◎筆者不明「公法学会だより」(1949年8月)
今月三日に、日本公法学会の機関誌『公法研究』の創刊号(有斐閣、一九四九年一一月)の「編集後記」を紹介した。筆者の田中二郎は、そこで、『判例時報』に、「公法学会だより」と題する報告があったことに触れ、「公法学会の研究報告に対する批判は大いに歓迎するところであるが、それは仮面をぬいで正々堂々たる本格的な批判であつて欲しい」と述べていた。本日は、その「公法学会だより」を紹介する。『判例時報』第二一巻第八号(一九四九年八月)に載っていたものである。
公法学会だより
(一九四九・五・二一-二二、於 東大文学部三階会議室)
公法学会第一日は、東大・宮澤俊義(司会)、田中二郎、山之内一郎教授、ほか助手、研究生諸氏、東北大・清宮四郎、柳瀬良幹教授、商大・田上穣治教授、民科〔民主主義科学者協会〕鈴木安蔵氏等五、六〇名の出席をえて、はなやかな東大五月祭のさ中に開かれた。
午前は総理府自治課長鈴木俊一氏「地方条令をめぐる諸問題」の報告に始まる。氏の報告は、あたかも、国会の答弁の如く、立板に水を流すように流暢でありながら、肝心な点は骨ぬき。中央に座して、日本全国の地方条例の書面審査をしただけでは、あの程度の報告もまたやむをえないかもしれない。そこで、こんな問答が顔をだす。
鈴木俊一氏。『政治的自由の制限に関する条例に、大阪はじめ大都市で問題になった「行進及び示威運動に関する条例」があります。これは大阪で、昨年違憲の疑〈ウタガイ〉で論議の的〈マト〉になりましたが、現在のものは、決して基本的人権を制限するものでなく、もっぱら道路交通取締のためのものでありますから、私ども憲法違反だとは思っておりませんし、そのように指導しております。』
鈴木安蔵氏。『東京都でだされようとしている公安条例は、聞くところによると全く治安維持のためのように思われる。』
長谷川正安氏。『只今の報告では、大阪の条例が道路交通取締のためだという話ですが、現在法律としては道路交通取締法あり、大阪には道路交通取締条例があります。その上どうしてこんな条例が必要なのでしょうか。第一、昨年の条例制定当時の委員会速記録をみても、理事者の提案理由は明白に暴動にたいする治安維持です。朝鮮人事件のようなものがまたおこるぞ、とおどかしている。第一報告者自身自治的自由の制限の中にこの条例を分類していますね(満場失笑)。』
鈴木俊一氏。『私の分類は、条例の結果論でして、条文には明白に交通妨害の禁止が書いてありますから……。』
ざっとこんな調子である。二日間の大会を通じていえることだが、こゝに出席した日本の憲法・行政法学者の関心は、もっぱら条文の論理的解釈と、それ以外にはたかだか、その条文ができるときのお役人の主観的論理だけである。
午後の柳瀬氏の精緻な地方自治法第十四条二項「行政事務」解釈論も、けっきょくお役人にものを聞く会になつてしまう。午前午後を通じて、鈴木俊一氏の独壇上。さすが博学の学者諸氏もみ劣りがする程である。
つづいて参議院の藤井新一氏の発言があり、リコール制がしばしば用いられて地方は迷惑しているから、廃止するか制限しろとの論議に万場唖然として、今日の日程が終る。
夜のこん談会は、河村又介最高裁判所裁判官の司法独立論の一席。例の浦和〔充子〕事件をめぐる参議院と最高裁判所の意見のくいちがいを、裁判所の側から大いに弁護する。河村氏によれば、立法府で裁判の内容についてとやかくいわれては、それが例え事後であっても、裁判官は絶対、その良心に従い独立してその職権を行いえないほど(気の小さいもの)であるという。
第二日目は、新憲法施行後三年間に、違憲の疑いのあった事件について、かけあしの報告が午前午後を通じてなされた。
田中氏の「連合国の管理と憲法」。日本には憲法を頂点とする法体系と国内法の形をとりながら超憲法的な法体系と二本立である。ポッダム勅令(勅五四二号)の包括委任は憲法違反だがか合法、国家公務員法も憲法違反の点があるが合法である。これを称して、ひもつき法律という云々。誠に割切れてはいるのだが。
宮澤氏の「マ元帥及び政令二〇一号をめぐる論議」。いい古された昔がたり。たださりげなくいわれ、どの憲法学者も别に反ばくしなかった言葉だが、「団結権は、公共の福祉という文字を引くまでもなく、憲法全体の精神から限界がある」そうである。だが、この精神がいかなるもので、何故〈ナニユエ〉憲法十一条より優先するのかは語られない。
杉村章三郎氏の「農地改革の違憲問題」。核心にふれず。柳瀬氏の「正当な補償」=「完全な補償論」は資本主義的平等の原則にばかり目を奪われた、アナクロニズムの憲法論。原則は一つではない。
鵜飼信成氏の「人事院の地位・権限と憲法」。氏も精緻な概念法学が出来ることを実証。だがその分野では、到底田中、柳瀬両氏の敵ではないようだ。田中氏の人事院の独立違憲論におしまくられる。
雄川一郎氏の司法に関する違憲問題。河村氏の座談とだぶる。若げの到りの博学ぶりが眼につく。
以上の論議の全部が全部、結局ポツダム宣言は占領軍を拘束するかしないという論議にたどりつく。どんな気持でそこまでだどりついたかは各人各様なのであるが。
ともかく、和気あいあいとして、頭のいたくなる二日間であった。というのも、事実を離れた形式論理に終結したため。公法学にも、いま流行り〈ハヤリ〉の法社会学をみならわせたいものだ、というのが筆者の結論である。(P)
総理府自治課長鈴木俊一氏とは、のちの東京都知事・鈴木俊一(一九一〇~二〇一〇)のことである。
この文章の筆者は不明だが、「法社会学」に言及していることなどから、民主主義科学者協会の戒能通孝〈カイノウ・ミチタカ〉ではなかったかと推測する。
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