◎死に向ってとび込む、そいつが太陽なんだ(岡本太郎)
片付けをしていたら、雑誌『伝統と現代』の「叛逆」特集号が出てきた。一九六九年(昭和四四)一一月発行の第二巻第一〇号(通巻第一六号)である。この当時の同誌は、學燈社から出ていた。
巻頭には、岡本太郎と谷川健一の対談が置かれている。題して、「叛逆と反抗」。本日は、この対談の一部を紹介してみよう。
谷川 どんなに反抗しても体制の中に吸収されてゆくというところに、今の芸術の反抗のむずかしさというのがありますね。
岡本 そう。つまり、それはほんとうのアクションじゃなくて、リアクションだから。
だからぼくはね、ここで、叛逆っていうのはリアクションで、反抗っていうのはアクションじゃないかという、そういう問題提起をしたくなるわけ。
谷川 要するに、体制にというか、権力に対するリアクションから始まるアクションというのが芸術だ、とい規定はできますね。
岡本 規定できるかな。それが、ただのリアクションで終ってしまった場合は、つまり、リアクションなんだな。
谷川 そうですね。しかし、権力に対するリアクションがなければ真のアクションが成立しないんじゃないか。
岡本 ぼくは、――そういうモダン・アーチストとぼくはまた、グンと違うんだな。ぼくはリアクションには全然興味がないんだ。だからいつでも孤独だったし、これからも大いに孤独であろうと思うんだけれども。どうも今日は、「岡本太郎論」やっちゃぐわいが悪いんだけれども……いいですか。
谷川 どうぞ。
岡本 それじゃ、ぼくの考える芸術ね、あんまりこんなこと人がいわないけれども、「芸術」というのは、哲学的にいえば、やっぱり、まあ「無償の行為」なんだな。無償の行為ということばが、何だたかぐあいが悪いから、ちょっと出しにくいけれども、つまり、一足飛びにいってしまえば、「死との対決」というふうに考えている。
象徴的に言いますよ。
メキシコの神話に、こういうのがある。太陽の神話なんだ。……ひるというものが出来る前、テオティワカンに神々が集まった。誰が世界に光を与えるか、相談したんだね。ある神が、オレがやる、とまっ先に名乗り出た。もう一人、候補を選ぼうとしたんだけれど、みんなもじもじ弁解して、出ようとしない。結局、病気の若い神が、名指しされたらあっさり引受けた。いろいろ捧げものをしたり、祭りをやってね、その描写がまた面白いんだけれど、まあいいや。いよいよ、洞窟の中に火を燃やして、犠牲の神がその中にとび込むときになった。真夜中でね、洞窟はひろく、火は猛烈に燃えさかる。第一の神がとび込もうとするんだけど、あまり熱いので、こわくなって身を引いてしまうんだ。四回、試みたが、たじろいで、 とび込むことが出来ない。四回までは許されるが、もう失格なんだ。そこで神々は、病気の若い神に、「お前だ」。言われた瞬間に、その神は目をとじて、まっすぐに、全身の力をこめて火の中にとび込んだ。それを見て、ひるんだ神も後を追ってとび込むんだけど、はじめにとび込んだ神は太陽になった。あとからのはちょっとたじろいだ為に、光が弱くて、月になったっていうんだよ。
この話は芸術の、というより生きることの本質を見事に言い表している。死に向ってとび込む、無条件にね。そいつが太陽なんだ。誰も直視できないほどの光をもって輝く。
こういう神話の高貴さにくらべて、芸術の、現代のあり方の卑しさっていうのは、どうだい。いわゆる芸術家と称して絵をかいたら、好かれなきゃいけない、認められなきゃいけない。好かれることは別として、認められなきゃいけないわけですよ。それから、換金しなければいけないということね、商品にならなきゃいけない。商品でなきゃ認められない。こりゃどうも、オートマティックにそうなるんだね。商品価値イコール価値ということに、現在なっているわけ。
そういう、 好かれるとか、つまり商品になるということ自体が、ぼくは芸術でないことだと思うな。だからぼくは極力、絵は売らない主義ですよ。あんまり懇望されればそりゃあ売るけど、ただほしいというだけじゃ、絶対売らない。
好かれるということが、とてもいやなんだな。たとえば、仕事してても、絵をかいてても、なんか絵になりそうになったり、好かれそうな感じになると、エイッ!とこう……、逆にぶっこわすわけだ。ぼくの滞仏中の作品がわりに好かれるのは、あのときは逆に、つまり西欧的なカチカチの抽象に対して、むしろ日本的なリリシズムを意識して、それをひとつの武器としてやったから、それがかえって、ムードがあったかもしれないけれども。もう日本に帰ってくると、アンチ日本でなければ、日本にいる意味はない、と。そこでぼくの反抗だね。つまり、日本にいてアンチ日本一でなければ日本人でないという、ぼくのいつもいっていることだけれども。
この対談がおこなわれたのは、一九六九年(昭和四四)八月一六日。この部分で岡本太郎は、みずからを「太陽」に擬している。
その翌年の一九七〇年(昭和四五)の三月から九月にかけて、大阪で日本万国博覧会が開かれた。そのテーマ館の中心に据えられたのは、岡本太郎の制作による「太陽の塔」であった。この対談がおこなわれたのは、岡本が「太陽の塔」の制作に没頭している時であった。
明治初期の難読漢字147~165の解答(「最終回」の分、読みは現代かなづかいによる)
147 灸 やいと
148 刃 やいば
149 八百 やお
150 玄孫 やしはご
151 鏃 やじり
152 息 やすらい
153 矢筈 やはず
154 夕方 ゆうべ
155 弭 ゆはず
156 漸 ようよう
157 粧 よそおい
158 鎧 よろい
159 万 よろず
160 齢 よわい
161 蘭 らに
162 緑礬 ろうは
163 弁 わきまえ
164 渡会 わたらい
165 地揄 われもこう
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