかまった時子さんは目の前で波にさらわれた ▼やっと沖縄に戻ると、時子さんの母は「あなたは元気で帰ってきたのに、うちの時子は太平洋に置いてきたの」と問うた。海を見れば時子さんの顔が浮…》。
 同紙の【[社説]対馬丸・平良さん死去 体験通し戦争否定貫く】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1196009)によると、《沖縄戦の語り部がまた一人、若い世代に多くのメッセージを残して、旅立った。学童疎開船「対馬丸」の生き残りの平良啓子さんが、大動脈解離のため名護市内の病院で死去した。88歳だった。過酷な漂流体験で身に染みた戦争の悲惨さ、愚かさを訴え続けた半生だった》、《戦後、啓子さんを突き動かしたのは、仲の良かったいとこを亡くしたことや、同じ年頃の子どもたち784人が、一瞬にして未来を奪われてしまったことへの、深い罪責の念だった》。

   『●「通貨が社会を変える?」
       『週刊金曜日』(2014年7月4日、998号)についてのつぶやき

      【黒島美奈子の政治時評/対馬丸事件の教訓を唾する「武力放棄」
       憲法下での異常 日本は再び戦争のできる国】、「この悲劇は、
       いったん戦争に巻き込まれればいかなる対象も、攻撃される対象と
       なる危険性を後世に伝えている

   『●「戦没 新聞人の碑」と「対馬丸犠牲者の慰霊碑 小桜の塔」
    《ただ先人たちの霊を慰めるだけでなく、先人たちの前に反戦平和を
     誓う場所がこの碑ではないか》

   『●沖縄出身脚本家上原正三さん、「民意を顧みず、
      基地を押し付け…沖縄を植民地としてしか見ていない証拠」
   『●「沖縄戦20万余の犠牲者、焼き場に立つ長崎の少年」や
              アジアでの慰霊につなげる意思が感じられない…
    「《「対馬丸事件」…。沖縄で事件を後世に伝える生存者たちは
     「今も続く沖縄の苦しみは『真珠湾』が原点。首相には、
     そこまで思いを至らせてほしい」と願っている》…でも、残念ながら
     アベ様には、《そこまで思いを至らせ》る、なんて無理というもの…」

   『●対馬丸事件の教訓…《この悲劇は、いったん戦争に巻き
     込まれればいかなる対象も、攻撃される対象となる危険性》
    「沖縄タイムスの記事【「いつまでも忘れないこと」 吉永小百合さん
     対馬丸記念館へメッセージ 戦争で撃沈、犠牲の児童らに想い】…
     《メッセージの中で対馬丸で犠牲になった子どもたちについて触れ、
     「私達はしっかりと胸に刻んで、いまを生きる。いつまでも忘れない
     ことが大切です二度と戦争をしないという強い思いのなかで
     吉永小百合
」と色紙にしたためた》」

   『●《小桜の塔…対馬丸記念館…照屋さんは「記念館があることにより、
     子どもたちが歴史を知る機会につながる」と館存続の意義を語った》
   『●対馬丸事件…《戦争でどれだけ多くの命が海に消えたか。辺野古…
     大浦湾…多くの戦没者が眠る海を破壊して、新たな軍事基地》を建設中
    「対馬丸事件の教訓…《この悲劇は、いったん戦争に巻き込まれれば
     いかなる対象も、攻撃される対象となる危険性》。それをどう
     継承するか。なぜ継承するのか。《戦争の記憶を継承…なぜ継承
     するのか…過ちを繰り返さないために過去の過ちから学ぶ》」
    《「軍は住民に必要な情報を隠す」「住民の危険より兵力を重視する
     ことが対馬丸事件の教訓に挙げられよう。仮に台湾有事となった
     場合、こうした教訓は生かされるだろうか。石垣市や宮古島市が
     国民保護法に基づいてまとめた避難計画のひな型では、
     住民避難に必要な航空機は石垣が延べ435機、宮古島が
     381機と試算している。船舶であれば、宮古島だけで
     114隻を必要とする現実離れした計画であり、有事に
     逃げ遅れた住民が巻き添えになる可能性は高い。運よく
     航空機や船舶が確保できても、対馬丸のように戦場である
     空域や海域に住民を送り込むことになりかねない。》

   『●琉球新報社説《対馬丸撃沈と宮森小墜落事故は、戦争中の子どもの犠牲と、
      戦後の米軍統治下の子どもの犠牲を象徴する最も痛ましい事例である》

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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1196009

[社説]対馬丸・平良さん死去 体験通し戦争否定貫く
2023年7月31日 5:01

 沖縄戦の語り部がまた一人、若い世代に多くのメッセージを残して、旅立った。

 学童疎開船「対馬丸」の生き残りの平良啓子さんが、大動脈解離のため名護市内の病院で死去した。88歳だった。

 過酷な漂流体験で身に染みた戦争の悲惨さ、愚かさを訴え続けた半生だった

 国頭村の安波国民学校4年生だった9歳のとき、祖母や姉、兄らと共に対馬丸に乗船した。仲の良かったいとこの時子さんも啓子が行くならと同行した。

 1944年8月22日夜、疎開学童や一般疎開者、世話人らを乗せた対馬丸は、米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没した。1700人を超える乗船者全員が海に放り出された

 必死になって助けを求め、泣き叫ぶ子どもたち。沈んでいく船に巻き込まれないようにと子どもたちを海に投げ込む船員ら。

 啓子さんは海でもがいているときに時子さんを見つけ、一緒にしょうゆ樽につかまって波間を漂った。そのうち時子さんは波に流され、行方不明になった。

 生き残って郷里に戻ったとき啓子さんは、時子さんの母親に言われたという。「あなたは元気で帰ってきたのに、うちの時子は太平洋に置いてきたの」。つらくて涙が止まらなかった。

 戦後、啓子さんを突き動かしたのは、仲の良かったいとこを亡くしたことや、同じ年頃の子どもたち784人が、一瞬にして未来を奪われてしまったことへの、深い罪責の念だった

■    ■

 啓子さんの漂流生活は6日間に及んだ。

 われ先にと大人たちが洋上でもみ合っていた畳2畳ほどのいかだを見つけ、運よく乗り移ることができた。

 食糧の備えもなく現在地も分からないまま漂流を続け、捕った魚や漂流物の中に入っていたあずきご飯などで飢えをしのいだ。

 奄美大島・宇検村の枝手久島に漂着したのは8月28日のことである。

 いかだ上にいた遭難者10人のうち、生き残ったのは4人だけだった。

 対馬丸遭難事件は、動揺が広がるのを恐れ、厳しいかん口令が敷かれた。遭難の事実が伝わり始めると、県庁や学校には興奮して怒鳴り込む父母が相次いだ。

 翌年の45年2月に帰郷した啓子さんを待っていたのは米軍上陸を控えた沖縄の物々しい空気だった。北部山中の小屋に避難した啓子さん一家は、今度はマラリアと飢えに苦しむことになる

■    ■

 昨年11月22日、啓子さんは対馬丸記念館で、命の対話私が、対馬丸を語り継ぐ意味」と題した県主催の催しに参加した。対話の相手役は、娘の平良次子さん(当時、南風原文化センター館長)。

 親から子へ体験者から非体験者へその積み重ねを通して非体験者は戦争のリアリティーを体験者から学び取る

 台湾有事や沖縄の戦場化が軽々しく口の端に上る今、啓子さんが語っていた「二度と子どもたちを戦争の犠牲にしないという言葉はますます重みを増している
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●《小桜の塔…対馬丸記念館…照屋さんは「記念館があることにより、子どもたちが歴史を知る機会につながる」と館存続の意義を語った》

2021年09月06日 00時00分11秒 | Weblog

(20210821[])
琉球新報の記事【コロナ禍、鎮魂の祈り  対馬丸慰霊祭 「命の尊さ知る機会に」記念館存続願う】(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1377613.html?utm_source=ryukyushinpo&utm_medium=referral&utm_campaign=carousel)。

