夏期講習は普段の授業とは形態が異なりますので、それにつれて中身の方も普段とは質的にいつもと違うもので満たされて、そこから浮かび上がる問題やそれらの改善の過程も面白いようにわかります。
簡単にいえば、勉強の速度は各人で違えど、やれば理解度は上向きます(たまにそうでない例もないとは言い切れませんが)。
でも、「やればできるようになる」というトレンドはあっても、各自でその度合いが異なるのには、その人数ごとの理由がありますが、共通するものもあります。
たとえば、慢心あるいは過信の類。
少しばかり理解度が増したからといって、それをすべて自分の能力と思い込んで自分自身を勝手に高い位置に置く、或いはやっともことで理解ができたことをも「所詮こんな簡単なこと」などと舐めてかかるような人(子)は、その時は良くても、必ず早いうちに進展に陰りが見られます。
別に悲観的になる必要はありませんが、こと「何かを学ぶ」際には、この慢心過信という名の楽観主義は絶対的にマイナスであって、これと反対に、学ぶことに際して「謙虚さ」を実践できる子は、理解度の伸びや定着度は前者に比べて長持ちもしますし、定着の度合いも随分としっかりします。
慢心過信の類は、その発言の中から容易にこれをピックアップできます。それは子供じみた虚しい自慢話の中に見て取ることも出来ますし、同じ間違いを平気で何度も繰り返す学習能力の足りなさの中(そして、それを恥とも何とも思わないし感じもしない態度)からもわかります。
大切なのは、こうした良くないクセ、あるいは習性をいつからどうやって直していくかということで、この点、勉強の成果を出していくということは、それに伴うある程度の時間が必要であることがわかります。対症療法的な「とりあえずの処方」ですべて済ませられるなどとはゆめゆめ思わないことです。