実質的な値下げ授業新プラン

2022-04-30 20:52:06 | 学習塾・勉強の仕方
春は値上げラッシュの季節といわれていますが、普段あまり買い物をしない私には、どこか別の世界の話のような気がしていました。

それが、この二日間でひっくり返りました
金曜日の仕事の後で立ち寄ったステーキガストで鬼のような値上げに遭遇。これだったらもうここよりも毎回ハングリータイガーまで遠征してハンバーグを食べた方がましだなと思いました。

そして今日。連れ合いの付き合いで藤沢の農協系の店に行き、私は興味がないので向かいのコメダでアイスコーヒーを飲んで、頃合いをみて店を出る際のレジでまたまた脅威の値上げの直撃を受けました。ここも暫く足が遠のくに違いないなと。

翻って、わがACSアカデミー。4月から中1中2対象の限定なれど、視聴回数に制限のない映像授業活用で、月額税込9300円の新授業プランを導入しました。これは従来の対面マンツーマンに比べ、半額に近いバージョンです。

このプランでは、国数英理社総ての科目の総ての単元を生徒個々人のブースの個々人のパソコンで、上に書いた通り、教室が開いている間はいつでも何度でも利用出来ますし、これに加え、希望に応じて別に対面授業を少しセットすることで、更に立体的な解説と質疑応答の授業を実現出来ます。

店員不適

2022-04-30 09:06:04 | 学習塾・勉強の仕方
駅員さんとか、店員さんとかに対して、むやみに高飛車な人が時折りいます。 私も郵便局の窓口で、やけに威張り散らす男の人を見たことがあります。あまり気持ちの良いものではありません。

私は極力何か気分の良くないことがあってもそうした窓口などの場では ジェントルに済ますことを心がけています。

教室で授業を行う講師の中には、 これまで ごく稀にではありますが 生徒たちに対して言葉遣いが不適切なものがいました。 私は毎回の授業の前に 講師に指示をします。その回の授業の目的は何か、 翌日の学校のテストに備えたものであるならば極力その範囲に絞った内容とすること、代名詞など、長く使う基礎知識習得を図るなら、多少の時間超過にとらわれずじっくりこれを行うこと、授業に熱心になるあまり時に本筋から脱線してしまうことがありますが、それには注意を払うこと等々。

何年か前、藤沢の教室で、ある講師が生徒に向かってこんなことを言いました 「これは君たちにわからないだろうからやらなくていいよ」

その言い方にカチンときた生徒がすかさず反論しました。
「わからないの教えるのが お前の仕事だろ」

私は 生徒の側に一理あると思いました。 この時は正しくはこう言うべきでした。「この単元は今日のところは省きます。授業を進める上で、その方がよいからです」

彼はそれを「君達にはわからないだろうから」などという高飛車な 言い方をしたところに間違いがあります。

昨日、湘南高校の近くの ローソンに用事で立ち寄りました。 このローソンとはなぜか折り合いが昔からよくなく、 あまり気分の良い 思い出はありません。店員の言葉遣いが恐ろしく雑で乱暴で、ある時は 教室の生徒たちが 店員に「お前ら」などと言われている場面を見たこともあります。

昨日店に入って店員に二つ質問しました。 ふっくらした 女性の店員は見るからに態度が悪く 「そんなこと知りませんよ」とか、何やら紙片を私に渡して「あっちの方で自分でみたら」とか、 恐ろしく雑で乱暴な言い方。

普段は言いませんが、この時はそのあまりの乱暴さにこちらもプチッと切れた私は 言いました。
「あのなお前、客に向かっての言葉遣いをもう少し勉強してからカウンターに立てよ。いいオトナが そんなこともわからないなら店員なんかやめてしまえ」

言われたこの店員は頬をぷうっと脹らませ、生意気にもにらみ返して来たので、追い討ちにこっちも睨み返して「なんか文句あんのかバカ者」。

店員をするべきでない女でした。

母の夢

2022-04-30 08:22:08 | 学習塾・勉強の仕方
子供の頃から放浪の癖があり、 記憶に残る最も古い家出は 6歳の時でした。
以後、未遂を含め 2、3泊、長くて一週間ぐらいの家出は何度したかわかりません。 それぞれにはきっかけや理由めいたものがありましたが、特に決定的なものではなく、 単に性格的な放浪癖でした家出としか言いようがありません。その都度母親を悲しませました。

