礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

悪い奴等を葬るのが改革の早道だ(栗原安秀中尉)

2020-02-24 02:51:56 | コラムと名言

◎悪い奴等を葬るのが改革の早道だ(栗原安秀中尉)

 あいかわらず、二・二六事件の話である。本日は、県史編さん室編『二・二六事件と郷土兵』(埼玉県史刊行協力会、一九八一)に載っている、事件関係者の体験談を、ひとつ紹介してみたい。紹介するのは、当時、歩兵第一連隊機関銃隊二等兵だった金子良雄さんの「総理の写真」という文章である。長いので、何回かに分けて紹介する。

  総 理 の 写 真         金 子 良 雄/明治四四年三月六日生/無 職
            (歩兵第一連隊機関銃隊 二等兵)
 私は昭和十一年〔一九三六〕、明治大学英法学部在学中徴兵によって歩一機関銃隊に入隊した。その時二十五歳であった。私はそれまで学生運動に参加したため赤【アカ】の嫌疑をもたれ徴兵検査時には憲兵が終始つきまとっていたのを覚えている。だが私は現在でもどこの党派にも属さず、いわゆる市民党を自負している者だ。
 私は若い頃から曲ったことが大きらいで誰もが安心して暮せる社会を夢みてきた。正直者が馬鹿をみたり政治家がワイロをとったり財界人が金もうけにウツツを抜かしたりして国が乱れるのを見ていると憤激に耐えない。二・二六事件の起きた頃も丁度〈チョウド〉現今と同じく、すべてがくさり切った社会状態だった。
 一月十日入営した日、若い男前の将校がきて我々新兵と父兄を前に置き、世の中の腐敗振りを痛烈に批判し、これを改革しなければ日本は亡びると述べた。堂々たる演説に一同は舌を巻いたが歩一には随分思切ったことをいう将校がいるものだと思った。
 それが栗原〔安秀〕中尉で我々の教官となった人であった。
 教官としての栗原中尉は初年兵に対し面倒見がよく、訓練の方は常に実戦的だった。MG〔機関銃〕や小銃の取扱いもさることながら実弾射撃を早くから始め、明日からでも戦闘に参加できることを目的に訓練が進められた。また代々木練兵場にも随分通ったが、ここでは演習よりも精神訓話に重点が置かれ、全員を車座にしてその中で中尉が現代社会の状勢をはじめ国民の苦しんでいる原因など熱のこもった口調で話された。「このままでよいと思う者……ウム、誰しも不満のようだ、当然である。ではどうすれば世の中がよくなるか、悪い奴等を葬るのが改革の早道だ。即ち天皇の御威光を遮って〈サエギッテ〉いる連中を取除くことである。明治維新によって日本は文明国家に生まれかわることができた。それと同じように国民全部が幸福になるには昭和維新が行なわれなくてはならない」
 私は教官の話を聞いているうちに、彼は近いうちに何かやるのではないかと直感した。
 なお代々木練兵場の往復はいつも〔第一〕師団司令部の前を通った。当時司令部の中に軍法会議が特設されていて、今をときめく相沢事件の公判が一月二十八日から進められていたのである。教官はそのことを承知しているので、正門近くにくると必ず抜刀して号令をかけるのが常であった。
  「歩調トレーッ!…………
  相沢中佐殿ニ対シ敬礼……
  頭【カシラ】ーッ、左―!」
 軍靴の音と共に中尉の号令が凜然として響く(相沢中佐殿頑張って下さい。栗原達も近くやりますぞ……)恐らく中尉はそのように相沢中佐に呼びかけていたのであろう。果たしてその声が法廷に届いたかどうか、中尉の相沢〔三郎〕中佐を想う気持が痛い程判るような気がした。【以下、次回】

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