Activated Sludge ブログ ~日々読学~

資料保存用書庫の状況やその他の情報を提供します。

●またしても裁判所は機能せず、闘いは高知高裁へ: 高知白バイ「冤罪」事件、地裁が再審請求を棄却

2015年01月21日 00時00分50秒 | Weblog


KSBのWP【高知白バイ衝突死(29) 証拠ねつ造を否定…再審認めず】(http://www.ksb.co.jp/newsweb/series/kochi)。残念ながら、折角、過去の映像が貯蔵されているのに、見れないようです。

 「高知県の白バイとスクールバスの衝突死亡事故。無実を訴えながら刑務所に服役したバスの元運転手が裁判のやり直しを求めていましたが、12月、高知地裁が再審を認めない決定」・・・・・・。

   『●『冤罪File(No.06、2009年6月号)』
     「柳原三佳さん、「「高知白バイ死亡事件」最新速報/「本件事故は、
      高知県警の暴挙による重大な謀略事件である」・・片岡さんの支援者は、
      「片岡さんに罪をなすりつけたことはもちろんですが、大人として、
      子を持つ親として許せないのは、
      
一連の行為が22名の中学生の前で行われた
      ということです。生徒達に警察や司法への不信感を植えつけた責任は
      問わなくてはなりません。大人として、
      同じ
親として恥ずかしくはないのか!? と彼らに問いかけたいのです」」

   『●ここにも不当逮捕・冤罪が
   『●「右向け右。安倍首相のタカ派教育路線」/
        『週刊金曜日』(2013年2月1日、929号)について

     「■『週刊金曜日』(2013年2月1日、929号)/粟野仁雄さん
      「高知白バイ事故捏造事件 内部告発警官が続々」、片岡晴彦さん、
      タイヤスリップ痕捏造、「小松氏は会見で「白バイ事故のでっち上げ事件は
      高知県民の恥です」と訴えたが、各新聞は全く報道しなかった」、
      http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/s/%B9%E2%C3%CE%C7%F2%A5%D0%A5%A4

   『●『自然と人間』(2013年3月号、Vol.201)についてのつぶやき
     「■『自然と人間』(2013年3月号、Vol.201) / 粟野仁雄さん
      【高知白バイ事件「スリップ痕跡は偽造」の鑑定】、「「内部告発者を
      割れと」躍起の県警」「なかった取調べ、突然出された写真」「乾いたスリップ痕」
      「決定的な鑑定書 再審は必然」。多数の中学生の〝目撃者〟の
      目前で起こされた冤罪」

   『●「国家と教育」『週刊金曜日
       (2013年3月22日、936号)についてのつぶやき
     「■『週刊金曜日』(2013年3月22日、936号) / 今週の一押し記事、
      粟野仁雄さん【再審請求中の高知白バイ事故 「高知県警の証拠は偽造
      とする決定的な鑑定書】、片岡晴彦さん。  中学生らの目の前で
      繰り広げられた冤罪事件
      http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/s/%B9%E2%C3%CE%C7%F2%A5%D0%A5%A4)、
      捏造事件

 裁判所がまたしても機能せず。高知地裁が再審請求を棄却しました。高知白バイ事故冤罪事件です。高知高裁へ、ということのようですが、望み薄なのでしょうかね? 

   ●〝犬〟になれなかった裁判官
   『●「絶望の裁判所」: 裁判所の頂点、最高裁からして・・・・・・
   『●真の司法改革とは?、そして「イヌのイヌのイヌのイヌ」


 裁判所は、検察の(改竄された)作文を鵜呑みしてしまっているようです。
 片岡さんの奥さまの発言「人間を相手にするとこじゃないから、そんなもんよ・・・・・・裁判所って何のためににあるんやろね?」、片岡さん「給料もらうためじゃないか・・・・・・高い給料を。警察もそうやろけど」。
 布川事件桜井昌司さんは、片岡さんに向けて「負けて落胆するのは間違っている。正義はこっちにある・・・・・・諦めるな! 高裁では裁判官を説得するような闘いを!!」。

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http://www.ksb.co.jp/newsweb/series/kochi

シリーズ / 高知白バイ衝突死

2006年、高知県で起きた白バイとスクールバスの衝突死亡事故。業務上過失致死の罪に問われ、「無実」を訴えるバスの元運転手。
食い違う目撃証言や疑問が多い証拠を徹底検証する。


高知白バイ衝突死(29)証拠ねつ造を否定再審認めず
01月14日 18:35   

シリーズでお送りしている高知県の白バイとスクールバスの衝突死亡事故。無実を訴えながら刑務所に服役したバスの元運転手が裁判のやり直しを求めていましたが、12月、高知地裁が再審を認めない決定を下しました。焦点となっていた「証拠ねつ造」を否定する内容でした。


