Activated Sludge ブログ ~日々読学~

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●『野中広務 差別と権力』読了(1/3)

2008年11月07日 08時04分18秒 | Weblog

『野中広務 差別と権力』、10月に読了。魚住昭著。講談社文庫。20065月刊。解説は佐高信さんで、「柔和な風貌の中に硬骨の芯を秘めている魚住の本を、是非多くの読者に耽読してほしい」(p.430)

差別に対峙しつつ伸し上っていく前半と、権力に上り詰めて頂点にあと一歩の後半・・・。「この国の歴史で・・・の事実を隠さずに政治活動を行い、権力の中枢にまでたどり着いた人間は野中しかいない」(p.393)

「・・・戦争に巻き込まれるようなことだけは命がけで止めなきゃいけない・・・」(p.56)。一方、小渕政権 (1) でやったことは? 国旗・国歌法案でも「・・・教育現場に義務付けを行うことは考えていない」(p.373) と答弁していたにもかかわらず、結局、「教育現場の管理・統制は一気に強化され・・・「現場の犠牲者」を出さないための法律が新たな犠牲者を大量に生み、教師や子供たちの内面の自由を確実に奪っていった」(p.373)
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●『野中広務 差別と権力』読了(2/3)

2008年11月07日 08時02分52秒 | Weblog
【魚住昭著、『野中広務 差別と権力』】
「永田町ほど差別意識の強い世界」(2) はなく、「総裁選の最中にある有力代議士は・・・「・・・総理になれるような種類の人間じゃないんだ」 (p.385) と言ったそう。さらに、最近、ネット上で話題になっていた部分。当時、「総裁選に立候補した元経企庁長官」 (であり現総理) の「麻生太郎は・・・「あんな・・・を日本の総理にはできないわなあ」と言い放った」(p.385) そうである。20039月、野中は、最後の自民党総務会に臨み、当時の小泉総裁や麻生政調会長を前に発言を求めた。「・・・私の最後の発言と肝に銘じて申し上げます・・・政調会長。あなたは『野中のような・・・を総理にはできないわなあ』とおっしゃった。君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!」、野中の激しい言葉に総務会の空気は凍りついた。麻生は何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった」(pp.391-392)。

「手柄は小泉にとられた形になってしまったが、ハンセン病訴訟の元患者や弁護団が最も頼りにしたのが野中だった」し、「松本サリン事件で警察とマスコミに犯人扱いされた河野義行に、国家公安委員長として率直に謝罪したのも野中だった」(p.427)(先日、とうとう、河野さんの奥さんが亡くなられた・・・。今、安田好弘さんの視線で見たオウム事件の真相について読書中。)
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●『野中広務 差別と権力』読了(3/3)

2008年11月07日 08時00分46秒 | Weblog
【魚住昭著、『野中広務 差別と権力』】
20039月、小泉が再選を目指す自民党総裁選のさなか、政界引退を決意。日本外国特派員協会にて、「・・・日本の国の内外を問わず危険な道をひた走っている・・・絶対に! [景気は] 良くなっておりません。今も一日百人の日本人が自分の意思で自らの命を絶っている。ホームレスや失業者が街にあふれています・・・日本は戦前の道をいま歩もうとしているのです。そこまで言わなければ気がつかないのか・・・人間として本当に悲しくなります」(pp.389-390)

野中は「うっすらと涙をにじませた目で私を睨みつけながら・・・「君 [魚住さんのこと] が・・・書いたことで、私の家族がどれほどつらい思いをしているか・・・そうなることが分かっていて、書いたのか」」と何度も詰問され、著者は絞り出すように「ご家族には本当に申し訳ないと思っています。誠心誠意書いたつもりですが・・・・・・これは私の [ごう] なんです」(p.390p.423) と答えている (34)。「私の業とは、心の奥底から湧き上がってくる、知りたい、書きたいという取材者としての衝動」(p.390) である。
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