Sixteen Tones

音律と音階・ヴァイブ・ジャズ・ガラス絵・ミステリ.....

自然と音楽

2022-01-29 09:48:54 | 新音律
絵画も彫刻も自然に存在する動植物や風景を写すことから始まり,抽象化するのはずっと後のことだった.いっぽう,音楽は最初から抽象だった (かっこうワルツというのもありますが).

伊藤友計「西洋音楽の正体 - 調と和声の不思議を探る」 講談社 (講談社選書メチエ 2021/2) の最終章は「音楽と自然」で,「音楽は自然ではなく,自然は楽器も音階も和音も作らない」がこの本の結論の一つであった.

現代の和声論の始祖ラモーは,近代科学とくに音響物理学の知見にふれて,倍音という自然現象こそが音楽の源泉ととらえた.
しかし自然界で倍音が聞き取れる現象はほとんどない.倍音は境界条件が明確な振動で初めて聞き取れるが,自然界にはそのような境界条件はない.ミニマル・ミュージック作曲家の先駆けとなったラ・モンテ・ヤングは,風に鳴る送電線の音から純正律を感じたとされているが,送電線は人工の産物である.

ラモーの時代は神への信仰が科学技術への信仰 ? に移り変わる時代であった.天体も音楽も数学によって支配されるとされたようだ.しかしヘルムホルツは On the Sensations of Tone 第12章の最後でラモーを否定している.「自然にはわれわれが美しいと感じるものと,みにくいと感じるものの二種類がある : 美しいものだけを正当化するために自然を持ち出すことは間違っている.ラモーは自然界で多様な不協和音を聞いていたはずである.」

このヘルムホルツの言は,見出し画像左の本
   ザビーネ・ホッセンフェルダー, 吉田 三知世 訳「数学に魅せられて、科学を見失う」みすず書房 (2021/4).
を思い起こさせる.
この本をうがって要約すれば,高エネルギー物理学者という人種は,世界は数学的に美しくなければならないという強迫観念に囚われて次々と理論を構築し,巨大な加速器を作って実験するが,全然うまくいっていないじゃないか! ということ.なかなか痛快.とか言ってまだ 1/3 しか読んでいないので,詳しくはまた後日.

話を戻すと,音楽を創った人類もまた自然の一部ではある.見出し画像右はレヴィ・ストロースの書だが,この中で著者は自然の他に,ヒトの整理・心理をもう一つの音楽の根源としている.このあたりの見解が現在受け入れられているようだ (ただし,原本も訳本
   クロード・レヴィ=ストロース,早水洋太郎 訳「生のものと火を通したもの 神話論理 I」みすず書房 (2006/4).
も読んでおりません).

生理と心理が気候風土に育てられ音楽という文化になったということかな.文化というのはもともとローカルなもので,西洋音楽ももとを糺せば方言だった.

「音楽と物理学」という原稿で,物理というのは自然現象を探究するものであって,音楽とは馴染まないということを書こうとしたが,だらだらと長くなったので諦めた.

コメント
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