 《子どもたちを乗せた対馬丸が米軍の魚雷攻撃を受け海に沈み、今月22日で77年になる。慰霊祭が開かれた18日、那覇市若狭小桜の塔には対馬丸記念館の職員や関係者らが集まった。例年多くの人が訪れる一般焼香の列はなく、開催時間も30分ほどに短縮した。職員らは、参列がかなわなかった遺族らの思いとともに手を合わせ、鎮魂の祈りをささげた》。

 対馬丸事件の教訓…《この悲劇は、いったん戦争に巻き込まれればいかなる対象も、攻撃される対象となる危険性》。それをどう継承するか。なぜ継承するのか。
 《戦争の記憶を継承なぜ継承するのか。過ちを繰り返さないために過去の過ちから学ぶ》。

   『●対馬丸事件の教訓…《この悲劇は、いったん戦争に巻き
     込まれればいかなる対象も、攻撃される対象となる危険性》
    「沖縄タイムスの記事【「いつまでも忘れないこと」 吉永小百合さん
     対馬丸記念館へメッセージ 戦争で撃沈、犠牲の児童らに想い】…
     《メッセージの中で対馬丸で犠牲になった子どもたちについて触れ、
     「私達はしっかりと胸に刻んで、いまを生きる。いつまでも忘れない
     ことが大切です二度と戦争をしないという強い思いのなかで
     吉永小百合
」と色紙にしたためた》」

   『●《「忘れない、風化させない、なかったことにしないために」
      …反戦平和、反核、反原発を明確に打ち出す発言》を躊躇わず
   『●戦争の記憶の継承…《大谷昭宏さんから伺った話。「戦争の記憶が
     風化する中、語り継ぐ一つの手段が見えるのでは」と水を向けられ…》
   『●沖縄イジメ、辺野古は破壊「損」の張本人が元最低の官房長官。
     そして今、さらなるデタラメ・ヒトデナシをやろうとしているオジサン
   『●《自民党右派の議員秘書にトランプの評価を問うと「戦争をしなかった
       大統領」と胸を張った。米国は分断という内戦を戦っていたのだ》
   『●「自衛隊派遣によって治安はかえって悪化する」、政府の政策に
     逆らえば…衆院テロ対策特別委員会委員は国会参考人の発言を打ち切り…
   『●《「真実を後世に伝えることが生き残った自分の義務」と心の傷を
     押して語り部を続け大きな足跡を残した》安里要江さんがお亡くなりに…
    「平和な社会への《語り部》の皆さんの重要な貢献。特に、
     《沖縄戦の語り部》の皆さんは高齢化している。そんな中、
     戦争の記憶をどのように継承していくのか。
     《「真実を後世に伝えることが生き残った自分の義務」と心の傷を
     押して語り部を続け大きな足跡を残した》安里要江さんがお亡くなりに
     なったそうです」

   『●大矢英代さん《沖縄の状況がいかに理不尽かということも、今回の
     アメリカ大統領選から日本人は学ぶべきなのではないでしょうか》!
   『●《戦争の記憶を継承…なぜ継承するのか。端的に言えば、過ちを
     繰り返さないためである…過ちを繰り返さないために過去の過ちから学ぶ》
   『●対馬丸事件の教訓…《この悲劇は、いったん戦争に巻き
     込まれればいかなる対象も、攻撃される対象となる危険性》

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https://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/724f3a7270886ca0b367df231a39500e

 平和な社会への《語り部》の皆さんの重要な貢献。特に、《沖縄戦の語り部》の皆さんは高齢化している。そんな中、戦争の記憶をどのように継承していくのか。《「真実を後世に伝えることが生き残った自分の義務」と心の傷を押して語り部を続け大きな足跡を残した》安里要江さん。どう戦争の記憶を残し、戦争を回避するのか。戦争の記憶の継承、《語り継ぐ》。でも、今のような自公政権やお維が幅を利かす世の中では…。まず、そこから変えていかないと。
 《「忘れない、風化させない、なかったことにしないために」》。(沖縄タイムス社説)《戦争の記憶を継承していくためには、継承する理由がはっきりしなければならない。なぜ継承するのか。端的に言えば、過ちを繰り返さないためである。アジア・太平洋戦争は日本を破滅に導いた過誤に満ちた戦争だった。…過ちを繰り返さないために過去の過ちから学ぶ。慰霊の日は、戦没者を追悼するとともに、そのことを再確認する日でもある》。(琉球新報社説)《「慰霊の日」は鎮魂と同時に沖縄戦の書き換えを許さないことを確認したい。そして世界の人々と共に、軍事力に頼らず人権侵害、難民、飢餓、貧困、抑圧のない積極的平和の実現を誓いたい》
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 《那覇市若狭小桜の塔には対馬丸記念館…照屋さんは「記念館があることにより、子どもたちが歴史を知る機会につながると館存続の意義を語った》《対馬丸記念会の高良政勝理事長(81)は「大きな問題は記念館と小桜の塔の継承だ」と強調。遺族の高齢化が進む中「国策により多くの人々が犠牲になった子どもたちに事実を伝えるため…」》。

   『●「通貨が社会を変える?」
       『週刊金曜日』(2014年7月4日、998号)についてのつぶやき

      【黒島美奈子の政治時評/対馬丸事件の教訓を唾する「武力放棄」
       憲法下での異常 日本は再び戦争のできる国】、「この悲劇は、
       いったん戦争に巻き込まれればいかなる対象も、攻撃される対象と
       なる危険性を後世に伝えている

   『●「戦没 新聞人の碑」と「対馬丸犠牲者の慰霊碑 小桜の塔」
    《ただ先人たちの霊を慰めるだけでなく、先人たちの前に反戦平和を
     誓う場所がこの碑ではないか》

   『●沖縄出身脚本家上原正三さん、「民意を顧みず、
      基地を押し付け…沖縄を植民地としてしか見ていない証拠」
   『●「沖縄戦20万余の犠牲者、焼き場に立つ長崎の少年」や
              アジアでの慰霊につなげる意思が感じられない…
    「《「対馬丸事件」…。沖縄で事件を後世に伝える生存者たちは
     「今も続く沖縄の苦しみは『真珠湾』が原点。首相には、
     そこまで思いを至らせてほしい」と願っている》…でも、残念ながら
     アベ様には、《そこまで思いを至らせ》る、なんて無理というもの…」

   『●「対馬丸」生存者…「あの戦争が頭から離れない。
       もう二度とごめんだ」…「九条の碑」早期建立を呼び掛け
   『●2019年7月参院選、またしても
     今回も「眠り猫」だった皆さん…〝上手く行った〟メディアコントロール






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https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1377613.html?utm_source=ryukyushinpo&utm_medium=referral&utm_campaign=carousel

コロナ禍、鎮魂の祈り  対馬丸慰霊祭 「命の尊さ知る機会に」記念館存続願う
2021年8月19日 05:20
対馬丸記念館 慰霊祭

     (対馬丸撃沈から77年、犠牲者の冥福を祈る遺族や関係者
      =18日午前10時半ごろ、那覇市若狭小桜の塔

 子どもたちを乗せた対馬丸が米軍の魚雷攻撃を受け海に沈み、今月22日で77年になる。慰霊祭が開かれた18日、那覇市若狭小桜の塔には対馬丸記念館の職員や関係者らが集まった。例年多くの人が訪れる一般焼香の列はなく、開催時間も30分ほどに短縮した。職員らは、参列がかなわなかった遺族らの思いとともに手を合わせ、鎮魂の祈りをささげた。

 曇り空からぽつりぽつりと雨が落ちる午前10時、慰霊祭は静かに始まった。参列者はテントの下、塔に向かって黙とう。読経、焼香と続き、目を閉じて手を合わせ、犠牲になった人々に思いをはせた。時折鳥の声が響いていた。