その母親が亡くなって10年。 昨夜、母親と思しき人が夢に中でてきました。 とても悲しそうな顔をして、今もある石川小学校の近くの急な階段を 休み休みしながら一歩一歩、独り辛そうに登っていました。私は 近寄って彼女を背負い、そうして階段のてっぺんまで着くと、そこから遠くに海が見えました。 悲しい夢でした。

言葉の責任

2022-04-29 22:42:48 | 学習塾・勉強の仕方
昔、中学の卒業式で、校長先生が卒業して行く私たちに贈る言葉として 「沈黙は金」という言葉を 教えてくれました。

「 中学を卒業して成長する君たちは、もう半分大人に近くなったのだから、 言うことには気をつけなさい。時には 黙っているということも必要です。余計なことは言わないように」というような趣旨であったように覚えています。

損保に勤務するようになったある時、上司からこんなことを言われました。
「 積極的に発言しろ。 黙っていると誤解されることがあるし、それに対して抗弁しなければそれを認めることになる。 もっと自分を全面に出せ。意見を言え。自分をアピールしろ」

今思い出しました。中学校の時には、 こんなこともよく言われました。
ある先生が「誰とでも仲良くしなさい。友達を選ぶことはよくないことだ」と。

また別のある先生がこんなことを言いました。「友達は選びなさい。自分を成長させてくれる友達だけを選びなさい」と。

私たちは 友達同士で「一体どっちが本当なんだよ」などと言い合ったことを覚えています

このように大人は 時に 正反対のことを言います。 今思うと、正反対のように聞こえても そういうことではないと思いますが、 仮に今、子供たちが同じことを言われたとすると、判断力が未熟な子どもたちは、どちらをとったら良いのか迷うことも少なくないのではと思います。

今 思うのは、大人の私が子供達に向かって発する言葉に、一層の責任を持たなくてはいけないということです。多分これまで数え切れないほどの誤解や混乱を与えまくってきたに違いない慚愧の念頭と共に。

通勤ルートに見える富士

2022-04-29 21:21:27 | 学習塾・勉強の仕方
鎌倉にある家から 教室に行くには、いくつかのルートがあります。 毎日同じ道で行くのは変化がないので、ちょこちょことルートを替えています。

家からはすぐ海に出られるので、左手に海を眺めながら海岸線を西に向かい、 辻堂の手前で右折し、藤沢を抜け 藤沢町田線のルートで相鉄いずみ野線の横を通って教室に来るルート。

別のルートは、家から大船に出て、大船観音を左に眺め、そのまま東海道線に沿って戸塚に向かい、 弥生台を抜けて教室にくるコース。

はじめのコースは、この時期天気が良ければ 134号線の延長に立体的に雪をかぶった富士が 見えます。 青い空を バックに「いるよ」とでも 言っているように、実際には遠いのに、すぐそこにあるように視界に飛び込んできます。

何度か自分の足で登ってこの目で実際に見た、ゴツゴツした富士とは全く別の、不思議な気分になる霊峰富士です。

仕事の前の時間

2022-04-29 10:28:02 | 学習塾・勉強の仕方
雨に濡れながら佇む人がいる
傘の花が咲く 土曜の昼下がり  

という歌詞で始まる三善英史さんの、半世紀も前の歌があります。

普段滅多に耳にすることはありませんが、先日三ツ境商店街の坂を歩いて下っていた時に、突然のように頭の中をこの歌があの物悲し気な歌声を伴って流れました。

私の中では、この歌がもっとも相応しいのは京都の三条大橋の袂です。
見知らぬ人が行き交う中、川面に目をやるでもなく、独りで立つ自分、ってとこかな。

教える楽しさ

2022-04-29 10:08:56 | 学習塾・勉強の仕方
学習塾は 目に見えるものを形として作り上げる、 例えば工場のようなものではありませんが、それに代わって、目に見えないものを生み出すこと、それを手にした時の喜びはあります。
それは 生徒たちの 学力 が着実に上がったことを実感できた時です。