高知白バイ衝突死   FEATURE
2015年01月14日  高知白バイ衝突死(29) 証拠ねつ造を否定…再審認めず
2014年01月30日  高知白バイ衝突死(28) 異例…裁判官が新たな“提案”
2013年03月06日  高知白バイ衝突死(27) 再審へ…“証拠偽造”の新鑑定
2011年01月11日  高知白バイ衝突死(26) 事故から5年 成人式での思い
2010年10月21日  高知白バイ衝突死(25) えん罪被害者が集結・・・再審のカギは
2010年10月20日  高知白バイ衝突死(24) 疑惑の証拠写真・・・再審請求
2010年04月26日  高知白バイ衝突死(23) 国家賠償訴訟・・・2つの判決
2010年04月01日  高知白バイ衝突死(22) 出所・・・そして新たな出発
2010年03月02日  高知白バイ衝突死(21) 禁固1年4ヵ月 元運転手が出所
2010年02月10日  高知白バイ衝突死(20) 間もなく出所 家族の思いは・・・
2009年11月16日  高知白バイ衝突死(19) 収監1年…深まる証拠写真の疑惑
2009年05月27日  高知白バイ衝突死(18) 新たな幕開け 国賠訴訟始まる
2009年05月12日  高知白バイ衝突死(17) カギは証拠写真・・・国賠訴訟の行方
2009年03月04日  高知白バイ衝突死(16) ねつ造疑惑 再不起訴と国賠提訴
2009年02月04日  高知白バイ衝突死(15) 検察審査会「証拠ねつ造再捜査を」
2008年12月01日  高知白バイ衝突死(14) 残された家族と収監という現実
2008年11月13日  高知白バイ衝突死(13) 無実訴え刑務所へ…収監の日に密着
2008年10月20日  高知白バイ衝突死(12) 元運転手、収監までの日々
2008年08月25日  高知白バイ衝突死(11) 訴え届かず…最高裁が上告棄却
2008年07月30日  高知白バイ衝突死(10) 元裁判官に聞く 判決の問題点
2008年07月29日  高知白バイ衝突死(9)  ”隠された”生徒の調書
2008年02月28日  高知白バイ衝突死(8)  最高裁の連絡待つ…被告と家族は
2008年01月10日  高知白バイ衝突死(7)  同僚証言の不自然と「謎の白バイ」 
2008年01月09日  高知白バイ衝突死(6)  県警が否定…白バイの高速走行は?
2007年10月30日  高知白バイ衝突死(5)  いよいよ判決…高松高裁の判断は?
2007年10月25日  高知白バイ衝突死(4)  真実はどこに…動き出した生徒たち
2007年10月24日  高知白バイ衝突死(3)  鑑定人が迫る ブレーキ痕の“嘘”
2007年10月04日  高知白バイ衝突死(2)  証拠ねつ造…動機はあった?!
2007年10月03日  高知白バイ衝突死(1)  警察が証拠を「ねつ造」?
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●光市母子殺害事件最高裁判決: 安田好弘弁護士憎しの流れの一環か?(1/2)

2012年03月08日 00時04分22秒 | Weblog


綿井健陽さんの『逆視逆考PRESS』(http://watai.blog.so-net.ne.jp/)の記事(http://watai.blog.so-net.ne.jp/2012-02-19)。シリーズの一つ。

 綿井健陽さんは、『創』誌上などで光市母子殺害事件の被告・死刑囚との係りを記事にしてこられた。

   『●『ふたたび、時事ネタ』読了
   『●『創(2009年12月号)』読了(1/2)

 マスコミには無い〝逆視逆考〟視点・思考による「光市母子殺害事件」最高裁判決に関するシリーズの一部を引用。

 ハシズム大阪〝ト〟知事による安田好弘さんらへのバッシングのトンデモなさもマスコミによる〝世論(ヨロンセロン)〟操作に加担し、さらに、安田さんの不当逮捕という当時からの特捜検察のトンデモぶりをマスコミのほとんど誰も批判しなかったことも、この一連裁判の行方を大きく左右していたと思います。

   『●『冤罪ファイル(2010年10月号)』読了
   『●『A3(エー・スリー)』読了
   『●『創(2010年9・10月号)』読了
   『●『ドキュメント死刑囚』読了(1/2)
   『●『創(2009年12月号)』読了(1/2)
   『●『創(2009年11月号)』読了
   『●『抵抗人名録 私が選んだ77人』読了(1/2)
   『●『創(2009年4月号)』(1/2)
   『●『創(2009年4月号)』(2/2)
   『●『月刊誌3冊』読了(3/5)
   『●『死刑弁護人~生きるという権利~』読了(1/4)
   『●『死刑弁護人~生きるという権利~』読了(2/4)
   『●『死刑弁護人~生きるという権利~』読了(3/4)
   『●『死刑弁護人~生きるという権利~』読了(4/4)
   『●『特捜検察の闇』読了(1/3)
   『●『だまされることの責任』読了(1/3)
   『●『テレビ救急箱』読了(2/2)
   『●『誘拐』読了(3/3)
   『●『死刑』読了