【対馬丸の沈没とは】

――――――――――――――――――――――――――――――――――――
対馬丸(つしままる)
 九州へ疎開に向かう学童らを乗せて航行中、米潜水艦に沈められた輸送船。
 日本郵船の貨物船として英国で建造され1914年竣工。6754トン、全長135・64メートル、速力12ノット。北米航路やパナマ経由ニューヨーク線に就航。41年から陸軍に徴用され軍用船として軍団の輸送などに当たった。
 1944年8月22日午後10時すぎ、那覇から長崎に向かう途中、トカラ列島の悪石島から北西約11キロの海上で米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け沈没した。沖縄戦を避けて九州へ集団疎開する国民学校学童(6~15歳)を含む1788人を乗せており、1484人(2020年現在の氏名判明分)が犠牲になった。学童の犠牲は784人。→ボーウィン号
 生存者や船団の乗船者らは、日本軍によるかん口令で、沈没までの経緯について話すことを禁じられた
 対馬丸は「暁空丸」(6854トン)、「和浦丸」(6804トン)と船団を組み、3隻合わせて疎開者約5000人を乗せていた。護衛には駆逐艦「蓮」、砲艦「宇治」が当たっていた。
 那覇市の対馬丸記念館は、犠牲者の鎮魂と、事件を後世へ継承する目的で2004年8月22日に開館した。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 県外在住の対馬丸記念会協力会員から米や菓子が届き、祭壇に供えた。保育園や県外遺族から寄せられた千羽鶴も掲げられ、記念会常務理事の外間邦子さん(82)は感謝の言葉を述べた。

 語り部で生存者の照屋恒(ひさし)さん(81)は当時4歳。共に乗船し犠牲となった母と姉を悼んだ。1944年8月22日、眠っていた照屋さんは、米潜水艦の魚雷攻撃を受け、母に起こされ甲板へ急いだ。2人で暗い海へ飛び込み、縄が結われた、しょうゆだるをつかんだ。母は「絶対に手を離すなよ。姉さんを探してくるから」とそばを離れ、戻らなかった。

 「対馬丸で助かったのはこの子ね」。戦後、周囲の哀れみの目が胸をえぐり、長年事件について話すことを避けた。それでも、慰霊祭には毎年欠かさず参列した。70歳からは語り部として活動。ふたをしていた記憶を語り、子どもたちに命の尊さを伝えている

 コロナ禍で来館者が減った記念館は、経営が厳しい状況が続く。照屋さんは「記念館があることにより、子どもたちが歴史を知る機会につながると館存続の意義を語った

 対馬丸記念会の高良政勝理事長(81)は「大きな問題は記念館と小桜の塔の継承だ」と強調。遺族の高齢化が進む中「国策により多くの人々が犠牲になった子どもたちに事実を伝えるため、行政が責任を持って管理してほしい」と語った。


【あわせて読みたい】
▼妻子5人失い「絶望」対馬丸遺族、元村長の日記を公開
▼沖縄戦写真「カラー化は76年越しの会話」…ツイート男性が感じるパラレルワールド
▼沈没した船は対馬丸だけじゃない 海が戦場に...4500人余りが犠牲
▼「わたしたちは記念館を絶対つぶしてはならない」来場8割減の記念館 投稿に支援広がる
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●対馬丸事件の教訓…《この悲劇は、いったん戦争に巻き込まれればいかなる対象も、攻撃される対象となる危険性》

2019年08月27日 00時00分20秒 | Weblog


沖縄タイムスの記事【「いつまでも忘れないこと」 吉永小百合さん 対馬丸記念館へメッセージ 戦争で撃沈、犠牲の児童らに想い】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/461131)。
同紙の【社説[対馬丸撃沈75年]伝え続ける責任がある】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/460855)。

 《メッセージの中で対馬丸で犠牲になった子どもたちについて触れ、「私達はしっかりと胸に刻んで、いまを生きる。いつまでも忘れないことが大切です二度と戦争をしないという強い思いのなかで 吉永小百合」と色紙にしたためた》。
《集団疎開の学童や一般の疎開者ら1788人を乗せた「対馬丸」が米潜水艦に撃沈されてから、きょうで75年となる》。


 琉球新報の記事【あの子思い 75年 対馬丸慰霊祭】(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-976223.html)によると、《幼い子どもたちを乗せた対馬丸が海の底に沈んで75年となった22日、慰霊祭が開かれた那覇市若狭の「小桜の塔」には例年より100人以上多い参列者が集まり、鎮魂の祈りをささげた。生還した肉親が経験した戦後の苦しみを理解してあげられなかったと悔やむ遺族、目の前で亡くした友人や家族を思い涙を流す生存者―。犠牲になった子どもたちが夢見た「未来」を生きる人たちが、平和を守り続けることを誓った》。
 (黒島美奈子さん)《対馬丸事件の教訓…「この悲劇は、いったん戦争に巻き込まれればいかなる対象も、攻撃される対象となる危険性を後世に伝えている」》。いま、その教訓が忘れ去られようとしていないか? 《日本は再び戦争のできる国》。「対馬丸」生存者…「あの戦争が頭から離れない。もう二度とごめんだ」と。
 《「私達はしっかりと胸に刻んで、いまを生きる。いつまでも忘れないことが大切です二度と戦争をしないという強い思いのなかで 吉永小百合」と色紙》に…対馬丸事件と吉永小百合さんの関係、初めて知りました。《悲劇を学び、伝え続ける責任がある》はずだ。

   『●「通貨が社会を変える?」
       『週刊金曜日』(2014年7月4日、998号)についてのつぶやき

      【黒島美奈子の政治時評/対馬丸事件の教訓を唾する「武力放棄」
       憲法下での異常 日本は再び戦争のできる国】、「この悲劇は、
       いったん戦争に巻き込まれればいかなる対象も、攻撃される対象と
       なる危険性を後世に伝えている

   『●「戦没 新聞人の碑」と「対馬丸犠牲者の慰霊碑 小桜の塔」
    《ただ先人たちの霊を慰めるだけでなく、先人たちの前に反戦平和を
     誓う場所がこの碑ではないか》

   『●沖縄出身脚本家上原正三さん、「民意を顧みず、
      基地を押し付け…沖縄を植民地としてしか見ていない証拠」
   『●「沖縄戦20万余の犠牲者、焼き場に立つ長崎の少年」や
              アジアでの慰霊につなげる意思が感じられない…
    「《「対馬丸事件」…。沖縄で事件を後世に伝える生存者たちは
     「今も続く沖縄の苦しみは『真珠湾』が原点。首相には、
     そこまで思いを至らせてほしい」と願っている》…でも、残念ながら
     アベ様には、《そこまで思いを至らせ》る、なんて無理というもの…」

   『●「対馬丸」生存者…「あの戦争が頭から離れない。
       もう二度とごめんだ」…「九条の碑」早期建立を呼び掛け
   『●2019年7月参院選、またしても
     今回も「眠り猫」だった皆さん…〝上手く行った〟メディアコントロール

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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/461131

「いつまでも忘れないこと」 吉永小百合さん 対馬丸記念館へメッセージ 戦争で撃沈、犠牲の児童らに想い
2019年8月22日 19:56

 対馬丸記念館(沖縄県那覇市)の開館15周年に当たる今年、記念館のプロモーションビデオでナレーションを吹き込んだ女優の吉永小百合さんが記念会にメッセージを寄せた。プロモーションビデオは対馬丸の沈没の経緯や記念館の概要などを伝える内容で、対馬丸記念会が吉永さんにナレーションを依頼。開館前からPR活動で使用されていた。

     (吉永小百合さんが対馬丸記念館に寄せたメッセージ=22日、
      那覇市・対馬丸記念館)

 吉永さんはメッセージの中で対馬丸で犠牲になった子どもたちについて触れ、「私達はしっかりと胸に刻んで、いまを生きる。いつまでも忘れないことが大切です二度と戦争をしないという強い思いのなかで 吉永小百合」と色紙にしたためた。

