友達を選ぶということ

2014-01-21 16:48:15 | 学習塾・勉強の仕方

こんにちは。

このところ、前にも増して教室業務の量が更に多くのしかかってきて、それに忙殺されるあまり記事の更新に手が回りませんでした。

こんなんじゃいけませんよね。

子供達には普段から「日々の努力が大切」とp言っている手前、自分が日々やるべきことをおろそかにしていたのでは話になりません。

反省。

ところで、忙しい中にも、正月にせっせと郵便局の人が届けてくれた年賀状を読むくらいの時間はありましたので、一枚ずつ見てみると、

そこには懐かしい旧友の名前がちらほらありました。

私は横浜市内の公立小学校と中学校の出ですが、そのころの友人の名前もあって、懐かしさが蘇りました。

そこで、いつもながらの私独自の、ややひねくれた?モノの見方を一つ。

その昔、中学校の先生に、よく「友達は選ばなければ駄目だよ」と言われました。

そう言っていた先生はさして重大な意味も込めず、通り一遍の意味合いで言っただけかもしれませんが、今私が教室で子供達と接しているとき、その言葉がより実感を伴って迫ってきます。

「友達は選ばないと」

極めてざっくばらんに言いますと、勉強の習慣が身についている友達と付き合うほうが、そうでない友達の場合よりも、長い年月の間には大きな差となって現れる。

ことの善悪や是非は別として、私の目には実際にそのように映ります。

今、子供達を見ていて、(別にガリベンのお勧めでは決してありませんが)、一定の学習習慣が生活の中に確保されている子達のグループは、やはりそれなりに好ましい雰囲気というものを持っています。

反対に、遊ぶことの楽しさを追い求めるあまり、勉強というものから極端に離れた暮らしを何の疑問も持たずに送っている子達は、その時点で既に多くの損をしているのではないかと、そんな風に思えます。

一生それで生きていくのならまだしも、通常どこかの時期では必ず一度は勉強に精を出さなければならない時がくるのだし(それは避けられません)、しかし、勉強するという行為、そこで得られるものというのは、たまたまその時期にだけ集中すればそれでOKというような簡単なものでは決してありません。

大人であれば、或る程度以上は自分自身の考えで環境を整えてもいかれるでしょうが、通常子供の世界でそんあ独立独歩などないでしょうから、そこはリーズナブルに、普段から望ましい交友関係の中に身を置いて、そこで自然に好ましい流れに乗っていく方が絶対に良いと思います。

そういう意味で、どうせなら良い友達を選んでいくということが、色んな点でよいのではないかと、一つ間違えば「友達を選別するのか。差別か、お前は!」と叱られそうなことを、今回は書きました。

ちなみに、私自身は結構全方位外交的な子でしたので、勉強大好きグループとも、反対に「勉強なんかやってられるかい」的なグループとも、そこは調子よく合わせていました。

勉強は決して出来ない方ではありませんでしたが、でもあのころにもっとやっていれば(勉強大好きグループにしっかり入っていれば)、その後、もっと違う人生コースを歩んでいたことは間違いないだろうな、などと、年賀状を見ながら勝手に思っていました。

 


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