埼玉県高校・障害児学校教職員「九条の会」

教え子をふたたび戦場に送らないために

今日のつい一言 2013.9月

2013-09-20 19:28:43 | 意見交流
 埼玉県では24日教育委員会の臨時会が開かれ、清水松代委員長の辞任が了承されたそうだ。「教科書採択をめぐって異例の事態を招いた責任をとっての辞任」との説明があったとのことだが、校長の召喚など、異例とされた事態を引き起こしたのは文教委員会からの横やりである。
 教育行政が政治からの独立を担保するために教育委員会制度がある。我々からすれば教育委員会が任命制になったときから、その独立性は有名無実化しているのだが、教育委員会がその設立の趣旨にそって最低限の働きをしようとしていることに対してですら、議会・文教委員会から政治的圧力をかけて恥じる気配もない。
 昨日にしたって、自発的な辞任というより、政治的圧力で辞任に追い込まれたというのが真相ではないのか。新しく選出された教育委員長は千葉照實氏。どのような人物かは分からないが、元県警本部総務部長という肩書きだそうだ。
 教科書採択の問題については、東京・大阪・神奈川と続いてきた政治介入を埼玉でストップさせたのは快挙であると喜んでいたのに、まことに残念である。悪だくみの底知れない闇を感じる。

 JR北海道でトラブルが続いている。原因についてあれこれ言われているが、遠くは国鉄の分割民営化に端を発する人減らしと利潤最優先の経営方針にあるのは明らかだ。(観光客を呼び込むための特急の新設には金をかけている。しかし、導入されたジーゼルと電気の両方の動力をもつ車両については安全性が疑問視されている。同タイプの車両はスペインでも大事故を引き起こした。)

 東京オリンピックの招致が決定したとき、経団連会長が「1964年のオリンピックで東海道新幹線が開通した。今度はリニア新幹線が開通してくれると嬉しい」などと発言しているが、国鉄分割民営化で赤字路線を切り離したおかげで、黒字路線ではそんなことがすすめられている。
 (リニア新幹線についていえば、人口が減少している日本での必要性、より直線であろうとする新線の建設のための環境破壊など、数々の問題点が指摘されている。)

 組合の問題も持ち出されている。JR総連を支持しているわけではないが、これにしたって、もともと国労を解体するために政治利用したのが始まりではないか(JR総連は連合に加盟しているのだぜ)。責任転嫁もいいかげんにしなさいといいたい。(9月25日)

 特定秘密保護法案は、国の機密情報を漏らした公務員らへの罰則を最長で懲役10年とするのが柱。防衛、外交など4分野で、行政機関の長が特定秘密と指定した機密情報が対象になる。(朝日新聞DIGITALから)

 ここで「何だ、とりしまりの対象は公務員か」などと、一般市民には関係ないなどと思ってはいけない。秘密保護法案には「共謀罪」が盛り込まれている。この「共謀罪」なるものがいかに危険かは、大逆事件をみても、戦前の治安維持法をみても明らかだ。さまざまな市民運動での協議や準備も監視対象になるばかりでなく、極端な話がちょっとした立ち話や居酒屋談義ですら「共謀」とみなされる恐れがある。
 昨日は自衛隊法のことを話題にしたが、自衛隊法は自衛隊の活動のみに適用されているとは限らない。自衛隊情報保全隊が市民監視活動をしていたことが問題視されたことはまだ耳新しい。(9月20日)
 安倍政権は、秋の臨時国会に提出する特定秘密保護法案に「知る権利」と「報道の自由」を明記する調整に入った。(中略)具体的には「知る権利や報道の自由などの国民の基本的人権を不当に侵害してはならない」といった趣旨の文案を検討している。(朝日新聞DIGITALから)

 こんなのは単なるリップサービスだというのは、先の「尊重義務をともなわない」「国旗・国家法」や、「福祉目的税に限定した」「消費税」と同じだということは分かりきっているのだが、また目先を変えて国民を欺こうとしているところに、政権が本気で法案を成立させようとしていることが知れる。国民の側がどこまで〈知る権利〉〈報道の自由〉を大切と思えるか、声をあげていけるかが決着を左右するだろう。
 