つづく

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●魚住昭さん: 読売経営者陣と本田靖春さん

2011年12月08日 00時00分09秒 | Weblog


魚住昭さんの『魚の目』(http://uonome.jp/)に出ていた読み物(http://uonome.jp/read/2007)。

 最後の部分の清武氏の評価が高すぎるようにも感じるけれども・・・。良き時代の「読売社会部の記者気質」が息づいているのやら?
 「黄色い血」追放キャンペーンや、『不当逮捕』『誘拐』『我、拗ね者として生涯を閉ず』などのノンフィクションで有名な本田靖春さん。読売新聞社会部記者として、ジャーナリストとして、正力モノなど、読売経営者の紙面私物化に我慢ならなかった本田さん。紙面がまだまともだったころを支えた一人である。死の間際までジャーナリストであり続けたすごい人であり、『我、拗ね者として生涯を閉ず』は自伝。

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http://uonome.jp/read/2007

清武の乱に思う
NEW! 2011 11 28 魚住

 12月4日は7年前に亡くなったノンフィクション作家の本田靖春さんの命日である。

 できれば今年も富士山麓のお墓に参りたいと思う。雄大な自然に包まれながら本田さんの墓前で手を合わせると、なぜか心がスーッと落ち着くからだ。

 本田さんは読売社会部の黄金時代を担った記者だった。1962年から足かけ5年にわたって彼が繰り広げた「黄色い血」(ウィルス汚染された売血)追放キャンペーンは、日本の献血制度確立の起爆剤になった。

 71年に読売を退社、フリーの作家になってから上梓した『不当逮捕』や『誘拐』は戦後ノンフィクションの金字塔として今も広く読み継がれている。

 その本田さんの絶筆『我、拗ね者として生涯を閉ず』(講談社文庫)の冒頭に社会部記者 気質という言葉が出てくる。「権威とか権力とかに、おいそれとは恐れ入らない精神のことで、本田さんが生涯保ち続けた姿勢でもある。同じ本の中にはこんな言葉も記されている。

     
「記者はおのれを権力と対置させなければならない。
      これは鉄則である。権力の側に身をすり寄せていけば
      そうでなくても弱い立場の人びとは、なおのこと隅っこに追いやられる

 これほど社会部記者にこだわり続けた本田さんが読売を辞めたのには理由がある。社主・正力松太郎氏による紙面の私物化に我慢がならなかったからだ。

 正力氏は読売グループの企画や事業を、その進捗状況に応じて逐一記事にさせ、あるいは自分に「賓客」があるたび自己宣伝の記事を書かせた。こうした正力物がひどいときには3日とあげずに社会面に掲載され、読者からの苦情の電話が殺到した。

 
そんな提灯記事を書かせられる記者だってたまらない。職場の空気は見る見る荒廃した。

 たまりかねた本田さんが「正力物取材を全員で拒否しよう。辞表をそろえて徹底抗戦し、みんなで記者会見すれば他紙もきっと取り上げてくれる」と社会部の仲間たちに必死で訴えた。

 だが、この提案は受け入れられなかった。逆に「生活がかかってるのに辞表をそろえろというのは不穏当だ」とたしなめられた。本田さんは仲間に失望し、ついに退社を決意した。

 やがて正力氏は亡くなり、「販売の神様」と言われた務台光雄氏が読売の全権を握った。その務台氏が91年に死ぬ前、後継者として指名したのが現読売新聞主筆の渡邉恒雄氏である。

 渡邉氏は政治部記者時代から中曽根康弘元首相ら政官界の要人たちと密接な関係を築き、社内の派閥抗争を勝ち抜いてのし上がってきた男だ。彼が実権を握って以来、読売の論調は右旋回し、“渡邉社論”に反する記事の掲載は許されなくなった。 抵抗する記者は排除され、社内民主義は機能しなくなった

 本田さんはそんな読売の現状を憤り、生前こう語っていた。

     
「僕らの不幸は最も優秀な経営者をボスとして頭にいただいていることだと、
      いつも思っていた。正力さんは天才事業家だけど新聞をチラシ広告
      同じぐらいにしか考えていなかった。務台さんも『販売の神様』で
      あってジャーナリストじゃない。その後を受けた渡辺さんもジャーナリスト
      というより政界の人間ですよね。だから読売でジャーナリストであろうとすると
      必ず上とぶつかることになる

