◎雑誌『世界』創刊号(1946)の編集後記
必要があって、創刊当時の雑誌『世界』を閲覧した。創刊号は、本文一九二ページで、非常に充実した内容であった。
本日は、同誌創刊号から、その「編輯後記」を紹介することにしたい。
編輯後記
「かうなると新しい総合雑誌が必要だな」と私たちが考へはじめたのは、終戦後まだ間もない頃であつた。戦争は終つたが、アメリカ軍の本土進駐はまだ行はれず、国内の一切がまだ戦争遂行の態勢のまゝ、たゞ突然に停止したといふ状態にゐた頃である。だが、恐ろしい崩壊はもう眼前に予想されてゐた。あらゆる方面に根柢的な変革が必至であつた。やがて現実となつて国民を捲きこむべき思想の混乱と生活の窮乏とは私たちの眼にも明らかであつた。私たちは国民の嘗め〈ナメ〉ねばならぬ苦悩の深さを思つた。そして一つの新しい綜合雑誌の生れ出る必要を痛切に感じたのである。国民がこの不幸な状態を切抜けて颯爽たる姿を取戻すために必要な精神的苦痛の公けの機関としての総合雑誌、この未曾有の転換期における指導的思潮の本流を指し示すところの――もしくはそれを探し求めるための――権威ある総合雑誌、さういふ雑誌が出て来なければならない。
元来かういふ雑誌の創刊は岩波書店主〔岩波茂雄〕の年来の希望でもあつたのであるが、この多難の時期に着手することには、私たちとして多少の躊躇がないわけではなかつた。そのわれわれを促してこの事業に赴かせたについては、既に新聞にも伝へられたやうに、学界や文壇や美術界など多方面の権威ある有志の方々によつて組織されてゐゐ同心会の提案が大きな力であつた。同心会は戦時中軍閥の暴力的な文化指導に迎合しなかつたリベラルな思想家や芸術家の集りであつて、その多くは岩波書店とは多年深い関係のある方々である。そこで同心会員で同時に岩波茂雄にとつては数十年来の友人たる阿倍能成〈アベ・ヨシシゲ〉氏が一任されて編輯〈ヘンシュウ〉の指揮にあたることとなり、こゝに急速にこの雑誌が発刊される運びとなつたのである。同会が自己の事業の一部として、ご協力下さるのでなかつたら、この創刊号も恐らくこれだけ内容の充実を期することができなかつたと思はれる。編輯に従事してゐる者として私たちはこゝに衷心から同会に感謝を献げる。
しかし発刊の辞にもあるやうに、この雑誌はどこまでも開放された公けの雑誌として編輯される方針で、同人雑誌や特定の一派の機関雑誌たる性格は帯びないつもりである。指導的な思潮もやがて推移してゆくであらう。その大きな推移のあとが後世この雑誌によつて辿られる〈タドラレル〉ことになれば、私たちの希望も達成されるのである。(吉野)追記十一月二十六日三宅雪嶺〈ミヤケ・セツレイ〉先生逝去せらる。本号の感想を口述せられたのは十五日であつた。おそらくはこれが最後の文章であろう。
いかにも、時代を感じさせる文章である。筆者は、編輯兼発行者の吉野源三郎である。
ここに出てくる「同心会」とは、戦争末期に発足した「三年会」が、戦後、名称を変え、メンバーを増やしたものだという。ちなみに「三年会」は、小磯内閣の外相であった重光葵〈シゲミツ・マモル〉の発意によって作られた懇談会で、敗戦後の国内混乱に対応することを目指していたという。「三年会」には、志賀直哉、阿倍能成、田中耕太郎、武者小路実篤、山本有三、和辻哲郎、谷川徹三らが属し、「同心会」となってからは、それらに、大内兵衛、石橋湛山、鈴木大拙、広津和郎、里見弴〈サトミ・トン〉、柳宗悦〈ヤナギ・ムネヨシ〉、梅原龍三郎が加わったという。なお、「同心会」については、インターネット上で読んだ塩田勉氏の論文(二〇〇七)に依拠した。
今日のクイズ 2013・1・30
◎「編輯」と「編集」との関係について、最も適切なのはどれでしょう。
1 「編輯」は「編纂」と同じ。雑誌や新聞については、「編集」を用いる。
2 「編輯」も「編集」もほぼ同じ意味だが、戦前は「編輯」を用いる場合が多かった。
3 「編輯」が本来の言葉で、「編集」はその代用語。
【昨日のクイズの正解】 1 べきら ■汨羅〈ベキラ〉は中国の川の名前。戦国時代に屈原〈クツゲン〉が投身自殺したことで知られます。1930年の「青年日本の歌」(一名「昭和維新の歌」)の歌詞に、「汨羅の淵に波騒ぎ」とあります。「金子」さん、正解です。
今日の名言 2013・1・30
◎未曾有の転換期における指導的思潮の本流を指し示す
雑誌『世界』の編輯兼発行者の吉野源三郎の言葉。吉野らは、このような気持ちから、総合雑誌『世界』を創刊した。『世界』創刊号(1946年1月)の「編輯後記」より。上記コラム参照。