礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

漢字が全部でいくつあるかは誰も知らない

2018-03-02 00:27:26 | コラムと名言

◎漢字が全部でいくつあるかは誰も知らない

 松坂忠則著『国字問題の本質』(弘文堂、一九四二)から、第一章「文字から見た現代文化」の第二節「漢字と国民教育」を紹介している。本日は、その二回目。昨日、紹介した部分のあと、改行して、次のように続く。*以下は、原文では、小さい活字で組まれていた。一種の注であろう。

 わが国には、シナと同様に、文字を覚えること自体が学問であるとかんがえる風がある。「読み書き」というコトバが「学問」とゆうコトバと同じイミに使われるのは、この事実を、ある程度にウラ書きしているように思われる。しかしながら、文字は学問ではない。たとえば地図において、鉄道をしめす線の書きかたや、古戦場をヤクソクする記号がある。これらのヤクソクを知ることは、地理学を学ぶうえにおいてヒツヨウである。しかし、それは、地理学を学ぶための用意であって、決して、それ自身は地理学ではない。その記号のチシキを用いて、例えば東海道線のありかなり、関が原古戦場の地点なりを知って、はじめて学問と言い得られる。学問に対する文字の関係は、この地図の記号とことならない。「孝」とゆう文字を知ることと、道徳上「孝」と言われている内容を知ることとは別物である。「算術」と書くことを知っても五は十の二分の一であることや、したがって五銭ダマ二つは十銭であることなどを知らなければ、算術のチシキを得たとは言えない。すなわちわが国民教育では、カン字を教えることに非常な精力を注いでいるが、それは、決して科学でも、国民精神でもない。
 漢字を教えることに多くの時間をとられる第一のゲンインは、文字の数が多い点にある。漢字は全部でいくらあるかとゆう質問に対しては、何人も答えることができない。字引の中で最も多くの漢字を集めているのは、「シュウイン」(集韻――宋時代に、丁度の撰になるもの)で、これには五三、五二五字が収められていると言われている。漢字字引の代表的なものと見なされている「コウキ ジテン」(康熙辞典)には、四七、二一六字(補遺とも)おさめられているとのことである。
 しかし、これらの字引にあるものが漢字の全部ではない。コトバに方言があるように、漢字にも「方字」とでも言うべきものが、たくさんある。日本製のいわゆる和字も、東洋全体からみれば「方字」であって、前記のシナの字引には入っていない。しかし日本においては、和字もまたすべて、漢字と同じ生存の権利を要求している次第である。高貴の人の名に見る「麿」をはじめとして、榊、峠、粂、凩、凧、樫や、杢兵衛の杢にいたろ何百字にもおよぶものの外に、糎、瓩、俥など明治以後の発明のものもある。地名、人名などにはウソ字がそのまま承認された例もすくなくない。
 これらの、無数ともゆうべき漢字の中で、現在の日本において、社会常用の文字として用いられているのばどれほどであろうか。これを知る一つの目やすは、活字の売買の実情を調べることである。昭和十年度〔一九三五年度〕発行のモリカワ活字店(オウサカにおける第一流の活字店)の活字カタログには、五号明朝体が一〇、五〇〇字、十ポイント明朝体が一一、〇〇〇字(いすれもルビ無しのもの)と記されている。
 いま一つの目やすは、シンブンの実情を調べることである。あとに精しくのベるが、カナモジカイの事業として私どもが五種類六十日分のシンブンを調べた結果では大体三、五〇〇字の漢字が用いられていた。シンブンは、漢字制限に力を注いでいるので、他の専門書などにくらべると、かなりちがっている。以上の、活字のカタログと、シンブンの事実からみて、今日の社会で現役の文字として用いられているのは五、〇〇〇字と見ることができよう。
【一行アキ】
*安達常正〈アダチ・ツネマサ〉氏は明治四二年〔一九〇九〕に「漢字の研究」をあらわし、わが国で使用されている漢字として四六八八字をあげている。また後藤朝太郎〈ゴトウ・アサタロウ〉氏は「教育上より見たる明治の漢字」と題する、明治四十五年〔一九一二〕発表のものに「現今の実際社会で読み書きしている漢字」は六千字に近いとのべているよしである。日下部重太郎〈クサカベ・ジュウタロウ〉氏は大正九年〔一九二〇〕に「実用漢字の根本研究」をあらわし、六三五八字をあげた。【以下、次回】

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