 11日に渡邉さんを“告発”した巨人軍GMの清武英利さんはかつて読売社会部の敏腕記者として名を馳せた人だ。『週刊朝日』によると彼は「我慢して世代交代を待ったほうがいい」と忠告する弁護士に「ここで黙っていたら、社会部記者としての自分を否定することになる」と言って会見に臨んだという。 巨大な権力者にひとり立ち向かう彼の姿に、私は本田さんの時代から地下で息づいてきた読売社会部の記者気質を感じた。前途は多難だろうが、初志を貫いて独裁体制に風穴を開けてほしい。本田さんも天国からエールを送っているはずだから。
(了)


(注・これは週刊現代連載「ジャーナリストの目」の再録です)
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●『本田靖春/「戦後」を追い続けたジャーナリスト』読了

2010年10月24日 07時31分40秒 | Weblog

本田靖春/「戦後」を追い続けたジャーナリスト』、10月に読了。KAWADE夢ムック、文藝別冊、河出書房新社。2010年7月初版。

 黄色い血」キャンペーン(p.8、32、)。「ミドリ十字731部隊の残党によって作られた会社」。「・・・山谷の労務者を相手に不法採血を重ねる民間血液銀行」(p.61)。本田さん自身が「そこでB型肝炎をもらってしまう」(p.110)。

 随所に黒田清さん(p.14)。
 筑紫哲也さん(p.44)。「黒田さんは2000年、本田さんは2004年に、そして筑紫哲也さんは2008年に、まるで五輪開催の年に合わせたように他界されてしまった」(p.70)。
 鎌田慧さん(p.82、54)。本多勝一さん(p.150)。

 今西錦司、西堀栄三郎(p.99)。

 斎藤貴男さんの、少し悲壮感漂うエッセイ「囚われだらけの時代に」(pp.26-29)。『カルト資本主義』。『誘拐』や『不当逮捕』、『』。立松和博。斎藤さんや本田さんがなぜ文春にという疑問?が・・・、「文春の論調も体質も、しかし明確な保守であり、どうしても相容れない一線があるのを、本田さんは知っていた。鈴木明氏の「『南京大虐殺』のまぼろし」が一九七三年の大宅壮一ノンフィクション賞さえ受賞するに及んで、彼は文春を離れていく」、「違和感を覚える場面はあっても、駆け出し時代からの仲間意識で結ばれた分だけ自分は特別なんだと思い込んでいたし、ある時期まではそのように扱われてもいた。/本田さんのように自ら離れたのではない。・・・『カルト資本主義』や・・・『機会不平等』(いずれも文芸春秋)まではよかったのだが、そこまで。/石原慎太郎・東京都知事の非道を書いた『空疎な小皇帝』や・・・『ルポ 改憲潮流』・・・文春にはっきりと距離を置かれ始めた。靖国問題や中国脅威論で勢いづいていた時期の『諸君!』には、ネット右翼もかくやの罵言雑言を浴びせかけられた。組織も時代も恐ろしいものだと、つくづく思い知った」。「二〇一〇年五月下旬現在、日本のジャーナリズムはほとんど荒野と化した。辛うじて生き長らえている雑誌も新聞も、反骨精神とは対極の世界を志向している」。
 「本田 ・・・『文藝春秋』には書く気がなくなったんです。『諸君!』にはそのもッと前から書いていませんが、一時期、私は文春系列の右よりライターと目されて、松浦総三さんがお書きになった本の中に、私の名が出てましたね。/和多田 晩聲社の『文藝春秋の研究』かな」(p.148)。

 (昨夜、読売巨人軍を見事に撃破した現ドラゴンズ監督)落合博満氏のインタビューで氏を絶句させる(p.41)。

 本書の随所に「作品の中でも、社会の底辺にいる人々に対する目線が常にあたたかい・・・」(p.45)。

 最も印象に残る部分。「〈回想〉夫・本田靖春のこと」、本田早智さん(pp。42-53)。『我、拗ね者として生涯を閉ず』の裏側。「頭が残された、ありがたい」、「俺飲めないから代わりに呑んで」。