 慰霊祭では、色紙と原寸大に印刷されたメッセージが参加者に配布され、受け取った人たちはじっくりと見入っていた。

 吉永さんは、過去に映画「あゝひめゆりの塔」(日活、1968年)で女学生を演じた。各地で原爆詩の朗読も長年続けている。
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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/460855

社説[対馬丸撃沈75年]伝え続ける責任がある
2019年8月22日 10:24

 集団疎開の学童や一般の疎開者ら1788人を乗せた「対馬丸」が米潜水艦に撃沈されてから、きょうで75年となる。

 犠牲者は氏名が判明しただけで1484人。そのうち学童は半数以上の784人に上る

 「雪も富士山も見ることができる」。修学旅行気分で船に乗り込んだ子どもも多かった。あまりにも多くの夢、希望、未来が、暗い海にのみ込まれていった。

 「生と死は紙一重だった」

 垣花国民学校4年生だった上原清さん(85)は、あの日、あまりの蒸し暑さに船倉の寝場所を抜けだし甲板で寝ていた。そのため魚雷を受けてもいち早く海に飛び込めた。

 だが、「そこからが地獄の始まり」。上原さんは年長の少年3人と台風の影響が残る荒波を必死で救命いかだにしがみついた。日中は灼熱(しゃくねつ)の太陽が体中に刺さった。海水を飲んだが、しょっぱくてすぐに吐き出した。体中が熱くなり、氷やアイスケーキを思い浮かべることで、喉の渇きを癒やした。

 4日間、一滴も水を飲んでいなかった。

 「リッカ、シーバイ、ヌマ(おい、小便飲もう)」「ウヌママ、ソーチーネー、シヌンドー(このままだと死んでしまうぞ)」。3、4滴しか出なかったが、手のひらに浸して一気に飲み干した。

 奄美大島に流れ着くまでの6日間、食べたのは、仲間が素手で捕まえたカワハギ1匹。「4人で分け、刺し身一切れ分だったが生きる希望が湧いた」。生き延びたのは奇跡だった。

    ■    ■

 対馬丸が長崎向けに那覇港を出港したのは1944年8月21日。7月にサイパンが陥落。米軍の沖縄上陸は必至と判断した日本軍の要請を受け、政府は女性や子ども、高齢者を島外へ疎開させるよう沖縄県に命じた。

 軍の食糧を確保し、戦闘の足手まといになる住民を戦場から排除する目的もあった。

 対馬丸の沈没は、国策で進めていた疎開を妨げることから軍事機密として厳重なかん口令が敷かれた。県民に正確な情報が伝わらず、生存者は、事実を語れないことに苦しんだ。そして生存者たちは、戦後も「自分だけ助かってしまった」という負い目を抱き生きてきた。

 「亡くなった子どもたちのために本当のことを伝えたい」。上原さん自身、体験を語るまでに59年もの時間が必要だった

    ■    ■

 対馬丸撃沈は、その後の「10・10空襲」、凄惨(せいさん)な地上戦へと沖縄がのみ込まれていく中で起きた。

 悲劇から75年の歳月が流れた。生存者の語り部は4人。親・きょうだいから次の世代へ遺族の代替わりが進む中、対馬丸記念館は昨年度から遺族宅を訪問し、戦前戦後の暮らしなどを聞き取る作業を始めた。

 今を生きる私たちに求められているのは「生きたかった子どもたちの声に耳を澄ませ、戦争を知る努力を怠らないことだ

 悲劇を学び、伝え続ける責任がある。
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●2019年7月参院選、またしても今回も「眠り猫」だった皆さん…〝上手く行った〟メディアコントロール

2019年07月24日 00時00分11秒 | Weblog


沖縄タイムスの吉田央記者によるコラム【[大弦小弦]どの仕事にも当てはまる金言】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/446113)。
琉球新報の記事【対馬丸撃沈、教員に説明 疎開時の日誌に記述】(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-955339.html)。
琉球新報のコラム【<金口木舌>明日の天気は変えられるか】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-955331.html)。
週刊朝日のコラム【室井佑月「いいっ放しにさせるな」】(https://dot.asahi.com/wa/2019071700008.html)。

 《「ラクダの尻の穴まで探したが、そんな証拠はない」。公開中の米映画「記者たち」の一場面。2003年に米国が始めたイラク戦争前、「イラクに大量破壊兵器が本当にあるのか」と尋ねる記者に、米政府の情報機関職員が真っ向から否定する ▼大統領、副大統領、国防長官は戦争へひた走る。現場が「証拠はない」という情報を上げても、政策決定権者が握りつぶす。逆に、確証の乏しい疑惑を有力紙にリークし市民を誘導する》。
 《日誌には、かん口令が敷かれていた対馬丸の撃沈について、県が教員らに秘密裏に説明したとみられる記述などがある》。
 《故事「朝三暮四」…▼選挙中の事実検証はもちろんだが、政治家の公約はどうなったのか選挙後に確認することも次の投票時の判断材料になる。鍵となる要素の一つが、候補者の政見などをまとめた選挙管理委員会配布の選挙公報だろう ▼公選法で衆参両院議員選と知事選で発行が義務付けられている。だが選挙後の取り扱いに定めがなく、毎日新聞によると、沖縄県などを除き半数の都道府県が選挙後にホームページから削除している》。
 《考えられるに、選挙を盛り上げたくないんだな。各局ともアリバイ作り的に、「選挙にいきましょう」とアナウンサーが軽く訴えるくらいにしておく。これも政権与党に対する忖度なのか? だってさ、09年の衆議院選は投票率が69%で、自民党の議席占有率は24%とボロ負けした。でも、その後14年と17年では、投票率が52~53%で自民党の議席占有率は60%を超えてしまう》。

 アベ様の「政」で唯一〝上手く行っている〟メディアコントロール2019年7月参院選でも、見事に発揮された。この間、投票行動のための情報は、特にテレビでは、ほとんど発信されなかった。少なくとも、以前に比べれば、はるかに少ない。

   『●「対馬丸」生存者…「あの戦争が頭から離れない。
       もう二度とごめんだ」…「九条の碑」早期建立を呼び掛け
   『●2016年7月参院選、今回も「眠り猫」だった皆さん…
   『●アホらしき税収不足! 日本の「報道の自由度」72位で、
               「パナマ文書を調査しない国は…と日本くらい」
   『●沖縄県知事選で「ファクトチェック(事実検証)」報道…
           「ネット上にはびこるデマやうそ、偽情報を検証」
   『●「この27年間の変化は法人税が9兆円…
      所得税が4兆円減り、消費税が14兆円増えたことだけなのだ」
   『●薔薇マークキャンペーン《消費税増税凍結(むしろ…
       5%に減税することを掲げる…)》…むしろ消費税制廃止を
   『●映画『記者たち 衝撃と畏怖の真実』《その中で…
      ナイト・リッダー社の記者たちは政権のウソを報じ続ける》
   『●【<金口木舌>権力はうそをつく】《イラク戦争…
        大量破壊兵器の保有は後に捏造だと明らかになった》
   『●アベ様の政で唯一〝上手く行っている〟
      メディアコントロール…「一人でも権力に立ち向かう」とはいうものの…
   『●《メディアコントロール》…こんな「広報」マスメディアばかりでは
                第25回参議院議員通常選挙が思いやられる
   『●身の回りの選挙に行かない「2/4」の「眠り猫」な方を説得し、
                   選挙に行って野党に投票してもらいましょう
   『●東京新聞「本音のコラム」【「動かぬ証拠」 前川喜平】
        【「情勢は流動的」 斎藤美奈子】…野党に投票を!

