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NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

02007年002月014日(水)妄想チヨコレヱト

2007-02-14 | 授業
 昔、椎名林檎の歌っぽくするためには2字熟語とカタカナをくっ付けるとそれっぽくなると誰かが言ってた。カタカナを旧字体にするともっとそれっぽいなぁ。






 今日はバレンタインだけれどもちろんくれるような子は居ないので、前にあの子から「お礼」として貰って食べていなかったチョコレートを花粉でどうにかなった頭で妄想変換して、バレンタインの義理チョコレートとして受け取ってみた。


 やったー!!チョッコレートォ♪チョッコレートォ♪チョッコレートォ♪わーい、わーい、わーい、わーい、わーい…わーい…わーい…わーい……わーぃ……ぁー…ぃ…

02007年002月013日(酸)ピンクバレンタイン…

2007-02-13 | 授業
 ここ数年、っていうか大分バレンタインのチョコレートとは縁遠く、また今年も縁遠く、というか14日からはバイトでそれどころではないんだけれどで、、ただたった一度だけちょっと自慢できるようなことがあったのだよ。




 あれは2001年の2月のいつか。自分が一番腐っていた頃。この時だけ、本当にこの時だけ、人生で最初で最後アイドルのファンになっていた。(アイドルが悪いとかそういうことではないのだよ。)あの時はちょうど酒井若菜さんがですね、というか酒井若菜さんのファンになっていたんですよ。ええ。本当に後にも先にもあのときだけアイドルオタクと化していて、グラビア目当てに読みもしないヤングサンデーを一時期買っていたわけなのです。

 そしてら、1月だか2月ごろのヤンサンの企画で、グラビアアイドルの手作りチョコレートが当たるという企画が目に飛び込んできたわけなのです。…こう、ですね、今よりも数段痛かったあの頃の僕は喜び勇んで応募したわけです…そのバレンタイン企画に…


 だけれども、その後すっかり予備校に行く準備をし始めていたため全くそういう企画に応募したことすら、酒井若菜さんのことすらもう遠いかなたにあったんですよ…

 そしたら!!ある日クロネコヤマトのクール便が。しかも僕宛。宅急便はともかくとして、クール便には全くの心当たりが無かった。で、送り主を見てみたら…小学館…って、で勢いましてクール便には似つかわしくない茶封筒なクラフト紙の包み紙を開けると…ブルーの包み紙が…(驚愕①)っで…それを、そのブルーの包み紙を開けてみると…中にあったのはでっかいハート型のチョコレート!!!(驚愕②)そしてそこにはピンクの封筒が…もしかして、もしかして酒井若菜さんの…メッセージカード!?(驚愕③)

 そして喜びと困惑の中、そのピンクの封筒を…開けてみたら…、「いつも応援してくれている感謝のしるしです。これからもどうぞよろしく。」というめちゃくちゃ当たり障りの無い文言が並び、文末に…



 


 




 …「from眞鍋」って…??????????巨大なクエスチョンマークというか、あれ?酒井さんでは…無いのだね?眞鍋って?眞鍋かをりさんですか?そうですか…ああ、そういうことなのですかぁ…そういうことなんですかぁ…ああ…ああ…

 そのあとよくよく考えていたら、当時1ヶ月ヤンサンを買っていたので、酒井さんの時以外にも買っていたような気がして、もしかしたら眞鍋さんのにも応募していたのかもしれないという結論に至った。いやそれだけだけれども。





 でもそのチョコを家族に言うのが何だか恥ずかしくて、自分のお部屋の押入れの奥に隠していたところ、その一年後予備校から帰還し開封してみると、夏はとんでもなく暑く、冬は完膚まで無く寒い部屋にあったためか、ナチュラルフリーズドライということでチョコレートはもはやハートの形をとどめておらず、粉々のパーになっていて、結局捨ててしまったというおち。


 いや、なんだろうか、こんなことを思い出したら、また切なくなってきた…

02007年002月012日(月)答え?(キモいから読まないように!!)