 本田靖春単行本未収録作品「政治的「政治記者」の体質」(pp.65-77)。西山事件。「この場合の「新聞記者」とは、・・・反権力の姿勢を堅持して、国民の「知る権利」にこたえるべく、日常の取材活動を続けている人びと、・・・」。「Aは、物故した自民党の某党人派実力者のブレーンを自任していた」って、ナベツネ氏(p.117)? 「・・・記者が集まると、Aは「これから××先生の会見を始めます」といって、中央にどっかり座る。だが、実力者××先生は・・・会見の場に現れない。記者連中の質問にこたえるのは、なんとAなのである」。
 「Aは某有力者から三千万円を預かって、ある派閥の首領のことろへ手渡しに行った。・・・/・・・買収された首領に渡ったのは、一千万円だったという」(p.74)。
 「私が勤めていた新聞社では、明らかに誤った紙面製作を編集局に押しつける上層部に対して、知るかぎり、これを改めさせようと意見具申したものは、ただの一人もいない」(p.68)。
 「国有地の払い下げ」、「政府に直接、首根っこを押さえられてしまっている」、「紙面に直ちに反映する」(pp.72-73)。
 西山事件。「・・・何より、例の秘密文書を紙面に載せなかったことは、ノー・エクスキューズである」(p.75)。
 「わけ知りふうにいうと、社会に各種のウソはつきものである。しかし、現実の泥沼にまでつかっても、が水面に出ているかぎり、たまにはホントもいえる。だが、までつかると、物をいえない。までつかると、何もきこえなくなる。までつかると、すべて真っ暗闇である」(p.77)。
 「本田 ・・・超タカ派の渡邊恒雄氏が編集の実権を握ってから、紙面に彼の主観が強く押し出されているでしょう。彼の独裁を許すのかどうか。記者個々人には彼と立場を異にする主観はないのか。社内民主主義が問われている・・・」(p.152)。

 『誘拐』(p.90)。「魂を揺さぶられる本」、「本から受け取った無形のもの」、「己が惚れた作品を一人でも多くの読者へ届けようとした・・・」。

 魚住昭×元木昌彦「対談 ジャーナリズム遺産としての本田靖春」(pp.102-113)。「魚住 ・・・『不当逮捕』・・・。読書する幸せを強烈に感じたんです。・・・」。『渡邉恒雄 メディアと権力』、「元木 ・・・「・・・これはしないって決めたことがいくつかあって、読売巨人軍のことは書かないというのもそのひとつなんです。・・・」・・・」。「魚住 ・・・亡くなる二ヶ月前くらいでした。僕が『野中広務 差別と権力』で講談社ノンフィクション賞をもらったときで、「自分がもらったときより嬉しい」と喜んでくださった。・・・。「魚住君ね、君は僕の書いたものを読んでこうなりたいと思ってノンフィクションの仕事を始めたんだろう。ならば、君がまたいい仕事をすれば、君のようになりたいと思ってフリーになる新聞記者が陸続と出てくる、だから頑張れよ」と」。「元木 本田さんは「声にならない民衆の胸の内を掬いあげて、権力に叩き付けるキャンペーンこそ新聞の原点」という言い方をしています」。
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●『官僚とメディア』読了(3/3)

2010年04月04日 07時03分58秒 | Weblog

魚住昭著、官僚とメディア

 思考停止。「特捜検察はいまブレーキの壊れた車のように暴走し始めている。誇張でも冗談でもない。ライブドア・村上ファンド事件の推移を見て、私は本気でそう思うようになった。/一見華やかでも、捜査の中身は疑問だらけ。これほど無理筋の経済事件は戦後検察史にもほとんど例がない。・・・検察の公正さに対する信頼は音を立てて崩れつつある・・・」(p.130)。郷原信郎さん(p.138)。
 ムネオ疑獄の鈴木宗男氏佐藤優氏(p.140)。「要は学会参加費のひねり出し方が悪かったというのだが、・・・。こんな犯罪のかけらもない容疑事実で逮捕されるのなら、公務員はみな逮捕の恐怖に脅えなくてはならなくなる」。「司法官僚のおごり」(p.141)と『特捜検察の闇』(p.143)。最高検の命令による大阪地検特捜部による三井環大阪高検公安部長の口封じ逮捕(p.146)。

 朝日新聞の誤報などでは決してない「番組改変が政治的圧力によって行われた」間違いのない事実(p.150、『国家とメディア』)。「NHK・・・らが中川昭一・経産相(当時)、安倍晋三自民党幹事長代理(当時)内閣総理大臣に呼ばれ、・・・などと放送中止を求める発言もした」。「中川NHKに事前に圧力をかけたことをはっきり認めている。これだけはっきりしゃべったことを後でひっくり返すのは、無責任極まりない態度だと言うほかない」(p.167)。辰濃哲郎記者の〝無断〟録音〝事件〟。「・・・辰濃の名誉はどうなるのだろう。ことの真相を伏せられ、必要以上の汚名を着せられたまま退社処分になった彼の人権はどうなるのか」(p.170)。

