3月もあとわずかで終わりです。
桜が満開で、教室に来るときに、あちこちで綺麗な花の咲く様子を車の中から眺めるのがこの時期とても大きな楽しみです。
3月と言えば、新規ご入会時に必要な入会金22000円(税込)が、今だけ全額無料です。
ぜひこの機会をご活用ください。
その他、サイトのコンテンツ内容を精力的にアップデートしていますので、お時間のあるときにご覧頂ければ幸いです。
教室に駆け込むようにしてやってきた生徒達も、このところの晴天で体が春のモードになっているせいか、寒い寒いというので、今日は暖房をガンガン効かせました。明日からは春期講習が始まります。講習の目的は、まずはポイントを絞っての苦手単元の復習。続いて新年度(新学年)の当面する単元の先取り学習。卒業したばかりの旧六年生達は、中学で4月に習う英語の基礎と、数学では正負の計算と文字式。春休みは遊びの為の期間に非ず。
宇宙飛行士などがよく言う言葉に「宇宙から地球を見ていると、そこには国境線など見えないし、そこで人間同士が争っていることがとても小さく滑稽に思える」というものがあります。
彼らが言う宇宙は、せいぜい地球から500kmしか離れていないところでしかなく、それで宇宙全体を表現したものでは勿論ないですが、飛行士たちのいう事は理解できる気がします。立花隆氏の「宇宙からの帰還」という本の中でも、アポロ計画で宇宙に行った複数の飛行士たちによるよく似た話が載っていて、おもしろく読んだことがあります。
先日、少し早熟な小学生の塾生の女の子が、これに関して彼女独自の感慨を私に話して聞かせてくれました。
その話の内容も、話の仕方そのものも、小学生らしいたどたどしさは感じられるものの、いかにも10代初めの瑞々しい感性で溢れていて、ああ、これが本を読んでいる子の立派な発現のひとつなんだなあと、しみじみ感心した次第です。
大阪で暫く単身赴任していた友人が、「大阪じゃこれが当たり前」とでも言いたげに「いくらですか?」の話を聞かせてくれました。彼自身は関東人であって、その「いくら?」の件に関しては、彼の友人の話です。
彼がその友人君に連れ添って、スーツを買いに行くのに付き合ったときのことです。
店の人が懇切丁寧に服の説明をしてくれて、しかしその友人君は、いわゆる廉価な「吊るし」の服を買おうと、そのコーナーで服を物色していて、その中の或るものにしようと決めた時、店員がまたその服について丁寧に説明を始めたそうです。そういう「吊るし」のコーナーは初めから大きく値段の表示がされてあって、まあいわば極めて分かりやすい作りにはなっています。
それなのに友人君は言ったそうです。
「で、いくら?」
店の人も単身赴任中の私の友人も、一瞬「?」となったそうです。
「いくら」もなにも、そこには既に値札が明確に表示されている。
でも、すぐに店員も単身赴任の友も理解しました。
「で、いくら?」は、大阪人にとっては極めて当たり前の台詞であって、彼らにとって「値札?正札?それがなんやねん」ということなのであって、本当の値付けというのはそこからの駆け引き次第ということなのでしょう。
塾への問い合わせの中で多用される「いくら?」も、もしかしたらそういう考えから発せられる台詞なのかもしれません。関東人も、今や大阪人化しているということなのでしょうか。
もう一つ。
私がかつて勤めていた損保で、ある年に私は大阪出身の上司の下で仕事をしていました。
何かの話の最中に、大阪では損害率が他の都市よりも高いんや、などと、まるでそれが「どや、すごいやろ」みたいなニュアンスでその上司の口から発せられました。
彼が言う損害率とは、この場合、「自動車事故に関わって支払われる保険金の額の多さ」なのですが、お分かりの通り、保険金というのは、ちゃんとした査定を経た上で、定められた支払いの規定の下で支払われます。
通常、自動車事故が遭った場合、加害者の代わりに保険会社が前面に出て、被害者と保険金支払いその他、事故の後処理の交渉を行い、そしてこれを支払って一件落着となる筈なのですが、上司曰く、それは大阪以外の都市での話であって、かの地では、そこからまだ続きがあるのだそうです。
その地で長く勤務していたその上司が言うには、そうして保険金が支払われるか、または既に支払われた後で、多くの被害者から、加害者に(←保険会社ではない)こう言ってくるのだとか。
「保険金はそれでいい。だがな、保険は保険、誠意は誠意や。で、あんたとこの誠意はどう示してくれるのや?」
その誠意をどのような形でこれ(保険金とは別の誠意)をも保険会社が負担するシステムやメカニズムなのか、そもそもそんなシステムがあるのかないのか、大阪で勤務した経験のない私にはいまだによくわかりません。もしかしたら、大阪人の彼のいわば自虐ネタの一種であったのかもしれません。
でも、この話を他の少なからぬ大阪人も、「それの何か問題でも?」的な顔で聞いていたことを思えば、これは決してフィクションではなく、彼らの常識なんだろうな、とも思えます。恐るべし大阪人。
塾への問い合わせの場で聞かれる「いくら?」には、或いはこういう要素も含まれているのではないかと思ったりもします。
時期的に、新規入会に関する問い合わせがよくあります。
コロナがあろうとなかろうと、子供さんの学力の現状に危機感を抱く親心には決定的な行動忌避には至らないようです。
ですが、電話にせよメールにせよ、頂く問い合わせで少なからず閉口気味に思えるのが、お聞きになる人自身が次の一言で、こちらから得られる言葉で全てを理解した気になっているのではないかと思う点です。
その一言とは「いくらですか?」。
「あのね」と言いたいです(勿論そんな言葉は使いませんが)。
電話にせよ面談にせよ、その時初めて言葉を交わす人に対して、その人が今何を考え、何に対して危機感を持ち、子供さんのどこをどう刺激し指導して、 今の時点に比較してどうこれを伸ばしたいと考えているのか、成績をいつどこまで上げていきたいのか、自宅学習の習慣や基礎があるのかないのかなど、こちらが知りたいこと、聞くべきことの殆ど、または全てに蓋をしたまま「いくらですか?」って、あまりに乱暴すぎませんか?
