礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

人間は振出しが大切だ(田中光顕)

2018-03-28 03:05:22 | コラムと名言

◎人間は振出しが大切だ(田中光顕)

 月刊誌『うわさ』通巻一六七号(一九六九年七月)から、山雨楼主人(村本喜代作)による「宝珠荘の偉人」という文章を紹介している。本日は、その五回目(最後)。

 話のついでだから書いて見るが、田中は天皇陛下を天子様という言葉で呼んで親しみある人間扱いをした。そして自分が宮内大臣を辞めてから後の宮内省が、「どうも天子天子様を生神様〈イキガミサマ〉に扱って困る。あれではだんだん皇室と国民とが離れてしまう」と憤慨しておった。昭和の御大典に際して、陛下が京都に行幸の往途、田中は蒲原町〈カンバラチョウ〉の在郷軍人分会に対し、訓練銃に実弾を装置して鉄道沿線を警備せよと申し渡した。これを聞いた清水警察署長が吃驚〈キッキョウ〉して田中を訪問し、取締上困るから止めて欲しいと話したら、
「あの鉄砲を白川〔義則〕陸軍大臣から払い下げて貰った時、陛下御警衛の為という理由で許可されている。在郷軍人が銃をもって警備するのが何が悪い。軍人は陛下の赤子だ。近頃共産党などという悪思想を持った者がいて、何をしでかすか判らん。折角だが断わる」と叱り飛ばされて帰った。
 時の警察部長金森太郎が私〔村本〕のところへ相談に来て、
「実に困った。理論としてはゴもっともだが、それでは警察が法規上黙ってはいられない、何とか貴郎〈アナタ〉からうまく話して貰いたい」と泣きを入れて来た。仕方がないから私は早速蒲原に行って田中に逢い、警察部長も困っていると話したところ、私に対しても同じようなことを言って、
「どうもこの頃は天子様のお通りだというと、警官が人垣を作って物々しく警備するが、あんなことはいかん。天子様と国民とはモッと親しく出来るようにして、天子様も人間、百姓も人間という観念を植え付けぬと、日本の国は亡びてしまう。私が宮内大臣の時はモッと自由にしてあげた」と、頑として自説を撤回せぬ。これは話しても無駄だと思ったから、私は分会長の岩辺弥之助と相談し、また警察部とも打合せ、弾だけは田中に内密で装置せぬことにして解決した。今思うと、田中は豪かった。その後の宮内官僚が天皇を生神様扱いをしたことによって、軍閥の跳梁を招き、延いては無暴な侵略戦争を捲き起し、可惜〈アタラ〉敗戦の憂目〈ウキメ〉を見るに至った。
 田中は明治維新の際、軍曹に召され終身十人扶持〈ジュウニンブチ〉を下賜された。その時の軍曹というものは、勿論将校格であった。伊藤博文が兵庫県令の時、病の為に休職し、馬をつれて伊藤のところへ食客に入った。そのうち病気が治ったので、伊藤の勧めに従って権判事〈ゴンハンジ〉に任官し、兵庫県西宮支庁に出仕した。
「人間は振出しが大切だ。私と伊藤は維新前は対等以上であった。偶々〈タマタマ〉病気で伊藤の食客となり、病気全快後遊んでいても仕方がないと思ったので、伊藤の下で働いたが、これが終生ついて廻って、私はどうしても伊藤の上へ出ることができなかった」と私に告白したことがある。
 私が宝珠荘を訪問した頃、田中のところに伊藤の手紙などは束にして積んであったが、余り勿体ないではないかと話したら、其後年月日順に揃えて横巻に表装した。一巻に二、三十宛〈ズツ〉納めて五十余巻あったから、田中と伊藤の交遊こそ、真に水魚の如きものがあったと思う。田中の背後に伊藤の光っておったことが、田中を永く宮内大臣たらしめたとも言えよう。
 山県含雪〔有朋〕の手紙もこの時同じように横巻に表装したが、これは二十数巻だったと記憶している。
 田中は自分の邸内に表具師を置いて年中仕事をさせ、多数の書画を愛蔵していたが、その大部分は維新前後の盟友の筆蹟であった。これ等の軸物は全部田中自身が箱書〈ハコガキ〉したが、一寸私共の奇異に感じたことは、「西郷隆盛君七絶」とか「梅田雲浜君一行書」とか、すべて君と書いてあるところ、よく考えてみると不思議でも何でもないが、この点だけでも国宝的人物だなと思った。

 文中、「警察部長金森太郎」とあるのは、のちに徳島県知事、山県県知事などを務めた金森太郎(一八八八~一九五八)のことである。その長女の和子は、政治家の石破二朗〈イシバ・ジロウ〉に嫁した。石破茂〈シゲル〉衆議院議員は、二朗・和子の長男である。
 以上、五回にわたって、山雨楼主人「宝珠荘の偉人」という文章を紹介した。実を言うと、「宝珠荘の偉人②」という文章もあるのだが(月刊誌『うわさ』通巻一六八号、一九六九年八月)、この紹介は、しばらくあとに廻す。なお、偶然だが、本日三月二八日は、宝珠荘の偉人・田中光顕の命日である。

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