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●真の司法改革とは?、そして「イヌのイヌのイヌのイヌ」

2014年04月16日 00時00分24秒 | Weblog


CMLの二つの記事【[CML 030638] Re: 佐藤様 Re: 映画「ハンナ・アーレント」の書評の紹介】(http://list.jca.apc.org/public/cml/2014-April/030655.html)と、
【[CML 030643] Re: 「絶望の裁判所」なり瀬木比呂志 すさまじきかな講談社新書】(http://list.jca.apc.org/public/cml/2014-April/030660.html)。
前田朗さんのブログ【内側から明かされた裁判官の精神構造の病理】(http://maeda-akira.blogspot.jp/2014/04/blog-post_7.html)。

 「検察は警察権力のイヌであり、そのまた手先の裁判官は「イヌのイヌ」ということになります。もっとも、法学者の中には裁判所の御用聞きみたいなのがたくさんいますから、「イヌのイヌのイヌ」(笑)」・・・・・・ということは、それを持ち上げるマスコミは「イヌのイヌのイヌのイヌ」。

   『●〝犬〟になれなかった裁判官
   『●「絶望の裁判所」: 裁判所の頂点、最高裁からして・・・・・・


 「法曹一元制をとれば、現状の司法官僚制の打破ができます。司法試験合格者はすべて弁護士になり、弁護士経験者の中から裁判官を募るという考え方です。司法修習も、最高裁が恣意的に運営するのではなく、むしろ弁護士会主導でやるべきです」・・・・・・真の司法改革を行うためには。

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http://list.jca.apc.org/public/cml/2014-April/030655.html

[CML 030638] Re: 佐藤様 Re: 映画「ハンナ・アーレント」の書評の紹介
・・・・・・・・・
2014年 4月 4日 (金) 09:55:00 JST

前田朗です。
4月4日

>   全く、同感です! 最近、元エリート裁判官だった瀬木比呂志氏の『絶望
>の裁判所』(講談社現代新書)を読みまして、裁判官も都教委並みで、権力者の
>「精神的奴隷」である…マスダ節で言えば「イヌ裁判官」(笑)ってことです…理
>由が、よ~~っく、理解できました。私の数々の裁判体験から、ウスウス(笑)は
>感じていたんですけど…
>  この書物はオススメです! しかし、『絶望の裁判所』であることは分かっ
>ていても、ここ以外には人権侵害の救済を法的に求める場所はないのですからねェ…

まだ読んでません。これから読みます。
「イヌ裁判官」(笑)。
人様を動物に例えるのは失礼なことですが、この喩えはかつて裁判官自身が用い
ました。

(以下の引用はすべて私の記憶によるもので、出典確認はしていません。若干の
不正確さを伴うことをご了解ください。)

10数年前に、裁判所の中から、平裁判官による改革運動が起きた時に、「イヌ
からの脱出、解放が語られたことがあります。結局、最高裁事務総局によって抑
え込まれましたが。

それ以前、東京地検特捜部が、警察の犯罪である神奈川県警盗聴事件を不起訴処
分にしたときに、「検察は警察の走狗」に陥っているのではないかということが
検察官自身によって語られたことがあります。「権力の走狗と言われないように」
と。

ですから、検察は警察権力のイヌであり、そのまた手先の裁判官はイヌのイヌ
ということになります。

もっとも、法学者の中には裁判所の御用聞きみたいなのがたくさんいますから、
イヌのイヌのイヌ」(笑)。

自分でみじめだと思わないのか、本当に不思議。

・・・・・・・・・。
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【http://list.jca.apc.org/public/cml/2014-April/030660.html】

[CML 030643] Re: 「絶望の裁判所」なり瀬木比呂志 すさまじきかな講談社新書
・・・・・・・・・
2014年 4月 4日 (金) 15:58:57 JST