この閉塞感に満ちた世の中、必要性があることは分かっていても、一番大事な話のポイントが費用にあることは勿論理解できます。
ですから、そういうことを踏まえて私たちは「まず面談を」とお願いしています。
お子さんの得意な科目、不得意な科目が何なのかわからなければ、場合によっては最初からピントのずれた話になってしまいます。今の成績がオール3なのか4なのか、或いは2が混じって いるのかも知らないで、お尋ねになる方の心の中だけで「希望ヶ丘に合格させたいんですよね」なんて思われていても「犬と猫ではどっちがダチョウですか」みたいな「????」で終わってしまいます。
仮に「塾生個人の資質や個性や現状、それに保護者としての希望その他はこの際一切横に置いて 、ただただ塾のシステムの一環としての料金はいくらですか」という事でしたら、それはそれでお答えできますが、片側5車線の交通量の多い国道に、目隠しをして飛び込むような形での学習指導は初めからリスク満載ですし。
10年前の今日、私は三ツ境駅前の不動産会社のオフィスにいました。
三ツ境教室のテナント契約の日でした。
関係者が大きなテーブルを囲んで向かい合っていたそのとき、地震が発生しました。
地震には慣れているので、このときもすぐに収まるだろうくらいの軽い気持ちでした。
しかし、揺れは全然収まる気配もなく、いつまでも長く、そして次第にその激しさを増して行き、私以外の全員が恐怖からか、みな建物の外に飛び出して行きました。
窓から外を見ると、道行く人も皆激しく波打つ電線を見て驚き、隣のビルからも人が飛び出しておろおろしていましたが、そういう私の前には契約のためのお金が100万円くらい置かれたままで、ここで私も外に出たら、これもそのまま放置ということになるので、おいそれと動けもせず、その間の時間の長さだけが今も印象に残っています。
揺れが収まって、皆が戻ってきて契約を済ませ、私はそのまま藤沢教室に車で向かいました。
西友の建物前では沢山の人たちが立ち尽くしていました。
藤沢の教室を開けると、書棚が倒れて沢山の本などが床に散乱しており、しばらくはその片付けに終われました。
その夜の授業は全て中止とし、その連絡を済ませたとき、電話が鳴って、私立小に通う塾生の父親が電話口で「子供の母親と連絡が取れません。二人とも仕事なのですが、私は今静岡にいて、電車も止まっているので帰宅できるかどうかも分かりません。子供とは先ほど連絡が取れたので、すみませんが塾の教室に行かせますので、暫く見ていただけないでしょうか」とのこと。
それを了解して暫くすると、その子(小2)が不安げな顔でやってきて、今にも泣きそうな顔をして「お母さんと話が出来ない」と言いました。
不安が先に立って食欲もなさそうな彼を商店街のファミレスに連れて行き、簡単な食事をとらせた後、彼を自宅まで送りましたが、家は真っ暗で人の気配もなし。
小2の子を放って帰るのも気が引けるし、教室もこれ以上人が来ないよう保護者たちには連絡も済んでいるので、私は暫く彼の家で彼のお守りをする格好で待機しました。
深夜近くになって、母親が泣き出しそうな顔で家のドアを押して帰ってきて、電車が止まっていたので、仕事先から長い距離を歩いてきました、と言いました。
その日、地震の後で自分の携帯が動作していたかどうかの記憶がありません。
後になって、その日は大阪に帰省中だったりん先生がテレビで地震のニュースで、横浜市内でビルのガラスが割れて地上に落下して何人かが怪我を負ったというのを見て、とにかく心配で電話を架けようとしたが繋がらなかったなどといっていたので、部分的には不通もあったのではないかと思います。
千葉に住む損保時代の同課の子からもメールが来ていて「心配。とりあえず生死だけでも確かめたい」というような文面でした。
混乱は翌日以降本格化して、ガソリンスタンドは長蛇の列で給油もままならないし、電気はしょっちゅう止まってしまって仕事に支障はあるしで、悪い夢のようでも、これが現実であること、繰り返し報道で見ることになる東北各地の惨状に、自分に何が出来るのかを自問する日々が暫く続きました。
あれから10年。
あの日、まだ幼稚園や保育園生だった子達の、今日は中学卒業式。
しつこく鬱陶しいコロナのせいで対面授業の仕方にもあれやこれや様々な安全策を講じています。
そんな中、自然な形でオンライン授業のニーズが高まってきているようで、実際そういうリクエストが増えつつあります。
しかし、対面だからこそできること、有効なことが多々あるのもまた事実で、これはいかんともしがたいものがあります。
それはそれとして、そういう背景の下、ACSアカデミーのHPのトップに幾つか新年度生徒募集関連のリンクを貼っております。
■トップページはこちら
■入会説明ページはこちら
■オンライン授業関連はこちら
■高校生対象に限定したオンライン授業はこちら
■取り敢えず4月から即始められる曜日と時間帯はこちら