そのために必要なことは、日々教え方を工夫し、改善する姿勢です。生徒達が、私達の言うことを受け、一生懸命にやってくれるのだとしたら、それを持続的に発展させるために私たちの努力が必要なことは言うまでもありません。 おる子に対しては 強い言葉で引っ張り時に叱咤することが 必要です。または別の子には 優しく包むように包むようにして少しずつ前に進むように仕向けていくことが求められます。 ある子は書くことを重視して 授業を進め、またある子は 耳で聞くことを 念頭に授業を進める。 ある子は解説を中心にするけれども、ある子は問題を解くことで 考える力や覚える力を養う等々、様々な方法を 駆使します。

一人の子に対して複数の策があっても、いつもいつもそれが通用するわけではなく、日によって、細かくいえば時間帯によってもこれらを組み合わせたり、手法を変更することも必要です。

教えていて楽しいのはその結果だけでなく、こういうことの日々の工夫の中にもあります。

座る姿勢

2022-04-28 10:29:21 | 学習塾・勉強の仕方
私の持論ですが、勉強をしようという時は、 初めにそれらしく、それにふさわしい形から入ることが重要なことのひとつです。

昨日は 鉛筆の持ち方について書きました。今回は、姿勢について書きます。 一般に勉強が苦手な子の多くは、机に向かうときにだらだらした姿勢になりがちです。いかにも「勉強 なんかしたくないね」 とでも言うように、机の上にだらんと腕を伸ばして、そこに頭を乗っけて顔を真横にしながら文字を書く。 これでまともな字が書けるはずがありません。

電線に止まるカラスみたいな格好で 机にちょこんと乗って座面に向かう子もいます。昭和の電車の中で 老婆がこのようにして座るのを 何度か 見かけたことがありますが、椅子の上に正座する子もいます。この日本古来の正座は別として、多くは勉強の時に机に向かう正しい姿勢ではありません。 疲れますし 、落ち着きません。 落ち着かない=集中できません。 こういうところから直していかないといけません。

話は変わりますが、昔何かの本で、寝る時に横を向いて寝るのは体に良くないというようなことを読んだことがあります。 一方、最近読んだ曹洞宗の修行僧の本「食う寝る座る」の中で、永平寺で修行する 修行僧たちは、その教えとして、寝る時は体を 右を下にして寝るのだと書いてありました。 どうしてなのか分かりませんが、大宗教の教えなのですから、それ相当の意味がきっとあるのでしょう。 私は子供の時から横を向いて寝る癖がありましたが、知らず知らずこの禅宗の一つ、曹洞宗の教えを実践していたことになります。そう言えば、我が家は曹洞宗の信徒でした(私自身は極めて不真面目な信徒ですが)。

稜線の風

2022-04-28 00:17:24 | 学習塾・勉強の仕方
窓の外を強い風がビュービュー吹いています。

風は好きです。特に山の稜線を行く風。
大菩薩嶺に登った時に耳元を通り過ぎた風。天狗岳に登って遠く赤岳を眺めながら、無心でいた時に横を吹き抜けていった風。

稜線の風は 他の所で吹く風とは全く異なります。 激しくもなく、静かすぎることもなく。
それはさわさわというか、ひゅうっというか、まるで自由を謳歌する若い娘が「気にしないで。勝手に拭いているだけだから」 とでも言っているかのように 私には聞こえます。

本田さんとテレビ

2022-04-27 23:59:23 | 学習塾・勉強の仕方
本田宗一郎さんの本を読んでいます。 とにかく面白い。 もちろん直接 存じ上げるわけではないけれども 、この本田宗一郎さんという人、 どこか 土の匂いがすると言うか機械油の匂いがすると言うか (←こちらの方が正しいんでしょうね) 、自然な形で親近感を抱かせる、それでいて紛れもない天才、といったところでしょうか。

この本田さんが面白いこと言っています。
本田さんは 子供の頃に読み書きが好きではなく、それあってか、後年になっても 情報などを仕入れるのに 、文字を読むというよりも テレビを見るなどのやり方が性に合っているのだそうです。

テレビの方が 本などから情報を仕入れよりも簡単に そして効率的にできるということのようですが、であれば今私たちは子供に向かって機械的に「ゲーム なんかいつまでもしているんじゃない」などと言って、 そんなものは 有害でしかないという決めつけをしたりしますが、 もしかしたら子供たちがするゲームも 別の見方をすれば 何かとても有用な ツール になるのではないか、そんな風に思いました。本田さんにとってのテレビのように。