 情報管制・情報隠蔽。「対馬丸」生存者…「あの戦争が頭から離れない。もう二度とごめんだ」。壊憲「国民主権の縮小、戦争放棄の放棄、基本的人権の制限」といったとを許していいのか? その先にある、緊急事態条項創設も? 与党自公及び癒着党お維の議員をあわせても、参院では、2/3を下回り、壊憲の発議は、野党議員が「協力」しない限り出来なくなったことは、良かった。自民党単独での過半数確保は出来なかったものの、公明の議員数は増加し、与党で過半数を大きく越えている。消費増税などのデタラメは、アベ様達的には「信任を得た」と嘯くでしょう。いくら民意を示しても、沖縄では、辺野古破壊は止まらないし、沖縄イジメも止まない。また、アノ癒着党お維の議員数も増加した。特に大阪では、お維・お維・自・公とういう悪夢のような結果だ。

 情報消去。息吐く様にウソをつく…ウソツキ達に政権を任せていてはいけない。選挙に行きもしない「眠り猫」のままでは何も変わらない。投票率が48.8%、あまりに酷すぎる数字だ。

 情報垂れ流し。メディアの《いいっ放し》。ファクトチェックなし。過去の教訓が全く活かされていない。

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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/446113

[大弦小弦]どの仕事にも当てはまる金言
2019年7月17日 10:11

 「ラクダの尻の穴まで探したが、そんな証拠はない」。公開中の米映画「記者たち」の一場面。2003年に米国が始めたイラク戦争前、「イラクに大量破壊兵器が本当にあるのか」と尋ねる記者に、米政府の情報機関職員が真っ向から否定する

▼大統領、副大統領、国防長官は戦争へひた走る。現場が「証拠はない」という情報を上げても、政策決定権者が握りつぶす。逆に、確証の乏しい疑惑を有力紙にリークし市民を誘導する

開戦をいさめる通信社裏切り者と世論の批判を浴びる孤立する記者に、編集局長が「われわれは、わが子を戦争に取られる者の味方だ。他人の子を戦争に送る側にはつかない」と宣言する。米軍基地を抱える沖縄の記者として、立ち位置を再確認させてもらった

▼公開中の日本映画「新聞記者」も、記者と国家権力が題材。政府が隠ぺいする機密に挑む主人公は、同じく記者だった父の言葉を思い返す。「誰よりも自分を信じ、疑え」

▼都合の悪い事実を調べると、権力側は誤報になるよと揺さぶってくる。信じるに足る取材を重ねたか、問われる

▼つかんだ情報を真実と思い込むと、過ちを犯す。米紙ニューヨーク・タイムズはイラク戦争後、記事が「正確でなかった」と読者に謝罪した。自分への信頼と疑問。どの仕事にも当てはまる金言と思った。(吉田央
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https://ryukyushimpo.jp/news/entry-955339.html

対馬丸撃沈、教員に説明 疎開時の日誌に記述
2019年7月18日 05:00
対馬丸 沖縄戦 学童疎開 日誌

     (翁長以清さんが残した学童疎開中の日誌)

 沖縄戦当時、学童疎開の引率教員だった翁長以清(いせい)さん(故人)が疎開先の宮崎県で記した日誌などが、このほど那覇市歴史博物館に寄贈された。日誌には、かん口令が敷かれていた対馬丸の撃沈について、県が教員らに秘密裏に説明したとみられる記述などがある。併せて1946年に疎開中の教員らが新時代の教育を目指して立ち上げた「宮崎県集団学童関係教職員連盟」の綱領なども寄贈された。疎開時の日誌4冊は19日から9月2日まで同館の常設展で公開される。

     (現役教員だった頃の翁長以清さん(那覇市歴史博物館提供))

 同館によると、学童疎開に関する日誌的記録の発見は与那原町、名護市に続き県内で3例目。同館の外間政明学芸員は「当時の状況を知る一級の1次資料だ」と強調した。

 翁長さんは1916年生まれの那覇市出身。44年8月に久茂地国民学校の児童を率いて宮崎県へ疎開し、46年10月に引き揚げた。各小学校の校長などを歴任し、2008年に亡くなった。生前の日誌など200点の資料が今年5月に遺族から寄贈された。

 対馬丸関連とみられる記述は1944年9月29日の日誌にある。同日、沖縄県援護課長を囲み懇談会が行われた。「1、遭難児童に対し慰問金伝達 2、疎開船遭難について」といった議題から、対馬丸について触れられたと考えられる。外間さんは「(対馬丸遭難の情報が)漏れ聞こえてくるので一元管理するために先生方に説明したのではないか」と指摘した。

 出発直前の44年8月15日には県議事堂で引率者協議会が行われ、県から「引揚(原文のまま。疎開の意味)は逃避行にあらず。少年兵としての出征なり」と児童に教え込むよう指示されたとある。「純粋な日本語の指導に力を入れていたことも記されている。

 宮崎県集団学童関係教職員連盟の綱領は46年6月に書かれた。「新沖縄建設の重責に耐える人物を育成せん」「民主主義教育の発展に貢献せん」と記され、戦時中の教育から転換している。この綱領など、疎開中の日誌以外の資料も今後展示を検討する。
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https://ryukyushimpo.jp/column/entry-955331.html

<金口木舌>明日の天気は変えられるか
2019年7月18日 06:00
参院選 ファクトチェック 選挙公報 有権者 金口木舌

 中国・宋の猿回しが、食事のトチの実を朝三つ夕四つにすると言うと猿たちが怒るので、朝四つ夕三つにしたら喜んだ。目先の違いに惑わされ、本質に気づかないことを表す故事「朝三暮四」だ

▼今回の参院選で数字や説明にマジックはないか。琉球新報はファクトチェックを継続している。選挙前から政治家の発言のファクトチェックを毎日新聞や朝日新聞、東京新聞も展開している

▼選挙中の事実検証はもちろんだが、政治家の公約はどうなったのか選挙後に確認することも次の投票時の判断材料になる。鍵となる要素の一つが、候補者の政見などをまとめた選挙管理委員会配布の選挙公報だろう

▼公選法で衆参両院議員選と知事選で発行が義務付けられている。だが選挙後の取り扱いに定めがなく、毎日新聞によると、沖縄県などを除き半数の都道府県が選挙後にホームページから削除している

▼「選挙が終わっても選挙公報を消さないで」と選挙公報を活かす会が総務省に1万7600筆の署名とともに要望を提出した。「忘れることは喪(うしな)うこと」と喝破した政治学者の岡野加穂留氏は、民主主義の命運を巡り「明日の天気は変えられないが明日の政治は変えられる」と有権者に希望を託した

▼「朝三暮四」には口先でうまく人をだますという意がある。だまされないために有権者にできることは何か、改めて考える。
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https://dot.asahi.com/wa/2019071700008.html

室井佑月いいっ放しにさせるな
連載「しがみつく女」
室井佑月2019.7.18 07:00週刊朝日#室井佑月

 作家・室井佑月氏は、テレビ各局の「党首討論」に疑問を呈する。

【この記事のイラストはこちら】
イラスト/小田原ドラゴン

*  *  *

 この原稿を書いているのは7月7日。21日投開票の参議院選は、まったく盛り上がっていないように感じる。このままだと投票率が下がる? いやいや、そんなことあってはならない。

 なぜ、メディアは選挙を盛り上げようとしないのだ。やろうと思えば、いかようにでもできるはず。

 2020年の東京オリンピックなんて、来年をピークに盛り上げる気満々じゃん。数々のヒット商品、パンナコッタとかタピオカとか作ってきてるしな。ある番組でココアが身体に良いって話をしたら、ココアがスーパーから売り切れになったくらいじゃん。

 考えられるに、選挙を盛り上げたくないんだな。各局ともアリバイ作り的に、「選挙にいきましょう」とアナウンサーが軽く訴えるくらいにしておく。これも政権与党に対する忖度なのか?

 だってさ、09年の衆議院選は投票率が69%で、自民党の議席占有率は24%とボロ負けした。でも、その後14年と17年では、投票率が52~53%で自民党の議席占有率は60%を超えてしまう。

 かつての自民党の首相が「無党派層は寝ててくれと発言して叩かれたことがあったけど、口に出すか出さないかの差こそあれ、本音はおなじなんではない? で、そこらへんをメディアは忖度しているんではない?

