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●軍事費倍増、軍事国家化して《標的の島》々へ…「対馬丸」生存者・平良啓子さん「あの戦争が頭から離れない。もう二度とごめんだ」

2023年08月26日 00時00分18秒 | Weblog

(2023年8月7日[月])
キシダメ政権による軍事費倍増軍事国家化し《標的の島》々…「対馬丸事件」生存者・平良啓子さん「あの戦争が頭から離れないもう二度とごめんだ」。そして、<金口木舌>《「戦争を止めることが生き残された者の使命だ」とはっきり語っていた姿を思い出す。反戦・平和への信念を生涯貫き通した平良啓子さん。(沖縄タイムス社説)《戦後、啓子さんを突き動かしたのは、仲の良かったいとこを亡くしたことや、同じ年頃の子どもたち784人が、一瞬にして未来を奪われてしまったことへの、深い罪責の念だった》、《体験通し戦争否定貫く》。

   『●「対馬丸」生存者…「あの戦争が頭から離れない。
      もう二度とごめんだ」…「九条の碑」早期建立を呼び掛け
   『●トランプ氏により《安倍政権が「戦争のできる国」への大転換を行い》、
      バイデン氏により《岸田政権は「軍事国家」へ大転換》(琉球新報)
   『●米潜水艦魚雷攻撃で沈没した学童疎開船対馬丸生存者・平良啓子さん「あの
      戦争が頭から離れない。もう二度とごめんだ」…体験通し戦争否定貫く

 記憶の継承を。どう戦争の記憶を残し、戦争を回避するのか。戦争の記憶の継承、《語り継ぐ》。歴史の記憶の継承語り継ぐこと。記憶の澱をかき乱し、呼び覚ます。
 琉球新報のコラム【<金口木舌>反戦平和を貫いた平良啓子さん】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1757795.html)によると、《▼那覇市の小桜の塔での慰霊祭で「戦争を止めることが生き残された者の使命だ」とはっきり語っていた姿を思い出す。反戦・平和への信念を生涯貫き通した ▼12日には「沖縄戦の記憶継承プロジェクト~戦争をしない/させないために」で娘の次子さんと親子で講話をする予定だった。訃報が残念でたまらない。平良さんの思いは次世代に受け継がれる。今は勇気と情熱の生きざまをまぶたに焼き付けたい》。

   『●対馬丸事件…《戦争でどれだけ多くの命が海に消えたか。辺野古…大浦湾
        …多くの戦没者が眠る海を破壊して、新たな軍事基地》を建設中
    《他の平和ミュージアムにはない対馬丸記念館の特徴は、
     子どもたちの中に平和の文化を根付かせる取り組みを重視している
     点だ。2012年に「つしま丸児童合唱団」を結成。20年には
     幼い子どもたちが犠牲になった宮森小学校米軍ジェット機墜落事故
     写真展を対馬丸記念館で開いた。》

   『●琉球新報社説《対馬丸撃沈と宮森小墜落事故は、戦争中の子どもの犠牲
     と、戦後の米軍統治下の子どもの犠牲を象徴する最も痛ましい事例である》

 アノ戦争法を早く廃止にしないと…「安倍政権は(日本を)再び戦争可能な国家にしようとしているが、絶対にいけない」。
 同紙のもう一つのコラム【<金口木舌>戦争へ怒り著書に込め】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1758518.html)/《作者の森村誠一さんが7月24日死去した… ▼戦争への怒りはノンフィクション「悪魔の飽食」にも込められた。日本軍の731部隊(関東軍防疫給水部)が中国でひそかに行っていた人体実験を白日の下にさらした ▼2004年に県内であった「悪魔の飽食」コンサートの際には、米軍基地が集中する沖縄を語った。村のおきてに従わない者と絶交する「村八分」に例え「“国八分”の状態が今も続いている」と断じた。作品を通じて戦争の醜さを追及し、人間性を問い続けた姿勢を忘れまい》。

   『●《自民党は殺傷能力のある武器の輸出解禁を目指しています》…アノ
     戦争法の強行採決以降暴走を加速、敵基地攻撃能力の保有や軍事費倍増
   『●森村誠一氏「秘密保護法…作成、強行成立の過程が杜撰…こういう法律が
     できたことを国民が忘れず、廃止に向け声を上げ続けることが大切だ」

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https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1757795.html