2007-02-12 | 授業
 
 これから先はキモい事が書いてあるので読まないように。絶対に引いちゃうから、読んだら。























 何かを期待することを止めたはずだった。それが僕の一応の答えだった。世間に対する向き合い方は諦念。そうしたつもりでいた。つまりはすべてに対する諦め。何かを期待するから、何かを得られなかったときのギャップに絶望…とは言わないまでも否定的なものは湧く。それが嫌だったから。それが嫌だったから、諦念することにした。はずだった。それは自分が変わることへの抵抗だったのかもしれない。自分のうじうじしたところは嫌いだけれども、それを変えることは望まない自家撞着な気持ち。


 でもちょっとだけ自分が変わったら、周りの風景が変わった。それは僕の勘違いかもしれないけれど。例えばゼミに積極的に参加するようになったら、周りと打ち解け始めた。それは”普通”の人にとっては当たり前のことかもしれないけれど、僕にとってはこの上なく嬉しいことだった。ゼミに出るのが楽しみになった。だからこそ温泉も行ったし、タイにも行く。バイトまでして。
 バイトにしても、嫌々やっていた頃は、バイト先の、バイト先の人の嫌なところばかり目に付いて、嫌で嫌で仕方なかった。毎日文句ばかりたれていた。それが今、積極的にかかわりを持とうとしただけで、すごしやすいバイト先になった。嫌に見える面も割り切れる、許せるようになってきた。それは今だけかもしれないけれど。でもそれでもそれだけで前に比べれば遥かに働きやすい現場になった。


 だけれどそれはいつも何か、自分の期待したものを得られるとは限らない。それは分かっていたはずなんだけれども、十重に。けれどもお子ちゃまな僕はやっぱりそこで駄々をこね回してしまう。期待したものが得られないと。もちろん大人だから周りに悟られないように、そっと自分の中で駄々をこねくり回す。だから時々無性に悲しくなったりしてしまう。

 だからこそ諦念を腹に据えてきた。それでうまくやってきた。何かは得られないけれど、代わりに何かを得られないときのギャップも無い。いじけることも無い。そう考えてきた、でもそれじゃ、駄目なんだと。そんな気がしている。それじゃ、楽しいことも無いや。あともうちょっと。あと、もうちょっと。

02007年002月011日(日)

2007-02-11 | 授業
 いつもの病気のようなものがまだ続いている。また他人から見たらくだらないだろうなぁと思うことで、いつもの如く、全くいつもの如くうじうじ悩んでる。久しぶりではあるけれども。

 スガシカオの曲でもこればっかりはどうにもしてくれない。其処まで頼られたら、シカオちゃんも迷惑だ。こればっかりは自分との折り合いでしかない。

 
 どう世間と向き合うのか。そういうところ。久方のメガネはコンプレックスを呼び起こした。さぁ、どう向き合うか。それが問題だ。もう、かたがついた問題だったはずなんだけれどなぁ。

02007年002月010日(土)元縄文人

2007-02-10 | 授業
 元縄文人、山崎三四造さんという方が『怪答紳士』というビックリ人間ショーみたいな番組に出演していた。子供の頃に発見した土器のかけらに思いを馳せていた山崎さんは勤めていた会社の定年退職を機に、その退職金を握り締め、縄文人になることを勝手に決めてしまったという。

 退職金の700万円で竪穴式住居を建設し、縄文土器を作り、一切の文明を拒絶し、縄文人として20年間生きてきたそうで…其処へ日本を始め多くの国のメディアが取材に来たそうではあったけれど、家族などはやってこず…その間の孤独は想像することさえ困難なものであろうと想像することしか出来ないけれど…


 その山崎さんが20年目にして、縄文人を引退した。突然の引退。というか今日テレビで始めて存在を知ったのだけれど、感慨深い。山崎さんがみせるその縄文人の生活様式というか、縄文土器の太鼓を叩く様子は、想像の域をではしないけれど、それでも縄文人の息吹を感じさせられた。本当の、本当の縄文人のようだった。
 そんな人が20年間伸ばした髪を切った。山崎さんの心中はいかばかりだったのだろうか。20年ぶりに家族が向かいいれてくれたときはどんな心持だったのだろうか。そんなことを思ってしまう。

 かなり映画に向いてる話だと思うのだけれど、日本の監督や脚本家は食いつかないのだろうか。チャーリー・カウフマンだったらば、きっと面白く映画化してくれそうだと思ったり。会社を定年退職した中年男性がある日突然、縄文人になるといって家を出て20年間生活する。周りに変人だと思われつつも、すこしづつ認められていった山崎さん。だけれども家族とは音信不通。その山崎さんが20年目にして、普通の人間の生活にもどる。凄いカウフマン向きの題材だと思うけれど。まぁないか。妄想終了。









 ただ他の方もそうなんだけれど、皆真剣にまじめに傍から見たら変なことを変だとは自覚せずに行っている姿は面白いのだけれど、笑っては行けない様な気がしてきてしまった。

 関係ないけれど、早くバイトの日になれ!!