礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

私が白川家に御製を伝達した(鈴木貫太郎)

2023-01-13 00:39:24 | コラムと名言

◎私が白川家に御製を伝達した(鈴木貫太郎)

『特集文藝春秋 天皇白書』(一九五六年九月)から、鈴木貫太郎の回想記「嵐の侍従長八年」を紹介している。本日は、その三回目。昨日、紹介した部分のあと、次のように続く。

  紊乱する政治の大網
 上海事変の一つのエピソードに触れておこう。
 上海事変の時白川〔義則〕大将が軍司令官で上海の支那軍を撃破し、南京までは行かず途中で進撃をやめて戦〈イクサ〉を収めたことがある〔一九三二年三月三日〕。すると白川君に対し陸軍の各方面から、何故もつとやらないかと非難して来た。軍の幕僚も南京までやつけろという意気込みだつたが、白川君は断乎としてこれを制してこの問題を収めた。ところがこれは、白川君が軍司令官として出発する際、陛下から敵を撃破しても長追いせず戦を収めるようにという御内意を承つて、それを忠実に強行したのであつた。その停戦の結果、当時ジュネーヴの国際会議で日本に対して険悪な非難攻撃があつた、その論議が消滅してしまつたのである。
 間もなく上海に朝鮮人の爆弾事件があり〔一九三二年四月二九日〕、白川君は負傷して亡くなられ〔同年五月二六日〕、野村吉三郎〈キチサブロウ〉大将、植田謙吉大将、重光葵〈シゲミツ・マモル〉氏等が、負傷された。
 その翌年〔一九三三年〕の三月三日は上海事変の収まつた日である。陛下は亡き白川大将を御回想あらせられてお歌をお詠みになり、そのお歌を入江さんに短冊に書かせて白川家に御下賜になつた。そのお使いに私が白川家に御製〈ギョセイ〉を伝達した。そのことは武官長から陸軍大臣に通知したと思うが、本庄繁武官長〔ママ〕は私にこれは十年間秘密を保つて貰いたい。そうでないと満洲方面や支那方面の陸軍部内に不満を生ずるかも知れないということだつた。それに対し私は白川家で秘密を保てば私も秘密を保つと云つた。しかし私は正しい御仁慈をことさらに内證にしなければならんというのは歎かわしいことで、軍紀が紊乱しているなという感じを受けたのであつた。このことはその後伝えられなかつたようであるが、もう約束の十年も過ぎているから話しても差支えないと思う。
 侍従長に関係はなかつたが、何と云つても世間を動揺させた事件は五・一五事件だつた。軍人がだんだん政治に干渉し政政権に乗出す機運が盛んになり、その障碍になる者を犧牲に供するような世相になつて、犬養内閣も結局この災いに罹つたのであつた。
 犬養毅〈イヌカイ・ツヨシ〉氏のやられた原因は満洲問題と云われたが、政友会内の勢力争いも含まれていたようだ。そしてそのともがらは軍人と結託したと云う噂があつた。犬養氏は満洲の独立に反対した。そして策動家の手先になつた軍人が遂にあの暴行を敢てしたのだつたが、その後始末に実に遺憾の点か多かつた。
 如何なる理由があるにせよ、あの暴徒を愛国者と認め、しかも一国の宰相を暗殺した者に対して減刑の処分をし、一人の死刑に処せられる者のなかつたということは、国家の綱紀から見て許すべからざる失態であつたと思う。そのために政治の大綱が断ち切られたような気持がした。もしあの場合、真に政治に明るい者があつたなら、もつと厳しく処分しなければならなかつたろう。それが緩やかであつたため遂に二・二六事件を引起した。二・二六事件の起る温床は五・一五事件の後始末の不手際によつて培われたのである。
 二・二六事件の前触れを感じたのは、昭和十年〔一九三五〕九州大演習の際私達が暗殺されたという流言が行われた時である。それから二・二六事件の十数日前、今度は何か不穏な陰謀が陸軍の青年将校の間に企てられ、それがよほど進んでいるという噂を耳にした。何か革新運動(国家改造問題)を企らみ〈タクラミ〉それの障碍になる大官を片づけるのだという風説があり、本庄君からも気をつけるようにという忠告があつた。【以下、次回】

 ここでいう「上海事変」は、「第一次上海事変」(一九三二年一月~五月)を指す。
 昭和天皇が亡き白川義則(しらかわ・よしのり)大将を回想して歌を詠んだのが、鈴木貫太郎が言うように、翌一九三三年(昭和八)の三月三日だったとすれば、その時の武官長は本庄繁(ほんじょう・しげる)ではなく、奈良武次(なら・たけじ)である。
 また、「そのお歌を入江さんに短冊に書かせて」とあるが、その入江さんというのは、おそらく、歌人の入江相政(いりえ・すけまさ)であろう。

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