 「・・・産経新聞・・・が最高裁と共催した裁判員制度タウンミーティングでサクラを動員・・・」(p.180)。保坂展人元議員(p.182、203)。「次々と明らかになる最高裁のデタラメな契約実態に、委員席からは驚きと失望のため息が漏れた。国民が「法の番人」として信頼を寄せてきた最高裁のエリート裁判官たちの正体は、こんなにもお粗末なものだったのか」(p.203)。政治評論家の森田実さん(p.186)。パックニュース方式。「・・・産経大阪本社には五段広告三回分の料金として、八百万円近いカネが入る。サクラに日当を払っても十分儲かる仕組みなのである」(p.194)。
 「刑事裁判の迅速化と効率化だけが強調され、企業法務に携わる弁護士を大量に増やすという意図が明確だった。早い話が小泉政権時代に進められた規制緩和構造改革路線の司法である。そのためか、被告が無罪を主張すると一年でも二年でも身柄を拘束され続ける「人質司法」や、冤罪の温床とされる代用監獄をなくそうとする姿勢はまったく見られなかった」(p.204)。
 司法とメディアの深い闇。森喜朗元首相(p.207)。

 あとがき(p.209)、「メディアはだれのものか」。名作『不当逮捕』を著した、尊敬してやまない先輩記者である本田靖春さんから、「魚住君。いい仕事をするんだよ。そうしたら君のようになりたいと言う記者が陸続として出てくるから」。青木理さん。
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●ここにも不当逮捕・冤罪が

2010年02月25日 04時39分34秒 | Weblog

 高知白バイ事故で不当逮捕されていた片岡さんについて、「世田谷通信」に以下の記事が出ていました。
 バスに乗車していた中学生や、バスの後ろにいた校長の証言は一切無視、おまけに、スリップ痕の証拠捏造疑惑。かばおうとして、死者をむしろ冒涜しているのではないだろうか? 長い長い不当な収監が終わった。片岡さんの冤罪を晴らす活動が活発化し、警察や裁判所の不当性が明らかになることを祈っている。

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【http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/
                
2010/02/post-7ab9.html】
「冤罪の片岡さんが出所」(世田谷通信)

 
高知の白バイ事故で、高知県警による悪質極まりない証拠、証言の捏造と柴田裁判長による偏向的な判決によって、「禁個1年4月」という不当判決を受け、無実の罪で加古川刑務所に収監されていたスクールバス運転手(当時)の片岡晴彦さんが、23日、収監期間を終えて出所した。片岡さんのご家族と支援者らは、深夜に高知県をバスで出発し、23日午前、満期で出所した片岡さんを迎えた。片岡さんの出所には、常に県警側に立った偏向報道を繰り返し、今回の冤罪事件の片棒を担いだ「高知新聞」の当時の記者も取材に来ており、片岡さんは「真実を書いてくれんのに、また来ている」と憤慨していた。今後は「片岡晴彦さんを支援する会」を中心に県警による証拠や証言の捏造を追及し、片岡さんの冤罪を訴えていく。 (2010年2月23日)
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●『下山事件〈シモヤマ・ケース〉』読了(5/6)

2010年02月07日 16時45分48秒 | Weblog

森達也著、下山事件〈シモヤマ・ケース〉』】

 誰が得をしたのか? 「「あの事件で得をしたのはだれだと思いますか」/「それは、・・・加賀山さんだろうなあ」/・・・視線が合った。ほんの一瞬だけ停止した。・・・視線を逸らす。思わず口走ってしまったことを反射的に後悔した動作のようにも見えるが・・・。/得をしたのは加賀山。この台詞(せりふ)は、当時の国鉄関係者の何人かが口にした」(p.345)。
 佐藤栄作元首相と検閲で消えた名前。「・・・佐藤(栄作)に頼まれて、下山事件の下手人を逃がすために弘済会を利用させたんだ」(p.347)。「・・・ゲラを見て驚いた。「佐藤栄作」と記したはずが、「宰相経験者のA」という表記にかえられている。・・・/「・・・朝日は過去に佐藤栄作の自叙伝を出しているからだって」/「ジョークにもならない」/・・・連載に触発されて後世に残すべきかと煩悩しながら、意を決して僕を訪ねてくれたのだ。・・・決意と思いを、過去にその人物の出版物があるからという下らない理由で踏み躙られたくない」(pp.356-357)。

 バンクーバー映画祭での盛況下、次回作について。「・・・次回作について聞かれ、そのたびに僕は「シモヤマ・ケースのドキュメンタリーを今撮影しています」と答えていた。・・・事件の概要と併せて、「オウムを撮りながら、・・・シモヤマ・ケースがその後の日本の進路を変えたことは明白な事実だが、日本人のメンタリティにも大きな影響を与えた可能性があると思うのです」などと動機も説明した」(pp.360)。

