大人としての役割

2018-10-04 16:14:35 | 学習塾・勉強の仕方

結論から言うと、危機意識を持ち得ない子達であっても、あの手この手の真摯な対応によって、その90%はこれが必要とされる期間内にある程度、又はそれ以上の危機意識を自らの中に持たせることに成功し、それもあって入会時の抱いていた目標とするレベルの成績を挙げることや、志望校の合格を手にすることが出来ました。

それはそれで確かな成功体験ではありますし、喜ばしいことではあるのですが、プロとして、残る10%の子達に対する心残りがあるのもまた事実です。

事実だけを挙げていけば、そういういわば脱落した子達に共通するものがあって、それらの多くはいかんともしがたい種類であったりしますが、それをあげつらってみてもあまり意味はなく(もちろんケーススタディとしての意味はありますが)、今後も多数出会うだろう子達と向き合って勉強を通じて関わりあっていく中で、どうしたら彼らの中に健全な危機意識を持たせ、それを基にしっかりと前を向いてペンを執らせるかの多くが私たちを含む周囲の大人たちにかかっているのだと思います。

 

 


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続・危機意識のなさ

2018-10-04 13:15:14 | 学習塾・勉強の仕方

昨日、「危機意識が無いということの危機」について書きました。

これは実は一回や二回ここで書くくらいではどうにもならないくらいの「危機」であって、そう言い切れるくらい静かに、そして深く生徒たちの心の中に根を張っている、とても厄介な代物です。

そして、これは何も今急に言われだしているものではなく、昔からあったものです。

問題は、これが深く静かに先行している段階にあるのではなく、何か大きな節目~この場合で言えば、テストの時、成績が出るとき、或いは受験の時~などに一気に表に出てくることです。

当然、表に現れるのは本人の期待とは正反対の結果です。

これは当たり前のことで、そもそも「期待」と言っても、努力しなければならない段階でそれらしいことを何もしないか、或いは殆どしないのですから、それでよい結果を期待する方に無理があります。

別に、生きていく中では勉強がすべてではないかもしれませんが、最低限これをやるべき時期や期間というのは確かにあって、しかもこれは人生の中においてはいつでもどこでも好き勝手にできるというものではありません。

「そうか、よくわかった」といって気付いても、それが20歳を過ぎていたり、或いはもっと後になってからであったなら、そこで始める何かというのは10代の初めや半ばでやるみずみずしいものとは質的にも意味合いでも全く異なります。

そこまで極端ではないにせよ、そういうことは多かれ少なかれ多くの人が実際に経験もしていることであるからこそ、今そのさなかにいる子達には、その危機意識のなさに歯がゆさを感じるのだと思います。

では、私たちは今何をどうしたらよいのでしょうか?

 


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