 今回の法案は自衛隊法(9.11後の「テロ特措法」のどさくさに「改正」!)をモデルにしているとされているが、同法で防衛秘密と指定された件数は2006年末の9,772件から2011年末には30,752件と3倍にふくれあがったという。
「何が秘密かも秘密」というのが秘密保護法だ。「特定」とか「別表での限定列挙」などの文言は何の歯止めにならない。(9月19日)

 福島第一原発事故後の2011年6月、東電が汚染水の流出を防ぐ遮水壁の設置を検討しながら、経営破綻のおそれがあるとして着工を先送りしていたことが、当時の民主党政権幹部の話でわかった。東電側が当時試算した約1千億円の設置費用の負担に難色を示したためで、その後の汚染水対策の遅れにつながった可能性もある。
 事故当時、経済産業相だった海江田万里・民主党代表と菅内閣で原発事故担当の首相補佐官を務めた馬淵澄夫・民主党衆院議員が朝日新聞の取材に証言した。(朝日新聞DIGITALから)

 馬淵氏のHPに同趣旨の告発記事のあることは先に紹介したが、マスコミもこれをとりあげ、報道するにいたったようだ。それではいち早く国が前へ出るという選択肢はなかったかというと、2011年12月段階で国の財政出動の提案があった(原子力委員会だったか?)のだが、ときの菅内閣内でうやむやになってしまったらしい。
 台風18号にともなっては、台風にも弱い原発もあきらかになった。「もんじゅ」に続く道が一本しかないことのへの対策の必要は以前から指摘されていたというし、タンク回りの堰の高さが30cmではどんなに心許ないかは子どもでも分かりそうなことだ。
 タンクから漏れ出た汚染水をタンクにもどす作業に必死なのだというが、穴のあいたバケツで水をくみ出そうとしているようなむなしさを感じる。
 それでいて危険性が指摘され続けてきた「もんじゅ」や「浜岡原発」の再稼働にだけは前のめりになろうとしている。とうてい理解し難いことだ。「浜岡原発」では再稼働のために防潮壁のかさ上げに懸命だというが、そこに予算を費やせば、また元をとるために無理な運転をし続けようとするのではないだろうか?

 ※2011年当時に提案された遮水壁は鋼鉄製のもの。今、計画されている凍土方式のものではない。効果や施工の実現性については不明だが、少なくとも凍土方式については数々の疑問があることは以前にも書いた。(9月18日)

 16日午前3時45分ごろ、原子力規制庁に入った連絡によると日本原子力研究開発機構の高速増殖炉「もんじゅ」(福井県)で、原子炉の状態などのデータを国に伝送するシステムが止まったとのことだ。
 台風18号の通過で起きた土砂崩れのため、14時間にわたってトンネルがふさがり、担当者が構内に入れず、原因の究明が遅れていることも報道されている。
ファックスやメールでの連絡はとれているとのことだが、救援にしろ緊急対処にしろ、肝心の動線がかくも簡単に(今度は数千年に一度ではなく数十年に一度の大雨だ)寸断されてしまったことにどれくらい危機感を持っているのだろう。
「核燃料サイクルの中核を担う研究開発の拠点」として鳴り物入りで始まったものの、過去にナトリウム漏洩事故を引き起こすなど、トラブル続きで運転不能というのが「もんじゅ」の現状である。
 ところが、最近になって「もんじゅ発電所」(仮称)と名称を変更し、運転管理に専念する発電所へ組織改変するという内容の改革案が文科省から発表され、敦賀市市長からも批判を受けている。
 来年度予算の概算要求で、文科省は「もんじゅ」維持管理・安全対策費用として195億円を盛り込んだ。今年度までに投じられた予算は9830億円で、予算案が通れば1兆円台に突入するという。
 HPを開くと、「すぐれた技術 確かな安全 世界に示す 新生「もんじゅ」」なるタイトルが出てくるが、いつまで夢をみているのだろうか。いいかげん「日本の技術は世界一」などという技術神話・安全神話を捨てて廃炉に踏み切るべきだ。(9月17日)