前田朗です。
4月4日

先ほど買ってきましたが、まださわりしか読んでません。


> なぜ解決策として法曹一元? 本書を読んでも分からない。

これは読まなくても、私なりの意見を出せます。
法曹一元制をとれば、現状の司法官僚制の打破ができます。
日本では、司法試験合格後の統一修習(裁判官、検察官、弁護士の供給源)の一
元化ができただけで、
これは法曹一元ではありません。
法曹一元というのは、国によって差異はありますが、
司法試験合格者はすべて弁護士になり、弁護士経験者の中から裁判官を募るとい
う考え方です。
司法修習も、最高裁が恣意的に運営するのではなく、むしろ弁護士会主導でやる
べきです。
弁護士の養成、後継者育成は弁護士会が責任を持ってやるべきです。
これによって、一方で、裁判官を民衆の中から選出するという位置づけにすると
ともに、
他方で同時に、裁判官を官僚制から引き離し、弁護士から裁判官へ、そして逆に
裁判官から弁護士へという流れを作る
もちろん、一定程度の司法行政が必要になり、司法行政に強い人材が生み出され、
司法行政による裁判官支配がなされる危険性は残りますが。
前回の司法改革の時に、学界からは法曹一元の提案がありましたが、
最高裁は法曹一元だけは絶対に拒否し、
弁護士会も責任の重大さから逃げ腰となり、
しかも、裁判員制度法科大学院という奇妙な改革に流れました
学界では法科大学院制度には強い反対があったのですが、
最高裁と弁護士会の結託で制度ができました。
制度ができてしまえば、各大学とも懸命になって法科大学院を作り、宣伝し、維
持しなくてはなりません。
かつて法科大学院構想を厳しく批判していた教授たちが、懸命に法科大学院の授
業をやっているという漫画的な状況です。
あとは裁判官、検察官の天下り先をつくっただけです。
法科大学院制度の制度設計が失敗であり、次々と問題を引き起こしてきたことは
報道されている通りです。
法曹一元が基礎にあれば、法科大学院はもう少しましになったと思います。

・・・・・・。
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【http://maeda-akira.blogspot.jp/2014/04/blog-post_7.html】

前田朗Blog
MONDAY, APRIL 07, 2014

内側から明かされた裁判官の精神構造の病理
瀬木比呂志絶望の裁判所』(講談社現代新書)

「最高裁中枢の暗部を知る元エリート裁判官 衝撃の告発!」「裁判所の門をくぐる者は、一切の希望を捨てよ!」。1954年生まれの著者は1979年に裁判官となり、東京地裁、最高裁に勤務、2012年に明治大学法科大学院教授に転身。30年余りの裁判官生活における実体験を多数紹介しながら、裁判所の実態を描き出す。

政権追随司法人権軽視司法を形成・維持した最高裁司法行政族による青法協攻撃以来の「司法の反動化」は有名である。政治的動機による裁判官弾圧と裁判官統制であり、それゆえ組織が歪み、人間が抑圧されていった。裁判官懇話会も白眼視された。青法協と懇話会は本書に登場する。その後、市民のための裁判官ネットワークもあったが、こちらは本書には登場しない。青法協、懇話会、ネットワーク、それぞれに自由で開かれた裁判所を目指したが、上からの弾圧で潰されていった。

憲法に背を向け平和や人権に冷酷な裁判官をつくりだすための猛烈な工作が、この国のエリート裁判官を堕落させたことは良く知られている事実だ。多数の批判書、研究書があった。黒木亮『法服の王国 小説裁判官(上・下)』(産経新聞出版)も出た。

  http://maeda-akira.blogspot.jp/2013/12/blog-post_10.html

本書が取り上げた話題はほとんど既知のことであるが、著者自身の体験が裏打ちし、説得的であり、随所で「やっぱりそうだったのか」と繰り返すことになる。ただ、著者はそこで立ち止まらない。内側からの分析の強みであるが、「裁判官の精神構造の病理」として、(1)一枚岩の世界、内面性の欠如、内面のもろさ、(2)エゴイズム、自己中心性、他者の不在、共感と想像力の欠如、(3)慢心、虚栄、(4)嫉妬、(5)人格的な未熟さ、幼児性、(6)建前論、表の顔と裏の顔の使い分け、(7)自己規制、抑圧、(8)知的怠慢、(9)家庭の価値意識。ここまで書くか、と思うくらい厳しい批判である。もちろん、著者自身もその世界にいたのであり、そのことを著者は十分に自覚している。

裁判官に常識の欠ける人物が多いことは私も良く知っている。かつて東京地裁の裁判官、東京地検の検察官が参加する研究会に数年間出ていたが、現職裁判官のオフレコ発言はまさにエゴイズム、自己中心性、他者の不在、慢心、虚栄、嫉妬。なるほどその通りである。あまりに気持ち悪いので、数年で出席を止めたが、出席し続けて黙って聞いておけばよかったかもしれない。もっとも、大学に所属する研究者にも変人は少なくないが。

著者は関根牧彦という筆名で数冊の著書を出しているが、それは法律書ではなく、『内的転向論』『映画館の妖精』『対話としての読書』であり、音楽ファンでもある。本書にも、ビートルズ、ボブ・ディラン、ブルース・スプリングスティーンが出て来る。

Posted by 前田朗 at 6:25 AM
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