◎鈴木たか「とどめはどうかやめて頂きたい」
『特集文藝春秋 天皇白書』(一九五六年九月)から、鈴木貫太郎の回想記「嵐の侍従長八年」を紹介している。本日は、その四回目。昨日、紹介した「紊乱する政治の大網」の節のあとにある「二・二六事件」の節を紹介する。
なお、この「二・二六事件」の節は、かつて、当ブログのコラム〝鈴木貫太郎を救った夫人の「霊気術止血法」〟で紹介したことがある(2016・2・25)。それと重複するが、再度、紹介しておく。
二・二六事件
二月二十五日にアメリカ大使のグルー君から齋藤〔實〕内大臣夫妻、それから私達夫婦と松田元大使、榎本海軍参事官が晩餐の招待を受け、食後映画の催しがあつて十一時頃帰宅した。その晩は大変に歓待を受けたのだが、電灯のせいか何となく暗く陰気な感じを受けた。
二十六日の朝四時頃、熟睡中の私を女中が起して、「今兵隊さんが来ました。後ろの塀を乗り越えて入つて来ました」と告げたから、直感的に愈々やつたなと思つて、すぐ跳ね起きて何か防禦になる物はないかと、床の間にあつた白鞘の剣を取り、中を改めると槍の穂先で役に立とうとも思われなかつたから、それはやめて、かねて納戸〈ナンド〉に長刀〈ナギナタ〉のあるのを覚えていたから、一部屋隔てた納戸に入つて探したけれども一向に見当らない。その中〈ウチ〉にもう廊下や次の部屋あたりに大勢闖入〈チンニュウ〉した気配が感ぜられた。そこで納戸などで殺されるのは恥辱であるから、次の八畳の部屋に出て電灯をつけた。すると周囲から一時【いつとき】に二、三十人の兵が入つて来て、皆銃剣を着けたままでまわりを構えの姿勢で取巻いた。その中に一人が進み出て「閣下ですか」と向うから叮嚀な言葉で云う。それで「そうだ」と答えた。
そこで私は双手を上げて「まあ静かになさい」とまずそう云うと、皆私の顔を注視した。そこで「何かこういうことがあるに就いては理由があるだろうから、どういうことかその理由を聞かせて貰いたい」と云つた。けれども誰もただ私の顔を見ているばかりで、返事をする者が一人もいない。重ねて又「何か理由があるだろう、それを語して貰いたい」と云つたが、それでも皆黙つている。それから三度目に「理由のない筈はないからその理由を聞かして貰いたい」と云うと、その中の帯剣してピストルをさげた下士官らしいのが「もう時間がありませんから撃ちます」とこう云うから、そこで、甚だ不審な話で、理由を聞いても云わないで撃つと云うのだから、そこにいるのは理由が明瞭でなく只上官の旨を受けて行動するだけの者と考えられたから、「それならやむを得ません、お撃ちなさい」と云つて一間ばかり隔つた〈ヘダッタ〉距離に直立不動で立つた。その背後の欄間〈ランマ〉には両親の額が丁度私の頭の上に掲つていた。
するとその途端、最初の一発を放つた。ピストルを向けたのは二人の下士官であつたが向うも多少心に動揺を来たしていたものと見えて、その弾丸は左の方を掠めて後力の唐紙を撃ち、身体には当らなかつた。次の弾丸が丁度股の所を撃つた。それから三番目が胸の左乳の五分〈ゴブ〉ばかり内側の心臓部に命中してそこで倒れた。倒れる時左の眼を下にして倒れたが、その瞬間、頭と肩に一発ずつ弾丸が当つた。連続して撃つているのだからどちらが先か判らなかつた。
倒れるのを見て向うは射撃を止めた。すると大勢の中から、とどめ、とどめと連呼する者がある。そこで下士官が私の前に坐つた。その時妻〔鈴木たか〕は、私の倒れた所から一間も離れていない所にこれも亦数人の兵に銃剣とピストルを突き付けられていたが、とどめの声を聞いて、「とどめはどうかやめて頂きたい」と云うことを云つた。
丁度その時指揮官と覚しき大尉の人が部屋に入つて来た。そこで下士官が銃口を私の喉に当てて、「とどめを刺しましようか」と聞いた。するとその指揮官は「とどめは残酷だからやめろ」と命令した。それは多分、私が倒れて出血が甚だしく惨憺たる光景なので、最早蘇生する気遣いはないものと思つて、とどめを止めさせたのではないかと想像する。
そう云つてからその指揮官は引きつづいて「閣下に対して敬礼」という号令を下した。そこにいた兵除ば全部折敷き〈オリシキ〉跪いて〈ヒザマヅイテ〉捧げ銃〈ササゲツツ〉をした。すぐ指揮官は、「起てい、引揚げ」と再び号礼をかけた。そこで兵隊は出て行つてしまつた。
残つた指揮官は妻の所へ進んで行つた。そして「貴女は奥さんですか」と聞いた。妻が「そうです」と答えると指揮官は「奥さんの事はかねてお話に聞いておりました。まことにお気の毒な事を致しました」と云う。そこで妻は「どうしてこんなことになつたのです」と云うと、指揮官は「我々は閣下に対して何も恨みはありません。只我々の考えている躍進日本の将来に対して閣下と意見を異にするため、やむを得ずこういうことに立ち至つたのであります」と云つて国家改造の大要を手短かに語り、その行動の理由を述べた。妻が「まことに残念なことを致しました。貴方はどなたですか」と云うと指揮官は形を改めて、「安藤輝三〈アンドウ・テルゾウ〉」とはつきり答え、「暇がありませんからこれで引揚げます」と云い捨ててその場を去り兵員を集合して引揚げた。その引揚げの時、安藤大尉は女中部屋の前を通りながら、閣下を殺した以上は自分もこれから自決すると口外していたということを、これは引揚げた後女中が妻に報告した話である。(果して安藤大尉は山王の根拠地に引揚げた後、自殺を企て拳銃で喉を撃つたが急所を外れて死に至らず治療して治つたが、軍法会議の裁判の結果死刑になつたのである。)【以下、次回】
最後のカッコ内に、「果して安藤大尉は山王の根拠地に引揚げた後、自殺を企て拳銃で喉を撃つたが」云々とある。これだと、自殺を企てたのは、鈴木貫太郎を襲撃した二月二六日だったかに読めるが、安藤輝三大尉が自殺を企てたのは、「投降」を決めた二月二九日である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます