先日、保護者と子供と私とで面談をしました。
相手の子は現在中学2年生。成績は、本来持っている彼女の素質からすれば不本意なもので、保護者の方はそのあたりを憂いて彼女を塾に預け、これを機に状況を改善させようとお考えになったのでしょう。
一方、子供の方は、そうした保護者の考えや期待は何となく頭で分かっているものの、どうしても目の前に次々現れる勉強以外の諸問題(よいことも、そうでないことも)に忙殺されて、なかなか一直線に勉強に精を出せないという、そんな状況でしょうか。
面談では、保護者の方は言葉を尽くして彼女に色々と諭して聞かせるのですが、ここで一つ気になったことがありました。
保護者の方が何かを言い終わるたびに、彼女はこう言うのです。
「ね、先生。お父さんやお母さんはいつもこうやって私を怒るの」
二度三度とこの言葉が出てきたところで、私が言いました。
「●●さん、勘違いしてはいけないよ。
お父さんやお母さんは決して怒ってなどいない。あなたがもしもそう感じるところがあるとしたら、それはあなたのある部分に対して、こうして欲しいという考えから出た言葉であって、強いて言えば、それは叱るという程度のことで、怒るというのとは似ていても全く違うものなんだよ。
怒るというのは、そうすることで少なからず親自身の気が晴れることを目的とするものであって、叱るというのは、あくまでもあなたに対して改めて欲しいことに集中された言葉であり、行為なんだよ」
彼女がこの言葉をどれだけ理解してくれたかは分かりませんが、それでもこうした小さな誤解をそのつど解いていくことが「叱る」という行為には必要なのではないかと改めて思いました。
●ACSはこちら●
相手の子は現在中学2年生。成績は、本来持っている彼女の素質からすれば不本意なもので、保護者の方はそのあたりを憂いて彼女を塾に預け、これを機に状況を改善させようとお考えになったのでしょう。
一方、子供の方は、そうした保護者の考えや期待は何となく頭で分かっているものの、どうしても目の前に次々現れる勉強以外の諸問題(よいことも、そうでないことも)に忙殺されて、なかなか一直線に勉強に精を出せないという、そんな状況でしょうか。
面談では、保護者の方は言葉を尽くして彼女に色々と諭して聞かせるのですが、ここで一つ気になったことがありました。
保護者の方が何かを言い終わるたびに、彼女はこう言うのです。
「ね、先生。お父さんやお母さんはいつもこうやって私を怒るの」
二度三度とこの言葉が出てきたところで、私が言いました。
「●●さん、勘違いしてはいけないよ。
お父さんやお母さんは決して怒ってなどいない。あなたがもしもそう感じるところがあるとしたら、それはあなたのある部分に対して、こうして欲しいという考えから出た言葉であって、強いて言えば、それは叱るという程度のことで、怒るというのとは似ていても全く違うものなんだよ。
怒るというのは、そうすることで少なからず親自身の気が晴れることを目的とするものであって、叱るというのは、あくまでもあなたに対して改めて欲しいことに集中された言葉であり、行為なんだよ」
彼女がこの言葉をどれだけ理解してくれたかは分かりませんが、それでもこうした小さな誤解をそのつど解いていくことが「叱る」という行為には必要なのではないかと改めて思いました。
●ACSはこちら●