 「その中曾根が田中角栄や児玉誉士夫と共に関与が噂されたロッキード事件の際に、子飼いの中曾根の逮捕だけは見送るようにと法相だった稲葉修に圧力をかけたことを四元は・・・インタビューで自ら明らかにしている。ちなみにこのときの検事総長は、かつて東京地検で下山事件を担当した布施健だ。/・・・/・・・四元の威光を背景にした中曾根は首相となって行革を推進し、一九八七年には念願の国鉄分割民営化も実現した。新しく発足したJR総連・・・は、革マルとの関係を取りざたされ、二〇〇二年には警視庁公安部によってJR東労組組合員六名と元組合員一名が強要容疑で逮捕されるという浦和事件が起きた。JR総連側は冤罪不当逮捕を主張している」(pp.383-385)。
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●『抵抗人名録 私が選んだ77人』読了(1/2)

2009年08月24日 07時54分11秒 | Weblog

『抵抗人名録 私が選んだ77人』、7月に読了。佐高信著。金曜日。2008年7月刊。

 
久野収(p.12)、山下弘文(p.24)、高木仁三郎(p.30)、岡部伊都子(p.36)、松下竜一(p.45)、福島瑞穂(p.48)、城山三郎(p.60)、田中伸尚(p.75)、安田好弘(p.78)、朴慶南(p.81)、田中秀征(p.93)、内橋克人(p.105、48)、天木直人(p.117)、山岡俊介(p.129)、梁石日(p.135)、安田純平(p.138)、高杉良(p.147)、中村哲(p.155)、石坂啓(p.156、63)、辺見庸(p.159)、緒形拳(p.162)、澤地久枝(p.165)、杉浦日向子(p.171)、三宅勝久(p.177)、斎藤貴男(p.189)、福田衣里子(p.201)、田中優子(p.207)、井筒和幸(p.210)、二宮清純(p.225)、雨宮処凛(p.231)、落合恵子(p.240)さんら。

 「・・・まさにあきらめない抵抗人である。/・・・抵抗と言っても、私はそれを貫くのに迷いのない人には惹かれない。・・・迷い、悩み、揺れる姿にこそ、私たちは学べるのではないかという思い、私の中で、いつも消えない」(pp.7-9)。

 獄中の鎌田俊彦さん(p.21)。

 本多さん(p.19、30、63、111、156)。岡留さん(p.19)との関係がなぁ・・・。

 「松下の盟友に、やはり、「大人になりきれなかった人間」の梶原得三郎がいる」(p.46)。『五分の虫、一寸の魂』、『いのちきしてます』。「法律の前にくらしがあるのだ。・・・「いのちき」を守るために法律がある。決してその逆ではない」。

 
「城山三郎は・・・いま、鬼気迫る感じで、個人情報保護法反対に時間を割いている。面識のある小泉純一郎に手紙を書き、法案は治安維持法の再現だ、と指摘した」(p.61)。

 田中伸尚さんの「著書で一番好きなのは『合祀はいやです』(樹花舎)である。・・・中谷康子の闘いを描いたこの本・・・。/憲法とは「守る」ものではなく、「獲得する」ものだとして、それを実践している十二人の人をドキュメントした『憲法を獲得する人びと』・・・」(p.77)。

 安田好弘さんの不当逮捕後、「〝邪教〟とされる者の側に立とうと覚悟を決めた・・・」(p.80)。
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●『分断される日本』読了(3/3)

2009年06月10日 06時59分12秒 | Weblog
『分断される日本』、斎藤貴男著】
 GISNシステム (p.5697)。戦争美化と戦争のできる国 (p.115155)。雇用の破壊 (p.143)。市場原理と新自由主義イデオロギーと構造改革 (p.151154161210)反戦ビラによる不当逮捕 (p.214)
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●『月刊誌3冊』読了(1/4)

2009年04月14日 07時21分26秒 | Weblog

『紙の爆弾』(20091月号)・『冤罪ファイル No.04(200812月号)・『創』(20093月号) の月刊誌三冊、2月に読了。

『紙の爆弾』(20091月号)
 小松玲子さん「麻生首相邸見学ツアー/フリーター青年3名が白昼堂々〝不当逮捕〟を検証する」(pp.2-7)
 佐藤雅彦さん「吉田茂「爺ちゃんの名にかけて」恥を上塗り―/とてつもない無策無政で日本をダメにする麻生太郎にダマされるな!(pp.8-15)。有名な差別事件について、「・・・野中が同党総務会で麻生を厳しく追及、麻生がか何も答えず顔を真っ赤にしてうつむいたまま恐縮していた、という事件」。
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●『特捜検察の闇』読了(3/3)

2008年11月26日 07時54分22秒 | Weblog
【魚住昭著、『特捜検察の闇』
司法の世界の変質 (4※5) がこのまま進めば・・・カネも力まない庶民の権利を守るため人生を捧げる弁護士はいなくなる。命がけで巨悪に立ち向かう特捜検事も同じ運命をたどるだろう。私たちが心のどこかで信じていた法の正義は遠い夢物語になってしまうかもしれない」(p.265)

