◎四時半、機関銃の音に目を覚ました(迫水久常)
雑誌『自由国民』第一九巻二号(一九四六年二月)から、迫水久常の「降伏時の真相」を紹介している。本日は、その十七回目(最後)。
機関銃の音に目を覚ます
歴史的なる玉音放送の経過―
御前会議は之をもつて終り、一同跪いて〈ヒザマズイテ〉陛下の入御〈ニュウギョ〉を御見送り申し上げた。各閣僚は直に内閣に参集して改めて閣議を開き、聖慮の通りを閣議決定とした。ついで私〔迫水久常〕が主任となつて詔書の草案起草に着手した。実は前例もあることであるから、終戦に関してはその詔書の草案の起草を政府に御下命あるべきを察して、去る九日の御前会議の御言葉をそのまゝ基礎として一案を草してゐたのである。それを更に本日(十四日)の御前会議の御言葉をもつて修訂増補し、安岡正篤、竹田瑞穂の諸先生、田尻〔愛義〕大東亜次官、木原通雄〔内閣嘱託〕君等の助力を得て用語、表現、体裁を整へて起草を了し、閣議の承認を経て御前に提出した。時に午後九時頃である。
かくて午後十一時大詔は渙発せられ、直に連合国に対しポツダム宣言を受諾する旨通告して、茲に大東亜戦争は終つたのである。今回の終戦の詔書は言はば前後二回にわたる御前会議における陛下の御言葉を、その侭文語体に書き改めたものだといつてよい。この点を知つて、どうかもう一度詔書を説み直して頂くならば陛下の深き御仁慈は一層国民の胸に明かとなり、日本再建の方向は与へられ、それに対する熱烈な意思力は自から〈オノズカラ〉国民の中に沸き上るであらう。
御前会議における、陛下自らラジオを通じて国民に諭してもよいとの有難い仰せによつて、詔書はこれを翌十五日正午、玉音をもつて放送して戴くこととして御願ひ申上げたところ御許しがあり、同夜直に録音せらるべき旨御沙汰があつたので、下村〔宏〕情報局総裁以下技術員は直に宮中に参入、十二時過ぎ頃無事これを終了した。
かくて終戦の手続は了したのである。しかして、この間聖断を仰ぐこと両度に及んだことは、鈴木〔貫太郎〕総理大臣の強く恐懼せられるところである。後に内閣総辞職に際し、鈴木総理の辞表にはこの事が表現せられてゐる。しかし若き聖天子と無私の老宰相との君臣一如の関係は、実に我国未曽有の国難に際し国家の滅亡をその一歩手前で救つたのである。私は宮中のことはよく知らないが、木戸〔幸一〕内大臣も大御心の実現のために大きな力であつたと思ふ。
閣内に於ては、米内〔光政〕海軍大臣が簡明率直に所信を披瀝し、しかもこれに断固邁進せられたことは力強い限りであつた。阿南〔惟幾〕陸軍大臣は終始、戦争継続の方向にて熱烈な言論を吐かれたけれども、しかし遂に内閣の方針に従つて最後の決定に到られた。而して直後に真に武士らしき作法にて自刃せられたのである。世間では大臣は自己の所信が容れられなかつたので自刃せられた様にいふけれども、私は阿南大将の心境はそんな単純なものではなかつたと思ふ。どんなに辛いか、しかし尊い心境で居られたか、私は大臣は米内海軍大臣と行き方は違つてゐるけれども今次終戦の実現については、その力、真に偉大なものがあつたことを思ひ、心から敬慕するものである。また東郷〔茂徳〕外務大臣は終始強き信念を持し、反対論を排して毅然たるもののあつたのも頼もしい所であつた。
私は玉音の録音終了の報告を得て、午前二時ごろ事務室内の寝台に数日振りで横になつた。私の私宅は四月十三日に、又官舎は五月廿五日に、何れも焼爆せられたので爾来は総理官邸内の事務室に寝台を持込んで起臥してゐたのである。四時半機関銃の音に目を覚ました。窓から覗ひ見ると総理官邸は一隊の軍隊によつて襲撃せられつゝある。私はかつて岡田〔啓介〕内閣の内閣総理大臣秘書官をしてゐたときには二・二六事件が起って首相官邸は機関銃の乱撃を受けた誠に不思謎な因縁である。
私は周囲の者に必要な指令をし、また総理の私邸に至急警告すべき旨を命じた後、防空壕を経て脱出して直に警視庁に赴き町村〔金五〕総監の室に入つて情報を集めた。そこで私は昨夜一時頃から宮内省と外部との連絡が絶えて、どうも宮内省は一部部隊によつて占拠されてゐるらしいこと、下村情報局総裁はその部隊に抑留されてゐるらしいこと、阿南陸軍大臣が自刃せられたこと、総理官邸を襲つた部除が、分かれて鈴木総理及び平沼〔騏一郎〕枢密院議長の私邸を襲つてこれを焼き払つたが、両元老とも事前に警察よりの通報によつて難を免れられたことなどを知つて、町村総監と共に応急の措置を講究した。町村総監は鈴木総理の特に信頼せられた人であつて、終戦時においては東京の治安については全力を尽すといつて私共を激励し、またかつて宮内省にをられた関係上、宮内省との連絡に就て至大な陰の働きをせられたのである。
宮内省では一時激情の青年将校が擅に〈ホシイママニ〉近衛師団を動かしてこれに侵入し、玉音の録音盤を捜し求めたのであるが、結局これを捜し得ず、東部軍司令官田中静壱〈シズイチ〉大将の親らする鎮撫によつて、八時頃全部隊は退散して事落着し、爾後は若千の軽微な事件があつたのみで、極めて平静に事態は推移した。蓋し陛下の御徳の然らしむるところであつたらう。(完)
十七回にわたって、迫水久常の「降伏時の真相」を紹介したが、書き写していて、今日の「新コロナ危機」と重なるものを感じることがあった。これについては、数日後にまとめてみたい。
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