 テレビ各局で党首討論を行っているが、時間が短すぎてまるで意味がわからない。野党側や司会者が質問しても、安倍首相の言い切り言い逃げになってしまっている。

 それで、各党の主張を報じたといえるのか? 党首討論が終わった後、その番組で先ほどの党首たちの発言について、徹底的にファクトチェックをすべきじゃね? メディアの意味や意義ってそこにあるのだし。たとえば安倍首相は党首討論で、アベノミクスの成果を語る。「全都道府県で1倍超の有効求人倍率」「歴史的な低失業率」「税収はバブル期を超えた」という。

 けれど、12年から18年の間で、非正規雇用は306万人も増えてしまった。12年から17年の間で、年収200万円に届かない人も36万人増えた。6月18日付の朝日新聞DIGITALの「年収200万円未満が75% 非正規のリアルに政治は」によれば、非正規雇用が10人に4人にまで増え、そのほとんどの年収が200万円に満たないそうだ。「税収はバブル期を超えた」というのも、うちら国民から非情にかき集めただけの話だって、その上がった税収って消費税だもん。逆に法人税や所得税は減らした

 7月3日の日本記者クラブ主催の党首討論でも、モリカケ問題を問われ、あの方は、「安倍晋三小学校」なんてなかったという話をされた。だから、ぜんぶ嘘といいたいのだろう。

 でも、嘘をついているのはどっちだ? 学園はその名で寄付を募っていたし、近畿財務局職員が大阪府庁を訪ねた際の記録にもその名が残っているわい

※週刊朝日  2019年7月26日号
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●《中国の海洋進出への対抗策というが、住民の安心をないがしろにして、地域の平和を守るといえるの》か?

2019年05月26日 00時00分47秒 | Weblog

三上智恵監督『標的の島 風かたか』公式ページ(http://hyotekinoshima.com)より↑]



東京新聞の社説【陸自離島配備 住民の理解なしでは】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019050602000186.html)。
沖縄タイムスの吉田央記者によるコラム【[大弦小弦]負担を沖縄に封じ込める構図は、脈々と続いている】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/417117)。
東京新聞の社説【沖縄復帰47年 真に憲法の仲間として】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019051302000145.html)。

 《南西諸島への陸上自衛隊配備を巡り、防衛省による不誠実な住民対応が目立つ。配備は中国の海洋進出への対抗策というが、住民の安心をないがしろにして、地域の平和を守るといえるのだろうか。防衛省への住民の不信が噴出しているのが、沖縄県宮古島市だ》。
 《米国務省の元幹部が、1993年に在沖米海兵隊の本土移転を望んだが、日本政府がまったく耳を傾けなかったと本紙に証言…▼当時は社会党も参加した8党連立政権。今の自公政権、「最低でも県外」を掲げた民主党政権を含め、歴代政権がことごとく沖縄駐留に固執する。なぜか ▼…。最も核心的だと思った説明は「要するに、沖縄にいま海兵隊がいるからだ」》。
 《沖縄は十五日、本土復帰四十七年を迎える。しかし、沖縄の人権や自治は今なお、日本国憲法のにある状況ではないか。復帰の意味を問い直すときだ…憲法九条の碑。「日本國(こく)民は正義と秩序を基調とする國際平和を…」。旧字体で条文を刻んだ金属板が埋め込まれ、柱の上には植物の萌芽(ほうが)のごとく九条の精神が世界に満ちるように、との願いを込めた彫刻が掲げられている》。

   『●辺野古破壊という大愚を続行…民意無視、
     《地方自治や民主主義、県民の尊厳をどう考えるか…自身の見解を》
   『●武藤類子さん《沖縄で闘っている人の言葉…
      「国を相手にケンカしたって勝てない。でも、おれはやるんだ」》
   『●与那国島や石垣島、《沖縄は名護市辺野古だけでなく、
          宮古島もまた国防のために政府に翻弄されている》
   『●虚偽説明…《宮古島では、島民の基地負担は
      ますます重くなっている。政府がやってるのはいじめそのもの》
   『●沖縄イジメ…《この74年間、沖縄戦以来、陸兵が軍服を着て
                 宮古島を闊歩する姿など誰も見たことはない》
   『●「沖縄は米国の植民地ではない。私たち沖縄県民は、
        米国民との友好は望むが、服従は望んでいない」――。
   『●《支持者と反対者が排他的に対立》…
     排他的に対立させているのは、与党自公や癒党お維の側ではないのか?
   『●辺野古破壊《移設方針は揺るがないとの政府の姿勢》…
        アベ様や最低の官房長官らの無為無策・無能ぶりの表れ

 地域を分断し、「標的の島」となることを押し付ける。
 辺野古破壊と壊憲…アベ様という独裁者が種々のクダラナイ理由を持ち出して壊憲を叫ぶ今ごろになって、《保守系の翁長雄志那覇市長》のこの言葉の意味を痛感させられる…「憲法改正よりも日米地位協定を改定することが主権回復だ」……『●沖縄の「屈辱の日」を祝う神経』。

 《漁師達が知らずに漁をしていた》…無茶苦茶である。沖縄では、《こんな風に、住民はあっけなく危険にさらされるのか》。 
 沖縄タイムスの記事【米空軍、被ばく恐れ沖縄の離島未調査 1995~96年鳥島での劣化ウラン弾誤射 2010年9月まで実施せず】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/417133)によると、《1995~96年に米軍機が鳥島射爆撃場(沖縄県久米島町)で劣化ウラン含有弾を誤射した事故の後、米空軍が兵士の被ばく懸念から少なくとも2010年9月まで鳥島での動植物の生息状況や水質などを調べる通常の環境調査を実施していなかったことが分かった》。
 《劣化ウラン含有弾を誤射》《兵士の被ばく懸念》…沖縄の市民の命は?

 東京新聞の記事【筆洗】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2019050802000146.html)によると、《小林一茶の<痩蛙(やせがえる)まけるな一茶是(これ)に有(あり)>…▼そのカエルの両生類は40%超が絶滅の危機にあるらしい。国連の科学者組織が六日に公表したショッキングな報告書である。これによると世界で百万種の動植物が絶滅の危機にひんしており、その速度は過去一千万年の平均と比較し数十倍から数百倍に上るそうだ▼百万種類の動植物を絶滅に追いやろうとする犯人はだれかといえば、もちろん、人間である。人間の活動が森を消し、陸地を変え、海に影響を与えた結果である。世界の陸地の75%が人間によって、改変された》…。
 《生物多様性の生きた教科書》や美ら海を破壊する愚かな国である。

 そして、森や海に加えて、《次代に残すのは「不戦」》でしょうに、この国は…。

   『●「対馬丸」生存者…「あの戦争が頭から離れない。
       もう二度とごめんだ」…「九条の碑」早期建立を呼び掛け
    「「対馬丸」…《あの戦争が頭から離れない。もう二度とごめんだ》、と。
     そして、沖縄県7ヵ所目、大宜味村内での「九条の碑」早期建立を
     呼び掛けておられます。《「戦争の前にまず教育がおかしくなる」と指摘し、
     教育の戦前回帰」を懸念する》、本当にそうです。ハタやウタを子供たちに
     強制し、教師の内心をかき乱す…。洗脳するが如く、幼児や幼子に
     「教育勅語」を暗唱させる…。
      壊憲「国民主権の縮小、戦争放棄の放棄、基本的人権の制限」といった
     こを許していいのか? その先にある、緊急事態条項創設をも。
     《沖縄は全国の半数を占める。住民を巻き込んだ地上戦を経験し、
     平和憲法への思いは強い。「未来ある子孫への贈り物」。大宜味村の碑は、
     そう刻む予定だ。次代に残すのは「不戦。メッセージは明確だ》。
     《不戦を誇る国であれ》と願う」

