Sixteen Tones

音律と音階・ヴァイブ・ジャズ・ガラス絵・ミステリ.....

わが データサイエンスことはじめ

2023-01-18 09:58:46 | 新音律

大学4年間のデータサイエンスが10時間でざっと学べる」で,昔のことを思い出した.
名古屋大学プラズマ研究所に助手として就職したのが 1960 年代末で,物理実験のために相関計を作るというテーマを与えられた.アナログ回路を組み合わせて作る,というのが当時の常識だったが,物理信号をアナログ・デジタル変換して,デジタルデータを計算機にたくわえ,そこで相関計算をすることを提案し,認められた.

計算機は写真右上のミニ・コンピュータ HITAC10 で,メモリ 4kW=8kByte (2Byte/W=16bit/W だった) ,左下の 16 個のランプとスイッチで1word の 16 ビットのそれぞれに1か0かを指定し,状態を知る.入出力機器は写真左下のテレタイプだけ.横方向1列に孔があるかないかでビット値を知る (パリティチェックもあったと思うが,忘れてしまった).プログラムもデータも,読み書きはテレタイプ鍵盤の左側の穿孔紙テープで行う.
当時の月給は3万円くらいだったと思うが,ミニコンビュータはテレタイプ付きで 500 万円だった.

プログラムは機械語と1対1対応のアセンブラで書いた.「大学4年間の...」にも書いてあるが,今でも計算機が処理できるのは機械語だけだし,その計算機もノイマンアーキテクチュアであることは 1960 年代と変わらない.クロックが速くなり,記憶容量が増しただけ.

この分野にいたのは十数年.写真のように幼稚で可愛かったノイマン計算機は,この間高速大容量化とともに一大官僚機構と化し,ご機嫌をとらないと動かないようになった.職場 (日本原子力研究所に移っていた) が自分と合わないと感じたのを機会に,計算機からも足を洗った.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

reading

/Users/ogataatsushi/Desktop/d291abed711d558e554bf7af66ee57d7.jpg