

前回、勉強は風に乗って、ということを書きました。
どういうことかといいますと、吹く風の方向に何があるのかを見極めながら(ながら、というのは、事情や状況は刻々と変化していくからです)することが勉強の場合には効率的でり、重要だということです。
仮に風が吹く先に何も見えていないとしたら、そもそもこれをやる本人の中でモチベーションが沸き起こりませんし、維持もできません。
また、せっかくやっても、全くピントのずれたもので終わってしまうこともあります。
勉強それ自体には、効率もピンともありはしないという議論もあります。
これは、勉強ということには、これに短兵急に結果や効果を求めるべきではなく、長い時間の中で一つずつ着実に積み上げていくものだという考え方で、基本的には私もこれに賛成です。
でも、勉強に限りませんが、私たちが何かをする際には、殆どすべての場合、そこにはなにがしかの目的や目論見があります。
遊びでも趣味でも、仕事でも家事でも、何に対しても、です。
ですから、ここでいうのは、勉強するという行動の当面の目的をどこに置くかということに関して、これを明確にした上で行うことの効率についてないがしろにすることとは、上に書いたことは必ずしも一致しません。
風、と書いたのは、これらの目的の方向がまさに今行うことの先を示しているのだという比喩です。
昨日は三浦半島南端の町まで出張だったが、これに限らず、どこかに出かけた際は、クルマで移動するときの景色の中に学習塾や予備校の建物や看板に目が行きます。
山梨や静岡などが多いのですが、それぞれの町によく溶け込んだ、或いは根付いた感じのするところが少なくなく、見ず知らずの同業者に心の中で自然にエールを送っていたりします。
翻って我が教室も、近々看板を大きく変更しようと思います。
今のも当時(15年くらい前)に結構念入りにデザインの構想を練った上で架けたものなのですが(写真は夏期講習の前に撮影したもの)。