本田靖春さんの読売新聞社会部のスター記者・立松和博の事件の顛末を描いた傑作ノンフィクション『不当逮捕』(p.275)(※6)。「立松事件は「戦後検察の汚点」といわれてきた。しかし検察総長以下組織ぐるみで〝裏金〟疑惑を封じ込めようとした三井 [] 事件 [調活費疑惑] はそれ以上に悪質な権力犯罪と言っていい」(p.277)
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●『だまされることの責任』読了(1/3)

2008年11月14日 07時57分51秒 | Weblog

『だまされることの責任』、10月に読了。佐高信×魚住昭著。角川文庫。20085月刊。

「業」(p.10) (1)

伊丹万作の「戦争責任の問題」(『映画春秋』一九四六年八月号)(p.23) を基調に対談がスタート。まずは、「中坊公平体験」から。安田好弘弁護士 (23) 不当逮捕冤罪。その不当性に暫くして気づいた魚住さん、不当逮捕後に「私が目が眩んでいた」中坊さんと決別した佐高さん (p.25)(佐高さん)「・・・福島瑞穂・・・や海渡雄一・・・なんかからは、「弁護士として中坊はちょっとおかしいんだよ。あんなにほめちゃだめなんだよ」とかなり早くから言われていた」(p.31)(魚住さん)「・・・中坊さんは日本の弁護士会の「在野性」を決定的に損なった人・・・反権力的な姿勢が一気になくなっていった。・・・裁判員制度 (4) ・・・「人質司法」の実態・・・ベルトコンベア式に有罪にして、刑務所に放り込んでしまえというシステム・・・ロースクールだってひどい・・・カネのない人は道を閉ざされてしまう」(pp.35-36)
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●『渡邉恒雄 権力とメディア』読了(1/2)

2008年11月04日 07時57分52秒 | Weblog

『渡邉恒雄 権力とメディア』、9月に読了。魚住昭著。講談社文庫。20038月刊。

ある人の発言、「・・・天皇制を打倒したくて共産党に入ったのに、党の『徳田天皇』制的体質に反発して脱党し、結局最後は自分がマスコミの天皇に・・・」(p.57)

この新聞社にもこういう時代はあった。退職後、『不当逮捕』や『誘拐』を書いた本田靖春さん。読売社会部での「黄色い血」追放キャンペーンで「戦後ジャーナリズム史にその名をとどめる」(p.190)。本田さんが当時を振り返り、「・・・反権力の気風がみなぎっていて、・・・無告の民を代表しているんだという誇りを持っていた」(p.190)

九頭竜ダム事件。「・・・「[渡邉ら読売新聞が] こんな事件に深入りしなかった我々の判断は正しかったと思う」、これは論点の巧妙なすり替え・・・渡邉の行為がジャーナリストとして正当だったかどうかだ。・・・「我々新聞記者は・・・大切なのは、取材対象に対する主体的批判力を失わぬことである」と、大見得を切った。・・・カネがらみの裏工作に加担するのを取材とは言わない。むしろ記者と取材対象という関係の限度を超えた癒着と言ったほうが適切だ」(p.215)。真のジャーナリストとして、魚住さんの適切な指摘。
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●『我、拗ね者として生涯を閉ず (上・下)』読了(3/4)

2008年05月20日 07時53分58秒 | Weblog

第一級のノンフィクション作家でもある。立松和博を主人公にした『不当逮捕』(p.262、上383、下344)

入社試験時の主導は鈴木東民 (p.74) さんだったらしい。

1011部は、読売一面を飾る正力モノへの批判。鋭いナベツネ批判も。正力は「自分の主張を編集の各部門に押しつけることはしなかった」が、ナベツネは「確信犯的に自論を論説委員会に強要し、読売新聞の体制化を推進した。実に始末のわるい御仁である」(p.386)
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●『我、拗ね者として生涯を閉ず (上・下)』読了(4/4)

2008年05月20日 07時52分53秒 | Weblog

本田さんが、なんで、ニューライトと誤解されていたのか? なぜ読売??  何で文春系??? しかも、「諸君」。さらに、当時の編集長はあの人だもんな・・・。「我が国が中国を侵略した重い歴史的事実が、胸にわだかまって」(p.431)、ようやく、「越えられない一線」から、文春系からは距離をおくようになる。一部本田さんの誤解 (p.437) があると思うが、鈴木明や山本七平の酷いデマがきっかけになっている。

右目失明、癌、壊疽、両足切断、それでも、書き続けた本田さん。死後、通夜・葬儀は一切無し。戒名も位牌もなし。個有の墓もなく、「文學者の墓」に納められ、文学者の名が連なる墓碑の一隅に「本田靖春 不当逮捕」と刻まれているだけである (p.461)
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