<金口木舌>反戦平和を貫いた平良啓子さん
2023年8月2日 05:00
金口木舌 反戦 平和 沖縄戦の記憶継承プロジェクト

 2017年8月、奄美大島の宇検村を訪れた。対馬丸乗船者の遺体が流れ着いた地である。この地で村人に助けられ、手厚い看護で回復した女の子がいた


平良啓子さん。平和教育の先駆者となり体験を子どもたちに語ってきた。命を助けてくれた村民への感謝と鎮魂を胸に宇検村に通い続けた。7月29日、88歳で亡くなった

▼村に慰霊碑が建立されたのが17年。救助にあたった大島安徳さんは戦後交流を続けた平良さんの影響もあり、多くの遺体が傷つき流れ着いた凄惨(せいさん)な光景を語り伝えてきた。平良さんは碑の建立に安堵(あんど)し、喜んでいた

▼那覇市の小桜の塔での慰霊祭で「戦争を止めることが生き残された者の使命だ」とはっきり語っていた姿を思い出す。反戦・平和への信念を生涯貫き通した

▼12日には「沖縄戦の記憶継承プロジェクト~戦争をしない/させないために」で娘の次子さんと親子で講話をする予定だった。訃報が残念でたまらない。平良さんの思いは次世代に受け継がれる。今は勇気と情熱の生きざまをまぶたに焼き付けたい
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https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1758518.html

<金口木舌>戦争へ怒り著書に込め
2023年8月3日 05:00
金口木舌 森村誠一 悪魔の飽食 国八分

 小説「人間の証明」は、ある殺人事件に秘められた母と子の数奇な運命を描いた。戦争の暗い影に翻弄(ほんろう)され続ける人々の姿が胸に迫ってくる


▼1976年に発表され、翌年に映画化もされた。十代の少年には理解が及ばない物語だったが、さまざまな思いを抱かせる小説だと今にして思う。作者の森村誠一さんが7月24日死去した

▼郷里の埼玉県熊谷市が45年8月14日に空襲に遭った。翌日、近くの川で近所の知り合いが息絶え、折り重なっている無残な姿を目の当たりにした。これが創作の原点となった

▼戦争への怒りはノンフィクション「悪魔の飽食」にも込められた。日本軍の731部隊(関東軍防疫給水部)が中国でひそかに行っていた人体実験を白日の下にさらした

▼2004年に県内であった「悪魔の飽食」コンサートの際には、米軍基地が集中する沖縄を語った。村のおきてに従わない者と絶交する「村八分」に例え「“国八分”の状態が今も続いている」と断じた。作品を通じて戦争の醜さを追及し、人間性を問い続けた姿勢を忘れまい。
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●『本田靖春/「戦後」を追い続けたジャーナリスト』読了

2010年10月24日 07時31分40秒 | Weblog

本田靖春/「戦後」を追い続けたジャーナリスト』、10月に読了。KAWADE夢ムック、文藝別冊、河出書房新社。2010年7月初版。

 黄色い血」キャンペーン(p.8、32、)。「ミドリ十字731部隊の残党によって作られた会社」。「・・・山谷の労務者を相手に不法採血を重ねる民間血液銀行」(p.61)。本田さん自身が「そこでB型肝炎をもらってしまう」(p.110)。

 随所に黒田清さん(p.14)。
 筑紫哲也さん(p.44)。「黒田さんは2000年、本田さんは2004年に、そして筑紫哲也さんは2008年に、まるで五輪開催の年に合わせたように他界されてしまった」(p.70)。
 鎌田慧さん(p.82、54)。本多勝一さん(p.150)。

 今西錦司、西堀栄三郎(p.99)。

 斎藤貴男さんの、少し悲壮感漂うエッセイ「囚われだらけの時代に」(pp.26-29)。『カルト資本主義』。『誘拐』や『不当逮捕』、『』。立松和博。斎藤さんや本田さんがなぜ文春にという疑問?が・・・、「文春の論調も体質も、しかし明確な保守であり、どうしても相容れない一線があるのを、本田さんは知っていた。鈴木明氏の「『南京大虐殺』のまぼろし」が一九七三年の大宅壮一ノンフィクション賞さえ受賞するに及んで、彼は文春を離れていく」、「違和感を覚える場面はあっても、駆け出し時代からの仲間意識で結ばれた分だけ自分は特別なんだと思い込んでいたし、ある時期まではそのように扱われてもいた。/本田さんのように自ら離れたのではない。・・・『カルト資本主義』や・・・『機会不平等』(いずれも文芸春秋)まではよかったのだが、そこまで。/石原慎太郎・東京都知事の非道を書いた『空疎な小皇帝』や・・・『ルポ 改憲潮流』・・・文春にはっきりと距離を置かれ始めた。靖国問題や中国脅威論で勢いづいていた時期の『諸君!』には、ネット右翼もかくやの罵言雑言を浴びせかけられた。組織も時代も恐ろしいものだと、つくづく思い知った」。「二〇一〇年五月下旬現在、日本のジャーナリズムはほとんど荒野と化した。辛うじて生き長らえている雑誌も新聞も、反骨精神とは対極の世界を志向している」。
 「本田 ・・・『文藝春秋』には書く気がなくなったんです。『諸君!』にはそのもッと前から書いていませんが、一時期、私は文春系列の右よりライターと目されて、松浦総三さんがお書きになった本の中に、私の名が出てましたね。/和多田 晩聲社の『文藝春秋の研究』かな」(p.148)。