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019050602000186.html

【社説】
陸自離島配備 住民の理解なしでは
2019年5月6日

 南西諸島への陸上自衛隊配備を巡り、防衛省による不誠実な住民対応が目立つ。配備は中国の海洋進出への対抗策というが、住民の安心をないがしろにして、地域の平和を守るといえるのだろうか

 防衛省への住民の不信が噴出しているのが、沖縄県宮古島市だ。

 三月下旬、陸自駐屯地が開設され約三百八十人の警備隊が発足した。ところがないはずの弾薬庫が敷地内に造られ多目的誘導弾(ミサイル)迫撃砲が搬入されていたことが判明した。弾薬保管なしを条件に、反対から容認に転じた周辺住民にとっては「だまし討ち」だろう。

 四月、隊旗授与式に訪れた岩屋毅防衛相は「説明不十分だった」と謝罪。陸自は誘導弾などを島外に搬出した。駐屯地には来年以降ミサイル部隊も加わる。同部隊のミサイルなども含め、島内の別の地区に造る弾薬庫が完成次第集約する計画だが、その現地でも地区が弾薬庫整備に反対している。

 防衛省は住民軽視を猛省し抜本的に対応を見直さねばならない。

 沖縄県石垣市では、島の中央部に地対艦・地対空誘導弾部隊など五百~六百人の駐屯地を設けるための用地造成が三月に始まった。

 地元四地区が、軍事標的化や希少動植物の生態系への影響を懸念し反対する中での着工だ。住民側は、四月以降なら義務付けられる環境影響評価避けるため着工を急いだのではとも指摘している。

 事実上容認の姿勢だった中山義隆市長は三選後の昨年七月、受け入れを正式表明した。しかし、反発する住民は民意は定かではないとし、有権者の四割の署名を集めて住民投票を請求。投票実施のための条例案は今年二月の市議会で賛否同数の末、議長裁決で否決されるも、際どい結果に論争は収まらない。市側はもう一度慎重に住民の意思を見極める必要がある。

 政府は二〇一三年の防衛大綱で南西地域の防衛体制強化を打ち出し、沖縄本島のみの配備だった陸自を他の沖縄三島と鹿児島県奄美大島へ展開する方針を決めた。ただ、離島を結ぶ軍事拠点化が地域の安全保障に役立つのか

 沖縄では中国人観光客の増加が著しい。政治的にも日中関係は改善の兆しが見える。そんな一帯の融和感に水を差すことにならないか。冷戦終結で北方対処の任を終えた陸自が、組織維持のため南西地域に役割を求めたとも読める状況である。何より、狭い島内での自衛隊活動は住民の理解抜きに成り立たないと心得るべきだ。
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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/417117

[大弦小弦]負担を沖縄に封じ込める構図は、脈々と続いている
2019年5月8日 07:21

 負担を沖縄に封じ込める構図は、脈々と続いている。米国務省の元幹部が、1993年に在沖米海兵隊の本土移転を望んだが、日本政府がまったく耳を傾けなかったと本紙に証言した

▼当時は社会党も参加した8党連立政権。今の自公政権、「最低でも県外」を掲げた民主党政権を含め、歴代政権がことごとく沖縄駐留に固執する。なぜか

▼東京支社で外務省、防衛庁を担当した2005年から数年間、政治家や官僚に聞いて回った。最も核心的だと思った説明は「要するに、沖縄にいま海兵隊がいるからだ

▼本土に移転しようと思ったら地元の同意が必要だが、難しい。だから、いま海兵隊がいる沖縄に我慢してもらう-という趣旨だ。「海兵隊を受け入れてくれ」と言われ「それは結構なお話ですな」と言う首長などいない

▼沖縄では名護市の住民投票で政府職員を選挙運動に送り込んだり、知事の埋め立て承認を得るため3千億円台の予算を10年保証したり、ありとあらゆる手を使う。この熱意を、県外移転に傾注してはどうか

▼新基地建設は大浦湾側に軟弱地盤が見つかり、難航が必至だ。建設後も地盤沈下のおそれがある。施設の安定使用を望む米側、海兵隊の駐留を望む日本側、建設に反対する県民。だれの利益にもならない計画突き進んでいないだろうか。(吉田央)
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https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019051302000145.html

【社説】
沖縄復帰47年 真に憲法の仲間として
2019年5月13日

 沖縄は十五日、本土復帰四十七年を迎える。しかし、沖縄の人権や自治は今なお、日本国憲法の外にある状況ではないか。復帰の意味を問い直すときだ。

 沖縄県読谷村(よみたんそん)。太平洋戦争末期、米軍が沖縄本島で最初に上陸した村の役場前に高さ三メートルほどのコンクリート柱が立っている。

 憲法九条の碑。「日本國(こく)民は正義と秩序を基調とする國際平和を…」。旧字体で条文を刻んだ金属板が埋め込まれ、柱の上には植物の萌芽(ほうが)のごとく九条の精神が世界に満ちるように、との願いを込めた彫刻が掲げられている。


◆輝かしい命

 建立は戦後五十年に当たる一九九五年。「沖縄の人々にとって日本国憲法は輝かしい命そのものだった人間が大事にされ、戦争をしない国になるという希望を与えてくれた。戦後の米国統治下の沖縄の復帰運動は、日本国憲法の下への復帰を目指すものもありました」。当時読谷村長だった山内徳信(とくしん)さん(84)=元社民党参院議員=は、建立の背景を振り返る。

 五二年発効のサンフランシスコ講和条約で、沖縄は正式に米国の施政権下に置かれた。米側は沖縄に日本の「潜在主権」を残すことは認めたが、日本側は六五年、政府統一見解で日本国憲法の適用はないと宣言した。

 沖縄には米国憲法も適用されない。軍人の高等弁務官を頂点とする米国民政府が軍事的必要性を最優先に行政、立法、司法上の権力を行使。基地拡大のための土地の強制収用をはじめ政治家の弾圧、表現の自由の規制、事件事故を起こした米兵の無罪放免-などが繰り返された。

 人々が、基本的人権の尊重国民主権平和主義を基本原理とする憲法下での生活を求めたのは言うまでもない。山内さんによると、若者たちは鉛筆で条文を書き写しながらその日を夢見ていた


◆戦争と隣り合わせ

 七二年五月、沖縄の復帰は実現する。しかし「日本国憲法への復帰は決してかなえられたとはいえない。悲運の発端は、広大な基地の継続・維持が盛り込まれた日米間の沖縄返還協定である。

 返還交渉中、日本政府は基地の扱いについて「核抜き本土並み」と表明し縮小に期待を持たせたものの、復帰前に沖縄本島面積の20%を占めた米軍基地は今なお14・6%と取り組みは進んでいない

 基地は復帰まで、共産圏をにらむ最前線として最大約千三百発もの核が配備され、ベトナム戦争の出撃拠点となった。冷戦終結後も湾岸戦争、イラク戦争などに空軍や海兵隊を送り出してきた

 日本は戦後一度も他国と戦火を交えていないのに、沖縄は米国の戦争と隣り合わせの状態に置かれ米軍機の事故や米兵、米軍属による事件が繰り返される。在日米軍の特権を定め、翁長雄志(おながたけし)前沖縄県知事が「憲法の上にある」と嘆いた日米地位協定もそのままだ。

 沖縄県や県警のまとめでは、復帰後二〇一七年末までに、県内で発生した米軍航空機関連の事故は七百三十八件(うち墜落は四十七件)、米軍人などによる刑法犯罪は五千九百六十七件(うち凶悪事件は五百八十件)生命、生活、財産が脅かされる日常は法の下の平等に大きく反する

 その上で、名護市辺野古で進められる新基地建設に県民が重ねて反対の意思を示すのは、当然すぎる行動だ。政府は米軍普天間飛行場の移設・返還のためというが新基地完成のめどは立っていない。その矛盾をどう解消するのか。

 新基地建設を巡ってはことし一月、国内の主な憲法研究者の約四分の一に当たる百三十一人が連名で「憲法の重要原理を侵害、空洞化する」との声明を発表した。解決には「何よりもまず沖縄の人々の人権問題」を考え工事を即時中止すべきだとする。