 9月2日の3号機に続いて、今日大飯原発4号機が定期点検のため運転を停止した。1年2ヶ月ぶりの原発0となった。 定期点検中には、新規制基準にともなう工事もおこなわれるということだが、次の再稼働にあたって焦点となるのは活断層の有無だろう。
 あたかも9月2日、原子力規制委員会の有識者会合は「活断層ではない」との認識で一致したことが報じられた。
 原子力規制委員会の調査団が初の結果検討会合を開いたのは昨年の11月4日であるが、「活断層」か「地滑りか」で決着がつかず、12月の衆院選挙もあってか結論が先のばしになっていたものだ。
 専門家として慎重に審議を重ねてきた結果、というにしては、あまりにもタイミングがよすぎるのではないか。滋賀県の嘉田知事が「規制委の判断に政治的な配慮が働いていないことを希望する」と記者会見で述べたとのことだが、嘉田知事ならずとも多くの人が不信感をいだきながらニュースを聞いたことだろう。
 専門家チームの一人、渡辺満久東洋大教授によれば、関西電力は評価会合の途中から議論の中心となっていた「『Fー6破砕帯』の位置が間違っていました」と、それまでとは全く異なる主張を繰り広げ出したという。
 また、島崎委員長代理が関電に対し「300メートルを掘って『F-6破砕帯』を捕まえてくれ」と指示を出していたのに、関電は70メートルしか掘っていないにも関わらず「活動性はない」と主張し、そのままうやむやになってしまったことなども漏れ伝わってくる。
 第一、今「活断層でない」と判定されれば本当に安全なのか。これまで大地震が発生すると、そのつど大きな断層が出現してきたのが地震国日本のありのままの姿ではないのか。大雨で山崩れが起こるこの国で「地滑り」なら安心などといえるのだろうか。
 再稼働ありきが先にあって、もう一度大事故を経験しなければ脱原発を決意できないのでは、とうてい先進国とはいえないだろう。

〈もう一言〉
 福島第一原発の汚染水漏れ問題について、自民党の高村正彦副総裁は「(汚染水の)タンクからまったく水が漏れていないわけではない。これから政府が前面に出て、完全にコントロール、ブロックする」と述べた(NHKの番組で)。

 安倍首相の発言に皆、火消しに躍起だ。だが、ことばに出して言うほど簡単ではない。ウソにウソを重ねる結果にならなければよいのだが。(9月15日)

 国旗掲揚と国歌斉唱について「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」と記述した実教出版の高校日本史教科書についての続報です。

 埼玉では8月22日の教育委員会で、高校・特別支援学校ともに、現場からの選定を尊重する採択がなされたことを以前に報告しました。
 その後、埼玉では文教委員会(自6、民2、刷新の会1、公1、無1)の委員から教科書採択の再考を求める意見が出され、9月2日と13日に文教委員会が開催されました。
 昨日13日の文教委員会では、実教日本史を採択した学校8名の校長を呼び出し、「どの部分が県の教育方針に沿っているのか」とせまったとのことです。(委員のうち、公明党は異例となった校長の召喚に反発し、委員会冒頭に退席。)
 それに対し、校長全員が「文科省の検定を受けた教科書」であり問題はないとの認識を示し、再考をせまられた教育委員長は「再考はしない」と明言したそうです。
 文教委員会は教科書採択の再審査を求める決議を賛成多数で可決して閉会したとのことですが、なりふりかまわぬ圧力による教育介入ぶりです。委員たちは実教日本史について「特定の政党色を感じる」などと批判したとのことですが、「特定の政党色」に染まっているのはどちらでしょうか。(9月14日)

 日本のオリンピック招致と福島第1原発事故を揶揄したフランスの風刺画(「カナール・アンシェネ紙」11日付)が物議をかもしている。
 事故後の原発を背景に、やせこけた力士2人が相撲を取っている。左側の力士の腕は3本で、右側の力士は足が3本に描かれている。そして、防護服を着てマイクを握る男性は、「福島のおかげで、相撲がオリンピック種目になりました」と話している。相撲のほかにも「五輪のプールは、もうフクシマに」という風刺画も掲載されているとのことだ。
 絵にも、内容にも品性が感じられないが、許しがたいのは、自国のことを棚において、フランスがこのように日本を非難できるのかということだ。
 フランスも原発大国であるが、どうやら福島原発事故を受け、フランス国内でも脱原発の世論が高まっているようなのだ。そこで、日本と同じように、原発関連企業は原発輸出に生き残りをかけようとしているらしい。フランスと日本との間には企業提携が結ばれている。原発の売り込みについては共同歩調がとられようとしている。
 首相官邸ホームページ(6/7)には、原発輸出についての協力を確認したオランド仏大統領と安倍首相が固い握手をかわしている写真が掲載されている。(9月13日)