 (昨夜、読売巨人軍を見事に撃破した現ドラゴンズ監督)落合博満氏のインタビューで氏を絶句させる(p.41)。

 本書の随所に「作品の中でも、社会の底辺にいる人々に対する目線が常にあたたかい・・・」(p.45)。

 最も印象に残る部分。「〈回想〉夫・本田靖春のこと」、本田早智さん(pp。42-53)。『我、拗ね者として生涯を閉ず』の裏側。「頭が残された、ありがたい」、「俺飲めないから代わりに呑んで」。

 本田靖春単行本未収録作品「政治的「政治記者」の体質」(pp.65-77)。西山事件。「この場合の「新聞記者」とは、・・・反権力の姿勢を堅持して、国民の「知る権利」にこたえるべく、日常の取材活動を続けている人びと、・・・」。「Aは、物故した自民党の某党人派実力者のブレーンを自任していた」って、ナベツネ氏(p.117)? 「・・・記者が集まると、Aは「これから××先生の会見を始めます」といって、中央にどっかり座る。だが、実力者××先生は・・・会見の場に現れない。記者連中の質問にこたえるのは、なんとAなのである」。
 「Aは某有力者から三千万円を預かって、ある派閥の首領のことろへ手渡しに行った。・・・/・・・買収された首領に渡ったのは、一千万円だったという」(p.74)。
 「私が勤めていた新聞社では、明らかに誤った紙面製作を編集局に押しつける上層部に対して、知るかぎり、これを改めさせようと意見具申したものは、ただの一人もいない」(p.68)。
 「国有地の払い下げ」、「政府に直接、首根っこを押さえられてしまっている」、「紙面に直ちに反映する」(pp.72-73)。
 西山事件。「・・・何より、例の秘密文書を紙面に載せなかったことは、ノー・エクスキューズである」(p.75)。
 「わけ知りふうにいうと、社会に各種のウソはつきものである。しかし、現実の泥沼にまでつかっても、が水面に出ているかぎり、たまにはホントもいえる。だが、までつかると、物をいえない。までつかると、何もきこえなくなる。までつかると、すべて真っ暗闇である」(p.77)。
 「本田 ・・・超タカ派の渡邊恒雄氏が編集の実権を握ってから、紙面に彼の主観が強く押し出されているでしょう。彼の独裁を許すのかどうか。記者個々人には彼と立場を異にする主観はないのか。社内民主主義が問われている・・・」(p.152)。

 『誘拐』(p.90)。「魂を揺さぶられる本」、「本から受け取った無形のもの」、「己が惚れた作品を一人でも多くの読者へ届けようとした・・・」。

 魚住昭×元木昌彦「対談 ジャーナリズム遺産としての本田靖春」(pp.102-113)。「魚住 ・・・『不当逮捕』・・・。読書する幸せを強烈に感じたんです。・・・」。『渡邉恒雄 メディアと権力』、「元木 ・・・「・・・これはしないって決めたことがいくつかあって、読売巨人軍のことは書かないというのもそのひとつなんです。・・・」・・・」。「魚住 ・・・亡くなる二ヶ月前くらいでした。僕が『野中広務 差別と権力』で講談社ノンフィクション賞をもらったときで、「自分がもらったときより嬉しい」と喜んでくださった。・・・。「魚住君ね、君は僕の書いたものを読んでこうなりたいと思ってノンフィクションの仕事を始めたんだろう。ならば、君がまたいい仕事をすれば、君のようになりたいと思ってフリーになる新聞記者が陸続と出てくる、だから頑張れよ」と」。「元木 本田さんは「声にならない民衆の胸の内を掬いあげて、権力に叩き付けるキャンペーンこそ新聞の原点」という言い方をしています」。
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