NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

その街のこども

2011-06-18 | 授業
中盤、先輩役の津田寛治さんの「100年に一度なんだから」という台詞を今の時代に聞くと100年に一度って明日かもしれないのにとか今は思ってしまうのです。


『その街のこども』(映画公式)
モテキ


抜群のスタイルの後姿に目をとられた青年。声をかけたら、どうにも引っかかり、ともすれば一発やれちゃうんじゃないかとそういう性愛から発端となった二人の関係が徐々に被災の記憶につながっていって…



卑屈さや鬱憤を鬱屈させた青年を演じさせたら右に出るものの無い森山未來くんがすごいのは『モテキ』を観たので百も承知でしたが、震災時の非人道的な経済活動を擁護するような青年の投げやりな言葉に心底からの軽蔑を隠さない視線や、自分よりも良い子だった親友の死への負い目のようなものから少しだけ開放されたときの無様な泣き顔、そして未だに心の整理がつけずに犠牲者への祈りの集いに参加することが出来なかった青年への愛あふれる抱擁と、何だこれは!というほどに佐藤江梨子さんが素晴らしいんだな。

前半の余所余所しさ、緊張感からの雪解けといった話の流れのほかに、青年と女性の関係性の逆転という構造もあったりと観ていて飽きさせない脚本も惹かれました。自分語りのシーンとかで少し演劇的な臭い台詞もあったけど。演出は少し変わっていて、ドラマ的かと思えば、ドキュメンタリーのようであり、共に被災経験を持つ森山未來くんとサトエリが語る被災当時の話は脚本のようでありながら、でもそこに本人たちの実体験の一部でも投影されているような生々しさがあって新鮮でした。実際、どうなんだろう。

劇中二人が担いでいる荷物って震災で理不尽にも背負わされた重荷のメタファーなんだっと観終わってから理解できました。インジャンで荷物を互いに持ちつつ震災の思い出話をする二人。途中、御影の祖母の家に自分の荷物を置いてきた女性はその後心の重石になっていた亡くなった親友の父親と会う決心ができ、少しは重荷から開放されたけど、15年経っても気持ちの整理が付けられない青年は女性とは対照的に自分の荷物をどこにも下ろすことができない。だから慰霊祭に参加出来なかった。なんてスマートなんだこの演出。いや、分かり易いのか。



そしてラストのシーン。おそらくは実際の祈念の集いにカメラを入れているんだろうけど、実際の被災者であるサトエリが演じる意味というか、じゃ無いとあそこに居ちゃいけないからなのかもと思えました。ラスト10分辺りの切なさはちょっと久しぶりの続々来ました。サトエリ素晴らしすぎる。あと二人の衣装にこめられた二人の経済的な立ち居地の違いとかも。下手に男女の恋愛に落とす馬鹿なことしないのは賢明だす。愛には情愛や性愛以外の愛だってあるんだよ!馬鹿野郎!

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