 「新しい歴史教科書をつくる会」は11日、漫画「はだしのゲン」を有害図書とし、教育現場から撤去を求める要望書を下村博文文部科学相あてに提出した。
 要望書は、はだしのゲンについて「日本軍の残虐行為を捏造しているほか、天皇を侮辱する内容は学習指導要領に違反している」などと指摘。記者会見した杉原誠四郎会長は「ゆがんだ思想に基づいた内容だ。教育現場に置くことは許されない」などと話した。(朝日新聞degitalより)

 連日のように起こる、なりふりかまわぬ言論や教育に対する反動化の動きに、あいた口がふさがらない。戦前の「国定」教科書による教育の国家統制に対する反省から「検定制度」が始まったのに、「検定」を通った「実教日本史」を不採用にした東京・大阪・神奈川も「学習指導要領」を楯にしてきた。
 それさえ許しがたいのに、児童・生徒の「知る自由」「考える自由」の保障の場である学校図書館からも自分たちと思想・信条を異にする書物を追放しようとするのはまるでナチスドイツの焚書と同じだ。
 この件を通して、むしろ「新しい教科書をつくる会」の本質が社会的に明らかになり、同会の教科書の採択の強要が各地ですすめられていることがどんなにおかしなことか、人々の共通理解になるようであって欲しい。(9月12日)

 
今日は二題
 静岡県の川勝知事が、今年の全国学力テストで国語Aが全国最下位(平均から5ポイント下)だったことから、下位100校の校長名を公表するとのこと。これは見せしめでしょう!
 本来、学力テストの結果の公表は文科省が禁じていること。権力の座にあるものが力をふるうことばかりでいいのか、ましてやその権力の根拠である法の範囲を越えてまで…。

 安倍首相の「汚染水は港湾内で完全にブロックされている」発言に、当事者である東電は発言の趣旨を経産省に確認したとのこと。東電の方が戸惑っているわけだが、「放射性物質の流失は完全には止められていない」とも明言したとのことだ。

 国語という教科は、ことばによって真理とは何かを探究する力を養うこと、相互の理解や共感、ときには連帯や協同をうながすための学習だと考えてきた。人々をいいくるめたり、ましてや考える力や判断する力を麻痺させるためのことばを国語力とはよびたくない。(9月11日)

 大阪の平和博物館「大阪国際平和センター」のリニューアルにともなって、第2次世界大戦中の旧日本軍の行為に関する展示を大幅に縮小するとした基本設計案(中間報告)が明らかになったそうだ。
 現行の展示は、展示室A「大阪空襲と人々の生活」▽展示室B「15年戦争」(満州事変~日中戦争~太平洋戦争)▽展示室C「平和の希求」で構成。Bは南京大虐殺や朝鮮人強制連行を展示し、保守系の団体や議員が「自虐的」と指摘していたとのこと。
 松江市の「はだしのゲン」事件とどこか似ている。松江市では「市民」の「抗議」と請願がきっかけだったというが、どうも背後では在日韓国人・朝鮮人に対するヘイトスピーチ・デモで知られる「在特会」(在日特権を許さない市民の会)が関係していたようだ。
 「自虐的」のレッテルのもと、歴史に目をつぶり、負の遺産をなかったことにしようというのは、汚染水の漏洩を直視せず、「完全にコントロールされている」と強弁することと通じている。
 大事なことは、ことばの心地よさにだまされないこと、臭いものに蓋をしたからといって臭いのもとは断たれていないことを肝に銘ずることだろう。
 ファシズムは上から押しつけられるばかりでなく、下からも(民衆の側からも)これを呼び込んでしまう危険をはらんでいるのだから。(9月10日)