私自身は 全くゲームをしないのでその辺りはよく分かりませんが。

鉛筆の持ち方

2022-04-27 21:18:57 | 学習塾・勉強の仕方
今の子供はヘンなペンの持ち方をする子が多いです。 中指と薬指の間に 挟んで ペンの頭を 自分とは反対側に向けて、つまり手前の方にペン先を向けて いかにも書きにくそうに 書きます。 これではたくさん文字を書くのは 大変だと思います。

何年か前のある小学生に、少ししつこくペンの持ち方を指導しました。 初めのうちは苦労していたようですが、そのうち慣れて、今中学生のその子はなめらかに文字を書き連ねます。
「あの時先生に教わったから」 というその子の笑顔が とても嬉しいです。 

ちなみにここでは 本当は「鉛筆」と書きたいところですが、 今の子供の多くはシャープペンシルを持っているので、 その辺を考慮してペンと書きました。本当は鉛筆を持って欲しいんですけどね。

今夜の地理の授業

2022-04-26 13:14:54 | 学習塾・勉強の仕方
先日、 平泉の衣川付近のことについて 書きました。 これで思うのですが、 子供たちに地理の授業をしている時に、なぜか 西から東、東から北の方に行くにつれ、子供たちの関心が 少しずつ薄くなっていくような気がします。あるいは 勘違いかもしれません。ですが、 確かにそんな気がするのです。

九州 はそれなりに覚えることがたくさんあります。 中国四国はそれほどでもなく(←ごめんなさい。悪気は全くありません) 近畿になると少し盛り返し、中部地方は盛り沢山。関東は多いようで それほどなく、次に東北ですが、ここは 子供達に覚えさせるべき項目が確かに多いとは言えません。覚えなくてはならない項目が多ければ、それだけ解説することも増え、子供達の意識も半ば強制的にこれらの地方に集中させられます。

その意味で、確かに東北地方はテストに出題される項目が多くはありません。ですが、 東北はそういうこととは別に、とても良い所だということを前提に、子供たちには色々と知ってほしいところです。

私自身それほど何度も 行ったことはないのですが、 初めて行った時は、その前に抱いていたイメージと違い、 そこには閉塞感や暗さはなく、澄んだ空気、青い空、広い道路、清潔で広い町 、郊外の起伏に富んだ素晴らしい景観などが、 東北の良さを初回で 私にたっぷりと分からせてくれました。

今日は東北と北海道についての授業もあります。楽しみです。

生徒も努力、講師も努力

2022-04-25 23:51:58 | 学習塾・勉強の仕方
テストで点を取るための勉強と、そもそもその学問、その教科を極める学問とでは、自ずとその質は違います。

私たちは学習塾ですので、主として生徒達がテストで良い点を取るための(ある種即物的な)勉強に力を入れることが多くなります。 そのために日々の授業で心がけていることは、 教える内容を熟知している私たちの知識を開陳するのではなく、 目の前に座る生徒たちの理解に教える内容を直結させるために、 講義や解説のスピードや言葉遣いに 強弱や緩急をつけ、変化に富んだものとしながら、相手の印象にとにかく強く刻印出来る話の進め方をいかにうまくコントロールするか、の諸点です。

今、ウチにはいませんが、 ルーキーの講師は、往々にしてこの点を忘れ、或いはこの点を失敗してしまい、ともすれば いかに自分がこれ(教える教科のその回の単元)を知っているかを滔々と述べるだけで 何かを教えたつもりになって、それで満足してしまいがちです。

そこには、肝心の生徒たちの理解度を推し量り、常にそれを引き上げ続けるという最重要課題を講師の側が二の次にしてしまうことで、生徒自身が伸び悩んで自信を失うという最悪の場面が待っていますし、そうなると生徒からの信頼も急速に色褪せて、講師としての隘路に自ら迷い込んでしまうという負の連鎖が起こります。

こうした意味で、 私たちが 生徒に対して授業を行うということは、その一回一回が本当に真剣勝負です。 正直なところ、授業をして 本当に満足の出来であったと思えることはそうそうあるものではなく(全くないわけでは勿論ありません)、 多くの場合、あそこはこうすればよかった、 ここもこんな風に説明すればなおよかった、などと、様々な反省が心の中を飛び交います。そうした反省の上で積み重ねる努力や工夫は、まさにエンドレスです。