 「民主主義や地方自治の在り方が問われている点で、日本国民全体の問題」ととらえようとの提起は極めて重要だ。

 沖縄の地元紙琉球新報が、本土復帰に関して五年ごとに行っている県民世論調査がある。復帰して「とても良かった」「どちらかと言えば良かった」との回答の合計は、復帰から三十五年の〇七年には82・3%だった。四十周年の一二年にはちょうど80%。さらに五年後の一七年には75・5%と幅を広げながら低下している。


◆「自己決定権」を希求

 一方、同紙の別の県民意識調査では、今後の沖縄の立場について自治州や連邦制への移行、または「独立」を望む声が一一~一六年の五年間に二割から三割超に急増した。自己決定権」の希求。裏を返せば、復帰の本意をかなえないままの「日本」不信の表れだ。

 沖縄を真に憲法の下の仲間とする-。中央の政治はもちろん本土側の国民も、あらためて当たり前のことを行いたい。
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●「対馬丸」生存者…「あの戦争が頭から離れない。もう二度とごめんだ」…「九条の碑」早期建立を呼び掛け

2018年05月05日 00時00分30秒 | Weblog


琉球新報のコラム【<金口木舌>7番目の「九条の碑」】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-616496.html)。

 

 《「あの戦争が頭から離れない。もう二度とごめんだ」。「対馬丸」生存者の平良啓子さん(83)はそう訴え、大宜味村内での「九条の碑」早期建立を呼び掛けた…▼自身の体験を語り継ぐ活動を続けている。元小学校教師。現在は大宜味村憲法九条を守る会の会長を務める。「戦争の前にまず教育がおかしくなる」と指摘し、教育の「戦前回帰」を懸念する》。

 「対馬丸」生存者の御一人、《あの戦争が頭から離れない。もう二度とごめんだ》、と。そして、沖縄県7ヵ所目、大宜味村内での「九条の碑」早期建立を呼び掛けておられます。《「戦争の前にまず教育がおかしくなる」と指摘し、教育の戦前回帰を懸念する》、本当にそうです。ハタやウタを子供たちに強制し、教師の内心をかき乱す…洗脳するが如く、幼児や幼子に「教育勅語」を暗唱させる…
 壊憲「国民主権の縮小、戦争放棄の放棄、基本的人権の制限」といったこを許していいのか? その先にある、緊急事態条項創設をも。《沖縄は全国の半数を占める。住民を巻き込んだ地上戦を経験し、平和憲法への思いは強い。「未来ある子孫への贈り物」。大宜味村の碑は、そう刻む予定だ。次代に残すのは「不戦。メッセージは明確だ》。
 《不戦を誇る国であれ》と願う。

   『●「通貨が社会を変える?」
       『週刊金曜日』(2014年7月4日、998号)についてのつぶやき

      【黒島美奈子の政治時評/対馬丸事件の教訓を唾する「武力放棄」
       憲法下での異常 日本は再び戦争のできる国に】、「この悲劇は、
       いったん戦争に巻き込まれればいかなる対象も、攻撃される対象と
       なる危険性を後世に伝えている

   『●「戦没 新聞人の碑」と「対馬丸犠牲者の慰霊碑 小桜の塔」
   『●「沖縄戦20万余の犠牲者、焼き場に立つ長崎の少年」や
              アジアでの慰霊につなげる意思が感じられない…
    「《「対馬丸事件」…。沖縄で事件を後世に伝える生存者たちは
     「今も続く沖縄の苦しみは『真珠湾』が原点。首相には、
     そこまで思いを至らせてほしい」と願っている》…でも、残念ながら
     アベ様には、《そこまで思いを至らせ》る、なんて無理というもの…」
    《▼その時代に戻ることはないと信じているが、「嫌中・嫌韓」が
     声高に語られる風潮には危うさを感じる。それを政治家が
     あおっているのだから尋常ではない▼閣僚の靖国参拝に対する
     中韓両国の抗議を安倍晋三首相は
     「わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない」と突っぱね、
     「侵略の定義は国際的にも定まっていない」と過去の侵略戦争や
     植民地支配を正当化するような発言を重ねた。経済優先の
     「安全運転」に徹してきた首相の「地金がむき出しになってきた》

   『●現在進行形の「身代わり」: 「反省と不戦の誓いを…
             沖縄を二度と、身代わりにしてはならない」
   『●「不戦を誇る国であれ」…2017年も、
      アベ様ら自公お維の議員や支持者の耳には届かず
   『●「軍事的対応ではなく、緊張緩和に知恵を絞り、
      外交努力を重ねることこそが平和国家を掲げる日本の役割」
   『●高畑勲監督より三上智恵監督へ、
      「あなたがつくっているような映画が、次の戦争を止める」
    「こういったリテラ記事に添えられている「自由民主党HPより」の図
     ご覧あれ…その極めつきのウソツキぶりが明確に、呆れるほどに。
       《不戦の誓いを守り続ける
        そして、国民の命と
        平和な暮らしを守り抜く
        平和安全法制

     …噴飯もので、冗談としか思えない詐称

   『●「好戦国…日本に対する大なる疑惑」(吉田茂元首相)…
                   「だから、九条を定め、この誤解を正さねば…」
   『●東京新聞社説: 「キナ臭い…現実の追認は
        未来への否認である。…九条の精神を壊してはなるまい」
   『●「戦争の愚かさを身に染みて知っているはず…
      9条の「戦争放棄」「戦力不保持」の理念はその教訓の結晶」
    「《不戦を誇る国であれ》と願う。《「安倍一強政権」がやりたい放題》で、
     次は、壊憲したいという。沖縄では、相変わらず、高江を破壊し、
     さらには、辺野古破壊や嘉手納基地での問題など、「負担軽減」の
     「フ」の字も、「ケ」の字も無い。「慰霊の日」の沖縄訪問での、
     沖縄県民の皆さんのアベ様へのあの冷たい視線」
    《戒律「殺すなかれ」…▼9条の理念を「信念」として生かす選択
     いま一度考えたい。信念を貫いたドスさんを手本に。
     「現実的でない」と何度言われても殺さず命を救いたい

   『●「竹やりで…」「特攻艇・震洋」「人間機雷・伏龍」…
        「最も戦争に接近した八月」に「愚かな戦争に学ぶ」

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https://ryukyushimpo.jp/column/entry-616496.html

<金口木舌>7番目の「九条の碑」
2017年11月20日 06:00

 「あの戦争が頭から離れない。もう二度とごめんだ」。「対馬丸」生存者の平良啓子さん(83)はそう訴え、大宜味村内での「九条の碑」早期建立を呼び掛けた

▼1944年8月、疎開先の九州へ向かう途中、船が米潜水艦の攻撃を受けた。火が燃え広がる船から海に投げ出され、6日間漂流した末に助かった。9歳の時だ。学童775人を含む1418人が犠牲になった

▼自身の体験を語り継ぐ活動を続けている。元小学校教師。現在は大宜味村憲法九条を守る会の会長を務める。「戦争の前にまず教育がおかしくなる」と指摘し、教育の戦前回帰を懸念する

▼「九条の碑」は県内6カ所にある。那覇、読谷、西原、石垣、宮古島、南風原の各市町村だ。大宜味の碑は7カ所目となる。寄付で賄う資金は、まだ目標額に足りないが、年内建立を目指している

急ぐのは、現状への危機感からだ。安倍晋三首相が改憲への意欲を示す中、10月の衆院選で与党が大勝した。「何としても一日でも早く碑を造りたい。九条を絶対に守ると訴えていきたい」と平良さん

▼他県で「九条の碑」があるのは広島など6カ所。沖縄は全国の半数を占める。住民を巻き込んだ地上戦を経験し、平和憲法への思いは強い。「未来ある子孫への贈り物」。大宜味村の碑は、そう刻む予定だ。次代に残すのは「不戦。メッセージは明確だ。
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