 2020年の東京オリンピックの開催が決定したようだ。安倍首相の「汚染水は港湾内で完全にブロックされている」「コントロール下にある」との強弁が功を奏し、世界がこれを認めたということになったら、現政権はますます力を得てしたい放題のことを始めるのではないか?
 最近のニュースで気になったのは、「特定秘密保護法案」について、政府はパブリックコメントを始めたが、同じ与党である公明党には事前の説明がなく、抗議されたということだ。(公明党には自民党のブレーキ役として節を通してほしい。エンジンだけでブレーキがなければ大変なことになる。)
 当分オリンピック熱にうかされることになるだろうが、原発の安全審査・再稼働、憲法改悪、TPP、庶民増税、健保・年金の引き下げなどを強引に推し進めようとするならば、国民の生活と安全との間に重大な軋轢を生み出していくことは間違いないだろう。
 あと7年後、私たちはどのような思いでオリンピック・パラリンピックを見ることが出来るだろう。真にアスリートたちが輝き、人々がこれを礼賛できるような祭典であってほしい。(9月8日)

 「事故から3カ月後の6月11日に国会議員として初めて4号機に入ったときも、吉田さんが一緒だった。このとき、地下水の流入を止めるために、原発周辺の地下の四方を遮水壁で覆うプロジェクトを実施するため、境界画定を行った。当初反対していた吉田さんも「分かった」と言って現場確認作業に立ちあってくれた。ところが、直後に私は補佐官の任を解かれ、地下遮水壁プロジェクトはひっくり返された。」
 馬淵澄夫氏が自身のブログ(「まぶちすみおの「不易塾」日記」)でこのように書いている。馬淵氏は2011年の東日本大震災を受け、3月26日付で内閣総理大臣補佐官(東北地方太平洋沖地震による災害及び原子力発電所事故対応担当)に任命されながら、6月27日には補佐官を退任し経済産業副大臣に就任するようとの要請を固辞し、首相補佐官も退任することになった。
 時の民主党政府と東電は事故の収束への芽を自ら摘んでしまったのか? 今起こっている事態の深刻さを考えると、どうにも釈然としない気持ちをおさえられない。(9月7日)

 小泉元首相が「脱原発への意志が強まった」と発言し、話題になっている。フィンランドの核廃棄物最終処分場を視察に行った後のことだそうだが、同行した推進派企業サイドからすると当てが外れたということだろうか。「10万年だよ。300年後に考えるっていうけど、みんな死んでるよ。日本の場合、そもそも捨て場所がない。」「今ゼロという方針を打ち出さないと将来ゼロにするのは難しいんだよ。」まともな言い分ではないか。遅きに失したなどと言わないからもっと声を大きく発言して欲しい。(9月6日)

 昨日、政府は福島第一原発汚染水問題に対する「抜本的な対策」について基本方針を決定し、その内容がマスコミでも報じられた。
 だが、そこで示された対策が「抜本的」と評価できるかどうかについて、早くも疑問視する声があがっている。従来の方針を踏襲したに過ぎないばかりか、地下水の海洋放出についても「関係者の理解を得るよう最大限努力する」などと明記するに至ったからだ。
 だいたい対策の目玉とされる凍土遮水壁というのは、トンネル工事の際の地下水対策として開発されたもので、これほど大規模に、かつ長期的に使用されることを前提とした技術ではないそうだ。しかも、もし完成したとしても維持費に莫大な経費がかかるだけでなく、原発1基分ほどの電力が必要なのだという。
 他にも地下水を止水することによる地盤の変化や、そのことで却って原発本体から高濃度の汚染水が漏れ出すのではないかといったことも懸念されている。
 凍土遮水壁には、2年後を目標に、320億円をつぎ込むという。2年間でそれらの技術的な問題をクリアすることの見通しが立っているのか疑問はつきない。やってみなければ分からないという問題ではないはずだ。推進派ばかりでなく反対派の知見も集め、抜本的かつ総力をあげて対策を講じなくてはならないではないか。
 オリンピック東京招致委員会はIOCに「東京には影響ない」旨の手紙を送ったとのことだが、こんなときに何を考えているのだといいたくなる。(9月4日)